【戦争論の核心】
13、クレイジー・マックと大正デモクラシー・幣原
昭和二十年(一九四五)十月十一日、東久邇宮稔彦王に代わって内閣を組織した幣原喜重郎は、マッカーサーを表敬訪問した際、彼から、
「ポツダム宣言の実現に当たりては日本国民が数世紀に亙り隷属せしめられたる伝統的社会秩序は是正せらるるを要す。
右は、疑いもなく憲法の自由主義化を包含すべし。而して右により企図せられたる目的を達成する為、貴下が出来る限り速やかに左の如き日本の社会秩序の改革を実施せられんことを期待す。
1、選挙権付与による日本婦人の解放
2、労働組合の結成奨励
3、より自由なる教育を行う為の諸学校の開設
4、秘密検察及びその濫用に依り国民を不断の恐怖に曝し来りたるが如き諸制度の廃止
5、日本の経済機構を民主主義(デモクラシー)化すること」
という趣旨の要求を伝えられ、十三日、閣議了承事項として元東大教授の松本烝治国務相を長とする憲法問題調査委員会を設置した。
日本ではデモクラシーは「民主主義」と誤訳されているが、正確に訳されれば、「大衆(もしくは暴民)統治」である。これはアリストクラシー(哲人統治)の反対概念で、高尚な理念でも何でもなく、一般大衆が国家の統治権力に参加する特殊政治制度にすぎない。だから「経済機構の民主主義化」とは民主主義の語義を無視する、間違った言葉の使い方である。マッカーサーはこれを「反トラスト法のようなもの」と考えており、彼自身がデモクラシーを正しく理解していたかどうか実に疑わしい。また占領軍はポツダム宣言第十条「言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は、確立せらるべし」を蹂躙し、一九四五年九月十日から日本の朝野全域に陰湿かつ卑劣な空前絶後の大検閲を実施、占領作戦に対する一切の批判を厳禁し、これを犯した者を処罰しており、東久邇宮内閣が戦時統制を解除し日本に復活させた自由デモクラシーは、占領軍の違法な軍国主義(軍人による政治支配)よって抹殺されたのである。
にもかかわらず、ぬけぬけと幣原首相に上記ごとき要求を提示したマッカーサーとは、ポルポトらカンボジア共産党を礼賛しながら平和人権の尊重と過去の反省を日本国民に要求する朝日新聞と同じく、厚顔無恥きわまりない狂人であった。
フランクリン・ルーズベルトは、陸軍参謀長であった彼を「まれなデマゴーグであり、アメリカで最も危険な二人のうちの一人」と評して忌み嫌いフィリピンへ追放したのである(1)。朝鮮戦争の勃発後、アメリカの対ソ封じ込め反共戦略の一翼を担う日本の再軍備計画が占領憲法九条に阻害され、アメリカ政府の思うままに進捗しない事態に陥るや、マッカーサーは、九条の立法責任を回避する為に、アメリカ上院外交軍事委員会証言(一九五一年五月三日)や回想録(一九六四年刊)の中で、「戦争放棄と戦力不保持の条項は幣原首相の自発的提案である」とのウソを平然と吐いており、この点においても彼は朝日新聞と変わらない。
かくのごときクレイジーな軍人がアメリカ上院外交軍事委員会で日本民族を次のように侮辱したことを、我々すべての日本人は国辱として記憶にとどめ、憤激と憎悪を抑制することなく、トルーマンと共にマッカーサーをアメリカの対日戦争犯罪人として未来永劫に糾弾し続けなければならない。それが戦後民主主義を覆滅する為の第一歩である。
「科学、芸術、神学、文化の発展において、もしアングロサクソンが四十五歳だとすれば、ドイツ民族は同じくらいに成熟している。日本民族は、時間的には古い文明を持つが、非常に教化を必要とする。近代の文明の標準で測れば、彼らは四十五歳の我々よりは年下の十二歳の少年にあたる。ドイツ民族は我々と同じくらい成熟している。近代の倫理を無視して彼らが何をやったとしても、それは意識的になされた。しかし日本民族の場合は違う。類似点はまったくない。」
幣原首相は、我が国の立憲自由主義議会制デモクラシーが開花した大正デモクラシー時代に第一次加藤高明内閣(自由主義の護憲三派連合)の外務大臣を務めた政治家であっただけに、帝国憲法の真髄をよく体得しており、総理大臣に就任する直前の九日には、木戸幸一内大臣に、
「帝国憲法は本来充分に自由主義的かつ民主主義的です。ただそれが実際政治上誤って運用せられたために問題があった。だから運用を改めさえすれば目的は達成せられるはずです。」
