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チェ氏は江戸時代から明治時代の日本の素晴らしさと李氏朝鮮のむごたらしさを比較研究しながら真実を探求している。この本には「ナルホド」とうなずける指摘が結構あり、とくに次の指摘は日本の親中派であり媚韓派でもある朝日新聞に読ませたい。
「しかしいったい朝鮮にとって中国と、日本や西洋の先進諸国とのどちらのほうが、毒だったのだろうか?中国の腐りきった文化こそ、韓民族を救い難いまで毒してきたのだった。
李氏朝鮮はそのような中国を、宗主国として崇めてきたのだった。今日でも韓国語の大国というと、アメリカやロシアのような大国も他にあるのに、中国だけを意味している。李氏朝鮮の鋳型は、そのまま中国文化の呪いである。
その後のアジアの歴史は、中国的なるものと、日本的なるもののどちらのほうが、開明的であって、発展をもたらしたのか、証明している。
金玉均は、日本を光としてみた。中国は、闇であった。
私にとって今日の日本の政界や、経済界や、知識層のなかに、親中派が多くいるのは、不思議なことだ。今日の中国も、清か、明の時代を型紙としてつくられていて、残酷な政治文化を受け継いでおり、腐敗している。」
チェ氏はよくわかっている。しかし拙者は彼の締め括りを読んで思わずズッコけた。
「日本民族は百済の末裔であり、本性は善である。兄弟国によった日韓併合は、李朝五世紀にわたって不当に押さえつけられてきた韓民族の善なる本性を蘇生させた。いまこそ歴史を再検証するように、提案したい。」

百済滅亡時、日本の人口は約500万人で、朝廷は1000人規模の百済亡命人を受け入れただけだろうに。それに現在の韓民族は新羅高麗の末裔であるから、百済亡命人を受け入れた日本民族と兄弟じゃないし、いったい韓民族のどこに善なる本性が蘇生したのか?
結局のところチェ氏の執筆動機も、朴李病の韓国人と同じように、日本の素晴らしさ、日本民族の善性の起源を半島(百済)に求めて、「韓民族は、自分たちの弟である日本民族と同じく百済の末裔だから本来は素晴らしい才能を持つ善なる民族である、ただ李朝によって不当に抑圧されてきただけなのだ」
と自分自身を含む韓国人を精一杯なぐさめたいだけだったのか…。まぁ気持ちはわからないでもないが。
チェ氏によれば、今日の日本と韓国の間にある大きな差を形成した原因は「李氏朝鮮の五百年と徳川三百年」にあるそうだが、拙者は違うと思う。
徳川家康が朝廷から征夷大将軍の宣下を得て江戸に幕府を開く前から、日本と李氏朝鮮には間には、月とスッポンいやミドリガメぐらいの実力差が開いていた。それは李氏朝鮮の宗主国「明」の国力を枯渇させた豊臣秀吉の朝鮮征伐によって証明されよう。
所長が思うに、朝鮮半島を停滞させ腐敗させた原因は、朝鮮の土地改革が日本に比べて1167年遅れたからであろう。
古代日本では、朝廷は、朝廷自身が土地と人民を直接支配する公地公民制度を実現するために、班田収授法を施行し、農民に租調庸という重税と兵役義務を課した。しかし公地公民制度は、いわば現代の社会主義的計画経済に相当し、人民が蒼生(刈られる青草)として扱われる支那王朝では機能するかもしれないが(中国幻想―知られざるチャイナ残酷物語
それを知った第45代聖武天皇は、743年5月27日次の詔(懇田永年私財法)を発した。
「聞くところによると、墾田は養老七年の格(723年の三世一身の法。自力で新たに開墾した田地は三代までその土地の所有を認める)によって、期限が満ちた後は例に従って、官に収め口分田として班給すると。そのために農夫は怠けてなげやりになり、土地を開墾してもまた荒れてしまう。それで今から後は、自分で開墾した土地は、自由に個人の財産として、三世一身の法をあてはめることなく、すべてみな永年にわたって、公が取り上げることがないようにせよ」(続日本紀
