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◆安倍氏出馬 聞きたいことは多い (朝日 06/9/2)
私たちが最も注目しているのは、公約で強調されている「新しい国づくり」で、安倍氏がどんな国家像を思い描いているのかということだ。
この点について、安倍氏は「戦後レジーム(体制)から脱却する」と語った。かなり思いを込めた表現のようだが、具体的に何から脱却し、どこへ行こうというのか。これまでの発言からすると、不安を感じざるを得ない。
よもや戦後民主主義の歩みを否定するものではなかろうが、それをどう評価し、何を改め、何を継承するのか、明確に語ってもらいたいと思う。
「脱却」の具体策に挙げたのは新たな憲法の制定だ。「憲法は占領時代に作られた。私たち自身の手で新しい憲法を書こう」と呼びかけた。尊敬する祖父・岸信介元首相譲りの「自主憲法」「占領体制の清算」なのだろうか。
戦後体制という前に、戦前の歴史をどう見るかをまず聞きたい。戦争責任などは「歴史家が判断することだ」と、これまで言葉をにごしてきたからだ。
首相談話などで植民地支配と侵略を反省し、謝罪してきた政府の歴史認識は継承されるのだろうか。
安倍氏はかつて「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長をつとめ、歴史教科書のあり方を批判してきた。こうした考え方は、公約に掲げた教育改革にどう影響するのか。
この会は、歴史教科書の検定をめぐって近隣国に配慮するとした政府の「近隣諸国条項」を攻撃した。この条項は安倍政権では廃棄されるのか。
中国や韓国とは「信頼関係の強化」を目指すというが、こうした点を明確にしないままでは難しかろう。靖国神社参拝の問題をどう克服するのかを含め、具体的な方策を聞きたい。
20日の投開票まで、さまざまな討論会や記者会見が予定されている。安倍氏にただしたいことは山ほどある。
安倍内閣が誕生したら、ぜひとも来年の南京陥落70周年に向けて、南京大虐殺を公式否定し、中韓両国の猛烈な非難を誘い、次のように反論して欲しいものである。
「我々は朝日新聞従軍記者の証言と証拠写真に依拠しているので、抗議をするならば朝日新聞社に抗議してください」と。
これぞ朝日の誇る本多勝一方式の反論法である


朝日新聞記者は文盲でなければ、当然に百人斬り及び南京事件の虚構性を熟知しているはずである。何故なら昭和12年12月の南京攻防戦を直接取材した朝日毎日の従軍記者は明確に南京事件の存在を否定しており、彼らの証言を裏付ける多くの証拠写真が残存しているからである。
「虐殺?全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはない。誰もそういうことを言ったこともないし、朝日新聞では話題になったこともありません。
難民区は兵隊や憲兵がいて入れませんでした。ですから市民は安全でした。一般市民の屍体というのは一つも見ていません。紅卍字会の人が戦死体をかたづけたりしていました。」(山本治氏 大阪朝日新聞記者)
「南京事件ねえ、全然聞いてない。もしあったとすれば、記者の中で話が出るはずだ。記者というのは、少しでも話題になりそうなことは、互いに話をするし、それが仕事ですからねえ。噂としても、聞いたことがない。
朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がでるはずだ。報道規制?何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていた。」(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ)
「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人聞いてみたが、そのようなことは見たことも聞いたこともない、という返事ばかりだ。何万、何十万なんていう虐殺など、絶対にない。」(細川隆元氏 朝日新聞編集局長)
「十三日に、中山門から城内に入りました。その日は中山門で写真を撮りましたが、南京陥落という写真をもっと欲しいと思い、翌十四日には国民政府だった建物があるというので、そこで写真を撮りました。これが特ダネとなり、号外になったんです。
もうこの日は、難民区の近くの通りでラーメン屋が開いていて、日本兵が十銭払って、食べていました。それと、中国人の略奪が続いて、中山路で机を運んでいる中国人や、店の戸をこじ開け盗んでいる者もいました。
