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61、大戦を最後まで戦い抜くために
ゾルゲ事件に連座した海江田久孝が聞いたという目黒署の看守の話によれば、昭和十六年十月十五日早朝に検事局の玉沢光三郎検事と警視庁の中村絹次郎特高課長らによって逮捕された尾崎秀実は、目黒署で取り調べられた時に高橋与助警部から五日間に亘り酷い拷問を受け取調室から留置所まで這って帰らなければならなかったという。しかし元警視庁特高係長の宮下弘は、
「ひっぱたく程度のことはあったかもしれないが、留置所まで這って帰るなんてことは考えられない。だいたい本人がスパイであることはその日のうちに私が自白させたのだから、その後の取調べで拷問する必要は無いし、するはずもない。根本的な自供の後は、細かく調書を取るのに時間がかかるだけですから」
と述べ、海江田の記述内容を否定した。
宮下弘の回想によると、十五日の正午から目黒署で尾崎秀実を取り調べ始めた宮下係長は、尾崎の住所録に宮城与徳の名前が無いことに着目し、
「あなたがしばしば会っているはずの人物がいる。しかしその人物の名前はあなたのアドレスブックにもないし、交友関係その他の供述の中にも出てこない。これは一体どういうことですか」
と問い質したところ、尾崎は黙って下を向き質問に答えなかった。そこで宮下は机を叩き、
「君の論文や何かで取り調べているのではない、ソ連あるいはコミンテルンのスパイとして、いま君を取り調べているのだ!日本が戦争をしている時にスパイをやっている人間を容赦するわけにはいかんのです!」
と叫ぶと、全てを悟った尾崎は真っ青になって椅子から崩れ落ち、三十分の沈黙後、観念して椅子に這い上がり、
「スパイ、スパイとそう決めつけないでください。私はただスパイをやった人間と言われたのでは浮かばれない、私は政治家です、政治家であることをまず認めてください」
と宮下に懇願したという。それで宮下弘は昭和十七年八月の特高月報ゾルゲ事件報告書に、
「ソビエト・ロシア及中国共産党の覇権を握れる支那並に之と提携し得る日本の新体制の実現のあかつきには、ソ連邦首脳及中国共産党幹部の信頼厚き尾崎は其の首班たり得べしとの妄想を逞うし居りたるものなり」
と記載したのである(1)。
尾崎秀実は、支那事変の勃発からゾルゲ事件の発覚に至るまで、近衛文麿の最高政治幕僚として近衛に助言し或いは進歩的な支那問題の権威として多数の戦時論文を発表し、大衆世論を煽動し、我が国の国策を思うままに操り、「東亜新秩序」「東亜協同体」の実現を目指してきた。それなのに自分がゾルゲに従属して日本の機密情報をソ連に漏洩した単なるスパイとして官憲によって処刑され、単なる売国奴という汚名を後世に遺すという屈辱に、おそらく尾崎は耐えられなかったのであろう。
尾崎秀実は、自分が確固たる政治的識見と将来への展望を持つ偉大な政治家であることを誇示し証明するかのように、検事・司法警察・予審判事の訊問に対して、尾崎が昭和十年(一九三五)に想定するに至った「東亜新秩序」構想を自白したのである(2)。尾崎は獄中調書の中で、
「私は第二次世界戦争は必ずや、第一次世界大戦に続いて再び帝国主義諸国間の世界分割に終ることなくして、世界変革―世界共産主義革命が完全に成就しない迄も決定的な段階に達することを確信するものであります。今次の世界戦は資本主義社会の総決算たるべき運命を背負ったものであろうと確信致して居るのであります。」
と断言し、その理由として
一、世界帝国主義相互間の闘争は結局相互の極端なる破壊を惹起し、彼等自体の現存社会経済体制を崩壊させる。
帝国主義陣営は型通り、正統派帝国主義国家群とファッショ派帝国主義国家群とに分裂しているが、此の場合戦争の結果は両者共倒れとなるか、又は一方が他方を制圧するかであり、敗戦国家に於ては第一次世界大戦の場合と同様プロレタリア革命に移行する可能性が最も多く、又仮令一方が勝残った場合でも戦勝国は内部的な疲弊と敵対国の社会変革の影響とに依って社会革命勃発の可能性がある。
二、共産主義国家たる強大なソ連邦の存在。
三、植民地、半植民地がこの戦争の過程を通じて自己解放を遂げ、その間に或る民族に於ては共産主義的方向に進む。少なくとも支那に対しては斯る現実の期待がかけ得られる。