すると農民たちは俄然やる気を出し土地の新規開墾に励み、日本は国力を高めていった。そして私有財産を蓄えた有力農民は豪族なり、やがて彼らは農業に従事しながら農地と農民を守るために武装して武士となり、臣籍降下した歴代天皇の子孫(源平)を頭領に迎えて全国各地へ勢力を拡大していき、「一所懸命」という言葉(命懸けにて一所領を守る)に象徴される土地の所有に対する強い執着が日本人の行動様式として確立された。
これが日本に封建制度を確立し、元寇を撃退する日本の実力を育て、また元軍との戦いで活躍した武士たちに恩賞として十分な土地を与えることが出来なかった鎌倉幕府を瓦解させた…。
チェ・キホ氏は次のように書いている。
「韓日両民族が辿った歴史は、実に対照的である。今日の日本をつくったもとは何かといえば、徳川時代であるが、法がよく守られ、和が重んじられて、人々が創意と向上心に満ち、優しかった。
徳川時代の日本は、当時の世界のなかで、民衆がどこの国よりも、もっとも恵まれた国だった。演劇と絵画だけとっても、他のあらゆる国では、演劇や絵画といえば支配階級に属していたのに、日本の絢爛豪華な歌舞伎や、後にヨーロッパの近代絵画にジャポニズムとして大きな影響を与えた浮世絵も、町民のものだった。庶民は外食産業、湯治、伊勢参りのパック旅行といったように、豊かな生活を楽しんだ。
李氏朝鮮は、民衆に対する徹底した収奪と迫害によって、暗く、おぞましい五百年を韓民族にもたらした。」
庶民が豊かな生活を楽しめたのは、潤沢な私有財産を蓄積していたからに他ならず、これによって庶民は自由を享受し、歌舞伎や浮世絵、外食産業や観光旅行産業を発展させたのである。
石原莞爾も人類後史への出発の中で「自由主義は日本民族の最も愛好するところであり、封建時代の日本民衆は恐らく欧州の何れかの国民よりも多くの自由を享受していたものと思う」と述べている。
所長が思うに、それらは徳川幕府の治世と織田信長・豊臣秀吉の兵農分離、そして聖武天皇の聖断が庶民にもたらした恩恵であろう。
聖武天皇は748年3月8日次のような詔を発した。
「朕は徳の薄い身であるが四海に君臨し、朝早く起き、夜おそく寝てからも多くの人民のことを心配している。しかしまだ教化が行き渡っていないので、禁を犯す者が多い。これは教え導くことが明らかになっていないからである。もろもろの人民のあやまちや罪ではない。多くの国々の中で罪があるとすれば、私一人の責任である。すべてのきずやけがれを取り去って、自らを新しくさせよう。よって天下に大赦を行うこととする。天平二十年三月八日の夜明け以前の死罪以下すべてを赦せ。」(続日本紀
朝鮮民衆の不幸は、聖武天皇のように自省と慈愛に満ちた君主が李朝に現れなかったことであろう。
かつての李氏朝鮮やソ連がそうであったように、私有財産制度を否定する国では、必ずと言っていいほど自由が死滅し、人民のほとんどは独裁者とそれを取り巻く幹部のみを肥え太らせる全般的奴隷に転落して疲弊困憊し、庶民文化や私有財産を保護する各種の法制度を発達させる萌芽はことごとく摘み取られ、「他人のものを盗んではいけないという」最低限の倫理観すら消滅してしまう。
よくよく考えてみれば、我が国が1910年から9年のあいだ朝鮮半島の土地調査を行い、日韓併合以前は国有(実際は王の所有)であった朝鮮半島を公有地と私有地に区分し、土地、家屋売買、抵当、交換、贈与に関する法律を整備し、不動産証明令を施行して朝鮮人の土地私有権の法的保障を図ってから、100年も経過していない。
