所長は、「石原莞爾と尾崎秀実の戦い」国民のための大東亜戦争史1928―56を次のように加筆修正しました(強調部分が加筆修正箇所)。
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国民のための大東亜戦争史10~15日支全面和平を打ち砕いた者
12、和平交渉暫定成立
中村総領事は、六月二十三日から七月十九日まで六回に亘って蕎輔三と会談し、十八日には蕎から国民政府が希望する対日和平条件として、漢口陥落前に和平合意を実現し休戦協定を成立させること、事実上国家の元首として衆望を集めている蒋介石の下野は困難なので代わりに行政院長の孔祥煕が全責任を負い辞職することの他、
1、中国政府は対日好感の実現に努め総ての反日行為を停止す。日本も亦東洋永遠の平和の為に極力日支関係を良好ならしむる為全力を尽くされたし。
2、満洲国は日満支三国条約締結に依りて間接に承認す。なお満洲国が自発的に満洲自由国とするに於ては中国民衆に好感を与うべきに付き之を切望す。
3、内蒙の自治を容認す。
4、華北の特殊地域決定は甚だ困難なり。もっとも中国に於ける互恵平等の経済開発は之を認む。
5、非武装地帯の問題は日本の具体的要求を俟って解決す。支那軍隊は駐在せず保安隊をして治安維持に当らしめたし。
6、未だ充分論議を交し居らざるも共産党との関係は清算すべし。防共協定に加入するや特別協定を結ぶや等は更めて研究せざるべからず。
7、中国は現在頗る荒廃かつ困窮し居るを以て中国政府としては賠償を議するも支払の能力なし。
など七項目を伝えられていた(5)。
(5)外務省編【日本外交文書日中戦争1】三四四~三四八頁「香港に於ける中村総領事と孔祥煕代表蕎輔三間の日支和平交渉に関する会談」(昭和十三年七月二十三日)。神尾茂【香港日記】昭和十三年九月五日の条。
13、高宗武の来日
八日、近衛内閣の五相会議(首相、蔵相、外相、陸相、海相)によって決定された我が国の対支那処理方針は、我が軍の漢口作戦によって国民政府が屈伏して来る場合には、帝国は事変解決に関する既定方針を堅持し支那現中央政府を相手として日支全面的関係の調整を行うことなく、国民政府を友好一政権と認め之に蒋介石の下野、抗日容共政策の放棄および親日満防共政策の採用等の条件を受諾させ、国民政府と我が軍の占領下に誕生した三つの親日政権(蒙彊連合委員会、中華民国臨時政府、中華民国維新政府)を合同して新中央政権を樹立する、そして国民政府が屈伏して来ない場合には、帝国は支那の大勢を制する要衝の占領を図り支那現中央政府の自壊作用と継戦意志の放棄とを誘導しつつ政治経済外交思想に亘る謀略を強化し、抗日勢力内部の切り崩しを行い、国民政府の分裂崩壊、地方政権への転落を期すと共に、親日諸政権を拡大強化して新中央政権を樹立し、支那現中央政府の屈服ないし潰滅を計る、であった(2)。
(2)【日本外交文書日中戦争1】三三三~三三五頁。
14、萱野再び香港へ
ここに至り宇垣外相が私邸に招いた外務官僚は、かねてより新中央政権樹立論に反対し、外務省の焼打を覚悟して第一次近衛声明を突破し、漢口攻略までに国民政府を相手として和平交渉を開始すべきことを主張していた石射猪太郎東亜局長であった。宇垣外相は石射に対して、
「事変の収局に付ては君の提案の如く蒋介石相手の和平より外なかるべしと思う、自分も大臣就任のとき近衛首相に対し一月十六日の声明は場合により乗り切ることとの了解を得ているのだ、只急に蒋相手の和平を提案しては騒がれるばかりだから潮時を見て居たのだが最近の状勢から見て最早その工作に取掛って然るべき時と思う、出来るならば漢口攻略前に蒋と話を付けたしと考える」
と述べ、万難を排して日中和平を実現する決意を語り、陸軍の内部事情について、
「昨日来訪の多田次長は何とかして一日も早く時局を収拾して頂きたいと切に言って居った。そこで蒋相手の和平は陸軍はどうかいと尋ねたるに、最早今日では一月十六日声明にこだわらぬがよろしいと思いますとの返事であった。然らば陸軍はそれで纏めて行けるかと反問したるに、多田は陸軍全体とは云い兼ねるが軍令系統の方は纏め得ますと云い居たり。聞く所によると先日閑院宮様が参内せられたとき陛下より陸軍では蒋介石相手はまだいかんかとの御下問あり。これに対し宮様は即答申上げず翌日参内し蒋相手も已むを得ませぬとの趣旨を御答申上げた由なり」
と打ち明けた。続いて宇垣外相から、
「香港中村に対し一歩進んだ訓令案を研究して貰いたい。日本国内の情勢は、和平後、蒋が支那国民に対し罪を謝し自発的に下野するならば蒋を相手に和平するも可なり、との空気が濃厚となりつつある旨を蕎に告げ孔との話を繋ぎ、再び先方の意向を打診せよとの趣旨を練って訓令案を起草して貰いたい。昨日も萱野が一両日中に又香港に行くとて来訪したるが、萱野も右の如き下野ならば大丈夫出来ると云って居た」
と依頼された石射は、
「蒋の下野が一時的、自発的であり、復職に日本側が文句を云わず先方の自由と云うことにすれば、蒋も事変後静養を欲すべきにより下野の話はつくでしょう」
と応じた(2)。
(2)【日本外交文書日中戦争1】三七七~三八〇頁「九月四日宇垣大臣の石射への内話(私邸に於て)」
64、自衛のための自殺
連合軍最高司令官として無法な対日占領作戦を敢行したマッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言を行った(2)。
(2)小堀【東京裁判日本の弁明】五六四~五六五頁。
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