十六日は、中山路で難民区から摘出された便衣兵の写真を撮っています。中山路いっぱいになりましたが、頭が坊主の者、ひたいに帽子の跡があって陽に焼けている者とか、はっきり兵士と分かる者を摘出していました。でも髪の長い中国人は、市民とみなされていました。たくさんの中国人が、日の丸の腕章をつけて、日本兵のところへ集まっていましたから、とても残虐行為があったとは信じられません。
もちろん、社の人たちからも、そんな話は聞いていません。
日本兵の屍体は、撮ってはいけないと言われていましたが、私は何でも撮りました。でも後になって見ても、日本兵が残虐なことをやっている写真なんか一枚もありません。この中には、日本兵が慰問袋を中国人にわけてやってるのがありますが、たくさんの中国人が群がっている、そんなものもあります。
こういう状態ですから、虐殺なんていうことは、私がたまたま見ていないというのではなく、なかったのだと思っています。(中略)
とにかく、陥落から、二十四日まで南京にいましたが、南京事件なんていうのは、戦後聞いた話で、確か二十一年か二十二年ごろだったと思います。NHKの真相箱という番組があって、ここで南京で虐殺があったと聞いたのが、初めてです。たまたま聞いてましてね。
テーマ音楽に、チャイコスフキーの交響曲が流れて、その後で、機関銃の音や、『キャー』と叫ぶ市民の声があって、ナレーターが『南京で虐殺がありました』って言うんですよ。吃驚しましたね。これを聞いて、『嘘つけ』と、私はまわりの人に思わず言った記憶があります。
十年ほど前にも、朝日新聞が『中国の旅』という連載で、南京で虐殺があったと、中国人の話を掲載していましたが、そのころ日本には、当時南京にいた人がたくさんいるわけです。それなのに、
『何故日本人に聞かないで、彼らに都合のいい嘘ばかりのせるのか。』
そう思いました。当時南京にいた人は、誰もあんな話は信じないでしょう。それ以来、私は自宅で朝日を購読するのを止めましてね、その時、配達員に、
『朝日は嘘を書くから、とるのを止める。』
って、言いました。
よくあることですが、被害者は誇張して被害を語るものです。ことに南京陥落のころには、朝日記者やカメラマンが大勢いました。そうした人たちの証言ものせずに、一方的な被害記事に終始していたのでは、信頼性ある記事にはなりません。」(佐藤振寿氏 東京日日新聞カメラマン)
【朝日新聞が報道 「平和甦る南京」の写真特集】

まず、第1回の写真特集から見ていこう。タイトルは「平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》」である。「17日河村特派員撮影」とあるから、南京占領5日目の写真である。
写真説明(1)は兵隊さんの買い物(右)
占領5日目に早くも露天商が出て、兵隊が銃も持たないで買い物をしている。この日は、松井軍司令官を先頭に入場式があった日である。南京攻略戦に参戦された須山道男さん(76)はこの写真を見て「なつかしいですネ、これが本当の占領直後の南京風景です。入城式のあった17日の午後からは、銃も持たずに支那人街の露天をひやかして歩いた経験があります。この写真のように子供も大人も手製の日の丸の腕章をつけて、私たちに近ずいて来ましたよ。」と言う。
写真説明(2)は皇軍入城に安堵して城外の畑を耕す農民達。(真中上)
南京には城内にも畑や丘がある。この写真を見ただけでも、平和が早くも甦ったという実感が湧くではないか。
写真説明(3)は皇軍に保護される避難民の群。(中下)
城外のどこかに避難していた市民は、城内がもはや安全とみて続々と帰ってきた。その市民を誘導している写真である。ここには護衛の日本兵の姿さえ見えず、市民の表情も明るい。光華門一番乗りを果たした歩兵36連隊の西坂中さん(78)は言う。「我々の部隊は占領14日目には南京をあとにして上海に向かったが、その途中続々と南京に帰る避難民に会った。支那人はそうした情報にはすごく敏感だから逃げ足も早いが、安全とみればすぐ帰復します。」と・・・・。松井石根大将の12月20日の日記には、「尚聞く所によれば、城内残留の内外人は一時多少の不安の情ありしが、我が軍による治安漸次落ち着くと共に漸く安堵し来れり。・・・・・人民も既に多少宛帰来せるを見る」とある。(全文カナ書き、句点・筆者)
写真説明(4)は和やかな床屋さん風景。(左)
中華街の名物、街頭床屋である。子供も大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。占領5日目から床屋も露天商も店を開き、兵隊は武装なしで散歩しているのがわかる。松井大将の言う「安堵の色」いっぱいである。これが何十万という大虐殺のあった街の風景でしょうか?

