2006年12月22日

親日派の亡命チベット人ペマ・ギャルポ先生

 今年の夏だっただろうか、民主党議員のブログのコメント欄において、維新政党「新風」を応援する講師団の中にペマ・ギャルポ(桐蔭横浜大学教授、岐阜女子大学名誉教授)という外国人が加わっていることを怪しみ、維新政党「新風」に不信感を抱いている方が居た。

 拙者と共に、中国共産党に媚び諂いチベット族を救出しようとしない親中派の売国政治家と反日マスゴミを日本から一掃できない我々日本人の不甲斐なさについてもうやだ〜(悲しい顔)、ペマ・ギャルポ先生をはじめ亡命チベット人、そしてダライ・ラマ法王猊下に謝罪してくれる方は、一日一押人気ブログランキングをクリック願います。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 ペマ・ギャルポ (Pema Gyalpo, 1953年6月18日 - ) は、チベット出身の政治学者。専門は国際関係論、国際政治学。桐蔭横浜大学法学部教授。拓殖大学海外事情研究所客員教授。岐阜女子大学の名誉教授、同大学附置の岐阜女子大学南アジア研究センターのセンター長。 亜細亜大学法学部卒業、上智大学大学院修了。

 チベット文化研究所 名誉所長 、南アジア地域協力連合研究調査会 会長。 その他にも日本経営者同友会の特別名誉会員、アジア刑政財団 学術評議委員〈国際連合NGO団体)も務める。その他NPO、NGOをはじめ多数の役職を兼任。 国際情勢、日本の政治社会について、鋭い分析による発言は、一部の人々から支持がある。また、テレビだけでなく、新聞、雑誌など各種メディアにおいても多く活動する。サラブレッドプロモーション所属。


経歴

 1953年 チベットのカム地方ニヤロン生まれた。ダライ・ラマ法王に従いインドへ亡命、1965年12月来日した。ダライ・ラマ法王猊下日本駐在連絡官、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 担当初代代表などを務め、ダライ・ラマ法王の信任厚く重職を担っている。



憲法調査会公聴会平成16年(2004)11月18日


○ペマ公述人 

 ペマ・ギャルポと申します。
 
 きょう、このような機会を与えてくださったことに対し、まず心から感謝を申し上げたいと思います。
 
 これから約二十分間に私の未熟な意見を聞いていただいて、その過程において、言葉の障害、あるいは私が今まで生きてきた環境、生い立ちなどによって、皆さんと必ずしも一致しないような意見等もあるかもしれません。

 それらはすべて私個人の主観に基づくものであって、私の責任であって、私をどなたが推薦してくださったかわかりませんけれども、その方には一切責任がないことを申し上げたいと思います。
 
 日本においては、大学の先生、または新聞記事、あるいはテレビに映像化されたものなどなどは客観性のあるものとして考えておりますけれども、私は、文字は一つずつだれかが考えて言葉を選んでいるし、私自身、きょうたくさんの資料を持ってきましたけれども、これらはすべてあくまでも私の意見を立証するための資料であって、すべてが計算、あるいは打算、あるいはある程度の意図があって話すことであると思います。

 したがって、これから私が話すことも、私が今までこの国で約四十年間ぐらい生きてきて、その中で私が感じたこと、そして私が今この国に対して将来こうあってほしくないというような気持ちが入っているということで、極めて客観性が薄いということも申し上げたいと思います。

 私は、この国に生きてきてまず何よりも感じることは、例えば、日本において内閣総理大臣が不名誉なことで逮捕されることがありました。あるいは、政権の中枢におられた方が権力を乱用したために法の裁きを受けるようなこともありました。

 私がお世話になったもう一つの国、インドという国も、独立して以来約五十年間、あくまでも選挙によって政権がかわり、そして権力の中枢にいた方が汚職などで逮捕されました。

 それぞれの国の人からすれば、極めて不名誉なことで悲しいことだろうと思いますけれども、私は、ある意味では非常に、法治国家としての健全な法の形が生きているということの証拠として、極めて民主的な国家であるということについて逆に評価した次第であります。

