【滅亡の危機に瀕する日本】
3、野蛮国に転落した戦後日本
横田喜三郎は昭和二十二年七月に有斐閣より「戦争犯罪論」という世界に比類なき迷著を刊行した。この著書の中で横田はまず「今度の戦争で日本は極端な侵略的戦争を行い、戦争中においてまた驚くべき暴虐を行った」と東京裁判検察側起訴状すなわち連合国側の主張に全面的に追従し、この実質を重んじて法の形式にとらわれるな、形式的な不備を理由として法律技術論的な立場から実質を無視するな、と喚き散らして占領軍による日本断罪を応援した挙句の果てに、
「罪刑法定主義は、専制君主制のもとで、裁判がきわめて恣意的に行われたことに対する反動として、それを防止する為に主張され、採用されたのものである。かような恣意的の裁判が行われる可能性のないところでは、かならずしも絶対にこの主義に固執しなくてはならぬということはない。」
と放言したのである。日本の法学者が、国際法を蹂躙して日本を断罪する東京裁判を正当化する為に、罪刑法定主義を否定した!占領軍は空前絶後の大検閲を行い、連合国に都合の悪い言論活動を全面的に禁止し、これに違反した者を公職より追放し、場合によっては厳重に処罰しており、横田は法の真理を放擲し一心不乱に占領軍に媚び諂い自己保身を図ったのである(1)。
さらに横田は何を血迷ったのか、国際社会は一九二八年の不戦条約以来、国際連盟規約や国際連合憲章などの度重なる戦争の違法化によって今や戦争は非合法化されたので非合法の事態に適用すべき法がある筈がない、などとデタラメな暴言を吐き、東大の国際法学科から戦争法研究を追放してしまったのである。この横田の悪業によって垂れ流された害毒は、ペストのごとく猛威を振るって日本人を蝕み、戦後日本を瀕死の重態に陥らせている。横田の嘘学問に汚染された東大学生が霞ヶ関の高級官僚となり、或いは永田町の政治家となり、或いは各大学の教授となって国民に接した結果、東京裁判は法と正義に基づく裁判でその判決は紛れもない真実であるという歴史の見方いわゆる東京裁判史観が国民の間に広く蔓延してしまい、日本人としての誇りや愛国精神を著しく衰退させてしまった。のみならず政府議会からは戦史と戦時国際法の知識が雲散霧消してしまい、議会は国防国策の構築にあたり軍隊と警察の差異を理解できず、本来国際法により規制されるべき自衛隊の任務を警職法でガンジ搦めにする誤謬を平然と犯し、政府は日本の過去の戦史に関する共産中国や朝鮮その他外国の反日プロパガンダに反論できず(2)、政府の外交は連戦連敗を喫し、我が国は名誉と尊厳を蹂躙され諸外国に国民の血税をむしり取られ、未だにGHQ製即席占領インチキ憲法の桎梏を断ち切れないのである。
横田は、マッカーサーノートに接するや否や帝国憲法擁護論を放擲し、八月革命論など思いつく限りのデマとウソを総動員して占領憲法を擁護した悪名高き宮沢俊義と共に、戦後の東大虚偽法学教祖の双璧を為す戦後犯罪人である。最近論壇で「東大法学部出身者は使い物にならない」という批判を頻繁に見かけるが、さもありなん。もし現在の東大法学部がこれを恥じるならば、横田と宮沢の嘘学問を公式に完全否定し、両極悪人を大学から除籍しその名誉を剥奪すべきだが、筆者は寡聞にしてそれを知らない。おそらく実行不可能なのであろう。そんなことをすれば、両人の弟子、孫弟子に当たる学者群の業績が全否定されるばかりか、昭和天皇を輔弼して、最高裁判所長官という地位、勲一等旭日大綬章、旭日桐花大綬章、文化勲章を横田喜三郎に授けた歴代内閣の面目が丸潰れになるからである。
それにしても罪刑法定主義を否定した無法者が司法権力の長に就任し(昭和三十五年十月二十五日~四十一年八月五日)、位人臣を極めるとは!何とおぞましき事よ。戦後日本は暗い末法の世である。
そして戦時国際法の研究を無視し否定する戦後の悪しき傾向に拍車をかけた無法者が、日教組を始め、教育界に蠢いて我が国を内部より蝕む獅子身中の赤い寄生虫、マルクス・レーニン主義狂育者集団である。
