2005年09月06日

国民のための戦時国際法講義 2

大日本帝国の順法精神 2、大日本帝国の遵法精神


【大日本帝国の遵法精神】


2、大日本帝国の遵法精神

 明治維新を成し遂げた我が国の喫緊の課題は、幕末に江戸幕府がアメリカを始め諸外国と締結した不平等条約を可及的速やかに改正することであった。これを実現する為に、明治政府は必死になって国内法の整備を急ぎ、日本が野蛮国ではなく欧米列強に比肩する文明国であることを世界に向けて発信し、陸海軍大学では戦時国際法の教育に力を入れた。

 司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」を読んだ方はすでにご存知であろうが、日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を撃滅し、世界戦史に不滅の栄光を刻んだ我が連合艦隊司令長官の東郷平八郎提督は戦闘中に戦闘行動の適法性を瞬時に判断できる戦時国際法の権威であった。

 日清・日露の両戦役では日本陸軍は国際法学者の有賀長雄博士を法律顧問として従軍させて戦時(交戦)法規を徹底的に厳守し、世界各国から惜しみない賞賛を浴びた。

 戦時国際法の適用に関し軍の指揮官に助言する法律顧問を軍隊に配置することは、一九七七年の国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書八十二条に初めて規定されたが、我が国はこれに先立つこと八十三年前に法律顧問の従軍を実践したのである。この成果は絶大であった。
 
 日清戦争を観戦したフランスの国際法学者ポール・フォーシーユは、日本が文明国であることを世界に知らしめた有賀長雄の名著「日清戦役国際法論」に寄せた序言の中において、

 「日本は独り内部の法制に於いて世界最文明国の班列に達したるに非ず。国際法の範囲に於いても亦同然たり。経験は日本政府が能く其の採択する所の文明の原則を実行するに堪うるを表示せり。すなわち日本は清国に対する一八九四年の戦争に於いてこの事を証明したり。この戦役に於いて日本は敵の万国公法を無視せしに拘らず自ら之を尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を体し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病傷者を見ては未だかつて救護を拒まざりき。日本は尚未だ一八六八年十二月十一日のセントピータスブルグ宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢えて敵抗せざる住民の身体財産を保護することに頗る注意を加えたり。日本はいずれの他の国民も未だかつて為さざる所を為せり。其の仁愛主義を行うに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代価にて之を給養するに至れり。兵馬倉皇の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は挙げて行わざるなし。見るべし日本軍隊の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを。」

と日本政府と日本軍を褒め称えた。

 フランスのフィガロ紙従軍記者とイリュストラシオン紙従軍記者は、「余等は日本帝国の如き慈愛心に富める民あるを、この広大な地球上に発見し得るかを怪しむなり」と驚嘆し、

 「ひるがえって清軍を見よ。日本軍卒の一度、彼等の手に落つや、あらゆる残虐の刑罰をもって、これを苦しむるにあらずや。或いは手足を断ち、或いは首を切り、睾を抜く、その無情、実に野蛮人にあらざればよくすべきの業にあらず、しかし日本はこれあるにかかわらず暴に酬ゆるに徳をもってす。流石に東洋君子国たるに愧じずと云うべし。」

と述べて清軍の残虐行為を非難し、日本軍の遵法精神を「大日本帝国軍隊は世界に対して誇るに足る名誉を有する」と大絶賛したのであった。

 国軍の戦闘形態には国家の持つ技術力や経済力、文化様式、国民の資質など国状そのものが反映される。清国軍兵士の残虐行為には漢民族の食人風俗が反映され、日本軍兵士の規律厳正には日本の武家社会の伝統が反映されており、日本軍将兵は武士道精神を継承して軍紀を厳しく守り整然と戦ったのである。
 
 日露戦争の終結から六年後の明治四十四年(一九一一)、陸奥宗光が改正した不平等条約に設定された十二年過渡期間が満了し、ようやく我が国は関税自主権の回復を達成した。驚愕すべきことであるが、明治日本は関税自主権を奪われ国内産業の発展を制限されながらロシアに勝利したのである。
 
 明治維新から四十五年間、我が国は、先進国の経済援助に依存する今日の発展途上国の想像を絶する、死に物狂いの自助努力を重ね、文字通り血と汗と涙を流し、粘り強く日本が文明国であることを世界列強に訴え、有色人種の中で初めて欧米諸国から平等待遇を勝ち取り、名実ともに独立主権国家となったのであった。
 
 だが防衛庁、外務省等によって構成される国際人道法国内委員会委員の日本赤十字社企画広報室参与、井上忠男氏は、以上の史実を認めながらも、日本の一九二八年の不戦条約に対する自衛権の留保や一九二九年の捕虜の待遇に関するジュネーブ条約に対する未批准、一九三三年の国際連盟からの脱退を指摘して、「日本が明治末に東洋で唯一の文明国としての地位を手中に収めた後、日本では国際法の遵守による文明国家への道は権益拡大の足枷、軍事力拡大の障害と考えられるようになった」と日本を批判し、日本の国際法に対する態度を変化させた元凶を国家主義の台頭に求めている(1)。これは戦前の日本に対する侮辱である。
 