と語り、マッカーサーに対しても「この程度の改革なら憲法改正は必要としますまい。第一項の婦人参政権はすでに政府として研究中のものであり、選挙法の改正でことは充分です」と反論し、憲法改正に極めて消極的な態度を示しており、松本委員会は憲法の改正を既定路線とした委員会ではなく、改正が必要か否か、もし必要があるとすればどの程度の改正が必要かを調査することを目的として設置されたのであった。
十月二十七日、憲法問題調査委員会の第一回総会が首相官邸会議室で開かれ、松本国務相の他、顧問の清水澄、美濃部達吉、野村淳治の各博士、委員の宮沢俊義東大教授、楢橋渡法制局長官、次田大三郎内閣書記官長、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第一部長が出席した。いずれも憲法改正には消極的で、この委員会の中心権威たるべく期待されていた美濃部博士自身が、
「私は、所謂『憲法の民主主義化』を実現するためには、形式的な憲法の条文の改正は必ずしも絶対の必要ではなく、現在の憲法の条文の下においても、法令の改正およびその運用により、これを実現することが十分可能であることを信ずるもので、今日の逼迫せる非常事態の下において、急速にこれを実行せんとすることは、悪戯に混乱を生じるのみで、適切な結果を得る所以ではなく、憲法の改正はこれを避けることを切望して止まないのである。」
との見解を述べており、宮沢俊儀も同様の意見を毎日新聞に発表していた。しかるに十二月二十八日、占領軍は次のような声明を発表したのである。
「指令に次ぐ指令によって旧体制の殻は一つ一つはぎ取られ、封建制の触手は次第に除去された。天皇制度による強権支配の除去と共に天皇制度は破毀され、消滅せしめられることになろう。
かくて現在日本人の眼前におかれた計画は、これまで日本人に知られていた垂直面ではなく、水平面に政府を樹立することであり、それが主たる施策であって、その方向に指導し、綿密な監督を加えなければならない。」
実は前日、モスクワで米英ソ三国外相会議が開催され、極東委員会と対日理事会の設置が決定されていた。その任務は「降伏条項の完遂上、準拠すべき政策、原則、基準を作成すること」および「連合国最高司令官のとった行動」を検査することで、とくに「日本の憲政機構または占領制度の根本的改革」については極東委員会が優先的決定権を持つことになるとされており、この委員会が正式に発足すれば、連合軍最高司令官(SCAP)は日本の憲法改正に対する発言権を失うことになったのである。
「日本の平和化民主化」占領作戦の記念碑として彼自身の憲法を日本に樹立することを熱望するマッカーサーは、そうした事態を憂慮し、先手を打って日本政府に憲法改正の促進を督促し、露骨に言えば、脅迫したのであった。
さらに翌年の一月十三日には野坂参三が日本に帰国し、彼を指導者に迎えた日本共産党は天皇制の打倒を呼号し、朝日新聞社ら各新聞社内では革新運動の嵐が吹き荒れ、前年の治安維持法、思想犯保護観察法、治安警察法の廃止を受けて、戦時中は国体の衣をまとい「帝国主義国家相互間の戦争激発」宣伝謀略活動を行っていた共産分子が好機到来とばかりに国体の衣を脱ぎ捨て、民主化の名の下に首脳部を会社より追放して編集権を掌握し、国民世論の左傾化を煽動していた。
事ここに至り、松本国務相は我が国体を護持する為に、
「私のもっとも恐れるのは、最近における様に天皇制の論議が激しくなって来ると、付和雷同的な日本人のことであるから、現在では天皇制廃止論などは全国民の九牛の一毛に過ぎぬと思うけれども、やはり面白からぬ影響を与えると思うので、そうならない中に憲法を改正して天皇制に対する論議に一応の終結を与えたいのである。」
と憲法改正を決意し、二月一日、占領軍総司令部に、松本草案すなわち幣原内閣の憲法改正案である「憲法改正の要旨」および「政府起草の憲法改正に対する一般的説明」という二つの文書を届けたのであった(2)。しかるに、あにはからんや、これがマッカーサーを「旧明治憲法の言葉を置き換えたものに過ぎない、三ヶ月もかかって憲法は全く同じである。例によってむしろ悪くなった」と憤激させ、我が国の歴史も文化も憲法学も議会二院制の意義も知らず、英語の達人であった幣原首相の目から見れば、英作文すらも満足に書けないGHQ民政局の少壮将校に憲法改正の主導権を奪われる痛恨の事態を招き寄せたのである。
