明治天皇の詔命を奉じ、金子堅太郎、井上毅、伊東巳代治を統率して帝国憲法原案を起草した伊藤博文の愛読書は、明治三年に政況および財政調査のためにアメリカを訪問した伊藤に、当時のアメリカ国務長官ハミルトン・フィッシュが贈与したアメリカ合衆国憲法のコメンタリー(解釈書)「ザ・フェデラリスト」(一七八七年刊行)であった。伊藤博文は明治三年以来、このアメリカの古典的名著に依拠して憲法を研究し、彼ら四人が帝国憲法原案を起草していた時はもとより、明治二十一年から始まった枢密院帝国憲法制定会議の際にも、伊藤はフェデラリストを常に自分の座右に置いて何か問題が生じる度にこれを繰り返し読み、帝国憲法の制定に尽力したのであった。
帝国憲法の精緻な権力均衡分立主義と、デモクラシー(大衆参加政治)の暴走と諸悪から皇室と一般国民を含む国家を救済する帝国議会二院制は、アメリカの立憲議会制デモクラシーの起源であるフェデラリストの著者たち即ちアメリカ合衆国憲法の制定に尽力したアレクサンダー・ハミルントン、ジョン・ジェイ、ジェイムズ・マディソンの思想を受け継いだものである云々。
以上の記述は「憲法制定と欧米人の評論」(金子堅太郎著/日本青年館、一九三八年版)に依拠しているのだが、帝國憲法の施行から約半世紀後に金子が発表した回想録は、果たして本当に真実なのだろうか。
これについて所長は一抹の不安と不信感を覚え、伊藤博文演説集を読んでみたところ、金子の回想録を裏付ける第一次史料の実在を確認することができた。
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本邦憲法制定の由来(明治三十年四月三十日、上野精養軒での国家学会における伊藤博文の演説の一部抜粋)
然るに世上一般の議論というものは、十年の戦争が済んで来ると云うと国会開設建白と云うものが続々と山の如く出て来ました。是はまあ土佐に立志社などと云うものが出来、或は各地に於ても教育を幾分か受けて政治論をする人間も殖えたと云う様な事柄の結果である。しかしながら一般人心の熱注して国会を希望する程にこの憲法政治のことが明に分って居るかと云えば決してそれは明に分って居らぬのである。
その以後明治十四年に至って大隈伯の建白と云うものが出た。この建白に依て見ても、是はイギリス流儀の憲法論が多少分った時であるから、所謂パーリヤメンタリー、ガバーンメント(議院内閣制)と云う様なものが出来さえすれば宜いと云う様な考である。是にも如何なる憲法を作ると云うことは無い。是は委員を組んで取り調べると云う位のもの、まずそう云う有様で憲法政治の発達はあったと考える。
しかし民間の形勢と云い政府部内の形勢と云い、到底もはや憲法政治を布くの外に良法は無いという形勢には日を逐うて移って参ったのである。故に明治十四年十月十二日の勅諚と云うものが発せられた。ここに至って始めて、憲法政治を愈々将来に於て布かれると云うことの時を指したる所の勅命があった。
もちろん我々当時政府にあって翼賛し奉った所の是が八年、十四年の勅諚でありますが、しかし日本の国体なるものに顧み、日本の歴史に顧み、又ヨーロッパの形勢、歴史などに顧みてもこの政体の変遷と云うことは容易ならぬことであると考えて居ったのである。
遂に十四年の勅諚が出るに至って、この憲法と云うことに就いて充分な取調べをしろと云うの勅命を奉じた。この勅命を奉じたる下に、私は洋行しなくては相成らぬと云うことになって、ヨーロッパに出掛けて参ったのでありますが、このヨーロッパに出掛けて行く時の私の考と云うものは何分重大なる責務を負担したと考えた。
憲法政治と云っても憲法政治にも種々の種類があるが、未だヨーロッパの考えの即ち憲法政治についてのこの「モダーン、アイデヤ」が這入って来ぬ所で以て憲法政治とか何とか云うた所が中々分からぬ。或る国学者の如きは聖徳太子の憲法でも宜しいかと云うことを言うた位のことである。
