近来帝国憲法の制定過程に関する研究は漸次精緻を加え来たったのであるが、かかる研究自体の重要性に比すれば、その研究成果はなお極めて微小なりとせねばならぬ。憲法起草の社会的政治的根拠・背景、その起草前史の諸準備・先行諸事情についての分析においても我が憲法史学界は漸く学的研究の緒についたのみであり、憲法起草着手後の内的経緯については、殆どなお未開拓の感がある。
私はこれら一切の事情、経緯を明らかにすることは、日本憲法史そのものの闡明のために不可欠であり、また憲法の正しき解釈の上に必要なるのみならず、起草関係者の苦心精励の跡を辿り、その刻苦献身の業績を顧みることは、我が帝国憲法制定が如何に周到にして綿密なる努力、注意、準備をもってなされたものであるか、関係者が如何に国家永遠の運命を慮って調査・研究に万遺憾なきを期したかを国民に知らしむるために極めて有益であって、かくしてまた欽定憲法の権威益々深く国民の胸裡に根ざすにいたるべきを確信する。
以上の文章は、憲法制定とロエスレル―日本憲法諸原案の起草経緯と其の根本精神(鈴木安蔵著/東洋経済新報社出版1942年1月初版発行)の冒頭に著者の鈴木自身が記した序文である。
尾崎秀実を反戦平和運動家として美化する左翼勢力の歴史偽造活動は、尾崎自身の戦時評論によって粉砕される。鈴木安蔵を日本国憲法の父として称揚し、日本国憲法を美化するために帝国憲法を中傷する左翼勢力の歴史偽造活動と護憲運動は、鈴木安蔵が「憲法制定とロエスレル」に掲載した憲法資料と鈴木自身の帝国憲法論によって粉砕される。
だから第一次資料集や我が国の敗戦前に出版された書籍は面白くて堪らないのである。
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鈴木安蔵はヘルマン・ロエスレルの功績の一つとして日本における信教の自由の確立に寄与したことを挙げている。
最後に彼が日本滞在中、日々カトリック教徒として、模範的な信仰生活をつづけ、日本におけるカトリック教徒に対し、その国籍の独たると仏たるとを問わず、温かき保護と激励の手を差しのべた事実があるが、例えば前掲フランツ・フォン・エルの評伝に曰く、
「ロエスレルは、その稀代の天分と先見的洞察とをもって日本に無数の貢献をし、又国政上文化上この国によき指導と守護とを与えたのみならず、日本のカトリック教会の為にも大いに尽力し、且つカトリック宣教師にも絶大の助力を惜しまなかったのである。
一八九〇年-日本憲法は一八八九年二月十一日に発布され、翌九十年四月一日(ママ)より効力を発した-に信教の自由が日本にも採用されたのも、ロエスレルの功績であり、之によって宣教師に始めてその活動の自由が認められたのであって、全カトリック教会はそのためにも彼に感謝せねばならぬのである。自ら持する所は頗る淡く、しかも彼がカトリック布教のために投じたものは巨額に上っていたのである。
東京のみならず全国の宣教師や修道女等に対して彼は常に変わらぬ忠実な友であり助力者であり、又日本人に対しては、それが同僚たる下役たるとを問わず、何人にも親切鄭重を極めていた。彼は日本の風俗習慣をよく尊重し、貧者には常に暖かき手を差し延べ、飢饉年には進んで寄捨を以て幾家族かを餓死より救った。どんな卑賤の者の挨拶にも鄭重に答えざるはなく、殊に自分の下役の者の権利をどうかして擁護しようと常に心掛けていた。
こうしたわけで彼の一身に朝野の尊敬が集まったのは当然であって、所謂壮士の煽動によって全国に亙り殊に東京市民の間に激しい排外運動が起こって、帝都の唯中で屡々外人が襲われたような時代にあっても、ロエスレル一家には特別な敬愛が注がれたことは怪しむに足らない。」
但し我が帝国憲法に信教の自由の規定があることが直接ロエスレルの主張によると言い得る資料はない。日本における信教の自由確立に対しロエスレルが貢献せることはエリザベート・ロエスレルさん始め言及しているが、その具体的直接的資料は見出し得ない。
しかしエリザベートさんも語って折られるように、彼は伊藤博文始め井上毅、伊東巳代治等の理論的教師とも言うべき権威ある職にあったのであるから、彼の言説は何事についてでも常に伊藤等に傾聴されたに違いなく、また同様にロエスレルは伊藤博文等に機会ある毎にクリスト教徒に対する迫害禁絶のため助言したと思われ、それが我が国における信教の自由の実質的確立に間接に役立ったであろうことは容易に推定出来るのである