開戦に関するハーグ条約が締結された一九〇七年以前には、事前に何らの予告を与えずして敵対行為を不意に開始することは稀でなく違法ともされていなかったのに、ある高校で使用された社会科の教科書には、日露戦争の際に日本海軍が宣戦布告に先立って明治三十七年(一九〇四)に仁川と旅順にいたロシア艦隊に奇襲をかけてこれを撃破したことは、非常に悪辣な侵略行為であるという趣旨の日本を非難する反日記述が掲載されたのである(3)。また今日おいても侵略戦争の法的定義は未確定なのに、ある地域の中学校では、教師たちが生徒に対して、日露戦争における我が国の勝利の世界史的意義を教えるのではなく、「日露戦争は満州を侵略した日本の帝国主義侵略戦争である」とのコミンテルン三十二年テーゼに沿った虚偽の反日史観を吹聴し、これに驚いた大学教授から、その教え方の失当を指摘されると、彼らは反省するどころか、
「先生のおっしゃることはわかりました。しかし私たちは、来年学校を卒業して社会に巣立って行く生徒たちに、戦争はもうごめんだ、という心構えを教えるために、日露戦争をそういう風に教えようじゃないかと、講習会を開いた結果なんです。」
と嘯き、開き直ったのである。一般常識では、特定の政治目的の為に歴史観を逆転させ真実とはかけ離れた歴史教育を行うことは歴史の偽造であり捏造であり思想洗脳であって、教師には絶対に許されない行為のはずである。だが彼らは何ら恥じることなく平然とこれを行うのである。
日教組や全教組は、「護憲平和主義教育」の名の下にアウシュビッツのホロコースト、ナンキンの大虐殺、オキナワ戦の悲劇、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下といった戦争の悲惨さを繰り返し強調し(そのくせソ連軍を始め共産主義国家の軍隊の数限りない残虐行為には一切触れない)、大日本帝国を凶悪非道な犯罪国家に貶めて我々の先祖を誹謗中傷するばかりで、学生に戦時国際法を教えようとはしない。なぜなら国民が戦時国際法に精通すれば、彼等が目論む「外患(ソ連軍、中共軍、北朝鮮軍)誘致による国内革新」と「反日教育による共産革命」が実現不可能となるからである。
国際法上、戦争は国家間の合法的決闘であり、開戦は契約ではなく一方的意思によって行われ、外国が日本に対する開戦を一方的に宣言すれば、日本に戦争状態への突入を強制することができ、ゆえに日本が戦争の放棄を宣言しても戦争は決して日本を放棄せず、日本国憲法は戦争犯罪の産物であり戦争に対して全く無力であること、戦時国際法の厳密なる遵守が戦争の惨禍を極少化すること等が一般国民に広く知れ渡り常識化すれば、戦争に対する根深い恐怖の情、嫌悪の念が国民の脳裏から払拭され、自然と占領憲法廃改と国防軍再建の気運が隆盛するであろう。そして日教組や朝日新聞ら我が国の反日左翼勢力によって「残虐非道な犯罪」に貶められている日本軍の戦闘行為が実は戦時国際法に照らして合法であったことが証明されれば、日本の青少年に蔓延する「祖国を蔑視し呪詛する共産革命の精神」は希薄化され、逆に純粋なる青少年は、彼等の先祖に濡れ衣を着せ彼等を欺いてきた反日左翼勢力に対して、許し難き憤りと抑え難き憎しみを覚え、猛烈な反共世論を醸成するに違いない。
人類の経験と叡智の結晶である戦時国際法は、彼ら赤い寄生虫の天敵なのである。だからこそ彼等は、「戦争を研究することが戦争を招く」という阿呆な理屈を用いて戦時国際法研究を含む戦史研究や軍事研究を排撃し、「軍国主義を復活させる」「好戦主義者を育てる」「日本を再び戦争のできる国にしようとしている」などとヒステリーの悲鳴を発して、それら戦争学の講座を学校教育に導入しようとする者を右翼、軍国主義者、戦争屋と非難するのである。
神戸のある高校教師が行った調査によれば、「戦争にルールはあると思うか」との問いに対して六十六パーセントの生徒が「ルールはない」と答えたという。生徒の過半数は、戦時国際法の存在自体を知らないのである。井上忠男氏は「こうした状況では大戦前の日本と変わらない」と嘆いているが(5)、これも戦前の日本に対する侮辱である。
