ルソーの主権論の大きな影響下にあったフランス革命の煽動家シェイエス(1748年~1836)の「第三身分とは何か」が平易にそれを解説している。シェイエスの理論はルソーの主権論を憲法制定権力(制憲権)に吸収しようとするものである。
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あらゆる自由な国民は-当然自由でなければならない-において唯ひとつの方法のみが憲法について生じる論争に結末をつけさせるのである。それは名士諸公に救いを求めることではない。国民自身に救いを求めることである。
憲法がなければ、それを一つ作るべきだ。国民だけが憲法制定権をもっている。
政府という団体を組織する必要があり、その存在と活動とが望まれるなら、さらに付加すべき利益は国民に代って公共の権力を行うものがその委託者に実を及ぼすようなものにはならないということである。
これに基づいて、きわめて多くの政治的予防方法が憲法のうちに織り込まれ、それが政府にとって本質的な法規となり、これなくしては権力の行使が非合法となる。
ゆえに、ひとの知るように、政府をして設立目的に叶うよう行動せしめ、その矩(さしがね)を超える力を与えないために、内部的にせよ外部的にせよ、一定の形態を政府に課することが二重の意味で必要になるのである。
しかし世人は我々にむかって、如何なる見解、如何なる利益によって国民自体に憲法を与うべきであったと云うのかと訊ねるであろう。
国民はすべてに優先して存在し、あらゆるものの源泉である。その意思は常に合法であり、その意思こそ法そのものである。それに先立ち、その上にあるものとしては、唯ひとつ、自然法があるにすぎぬ。
国民の意思のみに源をもつ実定法の結果について、我々が正しい考えを持とうと思えば、まず第一に、組織法(憲法)を検討する。それは二部に分かれる。一つは立法団体の組織の機能とを規定し、他の一つは行動団体の組織と機能とを規定する。
この二種の法規は基本法と称せられるが、それもこの法が国民意思から独立し得るものという意味においてではなく、その法によって存在し活動する団体が、それに指一本触れることができないものだからである。
憲法はそのいかなる部分でも、憲法によって規定せられた権力によって作られたものではなく、憲法を制定する権力によって作られたものである。
政府は憲法に従う場合だけ実権を行使し得る。政府に課せられた法規に忠実である限り、合法的である。これに反し、国民意思にとってはその実在のみが常にその合法性の必要条件であり、それはあらゆる合法性の源泉である。
国民は、ただ単に憲法に束縛されないばかりでなく、そうあり得ないものであり、また、そうであってはならないものである。これは結局、国民は束縛されないものであると云うに外ならない。
国民は憲法によって束縛され得るとしても、人為的な規定の桎梏に苦しめられていてはならないものである。
それは自己の自由を永遠に失う危険を冒すものである。蓋し僅かの間、暴政が成功すれば、完全に国民は憲法にかこつけて国民を一つの法規で縛りつける暴君に屈従し、自己の意思を表明することもできなくなり、従って永久に専制政治の鉄鎖を断ち切ることができなくなるのである。
地上の諸国民は、これを社会的な束縛の外に立つ個人、或いは、いわゆる自然状態における個人と考うべきものである。その意思の実行は自由であらゆる民法上の諸規定の適用を受けない。
存するのはただ自然秩序だけであるから、その意思は意思の自然的な諸性格を備えさえすれば、意思のあらゆる結果から自由になり得る。
国民がたといどんな意思をもっても、国民が欲するということだけで十分なのだ。そのあらゆる形式はすべて善く、その意思は常に至上至高の法である。
繰り返そう。国民はあらゆる形式と無関係である。いかなる方法によって意思を形づくろうとも、その意思が表明されれば十分である。蓋しあらゆる実定法は国民の前ではあたかも実定法の源泉および最高支配者の前に出たように、全く無力となるからである。
国民の普通代表者は憲法上の諸方式に従って、善政を続けて行くために必要な共同意思の一部分をすべて実施する任務をもっている。
特別代表者は国民が進んで与える新しい権力をもつのであろう。実際、大きな国の国民は異常な事件が起きる度に直ちに全員が集まることも難しいから、かような場合に必要な権力を特別代表者に委任せざるを得ない。
もし仮に国民が集合し意思を表明することができた場合、国民が一つの方式よりも他の方式に従ったといって、その意思に異議を申し立てることができるであろうか。この場合、現実性がすべてであって、方式はゼロである。
特別代表団はこの国民の国会の代わる。もちろん、それが国民意思の全権を授けられる必要はない。単にかような非常時に当たっての特別の権力だけでよいのである。
しかしこの団体は国民にかわって、あらゆる組織法の方式から独立する。ここでは権力の濫用防止のために大掛かりな方策を講じる必要はない。これらの代表者たちは一つの特定事項について一定の時期だけ代表権をもつにすぎない。彼らが決定した事柄については憲法上の諸方式に拘束されないと私は云うのである。
どこかでルソーおよびシェイエスの主権論に見覚え或いは聞き覚えのある日本人の方は、読了後にブロガーに執筆意欲を与える1日1押人気ブログランキングをクリック願います。
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