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■南京事件、ハリウッド映画に…メリル・ストリープ出演
【上海=加藤隆則】旧日本軍による1937年の南京事件を題材にしたハリウッド映画の制作が決まり、来年12月の事件70年に合わせ、世界で同時公開されることが明らかになった。18日付の上海紙「文匯報」が報じた。
同紙や制作協力する江蘇省文化産業グループによると、映画のタイトルは「南京・クリスマス・1937」で、当時、南京にいた米国人宣教師の目を通して、旧日本軍が行った中国人への殺害行為を描くストーリー。クリント・イーストウッドが監督を務め、同氏と「マディソン郡の橋」で共演したメリル・ストリープの出演が予定されている。
中国では旧日本軍が南京を包囲した12月13日を「南京大虐殺記念日」としており、70年にあたる来年は、各種行事が行われる予定。【2006年1月18日 YOMIURI ONLINEより】
拙者が推測するに、「当時、南京にいた米国人宣教師」とは、東京裁判における検察側の最重要証人ジョン・マギーのことであろう。
南京攻防戦が行われた1937年12月当時、マギーは、南京城内に設置された安全地区を管理する南京国際安全委員会のメンバーの1人で、安全地区に退避していた支那人非戦闘員の保護に努めており、南京事件の真実を知る立場にあった。
東京裁判では、ジョン・マギー証人は、サトン検察官の訊問に対して次のように証言した。
「日本軍の南京占領後の暴行は、ほとんど信用できないほど、ひどいものであった。
最初は日本軍の兵隊が個々別々にあらゆる方法で中国人を殺したのであったが、後になると、三十人、四十人の日本兵が一団となって、殺戮行為を組織的にやった。
しばらくすると、南京市内には到るところに中国人の死体がごろごろ横たわるようになった。その殺戮行為は機関銃によるものであった。時々中国人が列を作って引っ張られて行き、殺されるのを目撃した。
ある婦人が私に洩らしたところによると、彼女の夫は縄で縛り上げられ、彼女の目の前で、日本兵がその夫を池の中に放り込んで溺死させたのであった。
十二月十四日、私が雇っていた十五歳の子供の料理人が、約百人の中国人とともに南京城壁の外部に五十人ずつ二団に分けて連れて行かれた。その際、彼等は手を括られており、前の方から日本兵が彼等を殺し始めた。その際、この料理人は、ちょうど鉄道の外の穴の中に逃げ隠れたために助かった。
彼は括られていた縄を苦労してようやく解くことが出来、拉致されてから三十八時間後に逃げ帰って来たのである。彼から聴いて初めて、これら連行された中国人の運命を知ることが出来たのである。
その晩だったか、その翌晩だったか、私の見たところでは、千あるいは二千あるいは二千に上る中国人がすべて手を縛られ、二列縦隊で連れて行かれた。
その団体の中に中国の兵隊は一人もおらず、全部便衣を着ていた。その中の負傷した者が逃げ帰って来たので、自分の監督する教会の病院に入れたが、どういう風にして帰って来たかというと、全部銃剣で突き刺されたが、死んだように真似をしていたため逃げて来れた、ということであった。
十二月十六日、私がよく知っている教区があった避難民収容所へ行った時、その教区から信者約十四人が拉致されたが、その中に私のよく知っている中国人宣教師の息子の十五歳の少年がいた。その四日後に一人の苦力が逃れて来て言うには、その十五歳の少年を含む十四人は、約千人の中国市民とともに揚子江岸に連れて行かれ、日本軍により両端から機関銃の銃火を浴びて徐々に殺された。
その時その少年は、周りの人がばたばたと倒れてくる時その中に隠れて、暗くなってから見つからないように逃げた、ということであった。
その次の日、私は二人のロシア人と私の同僚とともに家のバルコニーから外を見ていて、実際中国人が一人殺されるのを目撃した。彼は通りを歩いていた時、後ろから日本軍人に誰何され、驚いて逃げ去ろうとしたが、先の角を曲がったその前方に竹垣があって行き止まりになっていたため逃げることが出来ず、追い駆けて来た日本兵は彼の顔に発砲して、彼を殺したのである。
