【平和の善悪】
18、機動戦士ガンダムと平和の多様性
そして「国際紛争そのものを消滅させる」ことによって戦争を消滅させ世界恒久平和を実現しようとした、もう一人の人物は、尾崎秀実であったと言えるかも知れない。尾崎自身は、レーニンの帝国主義論と敗戦革命論を信奉し、
「帝国主義政策の限りなき悪循環すなわち戦争から世界の分割、更に新なる戦争から資源領土の再分割という悪循環を断ち切る道は、国内に於ける搾取被搾取の関係、国外に於ても同様の関係を清算した新なる世界的な体制を確立すること以外にありません。即ち世界資本主義に代わる共産主義的世界新秩序が唯一の帰結として求められ、全世界に亘る完全な社会主義計画経済が成立して始めて完全な世界平和が成立する。」
と考えていたが、中川八洋教授によれば、マルクスの真意は、人類に「ブルジョアジー」と「プロレタリアート」間の死に至る無限の闘争を行わせ、人類の絶滅を計画していた可能性があるという。だからこそマルクスは、資本主義は社会主義に至ると予言しながら、到来する社会主義とはいかなる社会なのか具体的に描かず、マルクスの想定していた共産主義社会とは、人類の絶滅後に生き残った、わずかな人間による原始的で仙人的な共同生活であったというのである(1)。
共産主義黒書が詳細に告発するごとく、プロレタリアート階級の利益を代表する共産党がブルジョアジー階級を殲滅し、一党独裁と計画経済を施行すると、この赤色全体主義体制では、共産党自身が必然的に国家の生産手段を独占するブルジョアジー階級と化してプロレタリアート階級に対する暴虐無比の軍事的封建的収奪を実施し、共産党に憎悪と復讐の念を燃やす農民や労働者と絶え間なく闘争するに至る。この愚行は、ソ連共産党、中国共産党、北朝鮮労働党、カンボジア共産党によって実践されたのだから、中川教授の推論はマルクス主義に秘められたマルクスの本当の狙いをえぐり出したものに違いない。
そうだとすれば、尾崎秀実ら日本の共産主義者が目指した「世界共産主義革命」とは、人類の絶滅による世界恒久平和の実現であったということになる。これは機動戦士ガンダムの世界において人類が最終的に辿り着いた平和の姿に酷似しているではないか。
アムロ・レイがララア・スンに予言したごとく、遂に時間と空間を支配する力(空間転移技術、テレポーテーション)をも手に入れた人類の選択した道は、自ら破壊と創造を司る神となり、地球上を覆い自然を破壊し尽くした人類の高度科学文明を土くれに戻し、荒廃した自然を治癒し枯れ木に花を咲かせる命の種(ナノマシン)を天空より地球に散布した後、わずかな人間と、そして彼らが原始状態より科学文明を再興しキリスト暦の時代と宇宙世紀の覆轍を踏むに至る時、神の代理人として地球圏を再び原始状態に戻す永久不滅のモビルスーツ「ターンAガンダム」を地球圏に残し、太陽系外宇宙へ旅立つことであった。数限りない戦争が行われ、約一千億の人命を死に至らしめた後、人類が悟らざるを得なかった真理とは、人類全体が太陽系内宇宙より消滅する他には地球圏に永遠の静謐をもたらす手段はないということであった…(2)。
戦後民主主義が一銭の価値もないカルトである所以は、言葉の販売を生業とする人文系知識人や朝日新聞ら反日左翼マスコミが、日本の一九四〇年戦時体制を天皇制ファシズムと断罪しながら、そもそもファシズムとは何か、なぜ日本の戦時体制がファシズムに相当するのか、全く説明しなかった丸山真男を教祖として仰ぎ(3)、言葉の厳格な定義付けを怠るばかりか、故意に語義を混乱させ国民を洗脳することである。
浜崎あゆみを始め日本のミュージシャンが愛用してやまない「自由」という言葉の意味は、古代ローマでは「共和制礼賛、君主制反対」であったが、自由は時代と共に変化し(4)、今日では「国民が国家権力に介入干渉されない状態」のことを意味するに至った。当然に状態は無制限ではなく又一つでもない。
一例を挙げれば、ある国立自然公園の周辺に居住する国民が、自発的にルールを作り順番を決めて公園を毎日清掃すれば、公園は常に清潔に保たれ、すべての利用者は快適に自然散策を楽しむことができ、行政は公園の清掃に税金を投入せずに済む。これは美しい自由にして規律ある自由であり、また税率の軽減と財政の再建に役立つ自由であろう。
