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MBSニュース 2/22(金) 19:05配信
兵庫県宝塚市が障がい者政策に関する公文書などで「障害者」の「害」の字の使用をやめ、来年度から「碍」という字を全国で初めて使うと発表しました。
市民によるバイオリンとピアノの優雅な演奏で始まった2月15日の宝塚市議会。”歌劇の町”らしい文化・芸術の香りが漂います。そして始まった中川市長の施政方針演説。市長がひときわ力を込めたことは…
「この度、全国で初めて市が作成する公文書などで障がい者などの『がい』の表記に『碍』の字を使用することに決めた」(宝塚市 中川智子市長)
宝塚市役所では現在、「障がい者」の「がい」をひらがなで表記していますが、法律や施設名などで決められている場合は漢字の「害」を併用しています。
「『害』は、弊害とか危害を加えるとか、有害物質だとか公害とか」(中川智子市長)
中川市長が打ち出した「碍」は常用漢字ではなく一般になじみのない字ですが、「行く手を妨げる」という意味があるのです。
宝塚市のこの方針に背中を押した人物が市内の老人ホームで暮らしています。それは、豊田徳治郎さんで、阪神・淡路大震災のあとに軽度の統合失調症になった息子さんがきっかけだったといいます。
「障がい者手帳をもらってきたんですけど、その手帳を見たら『害』になっていて…」(豊田徳治郎さん)
わが子の障がい者手帳の表記に違和感を覚えた豊田さんは資料や文献を調べました。「碍」は「融通無碍」の「碍」。この言葉は仏教由来といわれていて、ここにこの漢字が埋没した理由があるのではないかと考えました。
「明治の政府が廃仏毀釈の流れの中で他の字に変えられないかと。『害』で発音が同じですね」(豊田徳治郎さん)
そんななか去年、事態は動き出します。2020年の東京パラリンピックを控え、国会は障がい者スポーツの促進にスポットを当て、否定的なイメージのある「害」の字とは違う表記の検討を政府に求める決議を行いました。
「衆参両院で常用漢字には入れないけれど地方自治体・団体が「碍」を使うことを妨げない。豊田さんと大喜びして、これで変えることができると」(中川智子市長)
今回の宝塚市の方針を当事者たちはどうみているのでしょうか。
Q.「碍」の使用については?
「災害の『害』よりは断然良いと思います」(就労支援施設の利用者)
「(表記の)変更だけでは表面的なものですが、社会がかわっていく前進した一歩になってると思います。隔たりがない社会の実現というのは本当にみえてきてると思うんです」(OMOIYARI+1 住山利恵代表)
漢字一文字の変化が社会の意識のさらなる変化につながれば・・・。全国初の試みは新年度、今年4月から始まります。
この記事中の豊田徳治郎の「考え」は全て虚偽で、住山利恵の「思い込み」は酷い誤解である。
中外商業新報 明治45年(1912.6.12-1912.6.16)記事「革命来の茶業界」は、「革命来の茶業界支那茶に又も着色の火の手上らんとする際日本茶は之を絶好機会とし飽迄純無色の標榜の下に支那茶の投機的計画を敵本主義に依りて逆捻を喰わしむるの心掛け無くんばあらず、誤って支那茶の尻馬に乗らば啻に農商務省令乃至組合規約の違犯者たる而己ならず惹て日本茶の進路に払拭す可からざる由々しき障碍を造ることともなる可し、畏れて警めざる可けんや。」と報じていた。この記事中の「障碍」の意味は明らかに「行く手を妨げる」である。
また各国ニ於ケル精神病問題(内務省衛生局保健衛生調査室 編/大正8年[1919年]発行)134ページに「精神障礙者」が出ている。碍は礙の俗字(社会一般に普通に用いられてはいるが、規範的観点からみて正しくないとされる漢字)である。
救護法(昭和4年法律第39号)
第一章 被救護者
第一条 左ニ掲グル者貧困ノ為生活スルコト能ハザルトキハ本法ニ依リ之ヲ救護ス
一 六十五歳以上ノ老衰者
二 十三歳以下ノ幼者
三 妊産婦
四 不具廃疾、疾病、傷痍其ノ他精神又ハ身体ノ障碍ニ因リ労務ヲ行フニ故障アル者
官報号外昭和四年三月十七日衆議院議事速記録第三十四号救護法案第一読会にも「身体の障碍」と記述されている。昭和4年(1929年)の法律と官報に「障碍」という文字が存在するのである。
