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第一部「現人神」という幻想
第一章通俗的な「現人神」論の崩壊
現人神「明治起源説」
現人神「昭和起源説」の出現
修身・日本史小学校教科書の変化
第二章明治初期から「教育勅語」の発布のころまで
明治初期の苦い体験
天皇「神孫」論の意味
「祭神論争」の教訓
憲法・教育勅語の思想
君臣関係の力点
第三章「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで
「教育勅語」の準公定解釈と学校行事
さまざまな民間注釈書
日清戦争以降における「家族国家論」の流行
日本神話ぬきの天皇論
「現人神」の創作者―加藤玄智
上杉慎吉の天皇絶対論
「八紘一宇」の提唱者―田中智学
第四章第一次世界大戦から満州事変のころまで
第一次大戦以降の思想問題と政府の対応
「神話」軽視の風潮の反映
「共産主義」への恐怖がもたらした思想統制
「思想困難」の複雑さ
対抗イデオロギーとしての国体論
「総力戦思想」もたらした軍部の教育介入
第五章満州事変以降
満州事変以降における諸潮流の合体
「天皇機関説事件」から国体の本義の編纂へ
国体の本義の内実
近衛文麿と東亜新秩序声明
荻窪会談から三国同盟へ
三国同盟から臣民の道へ
平凡な結論と新たな推理
第六章「創られた伝統」としての「現人神」
佐藤信淵の評価にみる「伝統の創出」
大国隆正の評価にみる「伝統の創出」
占領期における「創られた伝統」の正当化・固定化
戦後における「創られた伝統」の増幅
「現人神」「八紘一宇」はまやかしか
「歴史意識の古層の隆起」としての天皇論
第二部「国家神道」という幻想
第一章「国家神道」は如何にして創られたか「幻想」の系譜をたどる
国家神道「幻想」の産みの親―加藤玄智
「幻想」の媒介者―D・C・ホルトム
はじめに「神道指令」あり
国家神道「幻想」の拡大者―藤谷俊雄
虚像の完成者―村上重良
憲法学会への宣教者―宮沢俊義
第二章神社参拝は「法的に」強制されたか
「現人神」信仰という虚像
国民個人に対する「法的強制」などなかった
憲法発布当時の「臣民たるの義務」の解釈
内村鑑三不敬事件とは何だったのか
昭和における「臣民たるの義務」の解釈とその変化
司法官・行政官たちの解釈の変化
第三章強制された「事実」
国家的な神社などほとんどなかった
「国家の宗祀」の回復へ
それは日露戦争後に始まった!
「神社問題」の発生と政府の態度
宗教制度調査会での論議沸騰
丸秘の修正案
「神社問題」を一変させた上智大学事件
拒否できない空気の醸成
第四章「神社非宗教」論とは何だったのか
「宗教」は不変なのか?
政治的意味の変転
「国家神道」による宗教弾圧?
海外神社も国家神道?
第五章「幻想」を必要としているのは誰か
体験を客観視できない戦中派
「国家神道」あるところに浄土真宗あり!
「国家神道」とは浄土真宗と見つけたり
マスク・イデオロギーとしての国家神道
第六章蜃気楼が消えた後には?
再び「魔術」に欺かれないために-「演繹」の誘惑に打ち勝とう
明治維新は「一揆」だった!
