<裁判所構成法(大日本帝国憲法第五十七条による)>
第八十条ノ二 検事総長年齢六十五年其ノ他ノ検事ノ職ニ在ル者年齢六十三年ニ達シタルトキハ退職トス但シ司法大臣ハ三年以内ノ期間ヲ定メ仍在職セシムルコトヲ得
裁判所構成法中の検事総長および検事の定年退職延期に関する規定は、帝国議会の承認を経た法律第百一号(裁判所構成法改正1921年5月17日公布、副署は内閣総理大臣の原敬と司法大臣の伯爵大木遠吉)によって同法に盛り込まれ、以後若干の修正を経つつ、1947年5月3日の同法の廃止まで存続した。
裁判所構成法第八十条二項により、内閣の一員である司法大臣は、検事総長及びその他の検事の定年退職を任意に最大三年延期できるようになったが、果たして検察は、内閣に媚びへつらい、内閣閣僚や政府与党議員の犯罪容疑を見逃すようになったのか。筆者は寡聞にしてそれを知らない。
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それとは正反対の所謂「検察ファッショ事件」は人口に膾炙している。1934年に検察は帝人事件を捏造し、斎藤実内閣を総辞職に追い込んだのである。しかし検察に起訴された中島久万吉(斎藤内閣の商工大臣)、三土忠造(斎藤内閣の鉄道大臣)ら被告16名全員が3年後に無罪判決を受けた。それは「証拠不十分の無罪ではなく全く犯罪の事実が存在しない」という判決であった。
大阪朝日新聞 1937.12.24 「帝人事件大乗的見地から遂に"控訴せず"」
三土氏らの無罪確定
去る十六日全部無罪の判決言渡しあった帝人事件に対し二十三日午前遂に控訴せざることに決定した。帝人事件の十六全被告一審無罪に対し検察部としては数度これが対策を協議、検事控訴することに一決し、昨二十二日午後法相官邸において司法部最高首脳部会議を開き塩野法相、泉二検事総長、吉益東京検事長の三巨頭鼎座協議したが、検察側の断乎控訴説に対し塩野法相は政治的、社会的見地からさらに慎重を期し三巨頭間の意見の一致を見るにいたらなかったため当日はそのまま散会するのやむなきにいたったが、控訴期間満了日の二十三日午前十時半から第三次首脳部会議を法相官邸に開き問題の案件について協議した結果、ここに塩野法相の大乗的見地からの意見が有力となり、
一、判決を反駁するに足る根拠が比較的薄弱であること
一、戦時下の国家相剋を除くこと
などの諸点から控訴せず一審判決に服することとなり、その旨塩野法相談話の形式で二十三日午前十一時半声明した。
面目に捉われず 塩野法相の声明書
判決理由の当否か検事の面目問題には全然触れないで大所高所から見てこの結論を得たものである。本件は二百数十回の公判を重ねた大事件であるが、検事はこの信念に本づき五日間に亙り有罪の事由を痛論したに拘わらず、裁判所はその見るところを異にし、去る十六日全部無罪の判決を言渡したのである。事実の真相に対する検事の心証は今なお動かないのであるから常道としてはこの判決に対し控訴するのが当然である。しかし翻ってこの控訴がその目的を達し得るや否やを慎重に検討して見ると、何分この事件は稀有の大難件であって証拠の上に多少の疑問もあり欠点もある。
すでに第一審においてかくの如き判決ありたる上は控訴するもこれを覆して有罪の判決を得るや否やは疑問である、すでに見込みは十分に立ちかねるとすれば本来この事件は既往四年にわたって社会各方面を騒がしたものであるからこれ以上控訴をもって争うことは大所高所から見て適当の処置にあらずと信じ、判決の理由や検事の面目問題に捉われず極めて大乗的見地に立ち思切って控訴せぬことになった。
土壇場の譲り 悲壮な泉二検事総長
検事控訴の主張を提げて塩野法相と一戦交えたが最後の土壇場において法相の主張に譲らねばならなかった泉二検事総長、吉益検事長は時余にわたり論議ののちあと始末を一切塩野法相にまかせ悲壮な面持で法相官邸を出たが、交々語る『すべては塩野法相の声明の通りです、今日までいろいろ協議検討した結果帰結したのが上訴権放棄ですが、今日は残る二点について検討し決定を見たのです』
塩野季彦司法大臣が検察に控訴を断念させたように、内閣の一員である今日の法務大臣も検察を指揮できる。
<検察庁法>
第四条 検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う。
第六条 検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。
第十四条 法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。
第十五条 検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行い、天皇が、これを認証する。
