【戦時国際法を学ぶ意義の考察】
10、報復の論理
戦時国際法は原則として「復仇(報復)措置」を容認する。第一次大戦後に制定された捕虜の取り扱いに関する一九二九年ジュネーブ条約二条三項が「捕虜に対する報復手段は禁止される」という規定を設け、一九四九年ジュネーブ条約三条約十三条末尾がこれを相続し、捕虜に対する復仇措置を禁止するのみである。敵軍の組織的かつ重大な違法戦闘行為に対して味方軍が同等の違法戦闘行為をもって応戦しても違法性は阻却され合法となるのである。なぜなら国際社会には主権国家群を統制する主権国家の上位機関が存在しない為、復仇措置と復仇能力が敵軍に与える実際の損害と心理的恐怖以外に敵軍の違法戦闘行為を停止させ或いはこれを未然に抑止する為の有効な手段が存在しないからである。
二〇〇一年九月十一日、アメリカ・ニューヨークの貿易センタービルがテロリストにハイジャックされた旅客機に体当たりされて炎上崩壊し、数千名の無辜の民が虐殺された。アメリカ政府は、アメリカの国家中枢を襲った無差別テロの首謀者と見られる在アフガニスタン国際テロ組織「アルカイーダ」の引渡しをアフガンのタリバン政権に要求したが、タリバン政権がこれを拒否した為、アメリカ政府はアルカイーダとタリバン政権に対する懲罰戦争に踏み切った。これ以降、我が国の反米知識人がテレビ討論会や子供の口を借りて「やられたらやり返せというブッシュ大統領の報復戦争は子供の論理であって何も生み出さない」などと言い始めアメリカの戦争に反対したが、実は報復の論理を否定する彼らこそ国際法秩序を知らず、国際法秩序と国内法秩序の根本差異を弁えない子供なのである。
しかし復仇措置が諸刃の刃であることも確かである。敗北寸前に追い詰められた交戦国が戦局の一挙逆転を図るべく敵軍による違法戦闘行為を捏造して復仇の名の下に敵軍に対して違法戦闘を敢行し、或いは味方軍の正当なる復仇措置に対して敵軍がさらなる復仇措置を行えば、国際法の蹂躙は底無しとなり、戦争の惨禍は無限に拡大してしまう。このような復仇の濫用を防止し且つ復仇の利点を活用する為には戦時法規の遵守を監視し確保する「利益保護国」制度が有効である。利益保護国の主要な任務は、
1、戦時法規の適用を監視すること。
2、その適用または解釈に争いがある場合に交戦国間を仲介して解決を図ること。
3、戦時法規の実施の為の業務を引き受けること。
である。この利益保護が成功した小さな戦例を一つ挙げておこう。
一九四二年八月十九日、ドイツ軍は、ドーバー海峡に臨むフランスの小さな町ディエプの海岸に上陸してきたイギリス・カナダ軍を撃退した直後、「可能な限り捕虜の手を縛ること。これは捕虜が書類を破棄できぬようにする為である」とのイギリス軍の作戦命令書と実際に手足を縛られたドイツ兵の戦死者、戦傷者を発見した。ヒトラーはこの一件に激怒、報復を宣言し、九月二日、彼は国防軍総司令部に、
「国防軍総司令部はここに命令する。ディエプで捕虜にしたイギリス軍将校および兵士の全員の手足を、一九四二年九月三日十四時より縛ること。この根拠は既に捕虜に示してある。イギリス政府が上記命令書に規定された命令、すなわちドイツ捕虜捕縛の命令を公式文書で撤回すれば当措置は撤回する。」
と発表させた。同日、イギリス陸軍省は、
「ドイツ国防軍の発表によれば、ディエプ作戦中イギリスは、捕虜の手を縛ることにより書類を破棄できないようにした、と述べられている。そうした命令が実際に発せられたかどうか、調査を行った結果、ドイツ人捕虜の手を縛ったことは一度たりともないことが明らかになった。その種の命令が万一発せられたとしても、ここに撤回するものである。」
と応答し、ドイツ国防軍総司令部はこの声明に基づいてイギリス人捕虜に対する報復措置を撤回した。だが一ヵ月後の十月四日、イギリス海峡内のサーク島でイギリス軍によるドイツ兵捕縛事件が発覚、ヒトラーの怒りは再燃し、七日、ドイツ国防軍総司令部は、九月三日のイギリスの声明は虚偽であり、