私が城壁外に出るということはほとんど不可能であったが、田中領事と同伴で城壁外に出ることが出来た。その時、私は近道をしようと思って横道に入ったが、屍体が多くて屍体の上を運転して行かなければ通れない状況だったので、到頭その横道から引き返した。
私どもがある会社の在る海岸のバンドのところまで行き、田中領事が所用のため日本人警官とその建物の中に入っていた間、私は海岸のところに行き、下を見ると、三百から五百の屍体の塊があった。屍体の着ている衣類は非常に焼けており、身体の到るところに傷がついていて、その状況から見て、彼等は殺された後焼かれたことが判るのである。
十二月二十一日、田中領事は私に、現在来ている軍隊は非常に悪い軍団であって、その内に良い軍団が来るから、十二月二十四日頃までには事態はずっと良くなるだろうというふうに話したが、十二月二十四日以後もけっして状況が改善されるような形勢にはなかった。
十二月二十二日、上海路周辺の出来事であるが、六、七十人の中国人が周囲を日本兵によって固められており、一人の六、七十歳の老婦人が跪いて彼等を釈放するよう、日本兵に嘆願していた。私はその場を写真に撮った。(注、その写真は検察側証拠として提出されていない)。
日本軍南京占領後の日本軍の婦人および子供に対する行為は、ほとんど信じられない恐るべき状態であった。強姦は到るところで行われ、多数の婦人や子供が殺された。もし婦人が拒絶するか、あるいは反抗した場合には、突き殺された。私はそういう写真および活動写真を撮った(注、この写真も活動写真も、検察側証拠として提出されていない)。
ある日の午後四時三十分頃、私は、ある家で一人の日本兵が、その家の中国人の妻を強姦しようとしているとの情報がある、ということでその家に呼ばれて行ったのであるが、その際、その家の主人は自分の妻を何処かに逃そうとおおいに努力し、日本兵の知らない、その家の後尾にある戸口から逃そうとした。
最初日本兵がそこに来た時は武器を持っていなかったが、一度立ち去って再び来た時は武器を持っており、その夫を殺したのであった。その婦人は私をその家の裏庭に連れて行き、夫の死骸を見せた。
私が最初に強姦事件に遭遇したのは、次の通りである。同僚と一緒に町を歩いていると、一人の婦人が駆けて来て、助けてくれと懇願した。彼女の語るところによると、夕方の六時頃彼女は拉致され、車に乗せられ三、四マイル郊外に連れて行かれて、日本兵に強姦された。その後自分の家に送り帰されたが、自宅から一マイルぐらいのところに来た時、また日本兵に声を掛けられたので、驚いて私どものところに駆けつけたということで、私どもは彼女を助けた。
十二月十八日、委員会委員の一人スパーリング氏と一緒に南京の住宅街に行こうとすると、その周囲ですべての家に日本兵が闖入している形勢であった。私どもが入った一軒の家では一人の夫人が泣いており、彼女は強姦されたのである。
その婦人の話によると、その家の三階にはまだ日本兵がいるということだったので、私どもは上がって三階に行くと、ドアは中から閉じられていた。私どもはドアを叩き、大きな声でどなった。間もなく日本の兵隊が、二人の女を残して部屋から出て来た。
十二月二十日頃、ある一軒の家に呼ばれたところ、十、十一歳ぐらいの中国人少女が強姦されたので、私はその少女を病院に連れて行き、病院から帰るとさらに他の一軒の家から呼ばれ、行ってみると、三人の日本兵が二階に侵入しようとしていたので、私は追い出した。中国人が一つの部屋を指したので入ってみると、現に一人の日本兵が強姦している現場であった。私はその日本兵を引き摺り出し、まわりの小さな道から追い払った。
このような事件は多数に上っていた。私ども外国人として最も困難な問題は、日本兵が男子を連れて行くのを止めることが出来なかったことであるが、婦人を強姦することは、到るところで止めることが出来た。
一月一日、フォスター氏と食事していた時、二人の中国人が来て日本兵が女を捜していると告げた。我々は全力を尽くしたが、結局二人が被害者となった。一人は三十歳くらい、もう一人は若い少女であったが、三十歳くらいの婦人が若い少女には手をかけないよう歎願したところ、日本兵は銃剣の平たいところで彼女の顔を殴りつけておいて、女を強姦した。
