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戦艦大和復元プロジェクト(戸高一成著/角川書店/2005年初版発行)
第一章大和を造ろう
大和ミュージアム/驚くべきプロジェクト/戦艦大和を十分の一で/スタートから大激論に/あくまで細部にこだわる/船体にも問題が発生/思いがけないヒント/鋳造で曲面を再現する/前代未聞の進水式/資料を揃える/資料のない部分をどう作るか
第二章 造るのは模型ではない、十分の一の大和だ
山本造船に白羽の矢/納期までわずか一年半/腹をくくるしかない/数百枚にのぼる図面作成/正月返上の突貫工事/進水式を迎える/高まる精密さえの要求/棟梁が張った木甲板/トータルメディアの仕事/気の遠くなる作業/デジタル・データの解析/相次ぐ新発見/変わり続ける大和/見え方にも気を配る/ものづくりの精神/初めて明らかになったこと/甲鈑部分と主砲塔/新発見の写真資料/煙突で大失敗/わずかなミスでも最後の難所にさしかかる/カタパルトと格納庫/手摺と空中戦/大和は世界を見る望遠鏡
第三章 一次資料の大半が集められる/写真をどう扱うか/海底調査の重要な映像/既存の写真も入念にチェック/坂上隆氏と大和模型/戦艦大和との出会い/観察とスケッチの毎日/最初の大和模型/百五十分の一大和を作る/十二年かけて作られた名品/艦艇模型を変えた泉江三氏/大和型戦艦との関わり/伝説の模型集団/戦艦大和の資料を追って/純銀製の戦艦武蔵/図面「E800」/世界の博物館模型/研究に終わりはない
第四章 戦艦大和の遺したもの 半藤一利・戸高一成特別対談
大和計画当時の状況/大和の建造計画/世界最大の戦艦/意外に近かった想定決戦海面/計画と運用の間のギャップ/使い道のなくなった主力戦艦/艦隊決戦思想のシンボル/大和がもたらした技術革新/レイテ沖海戦はこうして計画された/空前のレイテ沖海戦/「大和が沈むかもしれない」/大和特攻の発端/一億総特攻のさきがけ/片道燃料ではなかった/戦艦大和とは何だったのか
第五章 生き続ける大和
完成間近を迎える/最後の仕上げ/完成した大和が教えること/大和建造ドックの御影石/語り継がれる大和
片道燃料ではなかった
半藤「ところで第二水雷戦隊の大迫吉二という機関参謀、燃料についての主務参謀がこう語っています。
『二水戦の艦長集合のときだった。一人の艦長が、油はないんだって、と聞いた。私がどこへ行っても油はないんだ、と答えると、その艦長は真っ赤になって、死にに行くのに腹いっぱい食わさんという法はないじゃないか、と叫んだ。私ももう一度、集められるだけ集めようと思い直して、引き受けた。出撃準備をやる一方で、呉や徳山の重油タンクを回って、根こそぎ出してくれというふうに頼んで歩いたのは、各艦の機関長だった。』
各艦の機関長を総動員したんですね。こうして『腹いっぱいの燃料をつめこんで出撃した』。よく言われるように、片道燃料だったということはないんですね。
連合艦隊の機関参謀・小林儀作大佐が特攻の話を聞いて、すぐに呉軍需部長・島田藤治郎少将に相談した。そして、決められた二千トンのほかに、帳簿に載せないタンクの底にたまった油でも、洗いざらい積み込むことに取り決めた。こんな非常手段が成功したのは、こうした上層部と現場からの工作がうまくかみあったからに違いないと。」
半藤「もう一つ面白いことがある。かき集めた油の中には、国民の協力を得て集めた松根油が入っていた。おかげで作戦中止以後、駆逐艦が生き残りを拾って、日本まで帰ってくるだけの燃料があったんですね(中略)」