幣原内閣の憲法改正案の中で、とくにマッカーサーの怒りを被った条項は、「天皇は至尊にして犯すべからず」、「天皇は軍を統帥す、軍の編成及常備兵額は法律を以て之を定む」、「天皇は帝国議会の協賛を以て戦を宣し和を講ず」であった。
帝国憲法第三条にある「神聖」という公法慣用句の本来の意味は「政治的責任を追及されない無答責(無責任)の地位」であり、天皇は帝国憲法第四、五十五条に従い独自に如何なる法律勅令詔勅を発することのできない無権力の地位に置かれていたが故に、その代償として神聖不可侵の地位を与えられていたのである。
「恭て按するに天地剖判して神聖位を正す神代紀蓋天皇は天縦惟神至聖にして臣民群類の表に在り欽仰すべくして干犯すべからず故に君主は固より法律を敬重せざるべからず而して法律は君主を責問するの力を有せず独不敬を以て其の身体を干涜すべからざるのみならず併せて指斥言議の外に在る者とす」(伊藤博文著大日本帝国憲法義解第三条解説)
しかし日本には、この第三条は「我が国は天皇が神の御裔として、現人神としてこれを統治し給うとする民族的信念の法律的表現である」との虚偽解釈を吹聴する憲法学者が存在し(3)、さらに日本における現人神とは天皇家の専売特許ではなく一般庶民でもなり得る神道のカミつまり「現実に生きている人間でありながら、尋常ならぬ不可視の威厳威力を持つ畏れ多き霊的な存在(holly spirit)」なのに(例えば作戦の神様石原莞爾、打撃の神様川上哲治、経営の神様松下幸之助など)、神=ゴッド(GOD、天主)とする翻訳が、外国の一部にあたかも天皇は絶対権力を振るう全知全能のゴッドとして君臨し日本国民から熱狂的に崇拝されているとの誤解を生じさせており、これを解消する為に、昭和二十一年元旦に昭和天皇の所謂人間宣言(新日本建設に関する詔書、朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。The ties between Us and Our people have always stood upon mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths.They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine, and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.)が行われ(4)、幣原内閣は念には念を入れて「神聖」という文言を「至尊」に置き換えたのである。
だがそんな事情をツユほども理解できないマッカーサーは、「天皇主権には手を触れていない」とか「陸海軍が軍隊になっただけである」とか「建物の内部構造を変えないで玄関だけをとりつくろう彼らの技術は見事である」とかの不満を表明し、「極めて反動的で鉄の手であらゆる審議を牛耳っていた」と松本国務相を非難した上で、
「日本政府に対して一番有効な手段は自分が基本的と考える原則の性質、適用を具体化した憲法草案をこちらで用意することである。」
断言したのである(5)。そして彼は自分の考えを手書きでノートに記し、それを民政局長ホイットニー准将に手渡し、新憲法の草案を起草するように命令したのであった。以下がそのマッカーサー・ノートの内容である。
1、天皇は国家元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務と権能は憲法の定めるところに従って行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるべきものとす。
2、国家の主権的権利としての戦争は廃棄される。日本は、自国の紛争を解決する為の手段としての戦争を、さらに自国の安全を保全するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、自国の防衛と保護の為に、現今世界を動かしつつある崇高な理想に依存する。
日本の陸軍、海軍、空軍は認められることなく、交戦権が軍隊に与えられることもない。
3、日本の封建制度は廃止される。華族の特権は、皇族を除き、現在生存する一代以上に及ばない。華族の地位は、今後いかなる国民または公民としての権利を伴うものではない。予算の形態は、英国の制度に倣うこと。