 また、この四十年間近く、私はこの日本の豊かさ、便利さ、そしてこの日本においてさまざまな自由を堪能してきました。

 私は、このような日本において、きょうもですけれども、一人の人間として自分の意思、自分の思想について、何の恐れもなく表現できることは極めて幸せだと思っております。私がこのような生活を過ごしている間においても、私の親族、あるいは私の同胞たちが、同じような自分の思想を述べること、あるいは自分の信条をかたく信ずる、守ることを罪として、無法に投獄され、あるいは命さえ奪われていることを考えてみますと、この国の自由度、あるいはその民主主義の定着していることについて、大変幸せだ、これはすべてこの憲法のおかげだと、私はそれなりにこの憲法を評価したいと思っております。

 ただし、この憲法について、日本においては与えられた憲法というようなことをよく言われますけれども、確かに歴史的背景からすればそのようなことはないこともないと思いますけれども、しかし、それまでの土台として、やはり明治、大正、昭和にかけて、多くの日本の方々が民主主義のために、そして人権のために命をかけて、そして運動をやってこられた。

 例えば、私が日本に来たときまだ生きておられた、女性の選挙権のために働いた方々がおられました。そういう方々を考えてみますと、必ずしも、その与えられた憲法だけで、そしてその憲法が、今その恩恵だけだと思っておりません。それは、日本人が今まで一生懸命頑張ってきた成果だと思っております。

 きょう、このような形で皆さんの前で意見を述べることができることについて私が深く感銘するのは何かというと、私のような人間が、この日本において、時と場合によっては内閣総理大臣まで名指しで批判しても平気で、突然特高隊とかあるいは憲兵隊が来て連れていかれるようなことがない、そして国家の指導者の侮辱罪とかそういうものに問われることがないということは評価できると思います。

 しかし、同時に、この日本という国が国際社会の一員として今後生きていくこと、あるいは今生きていることの様子を見てみますと、残念ながら、やはりこの憲法も無傷ではない、特に第九条というのが、私は、言葉は非常にぶっきらぼうかもしれませんけれども、極めて非現実的な要素があるように思います

 その日本の憲法の第九条について、特に私がそういうことを思うのは、一つは日本国憲法のつくられた過程と国連憲章のつくられた過程、その時代的背景などを考えてみますと、この辺はかなり関連性があると思っております。

 そして、残念ながら、国連憲章も当初思ったとおりにはいっておりませんし、したがって、今の日本国憲法の第九条の戦争放棄ということは単なる宣言で終わっていると思います。そして、このような一方的な戦争放棄ということに対して、何らかの国際社会においての保障もなければ、それを尊重するような環境も残念ながら現在ない

 そのような一方的な宣言を持つことだけ考えてみますと、特に、私が生まれた祖国においては、仏教を七世紀以来信仰し、そして仏教をあらゆる価値観の基準にして、すべての法のもとを仏教の思想、そしてその仏教の思想、すなわち生命の尊重を願って、そして他に危害を加えない平和を一方的に信じてきたんですけれども、やはり、残念ながら、その平和な生活は一方的に侵略され、そして固有の価値観を否定され、約六百万人のうちの五分の一の人たちがそのとうとい命を奪われました

 これに対して、国連の一つの機関である国際司法裁判所は、これを大量虐殺である、ジェノサイドであるということを判定し、そして他方に対して批判をしました。

 また、国連の総会においても、三回にわたって決議をされましたけれども、これらの決議も、そして国際司法裁判所の判決も、何らかの救済にならなかったということを考えてみますと、残念ながら、今の国際社会ということは、あくまでも力、あるいは、残念ながらその武力、あるいは既成事実をつくることによって行われているということが現実だろうと思います。

 それを考えてみますと、今日本の周辺に起きていること、あるいは今現在、日本の憲法を細かく見ていると、やはりその憲法は十分に守られていないと私は思います。
 
 しかし、その守られていない現状は、憲法そのものの欠点であるということよりも、今の国際社会に照らし合わせたときに、実際生きていく上において極めて限界があるということを示しているのではないかというふうに考えております。

 ですから、もっとはっきり言えば、例えば私のような人間が、もしかしたら理解が足りないかもしれませんけれども、何度読んでも、今の例えば自衛隊の存在というものは憲法違反だと私は思っております。