久米宏はテレビ朝日ニュースステーションの降板記者会見に臨んだ際、「報道の自由とは何を言ってもいいということ」と放言し、彼が延々と繰り返してきた偏向報道を正当化した。報道の自由―報道活動は国家権力に介入干渉されない状態―の存在目的は、真実を報道し国民の知る権利を確保することにあるのだから、報道の自由を享受するマスコミは、社長から末端の社員に至るまで絶対に虚(重要な事実を故意に欠落させること)偽(事実と異なることを捏造すること)報道を行ってはならない。これは子供でも理解できる道理であろう。久米宏の言う報道の自由とは、ニュース番組の司会者はウソを吐いてはいけないというジャーナリズムの最低限度の倫理さえも喪失した放埓(勝手放題)の自由にして不逞(ずうずうしく不届きな)の自由であり、現在のテレビ朝日、TBS、NHKの反日左翼的な偏向報道は、放送法を蹂躙する無法な自由と言える。
それでは平和とは何か?一九〇七年ハーグ陸戦法規第二十条「平和克復の後は、成るべく速に俘虜を其の本国に帰還せしむべし」の中にある「平和克復」の意味は、停戦が実現する時ではなく、戦争が法的に終了する時を意味する。すなわち講和条約など戦争の法的終了を宣言する国際約束が締結され発効する時点が平和克復なのである(5)。ならば平和とは「国家間の交戦なき状態」と言えよう。平和が状態であるならば、平和も自由と同じく多様性を持つはずである。
もし尖閣諸島紛争の際、中国共産党が日本政府に敵対行為の即時停止と日本国の有条件降伏を要求しつつ、反戦平和主義に蝕まれた日本国民に向かい、
「日本政府が降伏を受諾し日本国の独立主権を放棄するならば、中国政府は日本を中国の特別自治区と為し、皇室の存続と日本人民が現在享受している全ての自由と権利を保障するので安心してほしい。しかし日本政府が降伏を拒否するならば、日本列島には核の華が咲き乱れ、皇室と多くの日本人民の生命が消滅するであろう。中国政府はこれを望まないので、日本人民には是非とも日本政府に降伏を受諾するように働きかけていただきたい。」
と呼びかけ、テレビ朝日、TBS、NHKなど日本の中共系テレビマスコミに洗脳煽動された大衆の「降伏希望」世論に押し切られた日本政府が、降伏を受諾してしまい、前述の降伏条件が盛り込まれた日中講和条約が発効したならば、日中間に平和が甦る。しかし日本民族は、中華民国政府によって清帝退位協定を蹂躙された満州族と同じく迫害され、最終的には絶滅に追い込まれるであろう。
日本の平和―日本が外国と交戦していない状態―には、独立主権国家としての平和もあれば、アメリカの保護国として平和もあり、日本の反日左翼勢力が希求してやまない共産中国日本省としての平和もある。また独立主権国家としての平和には、天皇陛下が国家元首として君臨される立憲自由主義議会制デモクラシー国家としての平和もあれば、皇統が絶え日本が日本らしさを持たない共和国に転落した平和もあろう。筆者が「日本の平和」という一つの熟語を分析するだけで、これだけの多様性が発見されるのだから、世界においては、各国、各民族、各個人が人類の理想として思い描く平和の種類は、星の数ほど存在するに違いない。だから日本の念仏平和主義者が国民に説教するごとく、世界各国の国民がそれぞれ平和を願っても、諸国民が平和の形を巡り激しく対立抗争し戦争を起こしかねず、平和が実現されるとは限らないのである。