国体という名の集合思想
平凡な政教関係 公認教制度
「明治憲法が『天皇は神聖にして侵すべからず』と定め、天皇が現人神とされて以来、国が一般に対して国家神道思想の教育を行い、それが国家を支え統治する思想として支配的となり、(中略)その時代には、まさに国家機関が宗教活動を行っていたものであった」(平成四年、愛媛県知事玉串料等奉納事件・高松高裁判決)
上の判決理由は全くデタラメである。
明治憲法は天皇を「無答責の地位」(神聖不可侵)に置いているだけで、天皇を現人神と規定していないし、神社に国教的地位を与えてもいなければ、臣民の義務に神社の参拝を盛り込んでもいない。明治憲法は日本国憲法(12条、20条)と同程度に信教の自由を保障している。
そして帝国憲法下の明治・大正・昭和の政府が神社に事実上の国教の地位を与えていたとも言い難い。
何故ならば、明治14年に神道教導職が集まって布教を行っていた神道事務局の神殿に大国主神を祭るべきかを否かを巡って神道界に内紛が勃発し、これを解決できなかった神道界が紛争の裁定を政府に持ち込み、最後には天皇に勅裁を仰ぎ、決着を付けたのである。
この神道界の内紛に懲りた政府は、翌年の1月に神社神道の神職が布教や葬儀を行うことを禁止した。この措置が解禁されたのは、何と昭和14年8月14日なのである。
そして政府が公文書で初めて天皇を現人神と規定したのは、昭和12年3月の国体の本義であるが、ここでは「天皇を現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいう如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである」という注釈が付いていた。
これを受けた文部省は、昭和14年以降に国定の修身教科書と小学校日本史教科書に天皇現人神論を記載し、昭和15年から神の国という言葉が日本史教科書に登場したのである。
著者の新田均氏が実証しているように、「日本国民を狂信的な戦争へと導いた現人神という思想と国家神道という制度は明治政府が日本の近代化のために考え出した」という裁判官の間に蔓延しているらしい歴史観は幻想であり虚偽なのでる。
そして朝日新聞社と共産主義勢力と浄土真宗(とくに親鸞原理主義者と呼ばれている真宗左派)が、GHQの神道指令とマスコミに天皇の人間宣言に名付けられた昭和天皇の新日本建設に関する詔書を悪用し、現人神と国家神道という幻想を大きく膨らまして靖国神社の戦争責任を糾弾し、大衆の目から歴史の真実を覆い隠している。
しかし今日の我々が「大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義」と「現人神と国家神道という幻想」という名著をもって幻想を振り払うと、そこに剥き出される歴史の真実は、戦時中ひたすら戦争を煽っていた者は、朝日新聞社であり、戦後に共産党、社会党、日教組の大幹部になった共産主義者と元朝日記者のソ連スパイ尾崎秀実であり、浄土真宗の僧侶であり、神社神道の神職たちは、浄土真宗が布教と葬儀を仏教の独占とするために政府に受諾させた「神社非宗教」説に雁字搦めに拘束され、哀れなことに布教も葬儀もままならず、祭祀の厳修以外にできることは宮司のポスト争いに現を抜かすか、神社の地位向上運動に挺身するくらいしかなかったのである。
何のことはない朝日新聞社と共産主義勢力と浄土真宗は、自分たちの戦争責任を靖国神社と神道になすりつけるためにデマを飛ばしているのである。
冒頭の愛媛玉串料訴訟の原告団長も真宗の僧侶なのである。
<浄土真宗の真実>
後の世は弥陀の教へにまかせつゝ いのちをやすく君にさゝげよ(日清戦争に際して真宗教団が門徒兵卒に与えた和歌)
「代々の天皇陛下は、一方から申しますれば、天神の神胤すなわち神の子と申すことが出来ますけれども、亦他方からは、陛下のことを明神とも亦現人神とも申し上げてをるのでありまして、神より一段低い神の子ではなくして、神それ自身であるということであります。
日本におきましては天皇陛下に対し奉る時は吾々臣民は絶対服従でありますが、西洋におきましては、歴史的に神に対して絶対的服従を要求されて居ることになって居ります。