当時我が国に来朝していたカトリックの宣教師、尼たちは、多くフランス人であったが、ロエスレルは彼らすべてに事毎に尽力を惜しまず、真夏中休暇となって公務から多少離れることの出来た時は、ロエスレルはカトリック教徒として伝導に従事したという。また御殿場のライ病療養所や、ピール・レイ師の孤児院、自分の住んでいた麻生の教会には特に意を用い、他方貧しき人々には前述のごとく米塩の救援をも怠らなかった而してやむを得ざる公務に関する以外は一切の宴席、交際を辞して家庭にあって、妻子と共に静かな宵々を楽しみ、朝夕の礼拝を欠かさず、日曜毎に教会へ行くを常としたとは、エリザベートの追憶するところである。
彼が謹厳公平忠実、公務に孜々として励み、毫も倦むところなく、判断の冷静にして良心的なる、また一切の言動が確固たる信念に基づいておって、時としては伊藤、井上と見解を異にしても毅然として自説を主張せる態度は、惟うに彼ロエスレルが気高きカトリック教徒として神に仕えし美しき人であったからであろうと信ずる(憲法制定とロエスレル42~44ページ)。
米ジョージタウン大 ケビン・ドーク教授は、以下のように述べて一般日本人にも通ずる歴史学者の誤解を正している。
小泉純一郎首相の靖国参拝はいまや現代の政治課題にされてしまったが、その靖国問題に少し距離を置き、歴史をさかのぼってみよう。
一般に靖国をめぐる論議は戦後だけのことと思われているが、実際には戦前の一九三〇年代にも似た現象があった。
三〇年代の日本といえば、多くの歴史学者は個人の自由が抑制され、とくに宗教の自由は国家神道で阻害され、なかでも日本のキリスト教徒たちの自由や権利が、靖国神社により侵されていたとみなしがちな時代である。
だが、現実はそうではなかった。日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。
戦時の日本の政界や学会では今中次磨、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。
所長は、石原莞爾が東久邇宮稔彦王首相に内閣顧問として推薦した賀川豊彦を挙げる。賀川は神戸神学校在学中から貧民窟における伝道を行い大正期のベストセラー作家になったなど戦前から戦後にかけて活躍した代表的キリスト伝道者の一人である。
賀川豊彦とボランティア 新版付録4賀川豊彦の略年表(348ページ以下)は傑作である。これが明記しているように、賀川豊彦の生涯(1886~1960)は、大日本帝国憲法が立派に信教の自由を保障していた何よりの証拠である。
もちろん大東亜戦争中は諸々の戦時統制があり、賀川自身も1940年と1943年に憲兵隊と警察の取り調べを受けた(陸軍の憲兵隊は臨時に司法大臣もしくは内務大臣の指揮下に入り司法警察もしくは行政警察を務めることがあった)。しかし容疑は反戦運動であり、反戦運動に対する官憲の取り締まりは宗派や組織を区別せず、キリスト教を信仰する自由それ自体は戦時中でも保障されていたのである。
ロエスレルの経歴と賀川豊彦の生涯、そして明治15年から昭和14年まで日本政府が神社神道の布教活動と葬儀を禁じていた事実(「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す)は、大日本帝国憲法下の信教の自由と、占領軍の神道指令に起源を持つ占領軍憲法の政教分離規定を比較考察する際の好材料であろう。
・強運を呼び込む51の法則の普及に努める武者巫女トモエ


「占領憲法の正體を知れば…甦る零戦-ステルス国産戦闘機が見えるのに…」
・日本人の攻撃力を上げる稲妻の剣



「嘘はき無防備マンよ、日本人は耐えられるのか自由を求める被占領下の苦闘に」
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ラベル:憲法
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