2006年12月11日

再録ハルノート再考

 ハルノートの原案は、2種類あった。コーデル・ハル国務長官が作成したハル暫定案と、ハリーホワイト財務省次官補が作成したホワイト・モーゲンソー案である。

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 ルーズベルト大統領は最終的にホワイト案を採用、ハルをしてこれを日本政府に通達せしめ、結果として、昭和天皇の聖慮に沿い日米和平交渉をまとめようとした東条内閣は対米英開戦を決断した。

 東京裁判判事中唯一の国際法の権威、インド代表判事ラダビノート・パル博士は、

 「現代の歴史家でさえも次のように考えることができたのである。即ち『今次戦争について云えば、真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府に送ったものと同じような通牒を受け取った場合、モナコやルクセンブルク大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起き上がったであろう』」

とハルノートの苛酷さを指摘して、日本を追い詰めたアメリカ政府を批判した。今日、パル博士に同調する識者は、日本の国内外に数多く存在する。


 ハリーホワイトは、モーゲンソー財務長官の腹心として、ドイツの非軍事、工業化を掲げたドイツ戦後処理についての「モーゲンソー案」を作成し、戦後の国際通貨体制を定めたブレトンウッズ会議にアメリカ代表として出席、国際通貨基金(IMF)創設の中心的役割を果たした。だが1948年夏アメリカ下院非米活動委員会において、E・ベントレーとW・チェンバース(いずれも元米国共産党員)は、米国共産党(コミンテルン米国支部)やアメリカ非公然組織長のイクサ・アフメーロフ(ソ連人民委員部)、ボリス・バイコフ大佐(ソ連赤軍第四部)が、アメリカ政府内に構築したソ連諜報網の全容を告発し、ホワイトがソ連のスパイであることを指摘したのである。ホワイトは公聴会でソ連スパイ疑惑を否定したが、その直後の8月16日、ジギタリスを大量服用し不可解な死を遂げてしまった。

 この為、戦後、「ハルノートは日米開戦を画策したソ連の謀略ではなかったか」という疑惑が囁かれ、防衛庁の戦史叢書にもこれに関する記述が散見されるが、ホワイト自身の正体を含め、この疑惑の真相は全く不明であった。

 ところが最近公開された米陸軍電信傍受機関のソ連暗号解読資料「VENONA資料」が明らかにした歴史の真実は、ホワイトが「ジュリスト」「リチャード」というコードネームを持つソ連のスパイであり、E・ベントレーとW・チェンバースの告発が真実であるということだった。

 ハルノートはソ連の作為戦争謀略だったのだ。

 東条内閣の外相を務めた東郷茂徳は東京裁判において次の如く証言した。

 「ハルノートは日本に、支那・仏印からの撤兵を要求していた。さらに三国同盟を死文化する条項も含んでおり、日本が之を受諾すれば、三国同盟を日本から破棄する事になり、国際信義の問題となる。この問題を除外しても、日本がハルノートを受諾して撤兵し、警察官までも即時引揚げる事になれば、中・南支でも日本がそれまでした事はすべて水泡に帰し、日本の企業は全部遂行できない事になる。

 また、南京政府に対する日本の信義は地に墜ち、地方での排日・侮日感情は強くなり、日本人はこの地方から退去しなければならなくなる。

 さらにハルノートは満洲方面についても同じ事を要求しており、従って日本は満洲からも引揚げなければならなくなり、その政治的影響は自ずから朝鮮にも及び、日本は朝鮮からも引揚げなくてはならない事になる。換言すれば、日本の対外情勢は満洲事変前の状況よりも悪くなり、ハルノートは日本が日露戦争以前の状態になるような要求である。これがすなわち東亜における大国としての日本の自殺である。

 ハルノートは日本に対し全面的屈服か戦争か、を迫るものと解釈された。もしハルノートを受諾すれば、日本は東亜における大国の地位を保持できなくなるのみならず、三流国以下に転落してしまうのが、ハルノートを知る者全員の一致した意見であった。

従って、日本は自衛上戦争する外ないとの意見に一致した。」

 果たして本当にハルノートの受諾は「日本の自殺」を意味し、日本は自衛上戦争する外なかったのであろうか?所長は、ハルノートの受諾こそ「日本生存の道」であったと考える。

 もし我が国政府が、対米英開戦必敗を自覚し臥薪嘗胆の故事にならい、ハルノートの受諾を宣言し、第3、4、5項を実行すれば、我が国は対米英開戦を回避できるばかりか、昭和20年3月の繆斌工作を先取りして蒋介石の重慶政権と全面和平を実現し、汪兆銘政権樹立を推進した尾崎秀実らゾルゲ機関の謀略活動の成果をことごとく覆滅することができたのである。

 もしアメリカ政府が満洲国の否認まで求めてきたならば、我が国政府は、

「日本はアメリカ政府の苛酷な要求を受諾してまで日米和平を実現しようとしているのに、アメリカ政府はハルノートに明記されていない満洲国の否認まで要求してくる。満洲国は溥儀を始めとする満洲族の悲願であり、我が国がこれを否定することはできない。アメリカ政府は故意に無理難題を提示して日米和平交渉を破壊し、アメリカ国民を日米戦争に駆り立てようとしているのだ。」

と、アメリカの参戦を嫌っていたアメリカ国民に訴えればよい。そうすればアメリカの反戦世論は高まり、アメリカ政府は大義名分を得られず、対日対ヨーロッパ(ドイツ)戦を遂行できず、ソ連がドイツ軍を撃退することは非常に困難になったであろう。

 我が国はハルノートの受諾によって、これに秘められたソ連の作為戦争謀略(ソ連側コードネーム雪作戦)の裏を完全にかくことができたのである。逆に言えば、ソ連にとって、ハルノートは極めて危険の大きい謀略であったとも言える。

 だからこそ日本政府をして確実に受諾を拒否し対米開戦を決断させる為、1941年11月18~25日の1週間にホワイト・モーゲンソー案が含んでいた対日宥和条項が、国務省極東部関係者―おそらくはソ連のスパイ―によって削除されたのであろう…。

 汪政権の樹立に猛反対した外交官、田尻愛義は「蒋介石政権を相手とせず之を抹殺すると宣言したこと自体、信義にもとる行為であるにもかかわらず、汪に対する信義を重んじて南京政権を樹立承認し、支那事変解決の道を自ら閉ざしてしまった日本政府の外交方針」を非難していた。

 ハルノートは履行の期限を設定しておらず、我が国はこの不備を突いていくらでもアメリカ政府と駆け引きを行えたのに、第4項は満洲国の否認を含むと勝手に断定し、汪兆銘政権に対する信義を重んじて拙速に対米英開戦を決断した東郷茂徳は、汪を喪い既に形骸化した南京政権の解消に反対して繆斌工作を妨害した重光葵と共に、臨機応変の機略なく、国益を重視せず、国際功利主義に徹しない日本外交の象徴であるといえよう。


参考文献

ハルノートを書いた男(須藤眞志著/文春新書)

ルーズベルト秘録下(産経新聞)

田尻愛義回想録(田尻愛義著/原書房)

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