山本七平氏いわく、「満州の悲惨さに比べて、奇跡ともいえる内蒙古からの邦人無事引揚げ。その背後にあって国民の生命財産を守るという軍隊の原点に立った指揮官の、状況判断・決心・処置の的確さ。降伏後の防衛戦における尊い犠牲。将来への指針としても、多くのことを考えさせる本である。」
軍隊は住民を守らない。日本軍は国民を守らなかった。だから日本国に軍隊は不要である。マッカーサー占領軍憲法を悪用しつづける反日左翼勢力の戯言を粉砕する名著が、長谷川・山本両氏の薦める昭和20年8月20日内蒙古・邦人四万奇跡の脱出(朝日新聞記者稲垣武著/PHP)である。
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昭和20年8月20日内蒙古・邦人四万奇跡の脱出(1981年初版発行)の目次
第一章 蒙古桜の花ひらくとき
プロローグ・三十五年目の出会い
ゴビにあがる独立の旗
関東軍の画策
高原の楽園
第二章 銃剣の平和が崩れた日
ソ連参戦
運命交響曲
荒野の将校斥候
根本軍司令官の決断
第三章 迫るソ蒙軍阻む軍旗なき兵団
荒武者中尉と女子交換手
長家口の混乱と軍首脳更迭
大阪の弱兵と軍旗なき兵団
軍使の白旗に弾丸の雨
「隊長殿、射たせて下さい」
第四章 日本人引揚げを守った肉弾の壁
狙いは切り取り強盗
緊急引揚げへニセ命令
通訳官の至誠
陣内侵入の敵と白兵戦
兵士が投げたリンゴ
助っ人中隊、苦戦す
最後の血戦
第五章 夜霧にまぎれ敵前撤退
病兵を支えた焼きおむすび
辻田参謀、自決図る
拒馬
山中行軍
胸張る長城の門
第六章 奇跡の引揚げを支えたもの
居留民との交情
北京の門に迫るソ蒙軍
かっぱらい集団に威嚇奏効
第七章 残された人々の苦悩
東プロイセンの同胞救出作戦
特務機関護衛兵の生々流転
漢奸の処刑あいつぐ張家口
大同「無国籍兵団」の数奇な運命
稀有の記録が教えるもの
昭和20年8月15日玉音放送の直後、内蒙古駐留軍司令官の根本博中将は、張家口放送局のマイクの前に立ち、
「日本は戦争に負けて降伏することになったが、私の部下将兵は健在である。私の命令のない限り、勝手に武器を棄てたり、任務を放棄する者は一人も居ないから、疆民や邦人は決して騒ぐ必要はない。私は上司の命令と国際法規に従って行動するが、我が部下及び疆民・邦人などの生命は身命を賭しても保護する覚悟であるから、軍の指揮を信頼し、その指示に従って行動されるよう切望する」
と放送し、駐蒙軍全軍に、
「別命あるまで依然その任務を続行すべきこと、もし命令に依らず勝手にその任務を放棄したり、その守備陣地を離れたり、あるいは武装解除の要求を受諾した者は軍律によって厳重に処断せよ」
と命令、特に張家口北方の守備陣地、丸一陣地の守備隊に対しては、
「理由の如何を問わず陣地に侵入するソ軍は断固これを撃滅すべく、これに対する責任は一切司令官が負う」
と重ねて命令を下した。
約5千人の駐蒙軍は根本司令官の命令に従い、約4万2千人のソ連軍の追撃を阻止しながら、軍民の列車と物資を総動員して、昭和20年8月20日、張家口の邦人約4万人を北京・天津へ脱出させたのであった。
駐蒙軍の邦人脱出作戦が見事に成功した要因の一つはニセ命令であった。張家口に居留する邦人保護の責任を負う駐蒙軍は、苦肉の策として邦人居留民に対し、「引揚げ命令」ではなく「一時避難命令」を出し、居留民を騙して列車に乗せたのである。
蒙古自治邦政府企画科長であった勝田千年氏は次のように証言している。
「引揚げ命令を出せば、誰でも、少しでも多く財産や生活用品を持って逃げようとする。その結果、荷物をまとめるのに、時間がかかり、集合が遅れたり、持ち込んだ荷物で、駅前は足の踏み場もなくなり、それこそ収拾がつかなくなる。身体一つで緊急に引揚げさせようと、わざとニセ命令を出したのですよ」