西洋にあっては即ち神、日本にあっては天皇陛下、西洋にあっては宗教上の信仰、日本にあっては忠孝一本、西洋にあってはキリスト教、日本にあっては天皇教」(1912年浄土真宗信者の加藤玄智著「我が国体思想の本義」)
「尊き生命を国家に捧げて、名誉の戦死を遂げられた護国の英霊に対して、私共国民は衷心感謝と敬意とを致さねばなりませぬ」(昭和14年6月槇堂哲蔵「靖国神社の崇敬」)
「いうまでもなく、日本の戦争は、それが天皇陛下の御名によって進められるのであるから正しい。すなわち聖なる戦である。これはわれら国民の信念であり、実に日本の基本的性格である。ここに日本の戦争観の根底がある。そしてそれは大乗仏教の精神と一致するものである」(昭和14年7月梅原真隆「興亜精神と仏教」)
「わが国の天皇は現人神として天つ神の御意のまにまに治め給う国であるという信念は必然的に天皇に対する絶対随順の心を湧き出さしめ、国体に対する絶対信頼の情を起こさしめる」(昭和16年普賢大円「神ながらの道と浄土真宗」)
「日中戦争が始められ、総動員体制が敷かれると、教団指導層は国家の協力要請をまちかねてでもいたように、門徒民衆の積極的支持を実現すべく総力をあげて活動を展開した。ほとんどの門徒民衆がそれに対していささかの違和感も抱いていなかったようにみえる」(福嶋寛隆「戦時教学と真宗」)
「現人神信仰は、この法主生仏信仰の焼き直しではないだろうか。二つの信仰はきわめて似かよっており、成立は法主生仏信仰の方が早いのであるから」(菱木政晴「浄土真宗の戦争責任」)
然らば、戦国時代に本願寺が「進めば極楽浄土、退けば無間地獄」と一向一揆を煽り立て織田信長軍と激戦を繰り広げたごとく、日清戦争から大東亜戦争に至るまで、なぜ浄土真宗がかくも熱狂的に我が国の戦争遂行を支持し、戦意の高揚に努めたのか?
残念ながらこの本には書いていない。所長は何となく分かるが、それは余りにおぞましいので、敢えて書かない。
おそらく「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺すは、戦後民主主義時代を研究する歴史学徒の必須文献となっていくだろう。
そして平成生まれの日本の若者は、彼らが書いた現代史書を読み、日本の戦後を、日本の戦前よりもはるかに異様で狂気に満ちた時代と思うに違いない。
政治家、官僚、裁判官、学者、知識人、宗教家、新聞記者が平然とデマを撒き散らして金銭を得ているのだから。
彼らと同時代に生き、彼らの跳梁跋扈を許している我々は、彼ら詐欺師と同類に扱われるのである。
所長は悔しくて堪らないので、明治以降の神道には天皇=現人神を頂点とする「一神教化」という路線があったという宗教学者の山折哲雄と、教育勅語の精神は天皇を唯一の神としてその神のために死ぬことを根本道徳とし、一切の道徳をこの根本道徳に従属させるものであったという哲学者の梅原猛に、一矢報いておこう。
明治政府が国家に殉じた戦死者を慰霊する施設として東京招魂社のちの靖国神社を建立した結果、我が国の神々の数は爆発的に増えたのに、どうして戦前の日本に、天皇を現人神として崇拝する一神教が成り立つのか、八百万の神々を祭祀する天皇がどのようにして唯一神になったのか、明治・大正・昭和の天皇が天照大神や八幡大神(応神天皇)をはじめ全国各地の天津神と国津神と人物神を抹殺するという暴挙に出たのか、
このインチキ学者どもめが!
<関連ページ>
・創価学会や統一教会など淫祀邪教を打ち砕いています!日本人が日本人らしくなる「神道」のこころ
【日本の萌ゆる神々】
・神々の聖地日本-癒しと再生の旅ガイドには載らないが、参拝すると御利益抜群です。この赤い稲荷神社に照れ屋さんの美しいお稲荷さまに棲んでもらうとあなたの願い事がかないます
・朝昼晩に毎日新聞ら反日マスゴミの消滅を祈願したいけど、靖国神社に参拝できない方は日本職人の技が光る御利益抜群の神棚の里を訪問しています
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天皇に神格を認めて、神道に国教の地位を与えたことがあるんですが...