 しかし、その憲法違反であるということが異常なのか、あるいは国際社会の今の現状から見るとそうならざるを得ないような客観情勢があるということが異常なのか、それは私にもよくわかりません。それは皆さんがよく考えていただくことだと思います。
 
 私は、理想としては、もちろん私自身が、今申し上げましたように、難民生活をし、そして家族と離散し、多くの人たちを失った者として平和のとうとさも、そして、戦争あるいは戦争に伴う飢餓あるいはその他のさまざまな悲惨な生活を身にしみて経験してきた者として、十分に平和のとうとさは知っているつもりであります。

 ですから、憲法九条の理想とするものに関しては、私も、もしできれば、もちろんそのような世の中がこの世界に一日も早く到達してほしいと思うと同時に、しかし残念ながら現実の世界はそうなっていないということを改めて皆さんに申し上げると同時に、私がチベットで生を受けて、そしてインドでその生を拾ってもらって、そして日本でそれをはぐくんでいただいて、教育を与えていただいて、きょう、このような形で生活できるような環境を与えてくださったこの日本の、今私が毎日恩恵を受けているさまざまの豊かさとか平和とかそういうものが、永遠に子孫に対しても同じようにその恩恵を受けてもらうためには、やはりそれを守っていくということも大事だと思います

 そして、それを守っていくためにはやはり憲法というものが根本だと思うし、そういう意味で私は、やはり憲法第九条は憲法の中においてもちゃんと改正はできることになっているし、現に今の憲法も形の上では、論理的には明治憲法の改正であるわけですので、したがって、立法府の委員の先生方によって、当然、日本じゅうの一億二千万人の人たちの知恵をかして、そして日本の未来のために、そして日本ならではのものということを、ぜひ、日本の国民、日本の文化、日本の伝統、あるいは世界の現状、そしてさらには地球及び私たち人類の将来を十分に考慮した上で、憲法をきちんと直す必要があるのではないかというふうに思います。 

 このほか、この憲法について、先ほど申し上げましたように、日ごろ恩恵を受けている者として感謝すると同時に、しかし一方においては、例えば今の若者たちの道徳的な欠如とかあるいは社会をむしばんでいるさまざまなものなどを考えてみると、自由に伴うある種の節度とかあるいは社会の中における人々のモラル、そういうことなども考えてみると、やはり、むしろ憲法の中においては、私が日ごろ日本人から、伝統的に日本人が持っているものが今の憲法の中には十分に取り入れられていないのではないかというふうに考えております。

 日本には、おかげさまでとかあるいは人に迷惑はかけないとか、さまざまな日本ならではのものが、聖徳太子の十七条の憲法、あるいは日本の、これこそまた人によって見解が違うかもしれませんけれども、例えば教育勅語から受けられるような温かさというか人間味とか、そういうものが残念ながら私は今の憲法には十分に感じ取ることができません

 また、私たち外国人にとっては、憲法第一条の天皇の象徴としての存在についても、もうちょっと明確にしてほしいというところがあります。そういうことについては、もう時間がありませんので、また何かの機会があれば、質問等でお答えしたいと思っております。

 さらには、私は、今まで日本が平和でこられたことは、必ずしも今の憲法だけではないと

 それは、やはり一つは冷戦構造も、ある意味では私は今まで憲法が何とかして憲法のもとで生活できた者に貢献してきていると思うし、しかし、冷戦構造が崩壊して新しい国際秩序をつくっていく上において、新しい国際社会に適したような国際社会を考えた場合に、それは、もし日本が今後も今の憲法を堅持していくということであれば、またそれに合わせて、国際環境をつくることに対しても貢献しなければならない。

 それは多分、国連憲章そのものの見直しから始まるんじゃないかと思います。そういうことについては、また機会があったら話をしたい。
 
 ただ、何よりも私は、きょうも一人の外国人として、ある意味では日本の根幹にかかわる、主権を持っている日本の皆さんに対して大変大それたことを申し上げましたのですけれども、それはあくまでも一人の、観客席にいてこの国を四十年間見てきた者としての老婆心からいろいろ申し上げたというふうに解釈していただきたいというふうに思っています。

