運動主体の「無防備地域宣言をめざす札幌市民の会」は19日に市選管から署名簿を返され、22日に上田文雄市長に条例制定の請求書や条例案などを提出する。
請求代表者の森啓・北海学園大教授(自治体学)は「市民から権限を負託された市長と市議は重く受け止めてくれるだろう」と話した。
無防備平和条例という名称自体が善良な札幌市民を欺く最悪のデマである。無防備都市宣言は、戦時中に軍隊の指揮権を持つ味方国の戦争指導者が味方国の或る都市を敵軍に無血占領させるためのものであるから、無防備都市の住民は戦争にもろに巻き込まれるのである。
外国とくに日本周辺の諸国は残酷で狡猾である。彼らは平然と他国の人間を虐殺し、それを隠蔽するためにデマを撒き、被害国に濡れ衣を着せる。
しかし我が国では、以下のような事実がほとんど報道されず、また教育されないから、日本の軍事力の配備を否定しながら他国の軍事力の支配(占領)を甘受する無防備宣言都市運動なる左翼勢力の反日運動が無知な大衆の支持を得てしまうのである。
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西ドイツ政府捕虜委員会はドイツ人捕虜の物品強奪に関して、ハーグ陸戦規則を引用している。陸戦規則第四条にこうある、「捕虜個人の物品は、引き続き捕虜のものとする。但し例外は武器馬、軍事文書とする。」
だが大勢いる兵士に対して、勝者チトーは別に特別処置を考案していた、敵ドイツに対するパルチザンの勝利を全国民に宣伝しようとしていたのである。降伏後数日にして既にユーゴスラビアのほこりっぽい道を長い長い惨めな列が続いた。何万という捕虜が軍服を奪われ将校は大抵パンツだけで裸のまま田舎道を苦しみながら歩いた。丈夫な者も病人も、無傷の者も負傷者の者も、村や町の中を駆り立てられ、歩いた。
監視兵は疲労困憊の人間を長い棒で殴っては前進させ遅れる者は射殺された。こうして二〇〇キロ以上行進した例もいくつかあるし、中には八〇〇キロを超えた場合もあった。
「道端には、てぐすね引いて待ち構えている十代の若者やパルチザンがいました。武器を持った一人ないし二人が駆け寄って、あちこちのドイツ兵を捕まえ、略奪するのです。時計、指輪、眼鏡、靴、軍服、背嚢。一隊に腐臭が付きまとっていました。」
監視兵は捕虜に水を与えなかった。列を離れて水を乞うドイツ兵は射殺された。捕虜の中に大勢の女性がいた、国防軍補助員や赤十字の看護婦が捕虜同様に歩かされ、兵士や女性補助員が噴水から水を汲んでこようとするとドナウ川に放り込まれ、監視兵によって休憩中女性は強姦された。
倒れようとした者は医師や衛星兵、兵士も大勢が射殺され、死の恐怖から解放され、四日ごと四〇名につき僅かパン一個しか与えず、脱落者を射殺。
償いの行進の中には、クルシュコからナーツシェまで九〇〇キロを超した例もあった。行進期間は十二日間。略奪に遭い、飢えに苦しむ捕虜の日課は、一日に八十キロ以上の歩行で十四時間日出から日没までだった。
西ドイツ政府捕虜史委員会の判断では、ユーゴスラビアは国際法に対する重大な侵害を犯した。
「償いの行進で新たな犠牲者がうまれた。捕虜管理国ユーゴスラビアは、行進させた理由をジュネーブ条約第七条に求める事はできない。第七条とは『捕虜とは捕らえてから出来るだけ短期間に、危険を避ける意味で、戦場から十分離れた集合場所に連れて行く事。』危険などもうなかった。戦争は終わっていた。また連日の行進は同じ第七条の次の規約とも相容れない。
『徒歩行進は一日につき、原則として二十キロを超えないものとする。但し水ないし食料調達の必要で急ぐ場合は例外とする。』
何人かの元行進参加者の報告は、水ないしは食料調達の場所にたどり着けなかったばかりか、逆にたどり着かせようとしなかった、とする点で一致を見ている。従って調達必要で急ぐ場合は国際法上許される、とする主張は成り立たない。ある捕虜が言っているような、捕虜は『作業投入』のために内陸に連れられた行ったとする論は、それ自体まったく正しいが、こういう行進の言い訳にはならない。
償いの行進という言葉からして、捕虜管理国ユーゴスラビアは宣伝効果を狙っていたと推測出来よう。それはちょうどソ連で一九四四年夏、中央軍集団敗北後、モスクワとキエフで捕虜がさせられた有名な行進と事情は同じである。」
・捕虜―誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路 「力は正義より強し、ユーゴ償いの行進」
アメリカは、フィリピン・バターン半島において日本軍が約七万六千人の米比軍の捕虜と一緒に二本足と汽車を使い約百二十キロを移動したことを、組織的に計画された「バターン死の行進」と非難し、これをナチスの捕虜虐殺に匹敵する残虐行為と宣伝し、今日に至る。
しかし日本軍がバターン封鎖作戦を継続していれば、米比軍七万六千人は間違いなく全滅しており、日本軍は、十分な物資を持っていなかったにもかかわらず、敵軍将兵の投降を拒絶する緊急避難権を行使することなく彼らを捕虜にして、飢餓とマラリアに苦しむ捕虜を基地に収容し、捕虜のうち五万四千人を無事に戦場から離脱させた。
脱落した捕虜のうちアメリカ軍将兵の死者は二千三百人であるという。これは遺憾なことかもしれないが、彼らは戦病死者であって、日本軍は一九二九年ジュネーブ条約を無視して捕虜を虐殺するために百二十キロを移動したのではない。
むしろバターンの行進の実態は生の行進であり、捕虜に死の行進を行わせた者は、実は連合軍であった。
だから本間裁判はマッカーサーの復讐裁判として悪名高いのである。
ライシャワーいわく、「アメリカが敗戦国日本に対して戦犯裁判を行ってから、早くも一世代が過ぎた。それらの裁判について、勝者の正義がまかり通ったといわれることがあるが、とくに山下奉文および本間雅晴両将軍に対する裁きに関して、この言葉がよく当てはまる。
軍事法廷で裁かれた山下および本間と並んで、本書ではマッカーサー将軍も裁かれている二人の日本人将軍が、いずれも率直で、正直で、高貴でさえあったことが明らかにされている。そしてマッカーサーについては、その二重人格の陰の部分が浮き彫りにされ、彼がいかに狭量で、もったいぶった、そして復讐心にとらわれた人間であったかが示されている。
本書ではまた、アメリカの正義も裁かれているのである。そして最終的に敗れ去ったのは、アメリカの正義だったことを証明している。軍事法廷はかく裁いた。だが歴史は、それとは異なる裁きを下すだろうことは明らかである。」(将軍の裁判マッカーサーの復讐裁判)
東京裁判をはじめ連合軍の対日軍事裁判はどれもこれも酷い…。
<関連記事>
・トリビアの泉 無防備地域宣言という法理
連合軍のバタビア臨時軍事法廷が裁いたスマラン事件を考える上で参考になる将軍はなぜ殺されたか―豪州戦犯裁判・西村琢磨中将の悲劇

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