これは、事変の混乱に乗じて満洲の共産化を画策した満洲共産党(日本共産党満洲地方事務局)が警察に一斉検挙された事件である。当時の新聞記事が示す限り、満洲共産党員は明らかに次のコミンテルン28年テーゼ(帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務に関するテーゼ、詳細は【近衛上奏文解説】参照)を信奉していた。
「共産主義者の帝国主義戦争反対は、一般平和主義者の戦争反対運動とその根底を異にしている。我々はこの反戦闘争をブルジョア支配階級覆滅を目的とした階級戦と不可分のものとしなければならない。蓋しブルジョアの支配が存続する限り帝国主義戦争は避け難いからである。
帝国主義戦争時に於ける共産主義者の政治綱領は、ボルシェビキ党がレーニンの指導下に、第一次帝国主義大戦に反対する英雄的闘争の中で作成し、適用したものと同じ綱領である。
(1)自国政府の敗北を助成すること。
(2)後方における大衆の革命的行動と前線における交歓とを手段として、帝国主義諸国家の戦争をブルジョアジーに反対し、プロレタリアートの独裁をめざし、社会主義をめざすプロレタリアートの内乱に転化すること。
(3)帝国主義戦争の条件の下では、民主的方法による正義の平和は、主要な交戦諸国のブルジョア打倒とプロレタリアートによる権力の奪取なしには、不可能なるが故に、中心スローガンは平和ではなく、プロレタリア革命でなければならない。共産主義者は、平和に関するあらゆる空文句に対して精力的に戦わなければならない。」
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神戸又新日報 1933.5.10 (昭和8年)日支事変に乗じ全満攪乱を企つ一味五十余名一網打尽捕る 満洲共産党の全貌
大連九日発連合-満州事変勃発に際し、その混乱に乗じて大連撫順において共産主義運動の拡大強化を図り、満洲事件は資本主義諸国対立の現状においては必然発生すべき帝国主義戦争の一形態であって日本帝国主義の立場より資本家の利益擁護のためにのみなさるるものなりと称して反戦闘争を行わんとし、又十一月七日の労農革命記念日を期して労働者より大衆への宣伝、大工場のゼネスト煽動更に進んで全満の赤化を画策中発覚し、一昨年十月二十八日早朝を期し一斉に手入となり一網打尽五十余名検挙された所謂満洲共産党(日本共産党満洲地方事務局)事件は、治安維持法違反および出版物法違反の罪名により二十名起訴され大連地方法院の予審に附され、川端予審判事の手で審理中のところ、検挙以来一年七ヶ月振りで予審終結、有罪と認定公判に廻付されるとともに、記事の掲載を解除されたが予審調書は七千余頁、決定書のみにても二百余頁にわたる浩翰なもので二十名の起訴者中五名のうら若い女性も交っている。
満洲における共産党運動は昭和三年ケルン事件の検挙により表面は殆ど根絶せるかに見えたが、地下潜行的運動は依然として継続され、昭和五年八月大連郵便局電信課の古川哲次郎、中村秀男等によって通信労働組合同六年には豊田初音、西静子等の一般使用人組合、満鉄左傾分子等が組織する満鉄従業員組合、撫順における鉱山労働組合等が生れたので、この気運を掴んだ岡村満寿、松田豊、出口重治、広瀬進等は満洲における左翼的労働運動の先駆としてこれが指導拡大を図らんことを企図し、六年六月二十日市内奥町露人経営セントラル・ホテルにおいて岡村、松田、出口、古川、後藤、西静子等が会合し、南満日本人労働組合協議会準備会(九月二十日に至り満洲労働組合協議会略称「満協」と改称)を開き岡村が草起した運動方針を討議決定した。その基本スローガンは
一、七時間労働制確立
一、国家及び資本家負担による不時災死疾病不具その他一切の社会保険実施
一、臨時雇制反対
一、馘首反対
一、その他運動の自由、言論集合結社の自由
一、戦争反対満蒙侵略のための一切の挑発ファッシズムに対する闘争
一、日支労働者の提携ソヴィエート同盟防衛のための闘争
等矯激なるものであった。満協はその構成組合たる通労、一般、鉱労各労働組合を統一しこれを左翼的に指導し満洲における労働組合運動の大衆的拡大強化に狂奔している際、九月十日ごろ内地における札附党員たる松崎簡(二五)(大連中出身早大在学中三、一五事件に連座)が帰連したので岡村、広瀬は松崎と会見満洲における労働運動の実情を語りあった結果、党組織に議纏り六年九月十六日市内真弓町今泉(岡村の変名)方に松崎、岡村、広瀬、松田の四名が会合し日本共産党満洲地方事務局というコミンテルンの政治テーゼを信奉してわが国体を変革し私有財産制度を否認する共産党主義社会の実現を目的とする秘密結社を組織した。その組織は
一、組織部 部長 松崎簡
二、アヂプロ部 同 岡村満寿
三、技術部 同 広瀬進
四、労働組合対策部
同 松田豊