我が国は、聖武天皇が743年に墾田永年私財法を施行してから1263年の土地私有の歴史を有しているというのに…。
しかも韓国では、日本の朝鮮統治を直接体験した世代が少なくなるにつれて、李氏朝鮮と変わらぬ北朝鮮を愛する左翼勢力が急速に拡大している。
所長が懸念するに、こんご韓国では「他人のものを盗んではいけないという」最低限の倫理観はどんどん衰退していき、韓国人の罪悪感を伴わない日本に対する朴李病は不治の病になるのではないか…。
約500年に亘る李氏朝鮮の大虐政を知る者は、公地公民制度を復活させようとは決して思わないだろう。もし拙者が「聖武天皇が墾田永年私財法を発して律令制度を形骸化したことはケシカラン、日本はもう一度公地公民の理想を追求すべきである」といったら、関西人の読者の方々は「何ゆうてんねん、おまえ、アホやろ?」とツッコミを入れるだろう。
しかしルソー思想にかぶれて土地の私有を全面否定し公地公民制度を現代に復活させようとしている者どもが、実は日本の左翼勢力なのである。彼らは事ある毎に我々ネット右翼(熱湯浴)を時代錯誤な復古主義者と罵倒し、過去を直視せよ反省せよと喚き散らすが、古代日本で大失敗した公地公民制度を人類の理想と錯覚している左翼勢力こそ、よほど過去の失敗を反省しない時代錯誤な復古主義者であろう。
もしかすると我々が楠木正成よろしくブサヨクに浴びせ掛けて彼らの垢を洗い落とすための熱湯は

また日本政府が5月27日を「私有と自由の記念日」としたら、国民は聖武天皇の聖断に感謝し、聖武天皇の子孫であられる現在の皇室に対する敬愛の念をますます深めるかもしれない。
我々日本国民は、皇室が人民を国の大宝として大事にしてきたことを、改めて有り難く思わなければなるまい。
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▲万能微生物酵素洗剤

これは微生物洗剤であり、家庭排水を水質浄化剤に変えて排水管だけでなく、河川と海を浄化する画期的な製品なのだが、地球洗い隊本部のブログによれば、某テレビ局において、開発者の安川さんへのインタビューを中心に、身体洗いや歯磨きの話まで実演付きで紹介され、大阪八尾市でバラタナゴという魚の保護活動でもとれるNO,1が使われているという話も紹介されたという。
大変すばらしいことである。日本国民一人ひとりが万能微生物酵素洗剤

【日本国民を賢くする本】
石原によれば、日本の敗戦は、狭小なる国土に圧縮された日本に、「民族の総力を傾注して内容一変せる新国土を建設し、土地資源の侵略を必要としない国家を実現し、世界に先駆けて、戦争を必要とせざる文化を創造する」という聖業を課す「神意」であり、石原莞爾は、
「かかる新日本の建設のみが、よく日本当面の諸問題を解決するのみならず、人類文化の最大転換期に際し、最も輝かしき貢献を為す所以である。」
と述べ、都市解体、農工一体、そして「自然を征服し人類を衰亡へ導く近代の文化生活を改め、大自然に抱かれつつ最高の科学文明を駆使して自然と人為を完全に調和し、真に人類の生命を永遠ならしめる」簡素生活を三本柱とする日本再建策を著した。
敗戦後に石原が提唱した日本再建策石原莞爾戦後著作集「人類後史への出発」
石原をして戦争の天才たらしめた彼の偉大な軍事的才能は、我が国の敗戦によって戦争から解き放たれ、神武天皇が橿原奠都に当たり勅せられた「上は則ち乾霊の国を授けたまう徳に答え、下は則ち皇孫の正を養いたまうの心を弘めむ。然して後に六合を兼ねて以て都を開き八紘を掩いて宇と為むこと亦可ならずや」という我が国肇国の理想たる八紘一宇―道義に基づく世界一家恒久平和―を実現する新文明の創造に傾注されて、敗残日本を照らす希望の燈明となった(国民必読の書、大東亜戦争の電子書籍 「戦争の天才と謀略の天才の戦い」国民のための大東亜戦争正統抄史1928―56)より。