関東軍も8月10日に居留民の緊急後送計画を決定し、ただちに大陸鉄道司令部と満鉄に実施を命令した。ところが11日になっても新京駅には居留民の引揚げ者は来なかったので、やむなく軍人家族を第一列車に乗せたという。
満ソ殉難者慰霊顕彰会編「満ソ殉難記」によると、十日午前、新京で開かれた居留民避難問題協議の会議で、軍側が、邦人の緊急引揚げを要求したのに対し、大迫新京市長は、
「永年住み馴れ、いくたびかの苦難を切り抜けて今日を築き上げた居留民に対し、数時間以内に出発を強要するなど、現実問題として不可能である」
と反対し、居留民会も同調したという。これが満州の惨劇を生んだ原因の一つであった。日本軍が邦人居留民を安全な場所へ逃がそうとしたのに、居留民がそれを拒んだのである。かくも住民保護とは難しいのである。
張家口では一時避難命令が引揚げであることに気づいた邦人居留民の中では、数人が引揚げを拒み、自殺した。
8月20日朝、駅前の広島旅館の女将が、旅館にガソリンをまいて火をつけ、自分は紋付に白足袋の装束で火中に飛び込み、焼身自殺した。この女将は、満州でも長く商売をしていた女丈夫だったが、敗戦の前ごろから宿泊の兵士たちに惜しげもなく小遣い銭をやっていた。女将には子供がなく、女将は内地に戻り一からやり直すよりも、戦死した日本軍将兵に殉ずる道を選んだのであろう。
今日でも男性に強姦されることは死より辛いと考える日本人女性がいるのだから、戦時中に戦闘に巻き込まれたサイパンあるいは沖縄の日本人女性が同様に考え、敵軍将兵の強姦から逃れるために自決を選んだとしても、それは異常なことではない。
むしろ軍の強制あるいは戦陣訓の洗脳なくして、日本人が自決することは有り得ないと主張する連中の方がよほど異常である。
読者が日本人なら、昭和20年8月20日内蒙古・邦人四万奇跡の脱出に記録されている数々の感動的な脱出秘話や日本軍の美談に納得し、涙腺を緩ませずにはいられないだろう。それらは平凡な日本人の当然の行動であり、日本軍将兵の殆どは、どこにでもいる平凡な日本人だったからである。
いみじくも著者の稲垣氏が取材した元将兵たちは異口同音にいったという。
「あんな悲惨な戦争は、二度としたくない。しかし、胸元に銃を突きつけられれば、同じ日本人を守るために、だれだって戦いますよ。それが人情で自然ではないでしょうか」
所長は、駐蒙軍が8月15日以降もソ連軍に対して自衛戦闘を続行し邦人居留民を守り抜いたことは知っていたが、駐蒙軍の殿(しんがり、後衛)を務めソ連軍の追撃を阻止した独立混成第二旅団(響兵団)が大阪市を中心とした関西出身の将兵によって編成されていたことは知らなかった。
この部隊は朝鮮人労務者200人を救助したから、在日パチンコ屋の傀儡たるテレビ局といえども、この本をドラマ化して放送できるだろう。そうすれば多くの関西人が自分の新生児に「響(ひびき)」と名づけるかもしれない。
まさに昭和20年8月20日―内蒙古・邦人四万奇跡の脱出は日本軍の誉れ関西人の誇りである。
<関連ページ>
・この命、義に捧ぐ-台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
・読み終えたら是非とも、女系天皇は憲法違反であることを立証し民主党から悠仁親王殿下の光輝な未来を護る真正日本人のバイブルを広めたいブロガーに執筆意欲を与える1日1押人気ブログランキングをクリック願います。
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三田村武夫氏のスターリンの諜略を井川氏から求め読んでいます。
私は還暦間近ですが、ここ1年の間に今の高校生でも日本人の誇りを取り戻そうとしている男女各々の若者に出会い、日本の将来に一条の光を見た思いです。
彼らに正史を伝えていくことが我々先人の務めだと思っていますが、このサイトはその助けとなってくれます。