とし別に事務局委員会を設けて党の最高決議機関となし、一方満協に対しては党のラクションを置き、各組合中通勢および一般沙河口分会には各党細胞を置き、事務局の組織を確立し、国際共産党政治テーゼを事務局テーゼとなし、メムバー獲得に地下運動を続けていた昭和六年九月二十二日大連市真弓町のアドにおいて松崎、松田、岡村、広瀬の四名が事務局第二回会合を開催し、当時突発せる日支事件は資本家の利益擁護のためにのみなされたるもので、プロレタリア革命を標榜する事務局としては絶対反対で反戦闘争をなすこと、事務局の拡大強化を図るためその機関紙「満洲赤旗」を発行すること同様目的のためパンフレット第一輯「地下運動について」を発行することの三項を協議決定し、市内重本ビル三階に事務局技術部、印刷所を設け同所において騰写版刷にて「中日鮮労働者農民兵士の力によって帝国主義戦争を打倒せよ」と題する反戦の檄文六十部を作り、大連市内及び沿線の右事務局および満協ならびにその所属組合の関係者に配布した。
さらに十月二、三日ごろ加茂川町のアドで渡政デーの対策を協議し引つづき四、五日ごろ真弓町のアドにおいて第四回委員会を開き十一月七日のロシア革命記念日の闘争を協議し「帝国主義戦争ならびに反ソヴィエート干渉戦争に対する闘争について」「ロシア革命記念日に備えよ」等のビラの配布を協議決定し前回の如く沿線各地同志へ郵送したが右の一部が撫順郵便局にて発見され今回の検挙の端緒となったものである。
首魁は松崎 三・一五の大立物
大連より発送した「満洲赤旗」「通労ニュース」「ロシヤ革命記念日に備えよ」等の不穏文書を押収した撫順署は消印が大連であるところから犯人は必ず大連にあるものと見て直に大連署に手配して来た。これよりさき大連署高等係小川刑事は六年八月〇〇〇〇(註、文字不明)大連郵便局内に通信〇〇〇〇され十月に入ってか〇〇〇〇の形態を備えた満洲文〇研究会が生れた事を探知し内定中、撫順において発見された不穏文書から撫順、奉天、旅順等各地に手配し大連においては大連検察局に池内検察以下大連沙河口 水上西岡 子各署長会合検挙方針を協議し協議纏るや、十月二十八日午前六時を期し、山口慎一、近藤勝十郎、岩根正雄、中村秀雄、矢部猛雄、加藤正、安藤光子、島崎恭爾、片岡三郎、村上正、松田豊、崎山信義、古川哲次郎、浜田玉枝、後藤幸、西静子等の容疑者を一斉検挙すべく池内検察官の命令一下午前五時五十分各班自動車に分乗検挙に着手したが、すでに検挙を知った一味の内主要分子は逸早く逃走、辛うじて容疑者の約半数を逮捕し厳重なる取調べを行ったが、彼等には「鉄の規則」なる極めて古格なる秘密厳守の規律があって容易に供述せず何等証拠となるべき収穫なく遂に捜査方針を建直し千葉警部主任となり吉富警部補を次席として苦心惨憺捜査続行の結果、十一月四日に至り首魁松崎をはじめ一味全部を一網打尽したのであるが、この間捜査に従事した警察官の苦心は筆舌に尽せぬ程で活動を地でゆく大格闘の末逮捕したもの、中には拳銃を所持しているものもあったが、警官隊の敏速なる行動により幸いに一人の犠牲者も出さなかった。
神戸生れの女性も交る起訴者二十名
起訴公判に附された者は左記二十名であるが昭和三年の満洲秘密結社事件に連座し禁固処分に処せられ目下執行猶予中の者七名大連郵便局電信課員五名他は満鉄社員および商店員等で中に五名の女性も交っている。
▼大連市伏見町一一(熊本生)松崎簡(二六)▼大連市久方町五(岡山生)元満鉄社員松田豊(三九)▼大連市加賀町(長崎生)大連郵便局電信調員小林哲次郎(二三)▼大連市桂町一八(福岡生)会社員田中貞美(二六)▽大連市乃木町一一(島根生)大連郵便局電信課員鶴見貞信(二一)▼大連市真金町一三(鳥取生)元大連ツーリストビューロー社員岡村満寿(二六)▼大連市加賀町一五(福岡生)元満鉄タイピスト豊田〇音(二二)▼大連市弥生町二六(神戸生)井上喜久枝(二二)▲大連市須磨町一(山口生)元満電車掌川村丙午(二七)▼大連市初音町二三〇(岐阜生)広瀬進(二七)▼大連市加茂川町一五(佐賀生)元満鉄タイピスト西静子(二二)▼大連市住所不定(三重生)小林周三(二五)▼大連市松林町三九(大分生)大連郵便局電信課員後藤幸(二二)▼撫順本郷町六丁目一(京都生)出口重治(二六)▼大連市淡路町一三(熊本生)大連郵便局電信課員浜田玉枝(二四)▼大連市栄町一ノ七四ノ一〇(宮城生)元満鉄埠頭事務所員草刈モト(二〇)▼大連市伏見町一四(東京生)崎山信義(二八)▼大連市沙河口霞町一九(広島生)沙河工場職工末光末雄(二二)▼大連市沙河口三一益済寮(鹿児島生)沙河工場職工上別府親志(二三)▼大連市伏見町(熊本生)大連郵便局電信課員鶴田俊雄(二一)
以上の20人のうち19人が20歳代の若者である。彼らは明治天皇の教育勅語ではなくコミンテルン(ソ連共産党国際部)のテーゼに服従していたのである。
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<関連ページ>
・仏教の勝利を宣言する1925年の仏教遭難史論
・戦後の日本共産党、日教組、朝日新聞が最悪の虚偽宣伝集団であることを暴露する大東亜戦争とスターリンの謀略-戦争と共産主義
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