写真特集その2、12月22日の新聞掲載ゆえ、20日ごろの河村特派員の撮影とみられる。(占領8日目)タイトルは「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」
写真説明(1)は治療を受けている支那傷病兵(右上)
第13師団参謀長中津三夫大佐の東京裁判での陳述によると「南京は11月下旬より遠く東南戦線の戦死死傷者の収容所となり、移転せる政府機関、個人の私邸まで強制的に病室にあてられ、全市医薬の香がび漫したる状態なり。
これにより生ぜし死者もまた少なからず・・・」と。これを裏付けるように「東京日々新聞」(のち毎日新聞)がスクープした某外人日記にも「25日(11月)、戦死傷者の南京後送で、移転後の政府機関はもちろん、私人の邸宅まで強制的に病室に当てられ、全市医薬の匂いが蔓延し、傷病軍人の町と一変した・・・」とある。
唐生智麾下の守城軍はこれらの傷病兵を置き去りにして、我先と退却・逃亡したのである。この中国傷病兵を、日本軍の軍医や衛生兵がねんごろに治療にあたっている写真である。”昨日の敵は今日の友”殺害どころか治療し看病している姿、これが真の日本軍の武士道的姿である。
写真説明(2)は皇軍将兵の情に食欲を満たす投降兵(左上)
南京事件の最大の問題は捕虜の殺害の有無に関する争点である。第13師団の山田支隊(山田梅二少将)麾下の歩兵第65連隊が幕府山付近で捕らえた捕虜は1万4千にもおよぶ大量のものであった。
『「南京大虐殺」のまぼろし』の著者、鈴木明氏も、わざわざ仙台におもむき、山田少将ほか関係者数名を訪ねてその真相を究明しており、私も福島に飛び、この捕虜事件に関係した第65連隊の連隊砲小隊長・平林貞治氏(当時少尉)から事件の真相を聴取した。
その真相は、自衛隊戦史室編の「支那事変陸軍作戦①」にある内容とほぼ同様であった。すなわち、彼らの食料に困惑し、約半数の非戦闘員を釈放した。
翌日ボヤが起き、その混乱に紛れてその又半数が逃亡しヤレヤレと思った。残りの4千名を、彼らのはいている巻き脚絆で数珠つなぎにした。巻き脚絆だからしばってもしばったことにならないが、ともかく揚子江支流の中州へ釈放すべく連行した。
その時、どこかで銃声がした。それをきっかけに、突如、捕虜の逃亡・反乱が起き、日本側も将校1、兵10数名の死傷者を出した。
捕虜千ないし2千が銃殺、他は全員逃亡するという事件があった。捕虜の逃亡・反乱はその場で射殺という掟は国際法の認めるところである。しかし日本軍は、従順な捕虜に対しては、この写真のように温情が施されたのである。
写真説明(3)は砲撃やんだ南京城内に描かれた親善風景(真ん中)、
写真説明(4)は山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐(右下)
教導総隊は雨花台、紫金山で戦ったもっとも抗日意欲旺盛な、日本軍を悩ませた部隊でもあった。その沈少佐はのちに、汪兆銘の南京政府に起用されている。
写真説明(5)は南京城内の親善風景(左下)
手製の日の丸の腕章をつけた大勢の市民が、いかにもくつろいだ風情で、道路いっぱいにひろがり交歓している様子がうかがえる。(河村特派員撮影)
【日本国民を賢くする本】
石原によれば、日本の敗戦は、狭小なる国土に圧縮された日本に、「民族の総力を傾注して内容一変せる新国土を建設し、土地資源の侵略を必要としない国家を実現し、世界に先駆けて、戦争を必要とせざる文化を創造する」という聖業を課す「神意」であり、石原莞爾は、
