コラム夕映え 涙が教える投票の意味(朝日新聞2014年12月01日)
生まれて初めて投票したのは2012年の総選挙だった。ただし、12月にあった日本の総選挙ではない。4月にあった韓国の総選挙だ。
09年の公職選挙法改正で、海外に住む韓国人も総選挙と大統領選の投票ができるようになり、在日2世の私も「有権者」になった。ハングルで印刷された政党名の横に印を押して投票した。手が震えた。
法改正は、自然に与えられたわけではない。兵庫県の在日男性らによる裁判で、韓国憲法裁判所が違憲と判断して実現した。
だからこそ、投票所では、感極まって涙する人もいた。「人間になった」と言いながら。参政権は人を人たらしめる権利の一つなのだ。
衆院選があす公示される。
先月の解散以来、各立候補予定者の陣営から「投票率が下がるのでは」という予測が聞かれる。もしそうなら、あまりに残念な話だ。
高額納税者に有権者を限っていた日本の選挙制度は、1925年の普通選挙法で25歳以上の男性全員に拡大。終戦を経て45年に成人男女すべてが投票できるようになった。先人の尊い努力が実現させてきた基本的人権を、やすやすと放棄してはいけない。
経済対策に集団的自衛権、原発政策。問われているのは未来に関わる重要問題ばかりだ。自らの望む政治は自らの手で実現させる。その力を信じよう。(黄論説委員)
黄澈のプロフィールは以下の通りである。
現・名古屋報道センター社会部記者。日本と朝鮮半島の関わりや在日コリアンの活動などを取材。 論説委員としては、東海地方の課題を扱う。関わった連載は「岐路のアジア 第6部・揺れる韓国」 「百年の明日 ニッポンとコリア」など。東京都生まれ。在日韓国人2世。1992年入社。
参政権はあくまで国民の権利しかも大人の特権であり、人権ではない。しかし参政権は先人の尊い努力の賜物であり恩恵であること、日本国は戦前から立憲議会制民主主義国であること、そして女性参政権は1945年すなわち大日本帝国憲法下で実現したことに在日韓国人の黄澈が言及していること自体は立派である。
少なくとも以上に事実を隠蔽する反日的日本人よりよほど国民の知る権利に奉仕している。
こうして日本人は国を愛せなくなった・・・日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったことを日本国民に知らせるために、ブロガーへ執筆意欲を与える一日一押人気ブログランキングをクリック願います。
中央日報の以下の記事-安倍首相「日本軍が建てた学校が占領地の住民を開化また軍国詭弁」(2014年07月21日)も同様である。
安倍晋三首相が「日本軍が建てた学校が占領地の住民を開化させた」という趣旨で、過去の戦争の歴史を美化する発言をした。19日に地元の山口県で、右翼性向の地方有志の主催で開かれた講演会でだ。
安倍首相は10、11日に太平洋戦争の最大激戦地の一つ、パプアニューギニアを訪問したことを話題にし、マイケル・ソマレ初代首相と交わした対話を紹介した。
「最大激戦地だったウェアクを訪問したところ、パプアニューギニア建国の父、ソマレ元首相の出迎えを受けた。親日政治家のソマレ元首相は『私が初めて学校に出合ったのは柴田学校だった』と話していた。ソマレ元首相が暮らしていた村に進駐していた日本軍の中隊の隊長が柴田中尉だった。それまでその地域に学校が全くなかった。文字も知らず本も読めなかったし、勉強というものの概念さえ知らなかったが、柴田中尉が学校をつくり、子どもたちを集めて読み書きを教えた。ソマレ首相は『柴田中尉のおかげで私の今日がある』と話していた」。
また安倍首相は「建国の父がこのような日本観、日本人観を持っていると、パプアニューギニア全体が日本のファンになったといえるだろう」「おどろくほど多くの人々が沿道に集まり、『ウェルカム』と書かれた文字を見せていた。本当に感動し、涙が出そうだった」と主張した。
こうしたストーリーを安倍首相が講演で冗長に説明したのは、戦争の郷愁に浸っている保守聴衆の情緒を意識したものとみられる。安倍首相は現職の日本首相としては初めて、11日にパプアニューギニアの日本人戦没者碑に献花したことを振り返った。そして「太陽が差す暑いジャングルの中で、家族の幸せを祈り、祖国(日本)を考えて亡くなった12万人の尊い犠牲のうえに現在の日本がある」と主張した。
安倍晋三首相の全発言は首相官邸のサイトに掲載されているが、筆者が知る限り、日本の新聞社とテレビ局はこの安倍発言やニューギニアの柴田学校のことを報道しなかった。
東部ニューギニア戦線慰霊巡拝案内-参考資料室、カウプの学校-柴田中尉とソマレ首相-
昭和19年、船舶工兵第九聯隊(上陸用舟艇部隊)の柴田幸雄中尉は、現地住民宣撫の任を帯びてウエワク東方にあるカウプ(コープ)に赴任し、カウプ一帯の部族を日本軍に協力させるとともに、白人支配からの独立と日本の通過部隊から村を守るための自治組織(カウト政庁)樹立を指導しました。
また、住民への感謝の気持ちと、将来の独立にそなえた教育を志し、酋長の賛同を得て学校をたて、子供たちに数や初歩の日本語、英語の教育を行いつつ、植民地からの独立を説きました。
その教え子のひとり、当時8歳のマイケル・ソマレ少年は、後にパプアニューギニア独立運動に身を投じ、1975年(昭和50年)、独立後初代首相に就任した。キャプテン・シバタの教えによって独立することができたと考えたソマレ首相は大使館を通じて、当時宇都宮市で飲食店を営んでいた柴田氏を探しあて、昭和60年、念願の再会を果たしました。
柴田氏(左)とソマレ首相
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<日本国を防衛する食いしん坊バンザイ>
我が国のソバ好きが対馬ふれあい産直便を利用してソバ通を唸らせるソバの原種に近い貴重な対州ソバを食べれば、対馬の地元経済は潤い、迷惑な韓国人観光客を排除できる。いま対州ソバの愛好者が韓国から国境の島の対馬を防衛しています。
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