日露戦争の時、沖禎介と横川省三の二人の軍事探偵が、ロシアの鉄道を爆破する為に蒙古人に変装し爆薬を携帯して敵地深く侵入したものの、ロシア軍に発見され捕らえられた。二人は戦時国際法の定める交戦資格を具備しておらず、ロシア軍は二人に捕虜待遇を与えず銃殺刑を宣告した。だが沖も横川も、彼らの行動が違法戦闘行為であり捕まれば銃殺されることを覚悟して日本を出発しており、全く狼狽することはなく、ロシア軍の将校は二人の余りにも堂々たる態度に感服し、礼をもって二人に接したのである。これは戦前戦中の修身教科書にも記載された有名な話であり、戦前の日本では、兵役の義務を負う大人だけではなく、子供といえども戦争にはルールが存在することぐらいは知っていた。
現在、一九〇七年ハーグ条約と共に戦時法規を構成する一九四九年ジュネーブ四条約の各々の条約文書には、共通して同文の「公知条項」がある。
「締約国は、この条約の原則を自国のすべての軍隊及び住民に知らせるため、平時であると戦時であるとを問わず、自国においてこの条約の本文をできる限り普及させること、特に軍事教育及びできれば非軍事教育の課目中にこの条約の研究を含ませることを約束する。
戦時において捕虜に責任を負う軍当局その他の当局は、この条約の本文を所持し、及び同条約の規定について特別の教育を受けなければならない。」
この中の「できる限り」「できれば」という字句は、締約国の中には中央政府が教育を管轄する権限を持たない国があることを考慮した表現であり、決して条約加盟国の義務を軽減するものではない。締約国は軍事教育のみならず一般教育においても一九四九年ジュネーブ条約を徹底的に研究し国民に普及させる義務を受諾しているのである。当然一九五三年に締約国となった我が国(一九五三年四月二十一日内閣決定、七月二十九日国会承認、十月二十一日発効)も同様である。しかしながら我が国の政府、議会はこの条約上の義務の履行を半世紀にわたり徹底的に怠り、今日の一般教育の中では、小学校から大学校に至るまで如何なる段階においても、戦時法規の教育は全く実施されず、自衛隊の中でも戦時法規の教育は不十分であり、防衛庁は戦時国際法に精通する法務将校を充分に確保できないのである。こうした我が国の悲惨な状況は、占領憲法九十八条二項「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」を無視する政府と議会の違憲行為の所産である。
我が国には、事あるごとに「護憲」を売り物にする政治家、官僚、学者、知識人、評論家が居り、国民に何らの実害を与えない総理大臣の靖国神社参拝には、占領憲法二十条の政教分離規定を根拠に非難を浴びせ、違憲訴訟さえ起こすくせに、「ジュネーブ条約の不履行」という政府の悪質かつ深刻な違憲行為に対しては、冬の蝉のごとく沈黙して戦時法規教育の即時徹底実施を政府に要求しない。なぜなら彼等も神戸の高校生と同様に戦争にはルールがあることを知らずジュネーブ条約の公知条項を知らないのである。
法は人に知らされなければ人に遵守されないのである。
文明が「法秩序」と定義されるならば、現在の日本は文明国には程遠い野蛮国である。そして日本を野蛮国に転落させている、日本で最も野蛮な反日左翼勢力が「護憲平和主義」という看板を掲げて、大日本帝国に事実無根の濡れ衣を着せ、虚偽にまみれた汚い罵詈雑言を浴びせているのである。
筆者は「戦争の天才と謀略の天才の戦い」に続いて次のように断言せざるを得ない。
「戦後民主主義なるものは、神武肇国以来わが国の最も恥ずべき錯乱と屈辱の時代である。」
(1)谷沢永一著【悪魔の思想】一一一~一五四頁。
(2)小室直樹、渡部昇一【自ら国を潰すのか】一四〇~一四六頁。
横田喜三郎とは対蹠的な国際法学者は信夫淳平博士である。信夫博士は、昭和二十一年三月国際法外交雑誌第四十五巻三・四号に、
「顧みるに大東亜戦争中、旧敵国には国際法違反の行動が随分あったようである。無辜の一般市民に対して行える無差別爆撃、都市、村邑の病院、学校、その他文化的保護建物の無斟酌の破壊、病院船に対する砲爆撃等、数え来たらば例を挙ぐるの煩に堪えぬほど多々あった。