現在中国共産党はチベット人とウイグル人をほしいままに虐殺し、両民族の独立運動を弾圧している。さらに週刊新潮の人気コラム「変見自在」の著者高山正之氏によると、中国共産党は満州独立運動の再発を未然に防止する為に、約一千万の満州族を度重なる核実験によって放射能に汚染されたウイグル自治区へ強制移住させているという。これらは歴然たる現在進行中の「人道に対する犯罪」であろう。このままでは三民族の絶滅は火を見るよりも明らかである。しかし世界最強の軍事大国アメリカもヨーロッパ諸国も支那大陸の周辺諸国も連合国(国連)も、中国に軍事介入して三民族を救出しようとはしない。中国に軍事介入する国家は、中国から核攻撃を含む報復を受け、自国民に破滅的な大被害をもたらすことが確実だからである。諸国家の政府はこれを恐怖し、自国民を守る為には、弾道ミサイル迎撃システムが完成していない現状においては、中国共産党の人道に対する犯罪を即時中止させるに足る有効な対中制裁措置の発動を躊躇せざるを得ない。核兵器を保有する中共軍が、中国に対する国際社会の武力行使を強力に抑止して中国に平和をもたらし、そしてこの中国の平和こそが、チベット族、ウイグル族、満州族から、国際社会の軍事的支援を受けて彼らの故郷を中国共産党と漢民族より取り戻し、自らを絶滅の危機から救出する為の機会を剥奪しているのである。
現在の中国では、平和の下で、古来より人類を駆って圧迫に反抗せしめ又政府を転覆せしめた実際上の必要、政治上の考慮、民族自決の権利、正義、自由の諸原則がことごとく蹂躙されているのだ。
平和は、戦争の持つ善なる性質や国際紛争の解決という「つける薬のないものにつける薬」としての効能を消してしまうが故に、平和性善説もまた戦争性善説と同じく誤謬の論であり、平和の多様性を無視し、平和の内容を吟味することなく、ひたすら盲目的に平和を求めることは、正義を犠牲にした平和を生み、諸国家、諸民族、そして人類全体に大厄災をもたらしかねないのである。
昭和十五年二月二日第七十五回帝国議会で民政党の闘将、斎藤隆夫議員が演説したごとく、過去数千年の人類史においては、無数の国家群が優勝劣敗、弱肉強食の生存競争として戦争を繰り返してきた。
「近世文明科学の発達に依りまして、空間的に世界の縮小したること実に驚くべきものである、之を千年前の世界に比較するまでもなく、百年前の世界に比較しましても実に別世界の感が起こらざるを得ないのである、此の縮小せられたる世界に於て数多の民族、数多の国家が対立して居る、其の上人口は増加する、生存競争は愈々激しくなって来る、民族と民族との間、国家と国家との間に競争が起こらざるを得ない、而して国家間の争いの最後のものが戦争でありまする以上は此の世界に於て国家が対立致して居りまする以上は戦争の絶ゆる時はない
人間の慾望には限りがない、民族の慾望にも限りがない、国家の慾望にも限りがない、屈したるものは伸びんとする、伸びたものは更に伸びんとする、茲に国家競争が激化するのであります。
強者が興って弱者が亡びる、過去数千年の歴史はそれである、未来永遠の歴史も亦それでなくてはならないのであります。此の歴史上の事実を基礎として、吾々が国家競争に向うに当りましては、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ、自国の力を養成し自国の力を強化する、是より外に国家の向うべき途はないのであります。」
との斎藤議員の主張こそが人類史を貫く万古不易の真理であり、戦争の完全撲滅と恒久平和の実現はほとんど絶望的で不可能なのかも知れない。さらに厄介なことは、何らかの奇跡が起きて不可能が可能になり、恒久平和が実現しても、それが人類のハッピーエンドに直結するとは限らないということである。
宮崎市定博士は、易姓革命が起き旧王朝が倒れて新王朝が誕生する度に人口を激減させる支那大陸の歴史を通観し、
「戦争とは、泰平が続けば人口が増え、それによって起こる食糧不足、飢餓を防止するための、天帝の非情な人口淘汰策なのではないか。」
と嘆いた。食物連鎖の頂点に立つ人類が戦争の完全撲滅に成功すれば、人口が爆発的に増加し人類全体が北朝鮮人民のごとく極貧の飢餓状態に陥るかも知れない。また人類が全叡智を結集して食糧と資源の不足問題を解決し、恒久平和下の大繁栄を謳歌しても、それが人類以外の生物種を絶滅に追いやるものであってはならないのである。彼らは自然を形成し、この地球をして無限の宇宙における奇跡たらしめるという偉大な役割を果たしており、生命溢れる地球の価値に比べれば、人類の存在価値はほとんど無きに等しいのだから…。
