2007年06月07日

支倉常長(田中英道著ミネルヴァ書房)

 近代史の闇をえぐる希有なる快著が登場したそうです。  

 これほど待望された論考は、個人的にいっても珍しい。

 支倉常長(1571--1621)を論じながら、じつは田中英道氏は日本史においてひどく誤解され、真実がもっとも理解されていない影の部分、それこそ歴史の闇に埋もれた事実を世界史的パースペクティブの視野から鮮やかに照射してみせる。これは後世に伝えなければいけない歴史の真実なのである。

 いったい秀吉の朝鮮出兵は日本の」侵略」だったのか?

 これは今日の国際政治学でいうところの「予防的先制攻撃」(Pre-Emptive)ではなかったのか。

 評者(宮崎)のかねてからの疑念である。

 この謎をとく重要な鍵を握るのが支倉常長である。かれの訪欧という冒険的な大航海と、その旅行にまつわるスペイン・ポルトガルという往時の覇権国家 vs プロテスタント新興国家群との諜報合戦を背景に据えて、緻密な考証のもとに興味尽きない分析へと我々を導く。

 左翼歴史家やおざなりの歴史学者、「南蛮資料読み屋」らが俗耳に入りやすいだけの安易な通説を蔓延らせ、それらが戦後日本の知的世界にも罷り通り、支倉使節の訪欧(日本外交の勝利)という大事な部分は歪められた。

 ひどい解釈となると、「秀吉は個人的野心を満たすため朝鮮侵略を思いついた」ということになる。NHKの大河ドラマまで、そんな暴言的な台詞を俳優が吐いていて驚く。左翼史家が末端のシナリオライターにもいるからであろう。

 近世のとば口の日本で、権力構造の背後に蠢いたイエズス会の日本侵略の軍事的野心という動かし難い事実は、完全に看過されている。

 問題点を幾つかに分けて整理してみよう。
 
 第一は世界大航海時代という視野である。支倉常長は「マルコポーロと並ぶと言われた、九世紀の唐に渡り『入唐求法巡礼行記』を書いた円仁(慈覚大師)と同じように、国際的な体験をした日本人として貴重な人物」であることを余りにも軽率に扱ってはいまいか。

 かれは伊達政宗とともに朝鮮出兵にも参加している。軍事的知識も豊富だった。
 
 往時の造船技術で、支倉が世界を二周するという冒険的快挙を果たしたというのに、まったく正当に評価されていない。
 
 なにか、理由があるはずである。
 
 これは戦後のキリスト教史観が自分たちに都合の悪い事実を隠し、歴史を歪めたばかりか、徳川幕府が鎖国政策に途中から切り替えたため、キリシタンを禁教にしたことに関係がある。
 
 闇に葬られた歴史があったのだ。

 第二に「(同時代に)ヨーロッパへ行った十六世紀末の四人の少年使節」と違って「キリスト教宣伝の具となって連れて行かれた」のではなく、あくまで徳川政権の内諾のもと、伊達藩が遣わした世界への外交ミッションが支倉の一行であった。

 今日に置き換えて比喩すればチャーター機を数百機とばしたほどの大外交イベントであった。

 それも「日本人のしたたかな行動」であり、「勃興する西洋文明の勢いを示す国王と、確固として日本文明を守ろうとする日本武士との、まさにある意味での角逐であった。この歴史の大情況の意味を見逃してはならない」と田中氏は力説している。

 第三に当時の徳川幕府の鋭敏な国際感覚、伊達政宗の明確な世界観が、すぐれて今日的に先見性に満ちており、支倉は当時の世界の覇権がスペインからオランダ、そしてイギリスへと交替している実態を見聞きしてきたことを特筆すべきである。

 戦後まかりとおった解釈は徳川の禁教にも関わらず伊達が西欧へ使節を独断で送り込み、そのため帰ってきたとき支倉の処遇に困った、というものである。だから支倉の墓はひっそりと隠れるように作られ、その子孫達は抹殺されたのだ、と。

 田中氏は、「この使節が明らかに徳川家康の意志を反映しており、また伊達政宗の意志でもあった」。なぜなら「家康の方はメキシコとの通商の希望を捨てていないため、この使節を黙認したのであり、政宗の方は仙台藩でそののち元和六年(1620)までキリシタン弾圧を行わなかったことを想起すれば」、通説の誤謬があきらかになるとする。

 第四に日本国内のキリスト教のなかの会派による主導権争いと信長、秀吉、家康とのバランス感覚という基礎的要素の関係である。

 イエズス会はキリシタン大名を席巻していた。聖フランシスコ教会とは主導権争いを演じており、徳川の情報顧問ウィリアム・アダムスはイギリス人で、このキリスト世界のヘゲモニー争いからは超然としていた。

 そのキリスト教団の確執を家康も伊達も逆にテコとして大型船を建造させている。

▼実証主義という面妖な解釈

 だが、戦後の歴史は「実証主義」などと呼称する怪しげな学者が専横し、「平板化」させてしまった。歴史に於ける真の英傑は草深きところに埋もれてしまった。

 慈覚大師の壮挙を後世に発見したのが、かのライシャワーであったように、ようやく今日になって支倉常長の再評価は田中教授の登場まで待たなければいけなかった。

 さて当時の日本は「世界の銀生産量の三分の一」を占め、即ち世界の覇者スペインによる「銀収奪の、まさにその時代に、日本はその(スペイン世界の)産出量を上回っていたので」ある。
だからキリスト教の覇者からの侵略の対象となる。実際にスペインもポルトガルも多くの国々を侵略し、メキシコは「新スペイン」と呼ばれ、フィリピンは植民地になった。

