2005年09月27日

国民のための戦時国際法講義 22

国際司法裁判所の成立 22、中米司法裁判所設置条約
【国際司法裁判所の成立】


22、中米司法裁判所設置条約

 ハーグ会議が企画し成就しなかった真の意味における常設国際法廷の始祖は、一九〇七年十二月にワシントンで調印された中米五ヶ国(コスタリカ、ニカラグア、エルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラ)の国際条約によって設置された中米司法裁判所である。これは局地的な国際機関に過ぎなかったものの、ハーグ会議から第一次欧州大戦までの国際裁判史上において最も注目すべき出来事であった。この裁判所の設置を実現に導いた要因は、一九〇六年以来中米地峡に戦雲を漂わせる重大な国際緊張が生じ、これがアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトとメキシコ大統領ディアスの介入を促して、両者が一致して中米諸国の上に加えた政治的圧力である。この圧力によって中米平和会議がワシントンに開かれ、中米地峡の将来の平和を保障する為の若干の条約が締結された。十年の有効期限を持つ中米司法裁判所設置条約はその一つである。
 これを要約して説明すると、中米司法裁判所は、中米五ヶ国の各々の立法部(国会)によって一名ずつ指名される計五名の正規裁判官と、二名ずつ指名される計十名の補欠裁判官とによって構成される。指名される人はその国の法律によって最高の法官たる資格を持ち、またその徳性と専門的能力において衆望を担う人手はなくてはならない。裁判官の任期は五年であるが再選を許される。正規裁判官はその任期中、補充裁判官は現に任務を行いつつある間、裁判所の職務に専念して他の職業または公の地位を持たない義務を負う。正規および補充裁判官は、その本国においてはその国法が最高法廷の法官に与える不可侵的地位を享有し、また他の締約国内においては外交官の特権を享有するのである。
 そして締約国はその各々の外務省が了解に到達し得なかった全ての紛争を、性質と起因とを問わず、中米司法裁判所に付託する義務を負う。すなわち中米司法裁判所は五ヶ国間に生じる、あらゆる種類の紛争を管轄する権限を持つのである。のみならずこの裁判所は、締約国の一つの国民が他のいずれかの締約国の政府を相手取り、国際条約の違反その他の国際法上の問題について提起する訴訟を受理する権限をも併せ持ち、この際、訴訟を提起した個人の本国政府が個人の請求を支持するか否かを問わないのである。

 国際法とは、簡単に言うと、国際社会における国家と国家との間の(international)正しいつき合い方―戦時における怒突き合いと平時における御付き合いの仕方―を定める規範(ルール)であるから、国際法の主体(法規運用の便宜上の一単位として、契約の締結、訴訟その他の法的活動を行うことを認められた者)はあくまで国家であり、仲裁裁判条約を締結し、裁判に出廷し、下された判決を受諾する者は、国家の主権を呈する国家の代表であった。しかし中米司法裁判所設置条約は短期間の時限条約であったとはいえ、国家の代表に支持されない個人の出訴権を認めて、国際法の主体を国家のみに限ろうとした従来の国際法の伝統を最初に破り、国際法史上において画期的な条約となったのである。
 中米司法裁判所は、五カ国の条約批准によって「司法裁判所」の名称に相応しい広範な管轄権を与えられ、一九〇八年五月コスタリカ共和国内のカルタゴ市に開廷され、一九一八年の閉廷までに数件の中米諸国間の紛争に判決を下し、一〇年および一二年には裁判所の権限を越えてニカラグアの内乱に介入し調停を試みたものの二回とも失敗に終わり、代わりにアメリカ軍の海兵隊が内乱に介入し親米勢力を支援した。またニカラグアの国民がコスタリカ、ホンジュラス、グアテマラの政府を被告として訴えた四つの事件を裁判したが、原告たる個人が被告の国内法上の救済手段を尽くさなかったこと等の理由によって、みな原告の敗訴を宣告した。