を挙げた。
そして尾崎秀実ら共産主義者が目指す理想は「世界大同」であり、「国家的対立を解消して世界的共産主義社会の実現すること」である。なぜならば、マルクス・レーニン主義を信奉する尾崎によれば、帝国主義政策の限りなき悪循環すなわち戦争から世界の分割、更に新なる戦争から資源領土の再分割という悪循環を断ち切る道は、「国内に於ける搾取被搾取の関係、国外に於ても同様の関係を清算した新なる世界的な体制を確立すること以外にありません。即ち世界資本主義に代わる共産主義的世界新秩序が唯一の帰結として求められ、全世界に亘る完全な社会主義計画経済が成立して始めて完全な世界平和が成立すると思われる」からである。
そして以上の如き予想に基いた現実の形態と更にこれに対処する方式として尾崎がしきりに心に描いたことは、
「第一に、日本は独伊と提携するであろうこと。第二に、日本は結局英米と相戦うに至るであろうこと。第三に最後に我々はソ連の力を藉り、先ず支那の社会主義国家への転換を図り、これとの関連に於いて日本自体の社会主義国家へ転換を図る」
ことであり、第二次世界大戦における日本の進むべき道として次のように述べた(3)。
「日本は結局に於て英米との全面的衝突に立ち至ることは不可避であろうことを夙に予想し得たのであります。勿論日本はその際枢軸側の一員として立つことも既定の事実でありました。此の場合日本の勝敗は単に日本対英米の勝敗によって決するのではなく枢軸全体として決せられることとなるであろうと思います。日本は南方への進撃に於ては必ず英米の軍事勢力を一応打破し得るでありましょうがその後の持久戦により消耗が軈て致命的なものになって現れ来るであろうと想像したのであります。而も斯かる場合に於いて日本社会を破局から救って方向転換乃至原体制的再建を行う力は日本の支配階級には残されて居らないと確信しているのであります。結局に於て身を以て苦難に当たった大衆自体が自らの手によって民族国家の再建(註、敗戦革命のこと)を企図しなければならないであろうと思います。
ここに於いて私の大雑把な対処方式を述べますと、日本はその破局によって不必要な犠牲を払わされることなく立ち直るためにも、又英米から一時的に圧倒せられないためにも行くべき唯一の方向はソ連と提携し、これが援助を受けて、日本社会経済の根本的立て直しを行い、社会主義国家としての日本を確乎として築き上げることでなければならないのであります。日本自体のプロレタリアートの政治的力量も経験も残念ながら浅く、而も充分な自らの党的組織を持たないことのためにソ連の力に待つ点は極めて多いと考えられるのであります。英米帝国主義との敵対関係の中で日本がかかる転換を遂げる為には、特にソ連の援助を必要とするでありましょうが、更に中国共産党が完全なヘゲモニーを握った上での支那と、資本主義機構を脱却した日本と、ソ連との三者が緊密な提携を遂げることが理想的な形と思われます。以上の三民族の緊密な結合を中核として先ず東亜諸民族の民族協同体の確立を目指すのであります。東亜には現在多くの植民地、半植民地を包括しているので、この立ち後れた諸国を直に社会主義国家として結合することを考えるのは実際的ではありませぬ。
日ソ支三民族国家の緊密有効なる提携を中核として更に英米仏蘭等から解放された印度、ビルマ、タイ、蘭印、仏印、フィリッピン等の諸民族を各々一個の民族共同体として前述の三中核体と政治的、経済的、文化的に密接なる提携に入るのであります。この場合それぞれの民族共同体が最初から共産主義国家を形成することは必ずしも条件ではなく過渡的には夫々の民族の独立と、東亜的相互連環に最も都合良き政治形態を一応自ら択び得るのであります。尚此の東亜新秩序社会に於ては前記の東亜諸民族の他に蒙古民族共同体、回教民族共同体、朝鮮民族共同体、満洲民族共同体等が参加することが考えられるのであります。
申すまでもなく東亜新秩序社会は当然世界新秩序の一環をなすべきものでありますから世界新秩序完成の方向と東亜新秩序の形態とが相矛盾するものであってはならないことは当然であります。
世界的共産主義大同社会が出来た時に於ては国家及び民族は一つの地域的、或は政治的結合の一単位として存続することとなるのでありましょう、かくの如く私は将来の国家を考えているのであります。この場合所謂天皇制が制度として否定され解体されることは当然であります。しかしながら日本民族のうちに最も古き家としての天皇家が何等かの形をもって残ることを否定せんとするものではありません。」