第二十二条 検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。
現行の検察庁法第十四条によって規定されている法務大臣の検察指揮権は、検察に「強制捜査中止」「不起訴処分」「強制捜査督励」「下級審無罪判決確定」を指示する権限で、内閣総理大臣は法務大臣に指揮権を発動させるか、自ら法務大臣を兼職して指揮権を発動し得る。すなわち内閣は検察を強力に統制するための二つの権限を既に持っているのである。
検察庁法の改正後、検事総長、次長検事、各検事長らが定年延長を希望して内閣に媚びへつらい、内閣閣僚や政府与党議員の犯罪容疑を見逃すぐらい卑屈で自己保身に汲々とするなら、検事総長、次長検事、各検事長らは自ら内定した一級検事人事案を検事任免権を持つ内閣に追認してもらうために、内閣に媚びへつらうであろう。
すなわち検察庁法改正の可否にかかわらず、検察庁は矜持、気概、検察官記章の秋霜烈日の精神を喪失し腐敗堕落しきっている訳だから、検察庁法改正に対する反対運動は無意味であり、むしろ検事の性根を矯正するための教育の実施こそ焦眉の急である。
検察庁法の改正後、内閣が検事の定年延長権を悪用し、内閣に媚びへつらう検事を検事総長に起用するなら、内閣は最初から第十五条の一級検事任免権を行使して内閣に媚びへつらう検事を検事総長に任命するであろう。
また内閣が検事に対する任免権と定年延長権とを悪用し、内閣閣僚の犯罪容疑に対する検察の捜査を妨害するぐらいの蛮勇を振るうならば、内閣は最初から第十四条の検察指揮権を発動するであろう。
すなわち検察庁改正の可否にかかわらず、検察の中立性と独立性は極めて脆弱であり、合法的かつ容易に内閣によって侵害され得るのである。そのことは民主党によって実証された。
<指揮権発動が疑われたり、可能性が考慮された例(ウィキペディア)>
・2010年、千葉景子法務大臣は就任当初から従来の大臣とは異なり「法務大臣が一般的に指揮権を持っているということは認識をしています」と指揮権発動もありうることを示唆していた。2009年に小沢一郎秘書が起訴された際には民主党の第三者委員会が「指揮権発動による捜査中止もありえた」と指揮権発動に肯定的な報告書をまとめたことも指揮権発動の容易さに拍車をかけていた。2010年に小沢一郎の資金管理団体の土地購入に関する陸山会事件で与党民主党幹事長の小沢一郎に対して強制捜査が行われ、石川知裕衆議院議員を含む元秘書3人が捜査対象にはなった時は指揮権発動の可能性が指摘されたが、最終的に元秘書3人は逮捕、起訴され、指揮権発動は行われなかった(当時の検事総長は樋渡利秋)。
・2010年、柳田稔法務大臣の在任中に尖閣諸島中国漁船衝突事件で那覇地検が公務執行妨害罪で身柄拘束中の船長を処分保留で釈放された(当時の検事総長は大林宏)。那覇地検の釈放理由に「今後の日中関係を考慮する」とあったため、政治判断による指揮権発動が疑われたが、柳田は釈放は検察の判断であり報告を受けた時に検察の判断を尊重したとし、指揮権発動を否定した。しかしそれから3年後の2013年9月19日、事件当時の内閣官房長官であった仙谷由人は時事通信社のインタビューに答え、自身が法務事務次官に対して船長釈放の要望を実質上は出していたこと、釈放決定前に外務省幹部を那覇地検へ派遣したこと、またそれらに関しては、2010年11月に日本での開催が予定されていたAPEC首脳会議に際し中国首脳の来日拒否を恐れた事件当時の内閣総理大臣・菅直人の「解決を急げ」との指示があったことを明言し、政治関与があったことを明らかにした[14][15]。
・2012年、小川敏夫法務大臣が、陸山会事件に関連した虚偽の捜査報告書作成問題に関して、検事の起訴を前提とした指揮権の発動を野田佳彦首相に諮ったが、了承されなかったことを退任時に明かした[16](当時の検事総長は笠間治雄)。なお、この報告書を作成した検事は不起訴となった。
検察の中立性と独立性を全く尊重しなかった民主党の成れの果ての立憲民主党と民主党応援団の朝日新聞が、今さら検察の中立性と独立性の尊重を声高に叫んで検察庁法改正に反対したところで、それは余りに白々しい虚偽宣伝である。
検察庁法中に第十四条(法務大臣の検察指揮権)と第十五条(内閣の一級検事任免権)があるかぎり、検察庁改正の可否にかかわらず、内閣と検察の関係は不変である。そのことに触れない、検察庁法改正に対する喧しい反対運動は、もり・かけ・さくらの延長線上に位置する安倍内閣打倒のための空騒ぎ、いつもの反日左翼の世論煽動工作にすぎない。
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