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だが廊坊事件(二十五日)に続いて広安門(二十六日)事件が勃発した。北平(北京)の邦人居留民を保護する為に北平城内の日本兵営に向かった日本軍が中国軍の同意を得て北平外城広安門を通過し始めたところ、中国軍が突如として城門を閉鎖し、日本軍部隊を城門の内と外に分断し、日本軍に手榴弾と機関銃の猛射による不意打ち攻撃を加えてきたのである。
廊坊広安門事件勃発の報を聞くや、病欠の参謀次長(今井清中将)を代行する石原作戦部長は「もう内地師団を動員する外ない、遷延は一切の破滅だ」という悲痛な叫び声を上げ、
「万一北支在留邦人二十万の保護に欠くるところあり、シベリア出兵当時の尼港の惨劇をくりかえしては、軍の面目に関する重大問題である。三個師団の動員、これが最大限だ。これで一応喰い止め、南京政府と早期和平を期すべきである」
と述べて遂に不拡大方針の撤回と北支への援軍派遣を決定した。二十七日、近衛内閣は七月十一日に発表した北支派兵案を閣議決定し、第七十一回帝国議会(憲法第四十三条に基づく臨時会、七月二十五日開院式、八月八日閉院式)に昭和十二年度歳入歳出総予算追加案(北支事件に関する経費)と北支事件に関する経費支弁の為公債発行(金額九千六百万円)に関する法律案を提出(いずれも可決)、参謀総長が支那駐屯軍司令官の香月清司中将に宛てて「平津地方の支那軍を膺懲して同地方主要各地の安定に任ずべし」という命令を発し、二十八日、香月中将が中華民国第二十九軍に開戦を通告、我が軍は北平を占領したものの、北平を追われた第二十九軍長の宋哲元から蜂起指令を受けた冀東自治政府保安隊が、二十九日、通州に居留する邦人三百八十五人のうち幼児を含む二百二十三名を惨殺したのである。
八月三日の貴族院本会議において杉山元陸軍大臣は、約百名の我が通州守備隊が二十九日午前三時過ぎに突如として日本兵営の四周から襲来した二千名以上の冀東保安隊に応戦、三十六時間以上にわたり頑強に抵抗し、守備隊の苦戦を知った支那駐屯軍の救援部隊が三十日午後四時二十分に通州に到着、直ちに残敵を攻撃して市内の掃討を行い漸く各城門を占領できたことを説明した後、居留民の被害について次のように報告した(2)。
「爾来私共は居留民の安否について非常に憂慮を致しておったのでありまするが、電信電話線はことごとく切断をせられ、無線通信も何ら応答なく飛行機もまた天候および敵兵に阻まれて利用することが出来ませぬ。加うるに北平、通州間には敗残兵が出没致しまして連絡することが出来なかったために、情況不明で焦燥と憂慮の中に経過をして居ったのでありまするが、三十一日の夕方になりまして、漸く居留民六十名を収容し得たけれども、他は不明であると云うことだけを知り得たのであります。
爾後種々真相の調査に努めましたのでありまするが、現地におきましては敵の行動、天候、地形等に妨げられまして、人を派遣することも出来ず、漸く昨二日飛行機にて通州に赴きましたる軍司令部の幕僚の報告に依りまして、概ね其の真相が判明いたしました次第であります。
これによりますると、我が居留民は市内各所に散在して居りまして、事件の勃発しまするまでは何ら其の兆候を認めませぬで居りましたので、各々自宅に居りましたる為に敵の恣に襲撃する所となりまして、多数は殺害せられたるもののようでありまするが、中にはよく敵の手を遁れて守備隊へ辿り着いた者もありました。敵は我が居留民に対しまして、言語に絶する暴虐なる行動を敢えて致しまして、其の大部分を城門外に拉致いたしまして、これを惨殺をし、その残忍なる行為は誠に耳目を掩わしむるものがあります。昨二日衆議院におきまして我が守備隊に収容せられましたる居留民は約百八十名と申したのでありまするが、昨日の調査の結果に依りますると、二日の夕刻までに収容し得ましたものは内地人が男四十名、女二十名、子供十一、鮮人が男十四名、女二十一名、子供十八名、合計百二十四名でありました。その時までに発見収容いたしましたる死体の数は約百三十であります。なお残余の者の行方は未だ不明であります。