あ、因みに、詔は天皇の命令のことですから、太政官令等をの法令より上位です。
別に一部の条文だけで、解釈してゆくのが、法学ではありませんよ。憲法に築かれた慣例判例などの兼ね合いで、解釈をするものです。
大教宣布の詔(明治3年正月3日)のことは、現人神と国家神道という幻想(19~25ページ)に解説されていますので、もちろん忘れていません(笑)。
「朕恭しく惟るに天神天祖極を立て統を垂れ列皇相承け之れを継き之れを述へ祭政一致億兆同心治教上に明かに風俗下に美なりし而して中世以降時汚隆あり道顕晦あり今や天運循環百度維れ新なり宜しく治教を明らかにし以て惟神の道を宣揚すへきなり因て宣教使に命し天下に布教す汝群臣衆庶其れ斯旨を体せよ」(明治3年正月3日の大教宣布の詔)
でもこれは日本国内における儒仏勢力と欧米の反発を招き、政府によって明治8年5月には大教院が解散、閉鎖され、そして明治15年1月には神社神道の神職による布教や葬儀が禁止されました。
結局のところ大教宣布の詔による神道の国教化は大失敗に終わり、帝国憲法には盛り込まれなかったのですよ。
実際に、枢密院帝国憲法制定会議の審議にも、天皇の神格化も神道の国教化もキリスト教の排撃も一切でてきません。
>因みに、詔は天皇の命令のことですから、太政官令等をの法令より上位です。別に一部の条文だけで、解釈してゆくのが、法学ではありませんよ。憲法に築かれた慣例判例などの兼ね合いで、解釈をするものです。
その通りですよ。だから明治3年の大教宣布の詔だけではなく、その後の明治政府の宗教政策変更(1875年の大教院の解散、信教の自由の保障、1877年の教部省廃止、1882年の神社神道の神職による布教葬儀禁止、1884年の教導職廃止、大教宣布の終焉)や、枢密院帝国憲法制定会議資料、憲法義解、帝国憲法第七十六條「法律規則命令又は何等の名称を用いたるに拘らず此の憲法に矛盾せざる現行の法令は総て遵由の効力を有す」の立法趣旨等々をふまえて解釈しなければなりません。
1870年の詔(天皇の命令)が1890年施行の大日本帝国憲法より上位ではありませんよね。
平成四年の愛媛県知事玉串料等奉納事件・高松高裁判決はその典型例であって、これは法学的歴史学的には原告団の詐欺的体質と戦後民主主義の異常性とを示しているのであって、「明治憲法が『天皇は神聖にして侵すべからず』と定め、天皇が現人神とされて以来、国が一般に対して国家神道思想の教育を行った」という憲法解釈や歴史観を証明するものにはなりません。
枢密院帝国憲法制定会議第一日は、明治二十一年六月十八日午前十時四十分、明治天皇の御臨席の下に、厳かに開会した。開会の劈頭、伊藤博文は開会の辞に託して、帝国憲法草案制定に対する起草者の根本態度に関し説明を試みた。
伊藤は、第一に憲法政治を措いて国家を進展させ得る良途なきを断じ、第二に、この憲法政治の創設は日本にとって文字通りの創造にして、独自の憲法精神と運用の極めて重大なるを指摘し、第三には、我が国の憲法政治が皇室を中心と仰ぎ奉る確乎たる責任政治たるべきを論じたのである。伊藤いわく、
「すでに各位の暁知せらるる如く、欧州においては当世紀に及んで憲法政治を行わざるものあらずといえども、これ即ち歴史上の沿革に成立するものにして、その萌芽遠く往昔に発芽せざるはなし。これに反して我が国にあっては事全く新面目に属す。
故に今憲法の制定せらるるに方ては、まず我が国の機軸を求め、我が国の機軸は何なりやと云う事を確定せざるべからず。
機軸なくして政治を人民の妄議に任す時は、政その統紀を失い、国家また随って廃亡す。いやしくも国家が国家として生存し、人民を統治せんとせば、宜しく深く慮りて以て統治の効用を失わざらんことを期すべきなり。
そもそも欧州においては憲法政治の萌せる事千余年、ひとり人民この制度に習熟せるのみならず、また宗教なる者ありて之が機軸を為し、深く人心に浸潤して、人心ここに帰一せり。しかる我が国にあっては宗教なる者其の力微弱にして、一も国家の機軸たるべきものなし。
