朱子学の影響は李氏朝鮮のみならず我が国にも及んでいる。明治政財界の巨人たる渋沢栄一が後世に遺した名著「論語講義」は朱子注釈(新注)に基づいて孔子の教えを説いている。
「論語の我が邦に伝来せしは、応神天皇の十六年に、百済の王仁来たりて論語十巻を献ず。皇太子稚郎子就いてこれを学ぶ。皇国の論語学あるはここに始まる。文武天皇大宝元年の学令に鄭玄、何晏注を用いよとあり、隋唐の制に遵うなり。学者これを称して古注という。後醍醐天皇元弘建武の際はじめて朱熹集注を伝う。これを新注という。(中略)
古注は夫子を去ることを遠からざる時の作なれば、事実において真に近く取るべき所少なからず、一概に棄つべからず。しかれども修身斉家の実効の実を挙げんとするには、新注の説に従うを以て捷径となす。もしそれ新注の高遠に馳せ幽玄に入りて、実用に適さざる点あるは、往往免れざると所なれば、よろしくこれを去りて孔夫子を以て標準となし、実践躬行を以て主眼とすべし。これ折衷学者の唱道する所にして、余の左袒する所なり。
慶長元和の際、藤原惺窩出でて、その門人に林羅山あり。徳川家康に用いられて、その朱注論語に施す所の訓点を道春点と称し、広く世に行わる。のち羅山の子孫あい継いで大学頭に任じ幕府の文教を掌る。すなわち朝廷にては、古より古注を用いられしも、幕府にては開府以来宋学を尚びて新注を用う。諸侯また幕府に倣い皆新注を用い、以て明治維新の時に及べり。」
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posted by 森羅万象の歴史家 at 18:08|
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