【緊急要請】
女性女系天皇に反対の声を上げてください。これが認められると、日本は日本でなくなります。政府と政治家に準皇族である旧宮家の皇籍復帰を要請しよう。
旧宮家の復籍こそGHQの呪縛を断ち日本が独立主権国家として再興する近道であると信じる方は、一日一押人気ブログランキングをクリック

・バカバカしい舛添要一の女性女系天皇容認論
・皇室典範改正問題まとめサイト
【戦後民主主義狂育の洗脳から日本人を覚醒させる書】
マルクス史観に汚染された高校歴史教科書を信用する者は、実証史学を採用する公務員試験には合格しない!戦後日本マルクス占領憲法解釈学からの覚醒
占領憲法無効論とは帝国憲法及占領憲法有効論
・民間防衛 新装版―あらゆる危険から身をまもる
▲これを読むと、われわれ日本人が毎日見聞している、朝日新聞ら日本の反日左翼勢力の反戦平和主義運動が、反日諜報謀略活動そのものであることが簡単にわかります

・世界がさばく東京裁判
▲外国人識者による東京裁判の批判の決定版。これを読むと、毎年マスゴミが虚偽報道を繰り返し視聴者を騙していることがわかり、戦慄する…。
・憲法義解
▲わずかでも憲法に興味を持つ日本国民は、すべからく帝国憲法義解を熟読すべし。さすれば、日本国体(国柄)の深遠と、歴史の中から国体を把握しこれを成文化する正統憲法学の真髄に触れることができ、さらに法と自由の相互関係について理解を深めることができよう。国体の把握が占領憲法改正議論に参加する最低条件と知るべし。
・憲法無効論とは何か
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▲古代日本には一年二歳という慣習があり、神武肇国は西暦181年であることを究明した。これを読むと古事記日本書紀への眼差しが一変する

・正統憲法復元改正への道標
▲法曹関係者の間では有名な東大憲法学の芦部信喜、小林直樹両教授は、昭和三十八年に、帝国憲法擁護派の小森義峯教授によって彼等の憲法論の誤謬を厳しく指摘され公開論争を挑まれたが、一言半句の反論もできず、沈黙を余儀なくされたことを付言しておきます。
宮沢俊義によって捏造され、樋口陽一に継承されている東大法学部マルクス憲法学は、すでに論破され大敗北を喫した真赤なウソ学問なのである

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TBさせて頂きました。
記紀以前の文書「ヲシテ文献」をご紹介しているものです。
大陸の覇権思想の圧力は、紀元前からあり、
それに対して防備を固められた、11代垂仁天皇、12代景行天皇、ヤマトタケさまなどのご業績を私なりに書きました。
読んで頂ければ、嬉しいです。
>なんで日本民族が百済の末裔やねん!?<
> 百済滅亡時、日本の人口は約500万人で、朝廷は1000人規模の百済亡命人を受け入れただけだろうに。それに現在の韓民族は新羅高麗の末裔であるから、百済亡命人を受け入れた日本民族と兄弟じゃないし、いったい韓民族のどこに善なる本性が蘇生したのか?<
この点を除き、ご意見に100%同感です。日本人が、漢・韓両民族の血を濃厚に受け継いでいるのは否定できません。
では何故現代の我々がかの大陸・半島の住人と種が違うといっても誰も不思議がらないのは何故か。
それは、個人個人がもつ「やる気」を発揮できる社会が育ってきたからです。古事記、日本書紀、続日本紀などなどからも当時の為政者が如何に民草の幸せを考えて、治世してきたか分かります。唯物史観に立論する学者が言うような人間社会は自動的に発展するものではありません。