 第一次上海事変において帝国海軍は昭和七年(一九三二)二月早々に第三艦隊を編成してこれを上海に緊急派遣した際、国際法学者の信夫淳平博士を同艦隊司令部国際法顧問として招聘し幕僚に加え戦時国際法の厳守に努めた。事実、第三艦隊の上海到着後における帝国海軍の陸海両面の行動に対しては、国際法上ほとんど一点の非難さえも外国人側より発せられることはなかったのである(2)。
 
 昭和十二年(一九三七)十二月の南京攻防戦において中支那方面軍司令部は国際法顧問として斉藤良衛博士を帯同しており、方面軍司令官の松井石根大将は塚田攻参謀長に、
 
 「南京は中国の首都であるから、その攻略は世界的事件である。故に慎重に研究して日本の名誉を一層発揮し、中国民衆の信頼を増すようにせよ。特に敵軍といえども抗戦意思を失いたる者および一般官民に対しては寛容慈悲の態度で愛護せよ。」

と指示し、この方針に基づき方面軍参謀部は斎藤博士の意見を仰いで「南京城攻略および入場に関する注意事項」を作成し、全将兵に対して、将来の模範たるべき心構えをもって軍紀、風紀を厳粛に保ち、乱入相撃、不法行為など皇軍の名誉を毀損するがごとき一切の行為の根絶を厳命したのであった。
 
 我が国の降伏後、日本を占領した連合軍は、昭和二十一年五月三日、日本を裁く極東国際軍事裁判所を開廷した。いわゆる東京裁判である。名は体を表すというが、この裁判の法的根拠は既存の確立された国際法ではなかった。連合軍最高司令官マッカーサー元帥が昭和二十一年一月十九日に「極東国際軍事裁判所条例」を発布し、彼自身が判事を任命し、この条例によって裁判せよ、との命令を下したのである。文明諸国が厳禁する事後法の遡及適用による断罪である。

 五月十三日、日本側弁護人の清瀬一郎博士は、裁判所の管轄権に関する動議を提出した。その内容は、

1、一九四五年七月二十六日に米英中によって発せられ、同年九月二日に日本政府統帥部代表によって受諾調印されたポツダム宣言は、連合国と日本国の双方を拘束する。

2、ポツダム宣言第十条「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし」のいう戦争犯罪とは、これが発せられた当時、交戦者の戦争法規の違反、非交戦者の戦争行為、略奪、間諜および戦時反逆など戦時法規を犯した罪を意味していたのであって、裁判所条例のいう「平和に対する罪」「人道に対する罪」や戦争を始めること自体を含まない。

3、よって連合国は、ポツダム宣言第十条に基づき戦時法規を犯した日本人を裁き厳重な処罰を加える権限を有するが、「平和に対する罪」「人道に対する罪」や日本が戦争を始めたこと自体を裁く権限を有さず、当然、連合軍最高司令官にもそうした権限は存在しない。

というもので、清瀬弁護人は、

 「連合国は、今回の戦争の目的の一つが国際法の尊重であるということを言われております。されば国際公法のうえからみて、ワー・クライムというものの範囲を超越せられるようなことはまさかなかろうと、我々はかたく信じておったのであります。」

と述べて、裁判所には「平和に対する罪」「人道に対する罪」を裁く権限がないことを主張した(3)。だがウェッブ裁判長はこれを却下した。清瀬弁護人の動議を認めると、占領軍の対日占領作戦「日本史汚染による日本人洗脳計画(WGIP)」の中核たる東京裁判そのものが不成立に終わるからであった。

 日本側弁護人の高柳賢三博士は、弁護側反証段階の冒頭陳述総論として「検察側の国際法論に対する弁護側の反駁」という国際法論文を執筆し、昭和二十二年二月二十四日第百六十六回公判に提出した。

 この中で高柳博士は、裁判長が開廷にあたり「本日ここに会合するに先立ち、各裁判官は、法に従って恐れることなく、偏頗の心を持つことなく、裁判を行う旨の合同誓約に署名した」と宣言したこと並びに首席検察官がその劈頭陳述において被告人達は現行の国際法そのものによって断罪されるべきであり条例がかかる現行国際法を宣明せんとするものに過ぎないゆえんを明白にしたことを指摘し、この二人の声明によって、我が国の法曹界に存在する「裁判所は司法的機関ではなく刑罰をふり当てる行政的機関にすぎぬ」とか「条例に表現された連合国政府の政策と抵触する場合には国際法は当然無視されるから今さら国際法の議論をしても始まらない」といった東京裁判に対する懐疑は解消された、と断言した。そして高柳博士は、

 「我々は、この歴史に先例のない刑事裁判において、その画期的判決をなすにあたり確立した国際法のみに基づくべきことを裁判所に対して強く要請する。法の認めない犯罪に対して事後法に基づき厳刑を科するがごとき正義にもとる処置は、必ずや来るべき世代の人々のうちに遺恨を残し、東西の交友関係と世界平和にとって不可欠な和睦を阻害する原因を作ることになるであろうことは、賢明にして学識ある裁判所は万々御承知のことであろう。