 あくまでも憲法は主権者である日本国民が考えることであり、そしてその代表である先生方が、できれば、次の選挙で当選するかしないかということと関係なく、永遠に自分たちの子孫がその恩恵を受けるということ、あるいは法によって束縛を受けるということを前提に考えて、ぜひとも、日本の未来、アジアの未来、そして人類の未来のために貢献できるような憲法を考えていただきたいということを申し上げて、私の一方的な話を終わりにしたいと思います。
 
 御清聴ありがとうございました。


○ペマ公述人

 はい、どうもありがとうございました。

 まず、チベットについても新たに関心を持っていただいたことを感謝申し上げます。ただ、きょうはあくまでも憲法の話ですので。

 今おっしゃったように、私は、憲法は、憲法のみならず法律は守れるものであってほしいと思うし、そして守ることが大事だと思っています。そういうふうに考えてみますと、日本国民あるいは日本が守りたいと思っても、国際環境の中に照らし合わせると、守れない状況が今あるのではないか。特に憲法第九条等に関しては、確かに文章的にも、あるいは私自身高校生ぐらいのときは、本当に暗記したいぐらいにこれはすばらしいと思いました

 しかし、実際、今国際社会の中で日本が生きていく上において、例えば今日本の自衛隊の方々がイラクに行っているわけですけれども、この方々が手に持っているものは決してほうきではなくて、やはり鉄砲を持っていらっしゃるんですね。そしてこの方々はやはり鉄砲を撃つ。場合によっては人を殺すことも訓練されている。

 そういうふうに考えてみますと、私は、別に日本国憲法は悪法だということではありませんけれども、悪法も法なりという前提で、やはり法律を守るべきだと思っています。もし守れないんだったら、守れる法律をつくるべきだと思います。

 そういう意味で、先ほど先生おっしゃったように、前文に照らし合わせても、あるいは憲法第九条も、第一次大戦、第二次大戦を背景にして、当時国連憲章をつくったりあるいは日本国憲法をつくったときに、多くの人たちがその時代的反省をもとにしてつくっていることは事実であるし、そういう意味では、私は評価できるだろうと思います。

 また、日本人のそういう気持ち、平和を望む気持ちは、確かに第九条においてもあるいは前文においてもあるけれども、しかし、残念ながら憲法は題目ではありません。ただ平和を唱えるだけでは平和にならないんですね

 それは今、第二次大戦、第二次大戦と言うか大東亜戦争と言うか、これもまた歴史的主観の持ち方によって違うと思いますけれども、残念ながら、国連憲章を制定して以来今日まで百以上の戦争が起こっている。そして五万以上の条約を結んでいるけれども、それは必ずしも守られていないというのが現実だと思います。

 それを考えてみますと、やはり私は、今の日本国憲法、特に第九条は、守ることに対して限界があると思っております。そして、しかも今現在守られていないのではないかというのが私の、これは実は英語でも読んだり、日本語でも読んだり、辞書を引いたりして一生懸命読んでも、やはり今守られていないというふうに私は思っているんです。ただし、守られていないことをそのまま放置することは、それこそ法治国家ではない。やはり法律は守るべきであって、そして特にプロセスということが大事だと思います。手続というものが大事だと思います。

 今まで私が日本に来て感じることは、政府の見解として、憲法第九条についてさまざまな見解を述べたりあるいは解釈を加えてきたけれども、しかし、法的に、例えば修正したり、あるいは解釈についてきちんとした法手続をしてやっているというふうには、私たち、少なくても外国から見たときにはそう思わないんですね。

 それを考えた場合に、先ほど先生おっしゃった前文も含めて、やはり今の時代には私は合わないのではないかということは率直な、それこそ私、一番最初に客観的な考えはないということを申し上げましたけれども、しかし、私あえて、客観的に今の世界情勢を考えても、十分に現在の世の中に適用しないものであるというふうに申し上げたいと思います。


