「『日本書紀』には、継体天皇がなぜ即位してから20年も大和に入れなかったのかという理由は一切書かれていない。そこに記すほど大規模な反抗があったわけではないが、やはり大和には5世も離れた継体天皇を認めない勢力があって、それを融和するには20年の在位という期間を要したということなのだろう。」
大伴大連金村・物部大連麁鹿火・許勢大臣男人らに奉戴された継体天皇が20年ものあいだ大和に入京できなかったほど、大和の反継体勢力が強大であったとしたら、この反継体勢力は、朝廷の根拠地であった大和において、当時の朝廷をしのぐ強大な力を持っていたことになる。朝廷の軍事を司っていた物部大連麁鹿火を上回る軍事指導者が反継体勢力を指揮し、20年ものあいだ継体天皇の大和入京を妨害していたことになる。あるいは継体天皇が大和の反継体勢力を20年ものあいだ討伐せずに放置していたことになる。
それが有り得なかったことは、日本書紀継体天皇紀が記録する「磐井の反乱」を読めば判る。
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日本書紀継体天皇紀「磐井の反乱」
二十一年夏六月三日、近江の毛野臣が、兵六万を率いて任那に行き、新羅に破られた南加羅トクコトンを回復し、任那に合わせようとした。このとき筑紫国造磐井が、ひそかに反逆を企てたが、ぐずぐず年を経、事のむつかしいのを恐れて、隙を窺っていた。新羅がこれを知ってこっそり磐井に賄賂を送り、毛野臣の軍を妨害するように勧めた。
そこで磐井は肥前・肥後・豊前・豊後などをおさえて、職務をはたせぬようにし、外は海路を遮断して、高麗・百済・新羅・任那などの国が、貢物を運ぶ船を欺き奪い、内は任那に遣わされた毛野臣の軍をさえぎり、無礼な揚言をして、
「今でこそお前は朝廷の使者となっているが、昔は仲間として肩や肘をすり合わせ、同じ釜の飯を食った仲だ。使者になったからとて、にわかにお前に俺を従わせることはできるものか」
といって、交戦して従わず、気勢はさかんであった。毛野臣は前進をはばまれ、中途で停滞してしまった。天皇は大伴大連金村・物部大連麁鹿火・許勢大臣男人らに、詔をして、
「筑紫の磐井が反乱して、西の国をわがものとしている。いま誰か将軍の適任者があるか」
といわれた。大伴大連らみなが「正直で勇に富み、兵事に精通しているのは、いま麁鹿火(あらかい)の右に出る者はありません」
とお答えすると、天皇はそれが「良い」といわれた。秋八月一日(継体天皇が)詔して、
「大連よ。磐井が叛いている。お前が行って討て」
といわれた。物部麁鹿火大連は再拝して、
「磐井は西の果てのずるい奴です。山河の険阻なのをたのみにして、恭順を忘れ乱を起こしたものです。道徳に背き、驕慢でうぬぼれています。私の家系は、祖先から今日まで、帝のために戦いました。人民を苦しみから救うことは、昔もいまも変わりませぬ。ただ天の助けを得ることは、私が常に重んずるところです。よく慎んで討ちましょう」
といった。詔に、「良将は出陣にあたっては将士をめぐみ、思いやりをかける。そして、攻める勢いは怒涛や疾風のようである」といわれ、また「大将は兵士の使命を制し国家の存在を支配する。つつしんで天誅を加えよ」といわれた。
天皇は将軍の印綬を大連に授けて、
「長門より東の方は自分が治めよう。筑紫より西はお前が統治し、賞罰も思いのままに行え。一々に報告することはない」
といわれた。
二十二年冬十一月十一日、大将軍物部麁鹿火は、敵の首領磐井と、筑紫の三井郡で交戦した。両軍の旗や鼓が相対し、軍勢をあげる塵芥は入り乱れ、互いに勝機をつかもうと、必死に戦って相譲らなかった。そして麁鹿火はついに磐井を斬り、反乱を完全に鎮圧した。
継体新王朝説(継体偽帝説)を支持する多くの古代史学者や、それを悪用して旧宮家の皇族復帰を妨害する小林よしのりなどは、戦後の日本国民が日本書紀に疎くなっていることに付け込んでいるプロ詐話師以外の何者でもない。
現代の半島勢力が我が国の各界に仕掛けている調略(寝返り)工作は、筑紫国造磐井に対する新羅の賄賂工作よりも、広く深く浸透している。
我々一般の有権者は、最高の国語教科書でもある日本書紀を読み、武士(もののふ)の語源である物部麁鹿火の気概に習い、パチンカス小林よしのりや、中国共産党および朝鮮労働党と連立政権を組んでいる民主党といった「現代の磐井」と戦うべきであると思う方は、ブロガーへ執筆意欲を与える一日一押人気ブログランキングをクリック願います。
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