 来るべき世代の東洋の人々が、いな人類全体が、この画期的判決を広い歴史的視野からふり返って眺めるとき、三世紀にわたる期間において西洋の政治家や将軍が、その行った東洋地域の侵略について処罰をうけたことが一回もなかったことを想起して、かれらは、東洋の一国の指導者にたいし事後法に基づく処罰を行うことについて大いなる不正が犯されたとの感想を抱くに至るかもしれない。

 英国占領軍の厳格なる監視の下に審理された処刑を受けたオルレアンの一少女ジャンヌ・ダルクは、後にはフランス国民から殉教者、聖女と見なされるようになった。

 これと均しく、征服者の治下において、被告人の一人にたいし極刑が加えられることがあるとすれば、それは平凡な一日本人をして、国民の殉教者、いなアジア解放の殉教者たらしむる危険を包蔵するものである。政治的又は宗教的指導者に科せられた死刑が、彼の罪科を清めるだけでなく、さらに魔術的にその平凡なる生涯に光輝を添えることとなった歴史的事例が多々存することは、裁判所の熟知される通りである。

 かかる事後法的処罰は又、今や最高司令官の聡明な指導の下に、新憲法の厳格な遵守、従って又その不可欠の一部をなす事後法による処罰禁止の規定(註、占領憲法三十九条)の厳格な遵守を誓約している日本国民にたいして残酷な模範を示し、かれらの殊勝な熱意を冷却せしめることともなるであろう。かくしてそれは彼らに、勝利者の法と被征服者の法とは別物であるとの深い印象をあたえるであろう。かかる不正は、それは正しい法の支配なる一つの世界の建設に役立つことのない権力政治のあらわれに過ぎぬものとみられるであろう。

 そればかりでなくさらに、この歴史的なそして又劇的な裁判において、かような前例が設けられることは、本裁判所に代表されている戦勝諸国における刑事裁判の将来にも深刻な影響を与えることとなるかもしれない。そうした場合には、「血なまぐさい教訓は、必ず元に戻って教訓者を苦しめる」という格言が妥当することもあるからである。それ故厳格に法を遵守することこそは、司法的勇猛心の表現であるばかりでなく、裁判所のとるべき正しく且つ賢明な道である。

 周知のそして確立された国際法の原理を固守することによって、又これによってのみ、文明そのものの不可分の要因をなす法至上の灯光は、永久に国際社会を照らし、揺らめく灯としてではなく不動の灯明台として、嵐吹きすさむ世界に指標を与えることとなるのである。」

と述べ、高柳博士は被告人利益の擁護に努める弁護人の立場を超越して、東京裁判が全世界の政府が畏敬すべき国際法の尊厳を象徴すべきことを訴え、裁判所にあくまで国際法に基づく裁きを求めたのである(4)。しかし裁判所はこれさえも却下したのであった。

 これら裁判所が繰り返した不公平なる暴挙は、裁判所すなわち連合軍側が、日本側弁護団の正々堂々たる主張に、一言半句たりとも真正面から反論できなかったことを意味する。

 そう、連合軍は東京裁判という法廷で我が日本代表に大敗北を喫したのだ!マッカーサー及び連合軍は、日本側弁護団の清冽なる反撃を回避する為に不正行為を犯さざるを得ず、自らに、無実の日本人を処刑した無法者という烙印を押し、後世に汚名を残したのである。
 
 極東国際軍事裁判という「法律的外観をまとっているが、法律にも正義にも基づかない連合国の執念深い報復の追跡」(パル判決)においても、連合軍と連合国が国際法を蹂躙したにもかかわらず、我が敗残日本の代表は、国際法を遵守する精神を喪失することなく、日本民族史の光輝、名誉、尊厳を蹂躙することによって日本国民から国家の生命力である「祖国を愛し護り発展させる」愛国敢闘精神を消滅させ、日本の永久弱体化を目論む連合軍と対決し、祖国の栄誉を守る為に戦い抜き、東条英機元首相ら七人の死をもって連合軍に勝利したのである。
 
 だが戦後日本にとって不幸なことに、彼等が法廷で示した「大日本帝国の高潔なる遵法精神」は、後世に継承されなかった。なぜなら法の精神をかなぐり捨てて占領軍司令部の無法な占領作戦に協力迎合し自己の栄達を企図した学者が、戦後日本の最高学府である東京大学国際法学を牛耳り、無法な嘘学問を蔓延させたからである。

 その罪深き曲学阿世(学問をまげて世におもねる)学者の名は、横田喜三郎という。


(1)井上忠男【戦争と救済の文明史】二一一頁。
(2)信夫淳平【上海戦と国際法】一、一〇六頁。
(3)清瀬一郎【秘録東京裁判】五十三頁。
(4)小堀桂一郎【東京裁判日本の弁明】二五二~二五六頁。


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