我が特務機関は二十九日午前三時頃敵の襲撃を受けましたので、細木機関長は冀東保安隊を自ら慰撫鎮圧せむと致しまして、冀東政庁に赴きまする途中に、政庁前において悲壮なる戦死を遂げたのであります。又機関員一同は甲斐少佐の指揮の下に防戦に努めましたが衆寡敵せずその大部は遂に壮烈なる戦死を遂げたのであります。なお守備隊その他の死傷は、戦死十八名、負傷十九名であります。目下通州におきましては、治安の維持も略々確実となりまして、引き続き行方不明の居留民を捜索中であります。
本事件は殷汝耕の最も信頼をしておりまする教導総隊が支那軍の煽動に幻惑せられまして、第一、第二総隊の一部をも誘い込みまして惹起をした兵変でありまして、全く予想をせなかった所であります。この事件が二十八日の夜の天津における夜襲と同じ日に起こっていることに徴しましても、第二十九軍の計画的暴挙であることは明瞭であるのであります。反乱の保安隊は三十日北平北方に逃走いたしまして、第二十九軍に合せしむと致したのでありまするが、我が軍はこれを北平北方におきまして攻撃して、約一千名を武装解除をいたしました。しかしながら無辜なる多数の同胞が暴戻残虐なる支那兵の手に掛かりまして、悲惨なる最期を遂げるに至りましたことは誠に残念至極で、私の最も遺憾とするところでありまして、この度犠牲となられた方々に対して、衷心より哀悼の意を表するものであります。」
この通州事件が我が国の世論を激昂させる渦中にあって、石原作戦部長は、無策のままでは早期和平方針を達成できないと判断し、最後の切り札として近衛首相に、
「北支の日本軍は山海関の線まで撤退して不戦の意を示し、近衛首相自ら南京に飛び、蒋介石と直接会見して日支提携の大芝居を打つ。これには石原自ら随行する」
と進言したものの、近衛と風見章内閣書記官長に拒絶されてしまった(3)。九月末、石原莞爾少将は「今のままでは日本は四つの島だけになるだろう」という予言を残し、杉山陸相によって関東軍参謀副長に左遷された。
さらに石原莞爾は、満洲国政府に対する関東軍の内面指導の撤回を強く主張したものの(6)、磯谷廉介参謀長ら司令部幕僚の賛同を得られなかった。自責の念に駆られた石原は、関東軍司令官の植田謙吉大将に「軍の政治退却に関する意見」と「予備役仰付願」と「病気静養のための休暇願」とを提出し、八月十八日、協和服を身にまとい飄然と満洲国を去り東京帝大附属病院に入院した。石原は、あくまで陸軍から退くことを願ったが、多田駿参謀次長と板垣征四郎陸相によって慰留され、十二月五日、失意のまま舞鶴要塞司令官という閑職に左遷されてしまった。
(2)官報号外昭和十二年八月四日貴族院議事速記録第七号通州に於ける事件に付陸軍大臣の報告。
(6)【石原莞爾資料国防論策編】二三九~二四三頁「関東軍司令官の満洲国内面指導撤回に就いて」
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所長様にお伺いしたいことが一点あります。
現在、安倍首相が憲法9条に自衛隊を明記しようとしていますが(この改正も小手先だけで何の解決にも「ならないような気がしますが)、仮に改正されても帝国憲法は復活できるのでしょうか?
先ほどは間違えて送信してしまい申し訳ありません。
ただ帝國憲法復原改正増補の政治的な可能性は限りなくゼロに近づくことになるでしょう。そして警察か軍隊かよくわからない自衛隊を明記するだけの、国防強化に全く役立たないバカげた改正占領軍憲法9条を有効というために、安倍自民党とその支持者は、第96条を含めた占領軍憲法を有効と言わなければならなくなって、有効論の弊害である歴史の偽造と立憲法理の否定がもっと酷くなるでしょう。
やはり、法理上は可能だが、政治的に厳しくなる事態になるわけですか。それは厳しい状態になりますね。安倍晋三が役に立たない憲法九条改正に手を出すぐらいなら、このまま何もしないのが望ましいのかもしれません。正直、彼は慰安婦問題といい徴工問題といい、いざという時役に立ちません。
やはり、国民に占領憲法無効論を周知させることが重要ですね。ですが、我が国の憲法学界がこれを許さぬ邪魔者になっているのが問題です(中川八洋氏も日本国憲法を戦勝国との条約と認識し過去は無効にできたと思っているのに、無効をしようと言わないのは驚きです)。