この尾崎の獄中訊問調書は、尾崎が改造昭和十六年十一号に発表した最後の戦争煽動論文「大戦を最後まで戦い抜くために」に秘められた尾崎の真意をいつまでも日本国民の眼前に浮き上がらせてくれる。この論文の中で尾崎秀実は、まず緊迫する日米の和平交渉中にアメリカが和平に可成りの関心を抱いている理由として、
一、アメリカが対独宣戦を決行するためには太平洋の艦隊を大西洋に廻す必要があり、日本艦隊によってその間隙を衝かれることを恐れる。
二、シンガポールが攻略せられる場合は大英帝国のアジア支配の紐帯が根底から断ち切られることとなり、やがては一定期間の後必ず英国の植民地支配がくつがえることとなる。これは直ちにアメリカにとっても味方の陣営崩壊を意味する。
三、アメリカは今日ドイツを抑えるためにソ連を極力援助する態勢を示している。しかしながらもしもかりにこれに成功した場合を考えるならばソ連の勢力は抑制し難く強大となる道理である。ソ連に対する勢力はかかる場合には日本以外に存在しない。
の三点を挙げ、「第三の論理は、現在よしそれがいわれなく見えるにしても遠謀ある世界旧秩序の指導部の考慮の外に置かれる筈はないのである」と述べ、アメリカ国内に、フーバー元大統領らによって提唱されたが、戦時中は政府に理解されず、戦後になって高い評価を受けた「反ソ親日の反戦論」が存在することを指摘していたのである。モスクワを通じた日米間の共産主義者の連絡や情報交換が行われていたのであろう。
だが尾崎は、アメリカに対日宥和政策を欲する理由があるにせよ、アメリカと「一瞬又一瞬切実の度を刻む」経済制裁を受ける日本との間には、甚だしい認識、要求の差違があることを指摘して、日米和平交渉の決裂を示唆した後、日本国民が直面する第二次世界大戦の本質を述べた。
「我々はここに当面の問題をしばし離れて現在の世界が当面する事態を更に一層深く観察する必要を感じる。
欧州に戦争が始まった時人々はこれを英独の決闘であると見た。しかしながらソ連をも捲きこんだ現在ではこれを第二次世界大戦と見ることに何人も意義を挿まないであろう。私見では、これを世界史的転換期の戦と見るのである。
英米陣営では独ソ戦が起った時、ひそかに英米旧秩序陣営の勝利に導くものとしてほくそ笑んだのである。この種の見解はひとり英米陣営側のみならず中立的陣営乃至反対側にすら多少浸透しつつありと見られる理由がある。英米側は旧秩序の再建―修正的復元―を夢みつつある。しかしながらこれは全くいわれなきことであって、それは今次の大戦の勃発するにいたった根本の理由を見れば明かなことである。
旧世界が完全に行詰って、英米的世界支配方式が力を失ったところから起った世界資本主義体制の不均衡の爆発に外ならないこの戦争が、英米的旧秩序に逆戻りし得る可能性は存在しないのである。戦争はやがて軍事的段階から社会、経済的段階に移行するであろう。
この点についての詳細な論究は他日に譲るとして、以上のことと関連して我々は政治指導部に希望したいことがある。
当局は日本国民を率いて第二次世界大戦を戦い切る。勝ち抜けるという大きな目標に沿うて動揺することなからんことである。日米外交折衝もまたかかる目的のための一経過として役立たしめた場合にのみ意味があるものといい得る。又今日日本には依然として支那問題を局部的にのみ取扱わんとする見解が存在している。これは世界戦争の最終的解決の日まで片付き得ない性質のものであると観念すべきものであろう。
私見では、第二次世界戦争は『世界最終戦』であろうとひそかに信じている。
この最終戦を戦い抜くために国民を領導することこそ今日以後の戦国政治家の任務であらねばならない。」