仏教は一たび隆盛の勢を張り、上下の人心を繋ぎたるも、今日に至りてはすでに衰退に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基づきこれを祖述するといえども、宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。我が国にあって機軸とすべきは、ひとり皇室あるのみ。」
仏教も神道も我が日本国の機軸にはならないそうです(笑)。
かつてエジプトでは、太陽神ラーの子供(子孫)だというファラオが支配していた時代があった。ファラオの権威の源は、その神話にあり、彼が密儀を行うことで、ナイルの豊作がもたらされると信じられていた。
日本の天皇の権威の源も、元を正せば、アマテラス祭儀にある。日本では天皇はアマテラスの子孫であると考えられ、天皇はその祭祀を続けて来た。その祭りによって豊作がもたらされると信じられていた。
その天皇を神勅により高祖無窮の元首とした大日本帝国憲法は、それ自体がすでに神道世界なのであり、ゆえに学校ではイザナミイザナギに始まる荒唐無稽な日本神話を教え、天皇の真影への礼拝、また帝国の晩年には、アマテラスの大麻が臣民に配られ、その崇拝を強要されたのである。日本軍や省庁の中では、宮城礼拝は義務化していたので、多くのキリスト教徒は省庁勤めを止めさせられている。
こうした様態の全体を「国家神道」と呼んでおり、自身も松陰の国学の信奉者であった伊藤博文自身も無自覚な神道信者というしかないのであって、その見解などまるで無意味である。
>「天皇」という存在自体が神道神話の中でしか、尊崇される事があり得ないものだ
そんなことないですよ。国際社会は、国家元首の中で唯一我が国の天皇をエンペラーと尊称していますが、それは皇室が約2000年続く最も古き由緒正しき血筋で、神武天皇の肇国以来皇位が連綿不断として125代に及び、我が国が現存する世界最古の王朝だからであり、皇室と我が国の歴史に敬意を払っているからです。
屋久島の縄文杉がこれを見る者に畏怖と畏敬の念を抱かせるように、皇室の歴史も日本人と中韓を除く世界の人々に尊崇の念を抱かせます。
それに皇室が仏教に傾倒した時も、神仏習合時代も、天皇は尊崇されていたし、東日本大震災のとき、天皇皇后両陛下が被災地を慰問されたときも被災民は感激して両陛下を尊崇していましたけど、みな神道神話を意識し、今上陛下がアマテラスの子孫として、アマテラス祭儀を行い被災地に再び豊かさをもたらすからという意識で、感激し陛下を尊崇したのですか(笑)。
私は国体と天皇と皇室を尊崇していますけど、違うなぁ。というか私が常々思っていることは、皇室の先祖は神話上では天照大神と素戔男尊ですが、実際には隼人族の先祖でしょう。船に乗り稲をたずさえて現九州南部に住みついた隼人の先祖集団が農業に欠かせない太陽を神として崇め徐々に版図を広げ、その長の一人がその一部を率いて東征を行いヤマトを建国して神武天皇と皇室となり、その集団の残りが隼人族になったのでしょう。日本ミツバチの分封みたいなものですね。でも皇室と帝国憲法に対する私の尊崇の念は変わりませんよ。
帝国憲法のコメンタリー憲法義解には、神勅は、あくまで統治(シラス)の意味を説明するために一度だけ引用されているだけで、神勅によって天皇を高祖無窮(天壌無窮の間違い?)の国の元首にしたのではないですよ、あくまで歴史の連続性、歴史の中で成立した国の成り立ちを定める慣習法(国体)を重んじて、それを成文化して天皇を国の元首と明示したのですよ。
国際法上、国家元首とは国家を公式的全般的に代表する個人のことなので、帝国憲法の施行前も日本国憲法の施行後も、日本の国家元首は天皇です。