○ペマ公述人 

 実際日本で生活をしている人間の一人としては、もちろん天皇陛下は元首の役割を果たしているということは十分認識をしております

 しかし、今の憲法第一条を読んでいる限りでは、明確にこれが元首だということは解釈しにくいというふうに思いますので、そういう意味で、私は、あえて憲法の中においても、天皇は統治はしないけれども君臨するということについてきちんと明記し、そしてさらに、日本は世界に誇るべき皇室の長い伝統と歴史を持っている、そして、それは日本の固有の文化、伝統と関係があるわけですので、その辺ももうちょっと明記した方が、これは国内外にとっていいのではないかというふうに思っております


○ペマ公述人 

 私は、過去、三十数年間、日本で生活して、外国人であることによって不利益を得たとか、そういうことはないと思っております
 
 多分、比較の問題だと思うんですね。私は、私自身がもし日本の国政に対して関心があれば、当然、日本の法律に従って帰化の手続をし、そして、その手続に照らし合わせて、判断する側が判断して帰化できるわけですから

 今まで私は、特に日本の政治をどうこうしたいという気持ちもなかったし、ですから、自分自身が日常生活することには何の不自由もなかったということがむしろ言えるんじゃないかと思います。ただ、すべての外国人が私と同じかどうかということは断定できません。

 それから、もう一つは、私の兄弟とかそういうのは今世界じゅうに散らばっておりますので、私は、やはり、これも比較の問題で、決して日本が外国人に対して冷たいとも思っていないし、そして、帰化の条件が日本の方が難しいとは思っていないんです。

 それは、多少、やはり誤解があるのじゃないかと。ただ、日本に生活している例えば在日韓国の方だとか、あるいは、その他、過去、歴史的ないろいろいきさつ上、もっと、当然、自分たちは別の扱いを受けるべきだという考え方の人たちは別でしょうけれども、そうでない場合にはそんなに不自由がないというふうに私は思っております


○ペマ公述人 

 私は、多分、国連憲章ができたころは、集団防衛というか、国連が中心になって国際秩序を維持し、そして、国際平和を脅かすようなものに対しては懲罰というか制裁を加えるというようなことで、国連軍が何かやろうというようなことが当初あったんじゃないかというふうに解釈しております。しかし、今の状況ではそのようなことができていないし、また、できるような様子もない。ただ、アメリカ合衆国は、御存じのように、何度か国連軍と名乗って一方的なアメリカ的価値観を、アメリカ的正義を押しつけているにすぎない。

 したがって、私は、そのような国際社会において、そういう秩序を守るための制度がない限りにおいては、やはり、個人が個人の生命、財産あるいは名誉を守ることがあるのと同じように、国家も国家の自衛権というか防衛権が当然あるべきだと思うし、そして、憲法第九条があったからベトナムに行かなかったのではなくて、それは、過去の歴史的関係とか、あるいは、そのときの国際状況などによって行かなかったのであって、今も憲法九条はあるんだけれども、イラクに行っているんですね

 したがって、やはり、そういうことを考えてみると、国連憲章も含めて、国際社会でそういうような環境をつくらない限りにおいては、私は、自分の家内が目の前で犯されていたら、これは黙って見ていないと思うんです

 したがって、日本国民が、あるいは日本の領土、領空、あるいは人民の生命にかかわるようなことがあったときに、それを守るのは、やはり皆さん、あるいは日本国、国家としての任務であるでしょうし、それを放棄することは私はちょっと異常ではないかというふうに思っております


○ペマ公述人

 私が最初に日本に来たときに、埼玉の田舎にいたんですけれども、学校に通っているときの駅のベンチはいつまでも本当にきれいだったんです。落書き一つもなかったんです。そして、町を歩くと、たばこ屋の隣の赤い公衆電話はいつまでもぴかぴかと光っていた

 そういうことを考えてみますと、やはり私が日本に来たとき、日本において極めて高い道徳心あるいは公共心、そして仕事が終わってもだれ一人すぐ帰ろうとする人がいなかった。帰る人は、上司が、おまえ、きょうは帰っていいよと言うと、申しわけないような話をして、先に失礼しますと言って帰っていました

 そういうふうに考えてみますと、やはり法律もそうですし、社会を支えるのは、私は自発的な行為だと思うんですね。それは多分、なんじ殺すなかれ、盗むなかれ、そしてうそを言ってはならない、こういうことはすべての教えにおいて、二千五百年前から今まで同じだと思うんです。

