「衆議院の議員は総て皆、國の代議士たり。而して衆議院選挙の法に選挙区を設くるは、代議士の選挙をして全國に普通ならしめんとする目的に外ならず。故に代議士は即ち國の人民を代表する者なり。而して其の所属選挙区の人民の為に一地方の委任使となり其の依嘱を代行する者には非ざるなり。」
大日本帝國憲法義解第三十五條解説にも同様の解説文が載っている。この解説文の出典は、伊藤博文が好んで引用したエドマンド・バーク(1729~1797)の「ブリストル演説」のようである。
大日本帝國憲法は憲法政治思想における「日英同盟」であることを広めるために、ブロガーへ執筆意欲を与える一日一押人気ブログランキングをクリック願います。
「我が日本の過去の歴史においては深く述ぶる必要はありませんが、日本の変革というものは実に偉大なものであると云う事は諸君も知らるる通りである。而して私が常に感じて居る所は、何れの国においても多くは皆封建的であったものであるが、封建より一度専制に移って、それから憲法政治に移ったのである。
然るに日本ばかりはそうでない。封建から一足飛びに憲法政治に移ったという事を私は断言するに憚らぬ。この間に専制政治があったかといえば決してなかったのである。かくの如きの例は何れの歴史を繙いて見ても、決して見出す事は出来ないのである。日本人は実に善を撰んで之を採るに吝かならざる者と考えるのである。
この憲法政治なるものは、実に上は天子より下は衆人に至るまで、等しく希望した所であって今日行われて来たのであるが、まだこの憲法政治になってから僅かの歳月である。然るにこの僅かの間に得た所の結果は、過日も私は良結果を得たという事を申して置きましたが、尚この上進んでもっと良結果を得るような工夫をしなければならぬと考える。
この憲法政治は素よりヨーロッパ諸国において行われて居るけれども、英国を除くの外、この憲法政治について十分なる歴史を持って居る国はないのである。英国の憲法の歴史と云うものは異常なる影響を各国人に与えたと云う事は、これ又論を俟たない。
而してその英国の如く行われん事を希望するというではないが、之について一通り私の見る所を御話申す必要があるのは、今の如くにして憲法政治が行われ居っても、始終相衝突すると云うような事は誠に困るのである。これを避ける方法が十分なければならぬと云う事である。衝突と云うのは立法部と行政部との衝突を申すのでありますが、この衝突の為に国家の進展を妨碍するに至っては甚だ憂慮に堪えぬ次第である。この衝突を免がるるような工夫がなければならぬと考える。
素より英国の如きは憲法の発達は殆ど七八百年の星霜を経て居るから、その間においては安危存亡を賭けるような事も多かったのである。この経験なるものは実に異常なるものであるが、又それについては悪例も余程多いが、しかし善例なるものも沢山ある、而して如何なる経過を為したかと云う事について即ちこの政府と、政体と云う事について御話を申したいと考えるのである。」(明治三十二年二月選挙法改正期成同盟会に於て)
ここから伊藤は、イギリスの憲政が議院内閣制-議会の多数を占める政党の首領が内閣を組織する-という政治慣行を成立させるに至った沿革を述べた後、イギリスにおける被選挙人の性質の変化について次のように演説した。
「それで何れにしても調和の道を謀ると云う事が頗る必要である。それでかく成り行きた理由は一体どうかと考えて見ると、被選人なるものの性質が一変して、而して議会なるものの性質も従って変じて今日の如くに至りましたが、元はこの被選人と云う者が英国に起った時に当っては、選挙区よりしてその如何なる政務が行わるるかという事を監督に行くのと、又自分たちの村落や町村の成るだけ苦情を訴えるような考えで使いにやり居った位の事である。その時には選挙区と議員とは密着して相離れなかったのである。
所がそれが選挙区と議員なるものが密着の関係を離れた所ではない、殆ど選挙区に臨む外は関係がないものと今日はなった上に議員の性質もまた大いに変わって来たのでありますが、これについては所謂選挙の趣意を誤ったという人がありますが、学術的に論ずると又こう言わざるを得ぬという事になって居る。
ここにおいて極く分かり易い御話をするのでありますが、エドモンドブルクと言う人が己れの選挙区に向つて、議員なるものは選挙区の命令を受けて働くものではない、議員はその選挙区から選出せられた議員には違いないが、選挙せられた以上は全体に対する議員である。
又議員なる者は平生人に信じられて居るもので、それで選挙するや否やと云う事はその選挙人の意思の自由に存する。あたかもこの議員を選挙人が選挙するのは、かの医者は上手だから彼に頼もうと云うのと同じである。また彼の靴屋は上手だから彼の靴屋に靴を造って貰おうと云うのと同じ事であって、上手な医者であると信ずる者を頼まずに外の医者を頼むと云う道理がない。
又靴を造るのが上手な者にどうか靴を造って呉れと言った時にその靴屋が、宜しいお前さんの足に合うように造って上げようと言って、靴を造りに掛つて居る所をいやそう縫つてはいかぬ、そうやってはいかぬと言って靴を造らせる者が靴屋の手足を引張ると云う事は出来ない。
是は有名なるブリストルと云う選挙区に発送した手紙の中の喩えであって誰しも知って居る事と考えるが、まあそういう風に今までは議員を選出してきたのである。
素より議会においては、国家の政務であれ、国家の法律であれ、国家の財政であれ、その政務、法律、財政が如何なる結果、如何なる結果、如何なる影響を商者に及ぼすか、工者に及ぼすか、農者に及ぼすかと云う事は顧みなければならぬのである。
また同時に彼等の言うには、議員なる者は選挙区より派出する所の使節ではないと言って居る。如何にもその通りである。
使節ならば訓令の下に働き命令の下に働くものであるが、即ち選ばれたのは全国の代表者となって一の組織体を為して来るのでありますから、この議員の職務と云うものも大いに形勢と共に変じて参った故に、どうしても日本においても議員の職務と云うものは今日も既にそうならなければならぬのであって、他日は必ずその論理は行わるるに違いないと考える。」(伊藤博文演説集132~138ページ明治三十二年二月選挙法改正期成同盟会に於て)
伊藤博文が明治天皇の詔命を奉じて大日本帝國憲法原案を起草していた当時、国際(国と国との間の)交通の便が開けて熾烈な国際競争が極点に達しており、我が国がイギリスのごとく試行錯誤を繰り返しながら悠長に立憲議会制デモクラシーを熟成させることは殆ど不可能であった。当時の国際情勢は我が国にそのような時間的余裕を許してくれるほど寛容ではなかった。
そこで伊藤博文は「進歩には順序があるといって人の悪弊を学ぶに及ばん。日本国の生命を永く保たしめようとするならば、イギリスの過失までも学ぶに及ばんから今日はイギリスの善い所を採つて致すというように相成つて然るべきである」と思い、衆議院代議士および有権者に対する戒めとして、エドマンド・バークの「ブリストル演説」の要旨を帝國憲法義解第三十五條解説文に盛り込んだのだろう。
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