江戸時代でも征夷大将軍は天皇によって任命され統治権の行使を委任されており、さらに1862年には文久の改革によって事実上の大政奉還が為されたのだから、なおさらでしょう。
帝国憲法原案起草の主務者であった井上毅は教育勅語だけでなく皇室典範からも神話を排除したのに、なぜ帝国憲法を神道世界から導き出すのかあるいは帝国憲法に神道世界を構築するのか、意味不明です。
憲法義解を熟読しても、第一条と第三条に、あくまで参考文献として日本書紀の神代の僅かな記述が挙がっているだけです。帝国憲法が比較憲法学の成果にして歴史憲法学の結晶に見えても、神道世界には見えません。
>ゆえに学校ではイザナミイザナギに始まる荒唐無稽な日本神話を教え、
神話は事実ではないのだから、どこの国の神話も荒唐無稽です。でも日本の神話や神道は、日本の歴史とは密接不可分です。
御成敗式目第一条には「神社を修理して祭りを大切にすること。神は敬うことによって霊験(れいげん)があらたかになる。神社を修理してお祭りを盛んにすることはとても大切なことである。そうすることによって人々が幸せになるからである。また、供物(くもつ)は絶やさず、昔からの祭りや慣習をおろそかにしてはならない。」とあり、これが中世から明治まで日本国の基本法であり国民の道徳規範になっていました。
日本国は帝国憲法施行前から神仏の国なのだから明治政府が引き続いて学校教育において国民に日本の神話や神々について教えるのは当然でしょうに。
日本国民が日本国の神話を知らず、外国人に日本国の神話や日本国の建国者を説明できないなんて、外国人からバカにされる、ものすごく恥ずかしいことだからです。それがなぜ帝国憲法が神道世界ゆえに生じた国家神道なのでしょうか。
山本七平がアメリカ軍の捕虜になったとき進化論を盛んに講義され、進化論なんて子供の時から知っていると反論したら、アメリカ軍の将校は進化論を知っているのに、なぜ天皇が神の子孫だと信ずるのかと驚いたそうです。日本人は神話と事実を区別していたのにね。
伊藤博文演説集によれば、明治維新以後の伊藤博文は思想的に吉田松陰と決別し、盛んに松陰を批判していましたよ。
>また帝国の晩年には、アマテラスの大麻が臣民に配られ、その崇拝を強要されたのである。日本軍や省庁の中では、宮城礼拝は義務化していたので、多くのキリスト教徒は省庁勤めを止めさせられている。
やれやれさんが認めているように、それらが事実であっても、あくまで帝国の晩年の現象であって、それらは帝国憲法固有の解釈から生まれた必然的政策ではなく、いわんや伊藤博文や井上毅の思想とは無関係です。昭和18年1月15日発行の修身教科書に「鉄眼の一切経」という仏教訓話が登場したことも同様です。
アマテラスの大麻は知りませんが、宮城礼拝は官吏なかんづくキリスト教徒の官吏の忠誠心を試す、まことに拙劣な防諜策で、別に神道の産物ではないでしょうに。あの1932年に起きた上智大生靖国神社参拝拒否事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%99%BA%E5%A4%A7%E7%94%9F%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%8F%82%E6%8B%9D%E6%8B%92%E5%90%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6ですら、神道の教義に依るものでもなく、ましてキリスト教徒に神道信仰を強要するものでも、キリスト教を棄てさせるものでもなかったのだから。
伊藤は枢密院帝國憲法制定会議の帝国憲法原案第28条(信教の自由)審議の際に、「鳥居の所説は、将来国家の宗教に対する政略如何に関するものなり、人誰が百年の寿を保つものあらんや、之に処するは其の時々の政治家の方寸に存する事にして、今釈明の限りにあらず」といって宗教政策を後世の政治家に委ねています。神道の国教化なんて行っていません。
