「争いの嫌いな神尾君は、日華事変の結んで解けないのを、どれほど悩んでいたか知れない。言論弾圧が厳しく、新聞紙上に公然和平問題を論議することが出来なかったので、朝日新聞社は特に神尾君を煩わして、ひそかに和平の溝渠を拓開させる努力をした。」
「軍部の言論弾圧が厳しく」と書かないところが正直である。美土路昌一は現在の朝日新聞社幹部よりは善良である。
上海派遣軍司令官の松井石根大将は、日露戦争時の満州派遣軍司令官の大山巌や総参謀長の児玉源太郎に習い、上海出陣と同時に和平工作を開始した。支那事変の前半において日本陸軍首脳は懸命に日中和平の実現を目指した。
神尾茂は多田駿参謀次長の密使であった。戦時中の朝日新聞人の中には神尾のように和平工作に従事した人物がいた。美土路もそのうちの1人である。しかし朝日新聞人の和平工作は個人的努力に止まり、それが朝日新聞紙面の論調になることはなかった。
なぜなら朝日新聞社自身が作り上げた好戦的世論による言論弾圧が厳しく、朝日幹部は新聞紙上に公然和平問題を論議することが出来なかったからである。
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朝日OBの稲垣武氏は朝日新聞血風録で次のように朝日新聞の真実を告発している。
私が論文に書いた通り、満州事変勃発の際すでに新聞は中国軍に対して「暴戻なる支那軍」、日本軍には「無敵皇軍」というシンボル語を愛用していた。これが軍部の抑圧や誘導の結果とは義理にも言えない筈で、現在の新聞でもしばしば見られる、勧善懲悪の紙芝居的発想で大衆受けを狙った新聞側のシンボル操作ではないか。
マスコミが自ら造りだした世論なるものに、マスコミ自身が金縛りになっていく自縄自縛の過程がここに典型的に見られるのであって、そうなれば表現を競争してオーバーにしていく以外、読者への訴求力を強める手段はなくなる。かくて新聞では「○○部隊の将兵」と書くかわりに「○○部隊の勇士」としなければ納まらないようになり、米英との大戦に突入すると遂に「神兵」という極限の表現まで発明された。敵は「鬼畜米英」であり、こうなると支那事変ではまだ勧善懲悪の紙芝居であったものが、大東亜戦争ではおどろおどろしい神話劇になってしまった。
これをも軍部の誘導と弾圧によるとすれば、軍部も新聞記者を凌ぐ作文・造語能力があったということになる。ちなみに、私の論文のこの部分もばっさり削られた。マスコミの陥りやすい病理に竹田室長も気がついており、だからこそ蓋をしようとしたのであろう。
満州事変当時、急伸した新しいメディアであるラジオに対抗するために、新聞各紙が莫大なコストをかけて戦場報道にのめりこみ、大衆感情に迎合する論調をもって部数拡張に努めた結果、大衆の間に盲目的愛国主義と戦争熱が根付いてしまい、読者を失う覚悟がなければ、紙面の編集方針の転換が不可能な状態に朝日新聞社は陥っていたのである。これはまさに自縄自縛現象である。
そして朝日首脳の営利優先主義によって硬直化させられた朝日新聞社の編集方針につけこんで戦争を煽動した者たちが尾崎秀実、佐々弘雄、笠信太郎といった昭和研究会のコミンテルン系朝日新聞共産主義者であり、かくして昭和13年9月には、朝日新聞編集顧問の神尾茂が香港で和平工作に従事している時に、日本国内では朝日新聞社が尾崎秀実ともに戦争の拡大を煽り近衛内閣の強硬方針を擁護するという支離滅裂な事態が発生したのである。
しかも神尾茂は和平交渉相手の中国人から次のような警告を聞いていたにもかかわらず、昭和14年10月26日に影佐禎昭にアッサリ懐柔されてしまった。神尾は影佐機関(梅機関)に加わり彼の知友である中国人を汪兆銘政権に協力する者として獲得する工作に従事したのである。
香港日記(神尾茂著/自家蔵版1957)
昭和十四年十一月十日津田長官を官邸に訪問。
汪政権は出来ても平和は来ない。愈々長期戦の陣形が成るだけのこと、新政権は維新政府に毛の生えたようなものに過ぎないと、十三日夜を約して帰る。李択一を訪問、昼食によばれ二時間迄語る。重慶との直接交渉でなければ駄目だというのが彼の主張、汪政権との平和は停戦なき平和だ、停戦は戦いつつあるものでなければ出来ないと彼は言う。
昭和十四年十一月二十三日張季鸞と会見。
新政権の成功し得ないことは、種々の方面から立証できる。
第一、人民の間に何の信用もない政府は政治の能力がない。
第二、政治の能力がないものが政権を維持するためには、自己以外の権力に倚存せざるを得ぬ。事実に於て日本軍部の特務機関によって支配されている。
第三、他の権力に倚存するが故に、完全に自由意志を有たない。第四、自由意志がないから責任を取り得ない。
第五、その責任は全部日本軍部の肩上に帰着されるので、日本はその責任までも背負い切れるものではない。
第六、日本の根本方針は斯くの如く支那の犠牲に於て自己の発展と強化を図ろうとするものである以上、その意図は終に破綻を免れないだろう。
第七、たとえ一時的に成功しても他国との争い一度起こらば、支那は敢然起って日本に叛くだろう。
第八、四億という自分の十倍にも当たる大国民の自由意志を奪って文化工作もあったものではない。一民族の思想まで束縛しようとしても駄目だ。今の支那は三十年前の朝鮮ではない。以上の理由により、新政権は砂上の楼閣に等しく、永久の計ということは出来ない。
昨今の朝日新聞の論調に従えば、朝日編集顧問の神尾茂が影佐機関の一員として汪兆銘工作に従事したのだから、朝日新聞社は汪兆銘政権の樹立によって引き起こされた支那事変の長期化に深く関与していたのである。
朝日新聞論説委員の佐々弘雄と笠信太郎が近衛内閣のブレーントラスト昭和研究会に加わり国家総動員法発動と近衛新体制運動を推進していたのだから、朝日新聞社は国家総動員法に基づく国民徴用令と朝鮮人徴用に積極的に関与していたのである。
そして今日の朝日新聞社幹部は、女衒と慰安婦あるいは沖縄集団自決への日本軍の関与―それが善意の関与であっても偶然の関与であっても―をあたかも犯罪のごとく糾弾するのだから、我々は支那事変の長期化あるいは国民徴用令への朝日新聞社の関与を朝日新聞社の犯罪として糾弾できるはずである。
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