 この裁判所を短命に終わらせた一因は、裁判所がその末期に取り扱った二つの国際紛争であった。それらは、アメリカが一九一六年にニカラグアと締結したブライアン・チャモロ条約の効力に関する紛争で、第一はコスタリカとニカラグア、第二はエルサルバドルとニカラグアとの間に生じた紛争であり、原告のコスタリカおよびエルサルバドルの主張は、被告ニカラグアがブライアン・チャモロ条約を締結しアメリカに運河建設と海軍基地設置の権利を与えたことは、自国とニカラグアとの協定に違反し又自国の安全を害するというものであった。中米司法裁判所は一九一六年九月および一九一七年三月に判決を下して原告の主張に軍配を上げたものの、ブライアン・チャモロ条約の無効の宣言を差し控えた。なぜなら裁判所の管轄権外のアメリカがこの条約の一方の締結国だったからである。故に裁判所はニカラグア政府に対して、その為し得る限りの方法を尽くして条約締結前の原状を回復するように命ずるに止めたのである。ニカラグア政府はこれを不服とし、判決は裁判所の無権限事項に関するものであると主張してこれに従わず、アメリカ国務省は中米司法裁判所に冷淡となり、条約の更新を図る意欲を喪失したのであった(1)。

 アメリカが真に中米地域の恒久平和を希求していたのならば、中米五ヶ国に圧力を加え中米司法裁判所設置条約の延長を強要して然るべきだったのに、これを行わなかったのは、結局のところ、条約の目的は当時アメリカが中米地峡に有していた重要な権益の擁護にあって、中米五ヶ国間に生じる紛争の平和的解決は、目的を達成する為の一手段に過ぎなかったからであろう。
 一九〇三年、アメリカは海軍力を投入しパナマをコロンビアから独立させて運河建設権を買収、翌年にはアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが年次教書の中で、

 「西半球の諸国間に安定、秩序をもたらすのがアメリカの希望である。もしも慢性的な非行を犯す国、または無力であるが故に文明社会の連帯にヒビを生ずるような国がその中にあれば、合衆国としては、止むを得ずモンロー主義の趣旨に従って、国際警察軍としての役割を果たす場合もあり得るだろう。」

と宣言し(ルーズベルト・コロラリー、これは当時ヤンキー帝国主義と非難された)、海兵隊に護衛されたゴーサルズ大佐指揮下のアメリカ軍工兵隊がパナマ運河の建設に着工し、アメリカは一四年にこれを開通させ永久租借した。また一一年のホンジュラスの内乱に際し、アメリカ国務長官ノックスは議会に対し政府のホンジュラスへの出兵理由について、

 「ホンジュラスは過去十五年の間に殺伐なる革命を七回も送迎したが、その間アメリカは全般的通商及び文明のため、流血の惨事を防止せしむるについて已むなく之に干渉した。正しきにもせよ、また間違って居るにもせよ、我がアメリカは世界の眼には、モンロー主義の故をもって、中米の秩序維持に関し責任を有するものとなっている。
 而して中米パナマ運河地帯の接壌地なることは、その附近の平和維持を殊に必要ならしむるものである。」

と説明したのである(2)。
 中米司法裁判所とは、極論すれば、アメリカの国策の道具であり、アメリカ政府よって、中米五ヶ国間の戦争を防ぎ、もってパナマ運河の建設を促進する為に開廷され、ブライアン・チャモロ条約の履行を促進する為に閉廷されたのである。
 中米司法裁判所設置条約は、国際法史上、画期的な条約であったことに違いなく、また国際紛争を平和的に解決する為の模範的条約だったのかも知れない。しかし条約のまとった美しい衣を剥いでその裸身を覗いて見ると、それは何と大海軍主義者のアルフレッド・マハンが著した海上権力史論(一八九〇)に基づき、大西洋側にあるアメリカ東海岸と太平洋側にあるアメリカ西海岸、ハワイ、フィリピン、そして支那大陸を結ぶ海上連絡線を構築せんとするアメリカ合衆国の生々しい功利主義だったのである…(3)。


(1)田岡【国際法Ⅲ】三十~三十四、一九〇頁。
 一九〇七年のハーグ平和会議が採択した条約の一つである国際捕獲審検所設置条約に関する条約も、交戦国の海上捕獲権の行使によって損害を受けた個人が、この交戦国の捕獲審検所によって正当な救済を得なかったと考える時は、本条約によって設けられるべき国際捕獲審検所に出訴する権利を認めた。但しこの条約では、中立国はその国民が国際捕獲審検所に出訴することを禁じ、また中立国が国民に代わって出訴することができるとするが、中立国が国民の出訴を禁止しない場合に国民が出訴することはその自由意志に基づく行為であって中立国の機関として出訴するのではないから、国際捕獲審検所は国際紛争だけではなく個人対国家の紛争をも取り扱う予定であった。
(2) 信夫【戦時国際法講義1】五五六頁。
(3)曽村保信【地政学入門】一五〇、一八二頁。



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