大和以下の海上特攻隊が使用した燃料は、海上護衛総隊のものであった。海軍首脳部は、海軍本来の主任務-海上交通線の防衛と商船隊の護衛-を細々と遂行していた海上護衛総隊の燃料割り当て分7,000トンの内4,000トンを強奪して海上特攻隊に与えたのである。そのことを無視する半藤一利の海軍うんちくなど全く無用の長文である。
1930年代に海軍首脳が建造しなければならなかった海軍兵器は、戦艦大和ではなく、多数の護衛空母、水上機母艦、駆逐艦、海防艦、駆潜艇、対潜哨戒機、高速タンカーであった。
昭和の帝国海軍首脳部は、米英蘭の対日石油輸出禁止措置を必ず招来する我が国の対米英蘭戦争を想定して莫大な軍事予算を獲得しながら、海洋国家の戦争遂行に必要な不可欠な海上護衛戦力の整備と充実を怠り、あまつさえ最後の作戦ではそれを妨害し、帝国海軍の歴史に泥を塗り、後世に汚名を遺したのである。
言語道断の戦時輸送の実態
戦艦大和の誕生と沈没の歴史的な意味は、残念ながら帝国海軍首脳が痴呆化してしまい海軍本来の任務を忘却していたことである。それに触れない戦艦大和復元プロジェクトは戦史書としては大井篤の海上護衛戦に格段に劣る。
しかし戦艦大和復元プロジェクト自体は広島県呉市の観光業の振興に貢献した。戦艦「大和」の博物館―大和ミュージアム誕生の全記録によれば、開館初年度は市の人口の7倍近い観客動員数をはじき出したという。大和は死して呉市の経済を護っているのである。
<関連ページ>
・半藤一利の俗説を斬り朝日新聞社の実像を暴く昭和十年代の陸軍と政治
・半藤一利の陸軍論がウソ八百であったことを証明したノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録
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国益国防のことより自分たちのポジション、海軍省の拡大のことしか考えていなかったのでしょうね。シュリーフェンプランも軍事予算獲得のためだったと聞いたことがあります。
七月三十日
午前2時10分、日本軍航空機が、那覇飛行場に墜落、被害が出る。
百キログラムの不発弾を発見。衝突時に落下したもよう。
この飛行機は木製のため、エンジン、その他の金属以外は、レーダーにかからない。
この種の飛行機が、今後の日本軍の特徴となるであろう。
パイロットの地図によれば、この航空機は、台湾から飛んで来たものである。
[上原正稔訳、三一書房刊より]
沖縄決戦における海上挺進隊と震洋特攻隊の戦果は、
駆逐艦3隻大破破棄
上陸用船艇2隻撃沈
貨物船等約10隻損傷
というものでしたが、
それでも
戦艦大和以下の菊水特攻艦隊よりも
活躍していました。
シュリーフェンプランについて以下のような指摘があります。
「1914年、ドイツオーストリア同盟が対露防御同盟だったのに、ドイツはオーストリアが攻撃を受ける前にロシアに宣戦をしたのは、ロシアがオーストリアを威嚇して対セルビア戦争を中止させる為に、公然と戦端を開かないままで着々と動員を進めていったことは、ロシアの動員が行政機関および交通機関の不備によって遅々として進まない間に、ドイツ軍の主力を挙げてフランスに侵入しフランス軍を撃滅した後にロシア軍にあたろうとするシュリーヘン計画の裏をかく形となり、ドイツは焦って自ら開戦を早める始末になったのである。
これらの事実を総合すれば、ドイツが仏露の挟撃を受ける立場に陥ったのは、ドイツ自身の行為によるものと結論せざるをえず、ドイツの陥った緊急状態を、ベルギー中立侵犯の不法性を緩和する理由とは為し難いと思う。緊急避難は成立しない。」(国際法上の自衛権/田岡良一著/勁草書房/1964)
なんとなく日米開戦直前の帝国海軍に似ていますね。
しかしこれは酷い悪文ですね。
歴史関係の分からない自分は意味が取れません。そもそもこの長さで一つの文章というのが、まず問題ですね。