「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決(英語ではthe judgements、スペイン語ではlas sentencias )を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。
極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」
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英語のjudgementは、法律用語として用いられる場合、日本語の「判決」を意味する。スペイン語のsentenciaは、判決または宣告された刑を意味し、「裁判」という意味を含まない。しかし外務省の邦訳文では、判決(the judgements)が裁判(trial)と誤訳されている。
大原康男教授が、当時の外務省条約局課長であった藤崎万里氏に取材したところ、藤崎氏から「昔のことなので、なぜジャッジメントつまり判決の受諾が裁判の受諾になったか、自分も覚えていない」と言われたという(1)。
支那事変の勃発後、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実ら昭和研究会に参集していたソ連系の共産主義者によって実行された作為戦争謀略活動には、外務省から牛場信彦が参加していた(2) 。
昭和13年(1938)7月26日、宇垣一成外相がイギリスに対支援助の中止と日支和平の仲介を要請するためにイギリス駐日大使クレーギーとの会談を開始したところ、牛場や甲斐文比古ら外務省少壮革新事務官8人が宇垣外相を訪問し、「今日、漢口攻略を目前に控え、帝国外交も、蒋介石政権の壊滅、防共枢軸の強化及び在華英、仏、ソの政治的勢力の排除のため断然たる措置に出すべき秋と思考するところ、最近の大臣関係大使との御交渉ぶりは、吾等の最も憂うところなりとす」と述べて、クレーギーとの会談の中止を迫り、独伊との関係強化を主張したが、宇垣外相に軽くあしらわれた(3)。ゾルゲ機関の諜報謀略網は外務省内部にも浸透していたことは疑いを容れない。
昭和29年(1954)8月、警視庁は、アメリカに亡命中の元在日ソ連代表部書記官ユーリー・ラストボロフの供述に基づき、反共の闘士を演じていた外務省職員兼内閣調査室員の日暮信則のほか通産省、外務省職員2人を国家公務員法違反で逮捕し、日暮は東京地検4階で取調べ中に窓から投身自殺した。
GHQによって治安・防諜能力を喪失させられた占領期の日本では、約8000人以上の日本人工作員がソ連に奉仕していたとも言われており、サンフランシスコ講和条約の発効前後、外務省には今日のチャイナスクール出身者の先輩に相当する革新官僚が蠢動していたであろうことは想像に難くない。
朝日新聞や日教組ら日本の反日左翼勢力が反米主義者でありながらも戦時中のアメリカが抱懐していた特異な反日思想である所謂東京裁判史観を信奉するのは、これがGHQ内部に潜入していたアメリカ共産主義者の階級闘争史観「日本の対内対外政策は犯罪的軍閥に依り支配せられ且つ指導せられたり。斯かる政策は重大なる世界的紛争および侵略戦争の原因たると共に平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益の大なる毀損の原因をなせり」を含んでいるからである(4)。
もしかすると外務省の革新官僚が連中と共謀し、日本国は国際社会に復帰する条件として東京裁判および東京裁判史観を合法な正当裁判および唯一絶対の真実として受け入れた、と日本国民および国民の代表である政治家に錯覚させ、反日左翼勢力が繰り広げている各種の反日運動に国際法上の根拠を与えようとして、悪質な誤訳を講和条約11条の邦訳文に挿入したのではないか、と勘ぐりたくなる。
誤訳の背景に関する以上の考察は推測の域を出ないが、所長が確信をもって断言できることは、この講和条約第11条は単なるアムネスティ(国際法上の大赦)の対日不適用条項に過ぎず、「南京事件の法的意味ですが、日本政府はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判判決を受諾し、サインをしています。つまり、東京裁判の結論に政府として文句はいいませんという言質を取られているのです。日本政府の公式な立場としては、南京虐殺事件は、数の問題はべつとして、たしかに存在した、と確認しているわけです」という秦郁彦氏の主張は全くの見当違いであるということである。
(1)【大東亜戦争の総括】380p
(2)三田村武夫【大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義】263p