優れた民族的指導者があってこその社会発展です。この点、我が国は本当に恵まれてきました。
いま、日本民族にとって最大の心配事は、シナ事変以降のマスメディアがそうであったように、ひとつのイデオロギー(コミンテルンの亡霊に憑かれた贖罪史観)一色に染め上げられていることです。もっとも、少数ながら正気で孤軍奮闘しているメディアもありますが。
かって加藤紘一なる馬鹿者がインターネットで何十万の支持があるといって、茶番劇の主役を演じました。本当に50万の支持レスが有ったのかどうかは知りませんが。
そのネットがいま祖国再興の武器になりつつあります。ネットを通じてマスメディアが伝えない真実が国民とくに若い層へ広がっていくことに74歳の老人は民族の明日を託したいと思います。
>日本人が、漢・韓両民族の血を濃厚に受け継いでいるのは否定できません。
うーむ、私にはよくわかりませんが、神武肇国(西暦181年 古代日本一年二歳説による)以降、日本列島への大規模な半島大陸民族の流入は無いはずですが…。
神武東征それ自体が、大陸半島を支配してきた先進的民族集団がさらに「乳と蜜のしたたる地」を求めて、列島に進出してきたのだと私は考えています。
大陸半島で荒んだ殺戮に明け暮れ、倦み疲れた武装集団も列島へ進出してきて、半島大陸に較べると格段に穏和な風土に住む先住民族が同族であることに気がついたことから列島は大陸半島とは違った歴史を歩み始めたのです。
人間は生まれながらにして平等であるというのは近代民主主義が産んだフィクションで、人類がここまで進歩発展してきたのはすぐれたリーダーに恵まれたグループが各地で時代時代に活躍したからです。
そういった意味では日本人は本当に恵まれて来ました。栄持所長のご主張に100%同感するものです。
>>日本人が、漢・韓両民族の血を濃厚に受け継
>いでいるのは否定できません。
> うーむ、私にはよくわかりませんが、神武肇
>国(西暦181年 古代日本一年二歳説による)以>降、日本列島への大規模な半島大陸民族の流入
>は無いはずですが…。
元寇を忘れてますよ
元寇は元による朝鮮、宋人の棄民政策の面もあります
反抗する宋人たちを大船建造と鎌倉討伐に駆り立て其の力をそぐそういった面もあり
鎌倉政府も心得たもので二度の元寇の後処刑されたのは元の人間だけで宋と朝鮮の人々は帰化を許しています。無論人数的には少数なのですがね
@半島は関係ないので出してなくご存知かと思いますが
三国時代の呉による日本人拉致計画の頓挫があります、呉からの人間の流入ですね中国地方の「呉系」地名および漢字の呉音などに残ってます。
まぁ、これをとってみても百済の末裔はちょっとありえませんね。民俗学的に見ても歴史的に見てもDNA的に見ても
PS.もともと漢民族なんて民族は存在しませんよ
血族の後ろ盾を持たないが人気があった劉何某(劉邦の邦は兄貴という意味です)が権力を持ったときに
「おれっちの仲間になったやつぁ~~これから兄弟よ。
漢って一族になろ~~ぜぇ」
まぁ、一族郎党なんてものはこんな物なのかもしれませんがね。
この精神を受け継ぎ、血族的にまったく違った一族が天下をとっても
「おらっちのとこぁ、劉兄貴の精神受け継ぐぜ~~だから俺も漢民族」
支配されるほうも
「お~~俺らの仲間かぃ歓迎すっぜ」
まぁ、なんてすばらしき(??)おおらかさ
おかげで中国を支配した王朝で漢民族でないのは
元と清だけなんです。(DNA的に漢民族の王朝は前漢王朝だけなんですがね、それさえも混血の果て)
「漢民族」をその性格と性質を考慮に入れて本格的に和訳すると「八紘一宇」
だからもし、日本が勝ちアジアに平和と繁栄をもたらしたら漢民族になってたでしょう(笑)