しかし憲法政治と云うことにどうしても勢い「デモクラチック、エレメント」と云うものは免れぬことである。ところが斯くの如き原素は日本の歴史上にあるや否やということを考えて見ると無いのである。して見ると、之を採用すると云うことに至っては、神武天皇以来建国の上に於て時勢の変遷とはいえども容易ならぬ変遷であると云うことは考えざることを得ぬのである。
しかしながらこの重命を負うた以上は、研究の届くだけのことはしなくてはならぬ。しかしその責を果たして塞ぎ得るや否やと云うことについては殆ど茫乎として自分にも分からなかったのである。
それより七八人の人を連れてヨーロッパに参りましたのでありますが、ヨーロッパへ参って段々学者について説も聞き、自分の攷究の及ぶだけのことは取調べて見たのである。今日となって見ると云うと、この席に列して御いでなさる諸君なり学者なり或は又書生の中にでも、分かり切った話であると云う様なことが沢山あるに相違ないが、どうも十五六年前までは中々日本人に憲法のことは明に分かって居ったとは言われない。
ヨーロッパへ参って、まず私は専ら講釈を聴き、又質問もし、話を承ったのがプロシアのグナイストである。それからオーストリアのスタインにも往って暫くその説を承った。 随分その中には高尚の説もあり、又或はどうであろうかと疑惑する様な説も多かった。しかし静かに聴いて結局に至って自分の判断を下すの外はないと考えたから、予々こうであろうと思ったことに反対した意見を聴いても、まずそれを抑えて聴いて居った。
所が随行員の中には是は愚説である、是は御聴きなすっても役に立たぬという説もあった。英書ばかよ見て居る人の考から見ると云うとそうなる訳。而してドイツ、オーストリアを経て、そのあいだ随行の者を諸方に派出して種々行政上のことなども取調べさせて見たのであります。
それからイギリスに参ってイギリスで又種々穿鑿(せんさく、根掘り葉掘り調べること)をした。して居る中に、露国皇帝の即位式に全権大使として臨めと云う又勅命を蒙ってモスクワへ参った。大略まずヨーロッパの憲法政治なるものは如何なるものである、憲法は如何なるものであるかと云うことを漸く自分の脳髄に解することが出来た。
然るに、此一念私が考えて居ったと云うことを一言御話申すと、彼のアメリカの憲法を作る時に、ハミルトンやマヂソンやジェーなどと云う人が非常に骨を折ったと云う。共和政治を作る時に付いて種々の共和政治を穿鑿して見ても、どうも斯の如き大国に適する共和政治は無い。その大国の共和政治はその以前無い所よりして、余程攷究を尽したと云うことは、彼のアメリカのこの三人の筆に成って重にハミルトンが熱心に論述した「フェデラリスト」と云う本がありますが、これをどうか斯うか私は色々穿鑿して、以て彼等が憲法を作る時の困難を感じたのである(伊藤博文演説集/瀧井一博編80~83ページ)。
アメリカの占領軍が日本国を民主化したと信じ込まされてきた戦後生まれの日本人にとって皮肉な事に、人民の能力への不信感を率直に表明し、立法機関を厳重に制限し直接民主制を否定しなければならないことを力説するザ・フェデラリストの第四七篇「権力分立制の意味」、第四八篇「立法部による権力侵害の危険性」、第五一篇「抑制均衡の理論」、第六二篇「上院の構成」、第六三篇「上院の任期」、第七八篇「司法部の機能と判事の任期」が伊藤博文の憲法義解への理解と尊敬を深め、勅任の貴族院と皇室の自治を欠く日本国憲法の数々の欠陥を教えてくれるのである。
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