「かかる新日本の建設のみが、よく日本当面の諸問題を解決するのみならず、人類文化の最大転換期に際し、最も輝かしき貢献を為す所以である。」
と述べ、都市解体、農工一体、そして「自然を征服し人類を衰亡へ導く近代の文化生活を改め、大自然に抱かれつつ最高の科学文明を駆使して自然と人為を完全に調和し、真に人類の生命を永遠ならしめる」簡素生活を三本柱とする日本再建策を著した。
敗戦後に石原が提唱した日本再建策石原莞爾戦後著作集「人類後史への出発」
石原をして戦争の天才たらしめた彼の偉大な軍事的才能は、我が国の敗戦によって戦争から解き放たれ、神武天皇が橿原奠都に当たり勅せられた「上は則ち乾霊の国を授けたまう徳に答え、下は則ち皇孫の正を養いたまうの心を弘めむ。然して後に六合を兼ねて以て都を開き八紘を掩いて宇と為むこと亦可ならずや」という我が国肇国の理想たる八紘一宇―道義に基づく世界一家恒久平和―を実現する新文明の創造に傾注されて、敗残日本を照らす希望の燈明となった(国民必読の書、大東亜戦争の電子書籍 「戦争の天才と謀略の天才の戦い」国民のための大東亜戦争正統抄史1928―56)より。
我々日本国民は断じて我が日本をアメリカの植民地にはしない!
増税が日本を破壊する
国富消尽
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【緊急要請】
女性女系天皇に反対の声を上げてください。これが認められると、日本は日本でなくなります。政府と政治家に準皇族である旧宮家の皇籍復帰を要請しよう。
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・民間防衛 新装版―あらゆる危険から身をまもる
▲これを読むと、われわれ日本人が毎日見聞している、朝日新聞ら日本の反日左翼勢力の反戦平和主義運動が、反日諜報謀略活動そのものであることが簡単にわかります

・世界がさばく東京裁判
▲外国人識者による東京裁判の批判の決定版。これを読むと、毎年マスゴミが虚偽報道を繰り返し視聴者を騙していることがわかり、戦慄する…。
・憲法義解
▲わずかでも憲法に興味を持つ日本国民は、すべからく帝国憲法義解を熟読すべし。さすれば、日本国体(国柄)の深遠と、歴史の中から国体を把握しこれを成文化する正統憲法学の真髄に触れることができ、さらに法と自由の相互関係について理解を深めることができよう。国体の把握が占領憲法改正議論に参加する最低条件と知るべし。
・憲法無効論とは何か
・古代天皇はなぜ殺されたのか
▲古代日本には一年二歳という慣習があり、神武肇国は西暦181年であることを究明した。これを読むと古事記日本書紀への眼差しが一変する

・正統憲法復元改正への道標
▲法曹関係者の間では有名な東大憲法学の芦部信喜、小林直樹両教授は、昭和三十八年に、帝国憲法擁護派の小森義峯教授によって彼等の憲法論の誤謬を厳しく指摘され公開論争を挑まれたが、一言半句の反論もできず、沈黙を余儀なくされたことを付言しておきます。
宮沢俊義によって捏造され、樋口陽一に継承されている東大法学部マルクス憲法学は、すでに論破され大敗北を喫した真赤なウソ学問なのである

歪められた日本神話
「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。
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