日本の封建制は明治政府の廃藩置県によって撤廃されたにもかかわらず、アメリカの降伏後初期対日占領政策には、第三項にあるような日本の封建制度の変革、廃止という語句が頻繁に登場し、戦後の日本国民の戦前に対する評価を混乱させている。このアメリカ人の摩訶不思議な歴史観の淵源は、米陸軍省およびGHQで対日占領政策を主導したケーディス米陸軍中佐ら革新軍事官僚(ニューディーラー)が日本を知る手引書として信奉していた、歴然たるマルクス主義者のカナダ共産党員E・H・ノーマン(GHQの対敵諜報部員、後にマッカーシズムの嵐に巻き込まれ自殺)の著書「近代国家として日本の登場」である。この著書は日本共産党および講座派の理論すなわちコミンテルン三十二年テーゼの摘要に過ぎない駄本であり、日本史の真実とは全く無縁である。
しかし、まことに愚劣なことであるが、「日本は半封建的封建的絶対主義的前資本主義的独占資本主義的軍事的強盗的帝国主義であり、日本の国内には封建制の強大な遺物、半封建的な搾取方法が認められ、日本資本主義は軍事的、警察的反動の状況の下で、国内の封建制の遺物の基礎の上に育ってきた」とのスターリンの汚い対日罵詈雑言がマッカーサーら占領軍総司令部の連中に信用され、彼らキリスト教徒に特有の独善的な救済の使命感を駆り立て、財閥、治安警察組織の解体や公職追放などアメリカの初期対日占領政策を形成したのである(6)。
つまり、その目玉産品である日本国憲法とはマッカーサー占領軍憲法であると同時にスターリン国際共産主義憲法でもあるのだ。だから憲法ではアメリカニズムとマルキシズムが鵺(ぬえ)のごとく混合しているのである。
我が日本は尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲ、そしてスターリンの謀略によって敗北させられたのに、スターリンの反日史観によって形成された反日的痴呆外国人製即席憲法を大東亜戦争に対する真摯な反省の証として半世紀以上に亙り後生大事に護り続けているのだ。
何たる屈辱、何たる錯乱か!筆者は暗然として絶望の溜め息をつかざるを得ないのである、ハァ…。
(1)片岡鉄哉【さらば吉田茂】五十一頁。
(2)伊藤哲夫【憲法はかくして作られた】参照。
(3)昭和天皇は、護持されるべき我が国の国体(国の体質、国柄)を帝国憲法体制そのもの即ち帝国憲法が定める立憲自由主義議会制デモクラシー君主制と考えておられたが、宮沢俊義は、昭和三十年(一九六〇)に刊行された彼の著書「日本国憲法」の中で、「国体は天皇主権ということに帰着する」とウソを吐き、「それは厳密に学問的な概念として使われたことは少なく、多くの場合、明治憲法の下で天皇絶対主義、天皇神権主義、軍国主義、ファシズム等々を基礎づけるための単なる美名としての役割をもった。」と述べて国体論を悪用した戦前戦時の日本人を批判した。しかし東京帝国大学憲法学教授という権威をもって国体という概念にそのような役割を担わせ、国民を惑わせた張本人は、他でもない、宮沢俊義自身なのだ。
宮沢は、昭和十七年(一九四二)に刊行された彼の著書「憲法略説」で、
「大日本帝国は万世一系の天皇永遠にこれを統治し給う。これわが肇国以来の統治体制の根本原理であり、これをわが国家における固有且つ不変の統治体制原理とする。この固有にして不変な統治体制原理を国体という。」
と説き、同書八十一頁に前述の第三条に関する虚偽解釈を書き記したのである。彼は戦前戦後一貫して平然とウソを吐く時流便乗主義者であり、朝日新聞的な最悪の曲学阿世の学者であった。小森義峯【正統憲法復元改正への道標】一九一~一九二頁、「東大法学部宮沢憲法学の売国性」
(4)西尾幹二【国民の歴史】三八四~四〇一頁。
アメリカ人が神道を理解することは非常に困難であったようで、占領憲法二十、八十九条の起源である神道指令の目的は、「神道の理論および信仰が日本国民をあざむき、これを侵略戦争に導こうとする軍国主義的および超国家主義的宣伝に再び悪用されることを防止するためである」であった。これを起草したウィリアム・バンズは後に「神道を誤解していた」と反省し自己の過誤を認めた。西修【日本国憲法を考える】一一八頁。
(5)西鋭夫【マッカーサーの犯罪】一九六~二〇二頁。
(6)片岡鉄哉【さらば吉田茂】三十、四十四~四十六頁。西鋭夫【富国弱民ニッポン】五十四~六十四頁。児島襄【誤算の論理】二六〇頁。
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