にもかかわらず人類は強烈な生存本能を持つ。よって人類の絶滅による恒久平和の実現はまず不可能である。世界の統一による恒久平和の実現も不可能であろう。人類が「国際紛争そのものを消滅させる」ことはSF小説の中でのみ可能であり、石原莞爾の世界最終戦論の大半は既に死んだ理論であると言わざるを得ない。しかし平和主義者が石原を見習わなければならない点は、彼が戦争の本質を的確に把握し、且つ恒久平和が実現された後の人類社会の形態にまで言及していたことである。
石原の説明によると、世界統一後、武力をもって国家間に行われた闘争心は、人類の新しい総合的大文明建設の原動力に転換せられ、動力資源は水素と空中電気によって賄われ、バイオテクノロジーは食糧問題を解決するだけでなく人間の不老不死を実現する。人間は不老不死となると一人が千年に一人ぐらいの子供しか産まなくなるので、人口が非常に多くなり世界に充満して困るのではないかと心配する必要はなく、人類は最終戦争後、次第に驚くべき総合的文明に入り、そして遂には自ら作る突然変異によって、今の人類以上のものをこの世に生み出し、仏教でいう弥勒菩薩の時代を迎えるというのである…(6)。
石原の説明をトンデモナイ妄想と嘲笑するか、あるいは一九四二年に二十一世紀の科学文明の進行方向を言い当てた恐るべき予言と畏敬するかは、読者の判断に委ねるが、筆者の主張は、平和主義者は実現されるべき平和の姿形や、平和が実現された後の人類社会に到来するであろう諸問題を克服する為の手段を提示しなければならないということである。さもなければ反戦平和主義は人類に再び不幸をもたらすのである。
人類の歴史が戦争の歴史であるという不動の真実は、戦争の防止と平和の維持がいかに至難の業であるかを我々に教える。暫時の平和の維持さえも極めて困難なのだから、世界中から戦争を完全消滅させ恒久平和を実現し、さらにその恒久平和をもって人類全体に幸福をもたらし、その人類の幸福を自然と完全に調和させる為には、人類の無限欲望と対決する覚悟、広範多岐に亘る膨大な知識、石原莞爾を超える無数の天才の出現、途方もなく巨大な努力と終わりのない試行錯誤、そして人間の叡智では予測し難い天佑神助が必要不可欠なのである。
マッカーサー占領憲法は、日本の独立主権を侵害する外敵の武力行使を撃破抑止する力を日本から剥奪しているのだから、護憲平和主義運動は、独立主権国家としての日本の平和には有害である。日教組や全教組が行う反戦平和と反日の教育は、真実と正当な知識を欠くのだから、戦争と平和に精通する天才を生み出さない。最近、「朝日新聞を叩き潰す掲示板」の住人の方々に「中学生なみ」から「小学生なみ」に格下げされた朝日の反戦平和社説や、筑紫哲也と坂本龍一を司会者とするニュース23の反戦平和特集などは、それこそエミール・ジロー教授に批判された「プラトニックな願望や、根のない気まぐれや、抽象的な宣言や、言葉やジェスチャーで安直に入手できると信じる」幼稚な者の自慰行為であり、戦争の防止にも平和の維持にも全く役立たない。
もしネオ・ジオン軍の総帥が彼らの反戦平和運動を目撃すれば、「地球の汚染に手を貸す愚かな人々を私シャア・アズナブルが粛清する!」と宣言し、彼らの頭上に隕石を投下するに違いない。筆者は森林と清流を愛する神道人であるが故に、資源を浪費し廃棄物を無意味に増大させ地球を汚染するだけの日本の反戦平和運動を許すことができない。そこでこの運動に参加している良心的な国民を正気に戻し、これを衰退から消滅へ導くべく、さらに平和論を進めて歴史の中から「戦争よりも合理的かつ有効な国際紛争を解決する手段を創造する」ための平和への努力を紹介することにしよう。
(1)中川八洋【正統の哲学異端の思想】七十八頁。
(2)福井晴敏【ターンAガンダム下】参照。
(3)谷沢【悪魔の思想】八十六~一一〇頁「国民を冷酷に二分する差別意識の権化」
(4)色摩力夫、小室直樹【人にはなぜ教育が必要か】一二四~一四六頁「日本を堕落させた自由と人権への誤解」
(5)色摩力夫【国民のための戦争と平和の法】二九一頁。
(6)石原【最終戦争論戦争史大観】八十四~八十六頁。
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