徳川家康(山本七平著/プレジデント社、1992年初版発行)
第六章「貞永式目」的法治の再興
・家康の「学問好き」
・統治者の実学
・政略家にして政策家
・なぜ刑罰は過酷だったか
・「法」と「礼」
・根本は旧法、新法は枝葉
・慎重だった征夷大将軍就位
・わずか十三カ条の武家諸法度
・公武の分離
・家康の天皇観
・宗教勢力の位置づけ
徳川家康は、関が原の戦いの直後、まだ征夷大将軍になる前に、細川藤孝、本多信富、曽我古祐、蜷川新右衛門ら、貞永式目(1232年)以来の武家法に詳しい者を召し出し、前代の旧法を調査し、1611年から翌年にかけて関西および東北の諸大名に、「右大将(頼朝)以後代々公方法式の如く、これを仰ぎ奉り、損益を考え、江戸に於て御目録出ださるれば、いよいよその旨、守るべきこと」を誓約させた。
また家康は、禁中並公家諸法度の制定にあたっても、事前に五山の僧侶に必要な資料を提出させた。家康が武家諸法度および禁中並公家諸法度を制定するために、過去の歴史を調査し、旧慣と古法を重んじたことは、武家諸法度が続日本紀を引き、また禁中並公家諸法度が「罪の軽重は各律例(律令格式と以後の朝廷の慣例)を守らるべきこと」を定めたことからも窺える。
徳川家康の法思想はいかなるものであったのか。武野燭談は次のように伝えている。
「東照宮の上意に、政道は兼ねて末の事を考うるを以て、掟とはいうぞ。離婁が明、公輪子が工も、規矩(コンパスと定規)を以てせざれば方円をなすこと能わずとあれば、規矩は天下の法式なり。
例えば畳の長さは六尺、横は三尺と定めあるが故に、都鄙、遠境、これを敷くに更に違わず。善き正道もまた、かくの如し。さのみ大事も伝授もなき事なり。ただ古を以て師となし、古法を用うるにあり。然らざれば、皆小刀細工というものにて、主とする所なし。故に渠(かれ)には謂われ、是には謂われ、彼方此方を削り改めて、ことごとく古法を失い、新法のみにて、土民を困窮せしむ。故についに家くつろぐ基となりぬ。
総じて定法にもとり、分別立てをして、我を是とする者は、わが言い出したることに理を立てんとする故、無益の争いを起して、ついには身をも失うのみか、主人の家をも危うくして、先祖の千苦万労したる懸命の所領をも徒らに失うこと、不幸とやせん不忠とやせん・・・返す返す新法のできるは民の苦しむ基なり。
古法は樹木の根にして、新法は枝葉なり。その枝葉を曲げ撓(たわ)めて、見分けのよきように構えたるは作木の如し。能くその根を培いぬれば、花咲き実り、枝葉自ら手を入れずとも盛んなり。凡そ古法を守り、驕を慎み、慈仁をよろず根本にして武備学問を培う事を心となすべし」
家康の基本的な考え方は、時代の変化とともに新法という枝葉が出てくるのは当然だが、それはごく自然発生的な変化にまかすべきで、人為的に手を加えるべきではなく、「返す返す新法のできるは民の苦しむ基なり」であるから、政治はあくまで古法に基づかなければならないというものであった。徳川家康は個人の新しい発想よりも、先人たちの歴史的体験の積み重ねに信を置いたのである。
「総じて定法にもとり、分別立てをして、我を是とする者は、わが言い出したることに理を立てんとする故、無益の争いを起して、ついには身をも失うのみか、主人の家をも危うくして、先祖の千苦万労したる懸命の所領をも徒らに失うこと、不幸とやせん不忠とやせん」とは名言である。これはフランス革命が大惨劇と化した原因を看破し、また皇位の男系継承という皇室の定法に背く驕慢な小林よしのりの運命を暗示しているようだ

徳川家康の法思想が旧慣・古法の尊重であったならば、家康は尊皇でありえても、その逆はありえない。実際に家康は御所の大改増築を行い、禁裏御料を一万石に引き上げた。その上で禁中並公家諸法度を制定して天皇および朝廷の権限を著しく制約したのである。徳川家康の考え方と遣り方には、帝国憲法起草時の伊藤博文らの考え方と遣り方に通じるものがある。
また金子堅太郎の師にあたるオリバー・ウェンデル・ホームズJrは金子を通じて日本の政治家に次のように助言した。
「この憲法に付き予がもっとも喜ぶ所のものは、日本憲法の根本古来の歴史制度習慣に基づき、而して之を修飾するに欧米の憲法学の論理を適用せられたるにあり。
欧米の憲法は欧米国に適するも日本国に適用せず、日本の憲法は日本の歴史制度の習慣より成立せざるを得ざるものなり。
故に本年議会開設の後は日本の政治家たる人はこの憲法の精神に基づき、行政上においても古来の法律、習慣を研究し、国家の歴史慣例を標準として漸次欧米の立憲政治の論理を適用せられんことを望む」
このホームズの助言は、「古法は樹木の根にして、新法は枝葉なり。その枝葉を曲げ撓(たわ)めて、見分けのよきように構えたるは作木の如し。能くその根を培いぬれば、花咲き実り、枝葉自ら手を入れずとも盛んなり。凡そ古法を守り、驕を慎み、慈仁をよろず根本にして武備学問を培う事を心となすべし」という徳川家康の遺訓と同趣旨である。
徳川家康は、辻斬りや追い剥ぎが横行した戦国時代に終止符を打ち、日本国を、女の一人旅ができ、松尾芭蕉が丸腰で日本中を旅行できた平和な法治国家に甦らせた偉大な政治家であり、エドマンド・バークやオリバー・ホームズに勝るとも劣らない法思想家であった。
そのことを教えてくれる名著が山本七平著徳川家康である。
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