ですから国家神道を勝手に後付けで定義し、伊藤博文を無自覚な神道信者と決めつけるやれやれさんの見解は全く無意味です。
というか、帝国憲法を解釈するにあたって帝国憲法原案起草責任者の見解が無意味だなんて、私のような戦史法学徒には、到底理解できるものではありません(笑)。
>日本軍や省庁の中では、宮城礼拝は義務化していたので、多くのキリスト教徒は省庁勤めを止めさせられている。
宮城を礼拝して省庁勤めを続けたキリスト教徒も、それを拒んで省庁勤めを辞めたキリスト教徒も、キリスト教を棄てて神道に改宗したのですか?してないでしょう。というより、やれやれさんは、「帝国の晩年」にも日本軍や省庁には多くのキリスト教徒がいたことを知っているのに、なぜ帝国憲法による神道の国教化や国家神道なるものがあったと信じられるのか、私は全く信じられません(笑)。
鈴木安蔵はヘルマン・ロエスレルの功績の一つとして日本における信教の自由の確立に寄与したことを挙げている。
「最後に彼が日本滞在中、日々カトリック教徒として、模範的な信仰生活をつづけ、日本におけるカトリック教徒に対し、その国籍の独たると仏たるとを問わず、温かき保護と激励の手を差しのべた事実があるが、例えば前掲フランツ・フォン・エルの評伝に曰く、
『ロエスレルは、その稀代の天分と先見的洞察とをもって日本に無数の貢献をし、又国政上文化上この国によき指導と守護とを与えたのみならず、日本のカトリック教会の為にも大いに尽力し、且つカトリック宣教師にも絶大の助力を惜しまなかったのである。
一八九〇年-日本憲法は一八八九年二月十一日に発布され、翌九十年四月一日(ママ)より効力を発した-に信教の自由が日本にも採用されたのも、ロエスレルの功績であり、之によって宣教師に始めてその活動の自由が認められたのであって、全カトリック教会はそのためにも彼に感謝せねばならぬのである。自ら持する所は頗る淡く、しかも彼がカトリック布教のために投じたものは巨額に上っていたのである。
東京のみならず全国の宣教師や修道女等に対して彼は常に変わらぬ忠実な友であり助力者であり、又日本人に対しては、それが同僚たる下役たるとを問わず、何人にも親切鄭重を極めていた。彼は日本の風俗習慣をよく尊重し、貧者には常に暖かき手を差し延べ、飢饉年には進んで寄捨を以て幾家族かを餓死より救った。どんな卑賤の者の挨拶にも鄭重に答えざるはなく、殊に自分の下役の者の権利をどうかして擁護しようと常に心掛けていた。
こうしたわけで彼の一身に朝野の尊敬が集まったのは当然であって、所謂壮士の煽動によって全国に亙り殊に東京市民の間に激しい排外運動が起こって、帝都の唯中で屡々外人が襲われたような時代にあっても、ロエスレル一家には特別な敬愛が注がれたことは怪しむに足らない。』
但し我が帝国憲法に信教の自由の規定があることが直接ロエスレルの主張によると言い得る資料はない。日本における信教の自由確立に対しロエスレルが貢献せることはエリザベート・ロエスレルさん始め言及しているが、その具体的直接的資料は見出し得ない。
しかしエリザベートさんも語って折られるように、彼は伊藤博文始め井上毅、伊東巳代治等の理論的教師とも言うべき権威ある職にあったのであるから、彼の言説は何事についてでも常に伊藤等に傾聴されたに違いなく、また同様にロエスレルは伊藤博文等に機会ある毎にクリスト教徒に対する迫害禁絶のため助言したと思われ、それが我が国における信教の自由の実質的確立に間接に役立ったであろうことは容易に推定出来るのである(中略)。
彼が謹厳公平忠実、公務に孜々として励み、毫も倦むところなく、判断の冷静にして良心的なる、また一切の言動が確固たる信念に基づいておって、時としては伊藤、井上と見解を異にしても毅然として自説を主張せる態度は、惟うに彼ロエスレルが気高きカトリック教徒として神に仕えし美しき人であったからであろうと信ずる。」(憲法制定とロエスレル42~44ページ)