中外商業新報 昭和4年(1929.1.1)記事「救貧制度の整備 次に来るべきは防貧問題」は「救護を受くる者は(一)六十五歳以上の老衰者(二)尋常小学校の教科を終了せざる十四歳未満の幼者(三)妊産婦(四)不具癈疾其の他精神又は身体の障碍に依り労務を行うに故障のある者である。」と報じた。
しかし大阪毎日新聞 昭和6年(1931.2.1)記事「飢餓線上の九万人を救う恵みの法律 生活の糧と医療費を与える 問題の救護法とは?」は、「救護法とはどんなものか?六十五歳以上の老衰者、十三歳以下の幼弱者、妊産婦、不具廃疾、傷痍者または精神身体の障害のために労働能力がなく扶養義務者もなく生活の飢餓線上を彷徨する社会のドン底生活者に対し最小限度の生活を保障し無料で医療を施し助産を授け特殊のものには生業扶助をもなすもので社民党の母子扶助法よりは一廻り範囲が広いもので、まさに貧困者に対する恵みの神の如きものである」と報じた。
つまり大阪毎日新聞は勝手に救護法条文中の「身体の障碍」を「身体の障害」に置き換えて報道していたのである。
また大阪朝日新聞昭和2年(1927.11.2)記事「児童保護事業の要綱漸く成る 国補や低資融通により きのう社会事業調査会で発表」は、内務省社会局社会事業調査会の特別委員会が作成した「児童保護事業の要綱」について「八、異常児童保護、不具児童の保護教養精神薄弱児童の保護に関しては不良少年および犯罪者の発生予防人種改良等により考察してこれが制度を樹立すること極めて必要なるも本問題は一般精神障碍者保護と併せ考究するを適当と認む」と報じていた。
神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫には「障碍」という二文字を使った戦前の新聞記事が数多く有り、「障碍」も「障碍者」も大日本帝国(帝国憲法下の日本)の政府と議会と新聞社によって使用されており、第二次世界大戦前の日本国内で「碍」という漢字は全く埋没していなかった。
豊田徳治郎は朝日新聞社に応援されてポリコレ棒を振るう老人だが、日本社会事業大学名誉教授の佐藤久夫から筆者と同様の指摘を受けて、tokujirouの日記2019年2月16日記事に「筆者はこれまで第二次世界大戦終戦後、傷痍軍人や傷病兵、その他障碍のある人たちを対象に、欧米式概念の一つである福祉施策を実施するに当たり、その必要から戦後生まれた表記ではないかと推測してきた。そして、1932年にできた救護法の文中にある「精神的又は身体的障碍のある者」との記述を「障碍者」の原型と位置付けてきた。ところが、最近になって、佐藤久夫先生より、戦前の学術論文の中に「障碍者」と「障害者」両方の記載例が見つかりましたとのご指摘を受けた。(中略)
『障碍者』表記の出現時期については、これまで《戦後》だと申し上げてきましたが、潔く《昭和初期》に訂正させていただきます。」と述べているのに、MBSニュース は豊田老人の訂正を報じなかった。
MBSが報じない理由は、おそらく障碍者の再使用が、MBSや毎日新聞社が普段排撃する「戦前回帰」「復古」にあたるからであろう。
障碍や障碍者は敗戦前の我が国の政府議会新聞によって使用されていたが、昭和21年(1946年)11月16日に内閣が漢字の全廃を狙い告示した「当用漢字表1850字」から「碍」が外れた結果として、戦前の「障碍者」と「障害者」との併用は、敗戦後に「障害者」と「障がい者」との併用に取って代わられたのである。しかし豊田徳治郎のポリコレ運動が奏功し、72年の歳月を経て宝塚市の公文書に「障碍者」が復活する。これは「戦前回帰」であるのに、MBSはこれを非難するどころか、ニュースの結論として「障碍者」の復活を歓迎する(就労支援施設の利用者)と(住山利恵代表)の意見のみを報じた。
つまりMBS(毎日放送)は自分たちの都合の良いように極めて恣意的に戦前回帰(復古)否定と戦前回帰肯定を使い分ける二重基準使いであり、その自分たちの卑怯さと醜悪さを隠蔽するために、「障碍」「障碍者」という漢字熟語の歴史と豊田徳治郎の訂正を故意に報道しなかったのであろう。
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