(3)額田坦【秘録宇垣一成】186p
(4)小堀桂一郎編【東京裁判日本の弁明】16~19p「東京裁判検事起訴状」
<国際法上の大赦の意義>
国際法上の大赦とは、講和条約の法的効果の一つであり、「戦争中に一方の交戦国の側に立って交戦法規違反行為を犯した全ての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める」効果を持つ。つまり講和条約の締結と発効は、国際法上の交戦状態を終了させるだけでなく、同時に戦時中の交戦国の軍事行動である軍事裁判の判決をも失効させ、すべての戦争犯罪人を免責するのである。
国際法史上有名なアムネスティ条項は、30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア平和条約第2条である。そこには、戦乱が始まって以来、言葉、記述、暴虐、暴行、敵対行動、毀損、失費のかたちで行われたすべてのものにつき、「交戦諸国相互間で、永久の忘却、大赦ないし免罪があるべきものとする」と規定されている。
このように、全てを水に流す「全面的忘却」の精神に基づくアムネスティ条項は、戦争によって煽動された国家間の憎悪を鎮め平和を回復するために必要とされ、17世紀から19世紀中に締結された数多くの講和条約の中に盛り込まれ、1918年3月3日のドイツ-ソ連条約の23~27条や、同年5月7日のドイツルーマニア条約の31~33条も一般的アムネスティ条項を構成している。
以上の諸国家の慣行に基づき、第二次世界大戦前には、アムネスティ条項が講和条約中に設置されなくても、講和条約の発効それ自体がアムネスティ効果を持つということが、国際条約(明示の合意)と共に国際法を構成する国際慣習法(黙示の合意)―国際社会に生まれた慣習にして、複数の文明諸国家によって、彼らの正しいとの信念の下に繰り返し行われ、遵守すべき規範(ルール)として確信されるに至った慣習―として確立したのである(1)。
従って本来ならば、昭和27年(1952)4月28日サンフランシスコ講和条約が発効した時点で、日本政府は所謂A級戦犯を裁いた東京裁判およびアジア太平洋地域の各地で開廷されたBC級戦犯裁判の判決の失効を宣言し、日本国内で服役している日本人戦犯を直ちに釈放し、且つ、外国で拘禁されている日本人戦犯の即時釈放を連合国に要求する国際法上の権利を有し、連合国はこれを承認する義務を有していたのである。
しかしサンフランシスコ講和条約第11条はこの権利を日本に認めず、逆に我が国に対して、講和条約の発効後も、連合国が赦免するまで、日本国内で拘禁されている日本人戦犯に対する刑の執行の継続を義務づけたのである。その結果として講和条約が発効し、日本が独立を回復した後においても、巣鴨、モンテンルパ(フィリピン)、マヌス島(オーストラリア)で継続して1224名もの日本人および戦時中日本国籍を有していた朝鮮人および台湾人が戦犯として拘禁されたのである。
要するに、サンフランシスコ講和条約第11条とは、日本政府による日本人戦犯に対する刑の執行の停止を阻止することを狙ったものに過ぎず、しかも、とうの昔に日本政府によって完全履行され、最後のBC級戦犯18名が関係各国の同意を得て出所を許された昭和33年(1958)5月30日に臨終を迎えた条項なのである(1)。
イギリスの国際法家オッペンハイムが述べているように、戦勝国が講和条約中に戦敗国に対するアムネスティの不適用条項を設置することを禁止する規定は国際法に存在しない(2)。しかし戦時中に日本軍将兵および日本の戦争指導者を裁いた連合軍の軍事裁判は基本的に無法な復讐リンチ裁判であり、それらが下した有罪判決自体が著しく不公正であり、ほとんど冤罪であった以上、サンフランシスコ講和条約第11条は、連合国特にこの条項の起草と挿入を主導したアメリカとイギリスの執拗かつ陰湿な対日報復の延長であったと言わざるを得ないのである。
実際、連合国内部では、この条項に対する反対論が噴出しており、1951年9月のサンフランシスコ講和会議では、駐米メキシコ大使ラファエル・コリナがメキシコを代表して、
「われわれは、できることなら、本条項が連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化しつづけることを避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必ずしも調和せず、特に法なければ罪なく、法なければ罰なしという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の刑法典に採用されている原則と調和しないと、われわれは信じる。」