明治日本におけるカトリック布教に助力を惜しまなかった敬虔なカトリック教徒のヘルマン・ロエスレルが伊藤や井上に助言し、帝国憲法原案起草に協力したのに、なぜ帝国憲法が神道世界になるのでしょうか(笑)。私の理解の及ぶところではありません。
明治政府は大教宣布の詔による神道の国教化に失敗して帝国憲法公布前すでに信仰の自由を保障しており、それを帝国憲法に明示しました。
だから帝国憲法公布の年に生まれた石原莞爾は、陸幼・陸士・陸大を卒業した高級将校なのに、帝国憲法の下で古神道、イスラム教、キリスト教、最後に法華経に転宗し、ようやく真の安心立命を得、さらに戦前戦中にキリスト教徒として活躍した賀川豊彦を内閣顧問として東久邇宮稔彦王首相に推薦しました。
仏教歌人の羽根田文明は、明治初めに発生した廃仏毀釈の原因と背景と実態を記録する稀有の書「仏教遭難史論」(1925年、238頁)で次のように勝ち誇っています。
「維新の好運兒として、最初に生まれ出でたる、惟神の大道も、其の発達、健全ならず、種々の支障に遭い、終に夭死するに至って、大道宣布は、民心を収攬すること能わず、全く失敗に終る共に、彼が為に迫害を受け、十年間窮地に在て、悪戦、苦闘を続けたる、仏教は、事実上、最後の勝利を得たのである。
自来、仏教は全く、政府の干渉を免れて各宗、各派共に、自宗の教義を講究し、自由に伝道、布教することになって、今日に及んだのである」と。
最後に、タカダさんも、やれやれさんも、ここに初めてコメントを書き込むなら、挨拶ぐらいしないさいよ。本当に失礼な人々だ。
【枢密院帝國憲法制定会議に提出された大日本帝國憲法草案第三條注解】
天皇は神聖にして侵すべからず
恭て按ずるに、天皇は至尊至厳神聖不侵にして、臣民群類の表に在り。故に法律の責問することを得る所に非ず。而して大臣は至尊に代て其の責に任ず。是を憲法の大義とす。蓋し王者は固より法律を敬重せざるべからず。而して法律は又は王者を干犯するの力を有せず。
(附記)白耳義に於て憲法を議するの際、一議員は其の原案を修正して君主の身体は犯すべからずとなしたり。その説に曰、君主の暗愚又は不徳の為に其の失権を宣告すること能ざるに注意せざるべからずと。
欧州各国の憲法は此の議員の論旨を以て成文となしたりしも、我が憲法は此の不祥の意義を以て本條を組成するを欲せず。而して天皇神聖の徳は独り其の身体を干涜すべからざるのみならず、併せて指斥言議の外に在る者とするの義を取りたり。
【枢密院帝國憲法制定会議に提出された第三條参照】
瑞典(スウェーデン)三条 王の尊厳は神聖にして欽仰す
仏(フランス)千八百十四年十三条 王の身体は侵すべからず而して神聖なり王の執政は責に任ず
白耳義(ベルギー)六十三条 王の身体は侵すべからず王の執政は責に任ず
普(プロイセン)四十三条 王の身体は侵すべからず
墺(オーストリア)四篇第一条 皇帝は神聖にして侵すべからず又責に任ぜず
西班牙(スペイン)四十二条、葡(ポルトガル)七十二条同じ
伊(イタリア)四条 国王の身体は神聖にして侵すべからず
荷(オランダ)五十三条 国王は侵すべからず執政責に任ず
丁(デンマーク)十二条 国王は責に任ぜず 国王の身体は神聖にして侵すべからず執政は政務の責に任ず
【明治の自由民権運動を代表する交詢社の私擬憲法案】
第二条 天皇は神聖にして侵すべからざるものとす政務の責は宰相之に当る
大臣の責任と一対を成す君主の無答責(神聖不可侵)は、君主国の憲法典に置かれる至極平凡な規定です。
因みにデンマーク憲法第十二条は今日第十三条となっていますが、依然としてデンマーク国王は神聖不可侵の地位にあります。それだけでデンマーク憲法がもはや「宗教」であり「神がかり憲法」という人がいたら、それは字句に拘る余り法文の真髄を知らない法学初心者です。