これ等の残虐行為を含む謂ゆる戦律犯に問われるべき被告に対する擬律処断は、専ら戦勝国が戦敗国に行うのみで、戦勝国のそれは不問に附せられるという現行の面白からざる偏倚的制例の下にありては、公式の裁判記録の上には専ら日本の戦律犯のみがその名を留めらるることになるが、国際法学者は別に双方の戦律犯を公平に取り扱い、これを国際法史の上に伝え残すの学問的天職を有すべく、即ち我国は惨敗を喫して完全無比の無武装国になったけれども、国際法学徒には尚お尽くすべき任務が十二分に存するのである。」
との論稿を掲載しようとしたが、占領軍の検閲に引っ掛かり削除されてしまった。
講和条約の発効後、日本の国際法家が挙って真摯に信夫博士の提言を実行に移し、元日本軍軍人の協力を得て、占領軍が悪意をもって流布した日本軍の残虐行為なるものの史的真贋虚実、法的正邪曲直および連合軍の戦争犯罪の実態を調査し、その結果を記録として政府に提出し、政府がこれを日本国の公式見解として公刊しておれば、政府は外国の強請に対し有効に反撃することができ、今日ほど深刻には支那や朝鮮、朝日新聞や日教組などの反日勢力によって偽造され流布される反日プロパガンダが日本国民の精神を汚染することはなかったであろう。 まことに残念至極なことである。
(3)歴史検討委員会編【大東亜戦争の総括】二二〇頁。
(4)稲垣武【悪魔祓いの戦後史】四九七頁。
(5) 井上忠男【戦争と救済の文明史】二六二頁。
上の文をを読んで「ナルホド」と感じた方は、人気ブログのランキング ranQ(ランキュー)


皇室御用達!各国の元首、外交官など、VIPに愛される超高級フレンチレストラン・シェ松尾のおススメ
・雅子様ご成婚お祝いに使われた逸品のスイーツ「シュミネ詰合せ」

東亜連盟戦史研究所
大東亜戦争の電子書籍 「戦争の天才と謀略の天才の戦い」国民のための大東亜戦争正統抄史1928―56
【関連する記事】
- 国民のための戦時国際法講義 33
- 国民のための戦時国際法講義 32
- 国民のための戦時国際法講義 31
- 国民のための戦時国際法講義 30
- 国民のための戦時国際法講義 29
- 国民のための戦時国際法講義 28
- 国民のための戦時国際法講義 27
- 国民のための戦時国際法講義 26
- 国民のための戦時国際法講義 25
- 国民のための戦時国際法講義 24
- 国民のための戦時国際法講義 23
- 国民のための戦時国際法講義 22
- 国民のための戦時国際法講義 21
- 国民のための戦時国際法講義 20
- 国民のための戦時国際法講義 19
- 国民のための戦時国際法講義 18
- 国民のための戦時国際法講義 17
- 国民のための戦時国際法講義 16
- 国民のための戦時国際法講義 15
- 国民のための戦時国際法講義 14
毎回勉強させて頂いています。
この戦時国際法講義シリーズも貴重な勉強の機会として活用させて頂いています。ありがとうございます。
ところで、本稿の引用(4)が見当たらないのですが、(4)からは何を引用しているのでしょうか。
お手数お掛け致しますが、ご教示下さい。
(4)稲垣武【悪魔祓いの戦後史】四九七頁からは以下の記述を引用しました。
ある地域の中学校では、教師たちが生徒に対して、日露戦争における我が国の勝利の世界史的意義を教えるのではなく、「日露戦争は満州を侵略した日本の帝国主義侵略戦争である」とのコミンテルン三十二年テーゼに沿った虚偽の反日史観を吹聴し、これに驚いた大学教授から、その教え方の失当を指摘されると、彼らは反省するどころか、
「先生のおっしゃることはわかりました。しかし私たちは、来年学校を卒業して社会に巣立って行く生徒たちに、戦争はもうごめんだ、という心構えを教えるために、日露戦争をそういう風に教えようじゃないかと、講習会を開いた結果なんです。」
と嘯き、開き直ったのである。
迅速な対応有難うございました。
これからも勉強させて頂きます。