 フランシスコ・ザビエルは「銀の群島」と日本を呼び、マルコポーロが「金の島」と読んだように、牙を研いでいたのだ。またシナ侵略のための橋頭堡として日本を確保しておこうという軍事的野心に満ちあふれていた。

 日本の反撃は勇躍開始された。「豊臣秀吉はスペインの動向を察知していた」と田中教授は明言する。

 漂着したスペイン船を臨検したときに、積んでいた物資などから秀吉はキリシタンへの警戒を強め、侵略者を処刑した(キリスト教会は、かれらを「聖人殉教」などと言って祭ったが)。

 「秀吉の果断な処置は、それまでの政治的な行動の意味をよく伝えている。秀吉は天正十四年(1856)に大阪城でイエズス会士コエリョとあった際に、明を征服する意図を明らかにしていた」(23p)

 これはスペインのシナ大陸征服の先手を打った行為で、前段としての朝鮮出兵となる。

 村松剛氏は代表作の『醒めた炎』のなかに次の指摘をしている。

 「秀吉はイエズス会の明征服計画を、明らかに探知していた。シナ大陸が白人の支配下に落ちれば、日本時代の安全が危険にさらされる(中略)。スペインが兵力の不足に悩んでいたことを知っていた秀吉は、彼らの計画を先取りする」

 ヴァリヤーノも、コエリョも宣教師であると同時にシナ大陸、日本侵略の情報を集めて報告している。

 動かぬ証拠は手紙の束として残っている。かれらが日本でバテレンの信徒を広げたのは、そのときの侵略の橋頭堡作りであり、宣教のみが目的ではなかった。

 家康は秀吉の世界観と、その鋭利な世界認識とを引き継いだ。同時に家康は通商の拡大にも熱心だった。

 したがって、「日本に潜入した聖フランシスコ会の僧侶を処刑せず、マニラからメキシコへのガレオン船の日本寄港」を要請していた。漂流してきたフィリピン提督の一行を滞在させたうえ、メキシコへ帰還させたりもした。

 通商拡大の信号を送っていたうえ、それらはスペイン側に理解されていた節もある。

 だが、いったいこれらの事実を日本の歴史教科書は教えていないばかりか、大学や図書館に溢れる歴史書、小説、史論の多くが、叙述していないのである。

▼家康は伊達と暗黙の了解をしていた

 徳川幕府の支援と了解のもとに伊達政宗は巨大な船の建造に踏み切った。

 「長さ十八間、横五間半、帆柱十六間、弥帆九間一尺五寸」の船は当時のヨーロッパの遠洋航海船と比肩しうる巨船で、いま石巻郊外に模型が飾られている「サン・ファン・バウティスタ号」である

 船には「伊達家と支倉家の家紋がある」という驚くべき事実を発見したのも田中教授自身で、仙台博物館で開催された「ローマの支倉常長と南蛮文化」の展覧会の準備のときだった。

 伊達政宗は適材適所、支倉常長を使節団の責任者に任命する。支倉はフィリピンからメキシコ、そして「日本人初めての大西洋横断」によって、スペインからローマへ航海を成功させ、幾多の見聞を日本へ持ち帰った。

 比類なき冒険的航海と外交の成功となった。

 「支倉がキリスト教徒になった」理由は「主君に仕える武士の精神に法(のっと)ったものである。政宗は、自分自身はキリシタンにならないが、しかし部下にそれを受け入れさせる趣旨の書簡を書いていた」。

 したがって最後まで支倉は武士道に生きて、主君に忠実であったわけだ。

 戦後、この支倉の評価がまったくなされないのは、正しい歴史観が語られない左翼全盛と論壇の偏向とが原因であるが、こうした自虐史観の横行の前に、「使節の意義や成果に否定的なのは、多くはイエズス会の資料を鵜呑みにしているからである」と田中教授は指摘され、異なる視座からの資料を網羅する。

 支倉はメキシコ、スペインで「新兵器の開発を観察していた」が、たぶん「支倉らは、これらの国々の兵器は恐るるに足らず、という認識」だっただろう、と田中氏は大胆な予測も書き添えている。

 江戸幕府は「鎖国」政策と言いながらも、同時に長崎の出島を解放してプロテスタントの国、オランダへ通商と情報の窓を開けていた。

 「日本の鎖国は、イエズス会の布教を受け入れていた清とは違い、カトリック系の布教を禁じ、そこからももたらされる危険性を完全に封じようとしていた」ためである。

 こうした時代の歴史をパノラマのように俯瞰し、支倉の航海誌を簡略に語りながら、本書は歴史の本質の部分に迫る。本書に繰り返し慚愧の念が書かれているが、残念ながら支倉の十九冊におよぶ航海および旅行日誌は失われてしまった。

 この「支倉文書」が出現すれば、歴史は新しい真実をみることになるだろう。

 ともかく本書ではヨーロッパにおける支倉の行状も詳細に論じられる。これまで知らなかった事実を見いだしながら、この労作による知的衝撃を思わずにはいられなかった。「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成19年(2007年) 6月6日(水曜日)通巻第1821号(6月5日発行)

支倉常長―武士、ローマを行進す
支倉常長―武士、ローマを行進す



 戦後民主主義の歴史学とは日本の過去をひたすら不当に貶めるものに過ぎなかったのだなぁ。

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