「国防軍総司令部は、やむなく次の命令を下す。ディエプで捕虜としたイギリス軍将校ならびに兵士を十月八日正午より、全員捕縛する。この措置の期限は、今後イギリス陸軍省がドイツ人捕虜捕縛に関する真の声明を発表する旨確約した時、ないしはイギリス陸軍省が命令を軍に徹底させるように努める旨確約した時とする。」
と発表した。これに対してチャーチルはすぐに報復措置をとると声明し、イギリスおよびカナダの収容されていた二千人のドイツ軍捕虜を縛る命令を下したのである。ボウマンビル収容所のドイツ軍捕虜代表は、カナダ人所長に対し国際法に基づいて「報復の報復は許されない」と抗議したが受け容れられず、収容所では捕縛に抵抗する捕虜と監視兵が騒動を起こしたのであるが、十二月十二日、スイス政府の調停により独・英・加の合意が成立し、ボウマンビル捕縛事件は終結したのであった(1)。
我が国の皇室は伝統的に慈愛をもって国民に臨まれ民をもって国の本と為す仁の徳目を重んじられる。明治天皇の御名は睦仁、大正天皇の御名は嘉仁、昭和天皇の御名は裕仁、今上天皇陛下の御名は明仁、皇太子殿下の御名は徳仁であられる(2)。
明治二十一年(一八八八)、日本赤十字社は、新病院建設の為に皇室から御下賜金と南豊島御料地の一部借用の許可を得、三年後には敷地面積二万三千余坪、建坪二千余坪の大病院が完成し、当時は「日本首府の一大偉観」と讃えられた。
皇室は単に恩賜金を日本赤十字社に下賜されたのみならず、率先して病院に行啓され、入院患者に見舞いの金品を与えて彼らを慰問され、時に賎業と誤解された看護婦の社会的地位の向上、差別感の是正に努められた。中でも明治天皇の美子皇后(昭憲皇太后)は赤十字活動を熱心に支援され、石黒忠悳軍医総監夫妻が赤十字思想の普及の為に考案、上演した「赤十字幻燈演説」を鑑賞され、これが契機となって我が国ではごく短期間の内に赤十字と一八六四年戦地軍隊傷病者の保護に関するジュネーブ条約(万国赤十字条約)が国民に知られるようになった。
「昭憲皇太后基金」は、戦前、戦後を通じて発展途上国の赤十字活動の振興に大いに貢献し、現美智子皇后陛下もまた日赤名誉総裁として他の妃殿下(名誉副総裁)と共に大きな役割を担っておられる(3)。
もし我が国がスイス以上に戦時国際法に精通する利益保護国となり、我々が皇室の大御心を奉じる武士として戦地に赴任し交戦国間の戦時国際法の遵守に努めることができるならば、我々は交戦国国民から日出ずる国より戦乱の地に現れた救世主として大いに感謝され、世界戦史において先祖と肩を並べることができるであろう。
およそ国家の国策というものは、国益に偏して人道を軽んじれば、外国民の恨みを買い後世に汚名を残し子孫に災いをもたらすだろうし、かといって人道に偏して国益を軽んじれば、現在の自国民に負担と犠牲を強いることになる。だから国策は国益と人道の合致が望ましい。一九三八年、関東軍特務機関長の樋口季一郎少将が同軍参謀長の東条英機中将の承諾を得てドイツから満州国に逃れてきたユダヤ人を救出したことや、石原莞爾少将が極東ユダヤ国家の建設を企図したことは(4)、ユダヤ人の救済という人道的措置の実施によってユダヤ人の持つ資金力、技術力、情報収集発信能力を我が国の味方に獲得しようとする狙いを秘めており、いずれも国益と人道を合致させた素晴らしい国策であり、我々はこれを拳々服膺しなければならない。戦時国際法教育の徹底実施は現在の我が国が比較的簡単に採用できる国益と人道の合致する政策であると筆者は思うのだが、国益と人道を蹂躙する対中ODAを継続する我が国の政府と議会にそれを求めることもまた詮無きことであろう…。
(1)パウルカレル・ギュンターベデカー【捕虜】四十三~四十五頁「ボウマンビルの捕縛事件」
(2)清水馨八郎【よみがえれ日本】四十七頁。
(3)吹浦忠正【赤十字とアンリデュナン】一七七~一七八頁。
(4)【石原莞爾資料国防論策篇】二九二頁。
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