と東京裁判を批判し、駐米アルゼンチン大使イポリト・ヘスス・パスも、
「この文書の条文は、大体において受諾し得るものではありますが、2、3の点に関し、わが代表団がいかなる解釈をもって調印するかという点、及びこの事が議事録に記載される事を要求する旨を明確に述べたいのであります。本条約第11条に述べられた法廷東京裁判に関しては、わが国の憲法は、何人といえども正当な法律上の手続きを踏まずに処罰されない事を規定しています。」
と語り、「正当な法手続きを踏まずに日本人指導者を処罰した東京裁判は、アルゼンチン憲法の精神に反している」として、東京裁判を間接的に批判したのである(1)。
アルゼンチンは、カルボードラゴ主義を唱えてアメリカを動かし、1907年の第二回ハーグ平和会議において「契約上の債務回収のための武力行使を制限する条約」を実現させた。
カルボーはアルゼンチンを代表する著名な国際法家で、ドラゴは同国の外務長官としてカルボーの学説を基に、1902年12月英独伊三国がベネズエラに武力を背景に債務不履行に関する賠償を請求したことに対して強硬な抗議を行った人物であり、カルボードラゴ主義の内容は、「厳格なる国際法上の権利としては、債務の回収及び私的要求の貫徹のためにする債権者所属政府の武力干渉は許されるべきでない。
欧州諸国はその相互関係の上には常にその法則を守るのに、独り新世界の諸国に対する関係においてこれに則さないのは理解しがたい。欧州資本家は、南米に投資するに当たり投資対象地の国情を熟知するが故に、利子を高め条件を荷重し、全てのリスクを考慮した上で投資を行うのである。従って債務国において一時の都合から契約上の義務が履行されないからといって、資本家の政府が直ちに背後に立ち、武力を以て債務国に臨むのは断じて公正ではない」というものであった(3)。
アルゼンチンは、1920年の国際連盟総会において選択条項という折衷案を出し現在の国際司法裁判所制度の基礎を作ったブラジルと共に、20世紀前半における国際法研究の大国であった。だからこそ彼の国は講和条約第11条の不当性をよく理解できたのである。そして大日本帝国の遺風が未だ失われていなかった講和条約の発効直後の日本国もまたメキシコ、アルゼンチンに負けず劣らず第11条の不当性をよく認識していた。
我が国では、まず日本弁護士連合会が口火を切り、昭和27年6月7日、「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に伝えた。これが契機となり、戦犯釈放運動は瞬く間に全国規模の一大国民運動に発展し、各種の団体や地方自治体は、政府に、講和条約第11条に基づいて関係各国に対して赦免勧告を行うように続々と要請した。署名運動も急速に広がり、戦犯の赦免を求める署名数は、地方自治体が集めたもの約2000万、各種団体が集めたもの約2000万、合計約4000万に達し、また各国代表部や国会、政府、政党に対する陳情も夥しい数に上った。
こうした国民世論に後押しされた日本政府は、10月11日、立太子礼を機会に日本の国内外に抑留されている全ての日本人戦犯の赦免減刑を関係各国に要請したのである。続いて議会は政府を支援すべく、昭和27年12月9日と翌年8月3日の2度に亘り、「戦争犯罪による受刑者の釈放(赦免)に関する決議」を圧倒的大多数の賛成をもって可決し、パル判決やこれを全面的に支持するイギリスのハンキー卿の著書「戦犯裁判の錯誤」などを根拠に、東京裁判を「文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱」と非難し、独立国家の面目にかけて今なお戦犯として拘禁されている同胞を放置することはできない、と宣言したのである(改進党の山下春江議員の決議提案趣旨説明演説)。
さらに昭和28年8月、議会は、自由党、改進党、社会党右派左派による全会一致の決議をもって戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正し、連合軍の軍事裁判によって処刑された1068名の日本人を犯罪者として扱わないことを決定し、彼らの死を「刑死」ではなく「公務死」と認定し、困窮していた戦犯遺族に対しても遺族年金および弔慰金を支給したのである(1)。
講和条約発効直後の日本の政治家のほとんどは、日本国を代表して東京裁判を受諾し、東京裁判史観に基づき、1945年8月15日以前の日本を欲するままにアジアを侵略した犯罪国家に貶め、これを断罪し、国際社会に向かって二度と過去のあやまちは繰り返しませんと誓約し、共産中国と南北朝鮮に対して謝罪と朝貢を繰り返し、ひたすら叩頭して彼らの赦しを乞うほど、卑屈ではなかった。