尾崎秀実が、第二次世界大戦を「世界史的転換期の戦」と言ったのは、世界資本主義から共産主義的世界新秩序への転換の為の戦だという意味である。だから尾崎は「この戦争が英米的旧秩序(英米資本主義体制)に逆戻りする可能性はない」と言うのであり「戦争はやがて軍事的段階から社会、経済的段階に移行する」というのは、戦争がやがて敗戦、内乱、資本主義の自己崩壊から、共産主義革命(敗戦革命)へ移行するという意味であり、「支那問題は、世界戦争の最終的解決の日まで片付き得ない」というのは、中国共産党が支那大陸のヘゲモニー(覇権)を完全に握るまで日本は支那事変を解決できないという意味である。そして尾崎が第二次世界大戦を「世界最終戦」と言ったのは、この戦争を経て世界資本主義が総決算となり共産主義的世界新秩序が必ず実現するので、レーニンが断言したごとく(後述)、資本主義の不可避な一部である戦争も消滅し、第二次世界大戦が人類の経験する最後の戦争となるという意味である。
おそらく尾崎秀実は、自分を大喝した石原莞爾の姿を脳裡に浮かべながら、石原の「世界最終戦論」が想定する時期よりも早く、人類の理想である世界恒久平和を実現してみせるという尾崎自身の決意を込めて、「大戦を最後まで戦い抜くために」を執筆したのであろう…。
そして尾崎が、石原と同様に「日本は南方への進撃に於いては必ず英米の軍事勢力を一応打破しうるでしょうがその後の持久戦により消耗が致命的なものとなって現れ来るであろう」と想像し、「而もかかる場合に於て日本社会を破局から救って方向転換乃至原体制的再建を行う力は日本の支配階級には残されて居らない」と確信しながら、「大戦を最後まで戦い抜くために」と題する公表論文中では、政治指導部に対して「当局は日本国民を率いて第二次世界大戦を戦い切る。勝ち抜けるという大きな目標に沿うて動揺するな」と希望したのは、日本の対米英戦が敗戦革命に移行し、日本が共産主義化するまで戦争をやめるな、完遂せよという意味である。
東條英機は、近衛文麿に代わり、国民を領導して対米英戦を戦い抜き、我が国を敗戦革命に追いやるという戦国政治家の任務を背負わされたのである(4)。
大命降下後、東條は明治神宮、東郷神社、靖国神社を歴拝した。我が国の神々の御加護を得て白紙還元の御諚を実現し日米和平交渉を妥結しようと決意を固めたのであろう。彼は和平論者の東郷茂徳に外相として入閣するよう要請した。東郷は、
「陸軍が支那駐兵について従来の様な強硬態度を続けるなら、外交交渉は不可能に決まっているから、外相は引き受けられぬ」
と断ると、東條は、
「支那駐兵の問題を含め、日米交渉上の諸問題は再検討されるべきであり、陸軍も合理的基礎の上に協力する」
と確答し、東郷は外相就任を受諾した。さらに蔵相就任を要請された賀屋興宣は東條に個別会談を求めて、
「貴下は日米開戦を決意しているのかどうか、内閣と統帥部との間に一致を欠くとの世評があるが、これでは日米和平交渉の成立も平和の維持も覚つかないが、貴見いかに」
と尋ねると、東條は、
「日米開戦を決意しているようなことは全くない。反対に、日米交渉に努力して何とか成立を期したいと思っている。また政府と統帥部の協調一致について十分努力するつもりである」
と明答し、賀屋に蔵相就任を受諾せしめ、さらに東條自身が陸相と内相を兼務することを決意した。これは、東條内閣が「和平」と決定する場合に、陸軍内の統制を維持し国内の混乱に対処する為の措置であった(5)。十七日朝日新聞朝刊の有題無題欄は、
「国民の覚悟は出来ている。ひじきの塩漬で国難に処せんとする決意はすでに立っている。待つところは『進め』の大号令のみ」
と一般国民はおろか政府に対しても日米開戦を煽動しており、東條首相は日米和平に反発する大衆暴動の発生を予想していたからである。
(1)宮下弘【特高の回想】二一二~二二二頁。
(2)【現代史資料ゾルゲ事件2】一二八頁。
(3)三田村【戦争と共産主義】二一一~二三五頁。
(4)【尾崎秀実著作集3】二六七~二六八頁。三田村【戦争と共産主義】一九四頁。
(5)伊藤隆【東條内閣総理大臣機密記録】四七八頁。
所長は、さらに【鈴木内閣の失策】に「80、昭和天皇とローマ法王庁」を追加し、【大東亜戦争の本質】 に「97、戦闘休止後の戦争」を追加しました。
<関連記事>
・所長の戦史を読み謀略史観を重視する歴史家に転向したものすごく有名なプロの歴史学教授(元防大教授)の著書イズムから見た日本の戦争 ―モンロー主義・共産主義・アジア主義
・Bose: The Indian Samurai - Netaji and the Ina a Military Assessment

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