安全地区委員長のラーベ氏は自分の家に小さな小屋を建て、二、三百人の婦人を匿っていたのであったが、彼が日本人将校と一緒に自宅に帰った時、一人の日本兵が小屋の中でそこにいた中国人夫人を強姦しているのを見た。日本将校はそれを見て、その強姦した兵士にビンタを与えただけであり、ラーベ氏は後刻このことを委員会に報告した。
一月三十日以後に、委員会にとって一つの問題が起こった。それは日本軍が、私どもの匿っている女を安全地帯に返せ、と要求して来たのである。私どもは已むなくその要求を容れるような素振りを見せ、匿っていた婦人の団体を解散し、その中の割合年とった婦人だけを家に帰し、若い娘達は引き続き保護するようにしたのであるが、安全地帯で知っていた中国人婦人が強姦され始めた、という情報を入手した。
南京のある一軒の家に行った時、その家の前で一人の婦人が泣いており、彼女の夫が日本兵に殺された、ということであった。その家の裏庭に廻ったところ、一人の年とった寡婦が十二歳の娘と七十七歳の母親と一緒に住んでおり、彼女等の話によると、その寡婦は日本兵によって連続強姦された、その後、安全地帯に逃げて行く途中で、その寡婦と娘とは年老いた母親と別れ別れになってしまったが、後ほど母親が金陵大学に帰って来ての話によると、その七十七歳の母親はある家に連れて行かれ、十七、八回強姦されたとのことであった。
聖公会に属する婦人牧師が、七十八、九歳の中国人老母と一緒に住んでいるところへ日本兵がやって来て外に出ろと言い、外に出ると着物を捲くり上げろと命令し、その老母が、自分はもうばあさんだから、と言ったところ、日本兵は直ぐに老母を射殺したのである。
一九三八年(昭和十三年)のある日、南門の内側の辺りへ行くと、そこでは中国人が五百人くらい殺されたということであったが、案内された一軒の家での年老いた老母の話によると、そこでは沢山の子供が殺され、唯二人の子供だけが逃げたとのことであったが、八、九歳の少女によると、日本兵が入って来た時背中を二度ばかり刺され、その傷はもう大分治っているとのことであったが、その刺された傷を私に見せたので、私は写真を撮った(注、この写真も検察側証拠として提出されていない)。
日本軍の南京占領後、日本兵は手当たり次第、時計、万年筆、お金、着物、食糧等何でも人民から取り上げた。四十一歳になる婦人が病院に連れて来られたが、彼女は少し白痴であったが、自分の寝具、寝所の蒲団から何から日本の兵隊が取ろうとしたのでそれを拒んだところ、頭を銃剣で刺された、というのでこの女を治療した。
日本の兵隊は、日本総領事館の通告には何等考慮を払わず、また、外国人の財産侵害に対するアメリカ大使館の通告に対しても、何等考慮を払うことはなかった。十二月二十一日に、南京にいた、ほとんどの外国人は歎願書に署名してこれを日本大使館に持参し、人類の名誉のため、このような意味のない非道な行為を止めて貰いたいということもお願いした。
放火が毎日、毎日続いた。一月二十六日、エビスコパル長老教会も一部焼失、学校、YMCA、青年会、ロシア大使館も焼けた。その他、多くの我々の近くの人民の家屋が焼き払われた。
日本軍のかかる行動は六週間後には段々少なくなって来たが、個人的な個々別々なことはたくさんあった。国際安全委員会委員長ラーべ氏と書記のスミス氏は、南京の市民に対してどういうことが行われているか、を日本領事館にほとんど毎日のように報告した。」
【緊急要請】
女性女系天皇に反対の声を上げてください。これが認められると、日本は日本でなくなります。政府と政治家に旧宮家の皇籍復帰を要請しよう。
女性・女系天皇の問題点
産経新聞に男系男子の皇位継承策
明治天皇と昭和天皇の御子孫にあたる旧宮家
旧宮家の復活は国体の護持のみならず国防の強化、テロとの戦いに必要不可欠である
吉川弘之と姉歯秀次、耐震強度偽造事件に通じる皇室典範の改悪
天長節に思う応神天皇の遺業と日本の国柄
万世一系の族値を破壊する女性女系天皇容認派の高橋紘は朝敵である
女性・女系天皇の容認は憲法違反である
女帝論を封ずる一つの手がかりとして : 国語学者・元産能大学教授 萩野貞樹氏
12月3日付朝日新聞に掲載された西尾幹二氏の「歴史は復讐する」
Speak Easy 皇統断絶
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