 ただし、そういうものは、ある国においては、多分GNPやGDPが高くなくてもお互いに幸せ度が高いと思うんです。そして、そのような幸せ度の高いところが、私は、私の子供の時代に、私の国にあったというふうに思っているんです。また、同じようなものが、私は、日本に来たときに、日本の社会においてもあったというふうに思っているんです

 それが逆に、今日私の聞いている話では、世界人権宣言の条文をマハトマ・ガンジーに書いてくださいとお願いしたときに、マハトマ・ガンジーは、ここには権利のことしか、義務のことが書いてない、権利と義務というのは車の両車輪のようなものだ、したがって、申しわけないけれども、世界人権宣言の条文を書けないということで断ったということを聞いております

 今、日本で生活していると、先ほど申し上げましたように、さまざまな自由を私は本当に堪能して、そしてその恩恵を受けているわけです。ただ、ややもすれば最近は、他の人の自由を尊重しないような、社会に迷惑をかけるとか、そういうことが非常に頻繁になってきているような気がするんですね。そういうことが、私は、憲法の中において、どこかそういう道徳的な基準というか精神性というものがもうちょっとあってもいいんじゃないかというふうに思って、それを先ほど書かせていただきました。

 これは別に、仏教とかそういうことじゃなくて、あらゆる精神世界において、多分、愛とか慈悲ということは自発的にやはり出てくるものだ。それをもうちょっと養うようなことが必要ではないかということを思った次第です。


○ペマ公述人

 アメリカは、日本はあくまでも将棋のこまとしか考えていないと思います。ですから、アメリカは、世界戦略の中において、日本はアメリカの世界構想の中における一つの道具というような形で考えているのではないか、私はそういうふうに思っております。

 そういうふうに考えるものですから、私は、先ほども申し上げましたように、かつてはというか、二十世紀までは、憲法はその国の最高の法令として、基本法として十分だったけれども、これからの二十一世紀においては、憲法は国際社会のことを十分に考えなければならなくなってきているということ

 それから、今先生がおっしゃった、例えばアメリカと日本は同盟国、この同盟というのは、私は、軍事ということがそこに入っていると思うんですね。それがある限りにおいては、その同盟ということがあった、一方においてそのまま今の憲法を維持しようとするとなると、やはり法律は守るべきであって、そして、その法律を守るということは、場合によっては、法律に沿って変えることも法律を守ることであろう。むしろその法律を無理な解釈とかそういう形で守っていかないことが、私は、法律を無視することだろうと。
 したがって、アメリカの国際戦略は、例えば――時間、制限ありますか。


○ペマ公述人 

 例えば、私が一九九七年にウズベキスタンとか、今スタンのつく国々を訪問しました。その時点で、もう既にアメリカは、まず一つは、アメリカが軍隊を維持するためには、それまではソ連とかあるいは社会主義における革命とか、そういういろいろな口実があったと思うんです、それこそ共産主義を防止するということも一つの目的だったと思うんです。

 しかし、冷戦後あるいはソ連の崩壊後のアメリカの軍事を維持するための一つは、やはり食料安保とかあるいは資源を守るということが、アメリカの大きな防衛上あるいは軍事を持つための目的になった。

 したがって、今アメリカは、例えば世界じゅうからいろいろな理由があって軍隊を引き揚げている中において、日本においてはむしろこれから軍人をふやす、あるいは日本を、もっと大きな役割を果たさせようとしている段階にあるということを考えてみますと、そこに日本は追随していくか、あるいは日本はみずから対等な立場で同盟国としてやっていくかということが今後の課題だろうというふうに思います


関連書籍

悪の戦争論(ペマ・ギャルポ著)

 愛した人々の叫びを伝えるために私は戦い、生き残った。中国共産党の侵略に抵抗すべく、地下組織に加わったアデ。拷問、レイプ、奴隷労働、飢餓―彼女を待ち受けていたのは二十七年間の壮絶な獄中生活だった。チベットの監獄の生き証人が語る衝撃の事実。アメリカで話題となったノンフィクションの最高傑作。チベット女戦士アデ(ペマ・ギャルポ翻訳)




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