日本は、朝野を挙げ断固として、東京裁判を始め連合軍が戦時中に行った対日軍事裁判の正当性を完全否定し、講和条約の発効後も戦犯として拘禁されている日本人および彼らの家族を救済し、戦犯という濡れ衣を着せられた彼らの名誉を回復し、併せて日本史に光輝を取り戻す。
これが戦後日本の最初の国家意思であり、我が国は経済的に困窮を極め、軍事的にほぼ丸腰状態であったにもかかわらず、この決意を実行に移して、アジアにおいて孤立することもなく、国際社会から非難されることもなく、経済技術大国として復興することができたのである。
(1)【世界が裁く東京裁判】参照。
(2)【パル判決上】245p
(3) 信夫淳平【戦時国際法講義1】662~668p
<日本再興の鍵は大日本帝国憲法>
伊藤博文の帝国憲法義解は第二十条「日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す」の立法意思(正当解釈)を次のように解説している。
「日本臣民は日本帝国成立の分子にして倶に国の生存独立及び光栄を護る者なり。上古以来我が臣民は事あるに当て其の身家の私を犠牲にし本国を防護するを以て丈夫の事とし忠義の精神は栄誉の感情と倶に人々祖先以来の遺伝に根因し心肝に浸漸して以て一般の風気を結成したり。聖武天皇の詔に曰く、大伴佐伯宿禰は常に云うごとく天皇(スメラ)が朝(ミカド)守り仕え奉る事顧みなき人等(ヒトドモ)にあれば汝等(イマシタチ)の祖(オヤ)どもの云い来(ク)らく、「海行かば、みづく屍、山行かば草むす屍、王(オオキミ)のへにこそ死なめ、のどには死なじ」と云い来る人等となも聞しめすと、此の歌即ち武臣の相伝へて以て忠武の教育をなせる所なり。
大宝以来、軍団の設あり海内丁壮兵役に堪うる者を募る。持統天皇の時毎国正丁四分の一を取れるは即ち徴兵の制の由て始まる所なり。武門執権の際に至て兵農職を分ち兵武の事を以て一種族の専業とし旧制久しく失いたりしに維新の後明治四年武士の常職を解き五年古制に基づき徴兵の令を頒行し全国男児二十歳に至る者は陸軍海軍の役に充たしめ平時毎年の徴員は常備軍の編成に従い而して十七歳より四十歳迄の人員は尽く国民軍とし戦時に当り臨時召集するの制としたり。此れ徴兵法の現行する所なり。
本条は法律の定むる全国臣民をして兵役に服するの義務を執らしめ類族門葉に拘らず又一般に其の志気身体を併せて平生に教養せしめ一国雄武の風を保持して将来に失墜せしめざらむことを期するなり。」
所長が最も好きな言葉は、石原莞爾の「我等は懺悔しつつポツダム宣言を忠実に実行することは勿論であるが、卑屈な態度は絶対にとらぬ。世に懼るべきはただ神と正義のみ!」である(人類後史への出発―石原莞爾戦後著作集)。
この信念は、石原の独占物ではなかった。横田喜三郎や宮沢俊義らGHQに媚び諂い自己の保身と栄達を画策した卑怯な反日的日本人を除いて、戦後日本の出発点に立っていた日本の為政者と一般国民とが共有していた日本人の気概だったのである。
所長が思うに、この気概の源泉の一つは、日本国民に国の独立生存そして光栄を護る義務を課した帝国憲法だったのであろう。護国、換言すれば「国防」とは、国の平和と安全を守ること、ではないのである。
しかし悲しいことに、彼らの大半がこの世を去り、戦後民主主義狂育に洗脳され、占領憲法前文と其の各条項を貫く赤色反日思想に汚染された者が日本を動かすようになってから、日本国内では、かつて戦後日本の朝野に満ち溢れていた気概が雲散霧消してしまい、政治家の大半が卑屈にして無法な売国奴に転落してしまった。
日本の喫緊の課題は、占領憲法の改正ではなく、まずもって、平成7年(1995)の村山富市の謝罪談話と、これを継承した平成17年(2005)の小泉純一郎のバンドン演説に対して、激烈なる憤怒の情を表明しない全ての政治家を落選させ、しかる後、21世紀の日本に、明治時代の政治指導者の叡智の結晶である帝国憲法の精神を甦らせることである。
今日の我々日本国民と国民の代表である政治家の能力は、伊藤博文や井上毅ら明治維新の指導者の足元にも及ばない。ならば我が国は、戦後民主主義狂育によって刷り込まれた、浅薄な偽りの知識に囚われ小手先の政策を立案しては問題の根本解決を先送りにするという小賢しき振る舞いを一切中止し、我々の先祖である彼らの叡智にすがるべきである。
日本の反日左翼勢力の代表である朝日新聞は日本の伝統を目の敵にし、これを現代に復活させることに反対している。復古主義にこそ日本を甦らせる力が潜んでいることに、朝日は気づいているからであろう。従って21世紀の日本の諸改革は日本の伝統に立ち返る復古維新主義-原点回帰による再生でなければならないのである。
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