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国家と革命(レーニン著/岩波書店)の目次
第一章 階級社会と国家
一階級対立の非和解の産物としての国家
二武装した人間の特殊な部隊、監獄その他
三被抑圧階級を搾取する道具としての国家
四国家の「死滅」と暴力革命
第二章国家と革命。一八四八-一八五一年の経験
一革命の前夜
二革命の総括
三一八五二年におけるマルクスの問題提起
第三章国家と革命。一八七一年のパリ・コミューンの経験。マルクスの分析
一コミューン戦士の試みの英雄主義はどこにあるか?
二粉砕された国家機構を何によっておきかえるか?
三議会制度の揚棄
四国民の統一の組織
五寄生体-国家の揚棄
第四章つづき。エンゲルスの補足的な説明
一『住宅問題』
二無政府主義者との論争
三ベーベルあての手紙
四エルフルト綱領草案の批判
五マルクス『フランス内乱』への一八九一年の序文
六民主主義の克服についてのエンゲルスの見解
第五章国家死滅の経済的基礎
一マルクスの問題提起
二資本主義から共産主義への移行
三共産主義社会の第一段階
四共産主義社会の高度の段階
第六章日和見主義者によるマルクス主義の卑俗化
一プレハノフの無政府主義者との論争
二カウツキーの日和見主義者との論争
三カウツキーのパンネクックとの論争
第七章一九〇五年と一九一七年のロシア革命の経験
レーニンは民主主義について次のように解説する。
「民主主義とは国家形態であり、国家の一変種である。したがってまた、それは、あらゆる国家と同じように、人間に対する暴力の組織的・系統的な適用である。一方ではこうである。しかし他方では、民主主義は市民間の平等の形式的な承認を、国家制度の決定と国家統治とにたいする全市民の平等な権利の形式的な承認を意味する。
ところが、このことはまたこのことで、つぎの結果を伴う。すなわち民主主義は、その発展のある段階で、第一には、資本主義に対して革命的な階級すなわちプロレタリアートを団結させて、この階級に、ブルジョア的国家機構-たとえ共和制的・ブルジョア的なものであっても-を、常備軍、警察、官吏制度を打破し、みじんに破壊し、地上から一掃し、それらのものを、やはり国家機構ではあるが、より民主主義的な国家機構で-人民がひとり残らず参加する民兵へ移行しつつある武装した労働者大衆という形で-おきかえる可能性をあたえる」
マルクス・レーニン主義者にとって民主主義は、暴力革命をもって彼らのいう資本主義国家機構を破壊する一手段でしかない。レーニンが繰り返し力説した革命理論は、資本主義国家から社会主義国家への移行は暴力革命によらなければいけないということであり、レーニンは世界各国の共産主義者に対し、官僚組織、政党、議会、警察、常備軍などブルジョア国家機構の完全破壊を命じたからである。
政府と議会が左翼勢力の主張を受け入れて占領憲法第9条を字句どおり解釈し、自衛隊を廃止して日米同盟を廃棄したら、日本共産党がテロ・ゲリラ組織「中核自衛隊」を再結成して首都を襲撃しかねない。これが左翼勢力の戦術であり本性である。
日本共産党は、徳田ら主流派(所感派)、宮本顕治ら国際派、春日庄次郎、野田弥三郎ら日本共産党国際主義者団、福本和夫ら統一協議会、中西功ら団結派など大小数派に分裂した。また1950年には徳田要請問題が発生し、徳田が証人喚問される事態になった。
主流派は1951年10月の第5回全国協議会(5全協)で、「農村部でのゲリラ戦」を規定した新たな方針「日本共産党の当面の要求」(当時、「51年綱領」と呼ばれた)「軍事方針」を採択。「山村工作隊」「中核自衛隊」などの武装組織を建設し、武装闘争の戦略を記した「球根栽培法」や、武器製造法を記載した「栄養分析法」等を密かに発刊した。
その方針に基づき、全国各地で火焔瓶闘争を繰り広げ、米軍基地、警察署、裁判所などを襲撃したものもあらわれた。その中には、1951年12月、東京都練馬区においての印藤(伊藤)巡査殺害事件、1952年1月、北海道札幌においての白鳥警部殺害事件(被告は冤罪と主張している)がある。また、1952年5月の血のメーデー事件や、6月の吹田・枚方事件等の騒擾事件の原因が日本共産党に擬されることもあった。
徳田を中心とした主流派の主導した武装闘争路線は到底、国民の支持を得られた出来事ではなく、それと同時に離党者を生む結果となった。1952年に行われた第25回総選挙では公認候補が全員落選するなど、著しい党勢の衰退を招くことになっていった。この1950年代の同党の分裂と混乱を、同党自身は「五〇年問題」(50年問題)・「五〇年分裂」(50年分裂)と呼んでいる(ウィキより)。
彼らの信じるマルクス・エンゲルス・レーニンの予言では、国家は特殊な権力組織であり、ある階級を抑圧するための暴力組織であり、当然あらゆる国家は非自由であり非人民的な国家であるという。
そして資本家階級が労働者階級を抑圧する資本主義国家が労働者階級が資本家階級を抑圧する社会主義国家へ移行し、労働者階級の独裁があらゆる生産手段を国有化し、資本家階級の反抗を打ち砕き、終局的に資本家が消滅し、階級がなくなったら即ち社会的生産手段に対する関係からみて、社会の成員のあいだに差別がなくなった共産主義社会ではじめて、抑圧する対象を喪失した国家は自らの存在意義をも喪失して死滅し、民主主義もまた国家とともに死滅するという。
レーニンの国家と革命を一読した者は、左翼勢力の思考形態と行動様式を把握できる。
なぜ左翼人は口先では反戦平和非暴力を唱えながら、彼らの言動は破壊主義的、煽動的、暴力主義的なのか。
なぜ左翼人は占領憲法第9条を金科玉条のごとく振りかざして日本の常備軍再建を妨害するのか。
なぜ左翼人は国民でありながら、国家を嫌悪し、市民と名乗るのか。
なぜ左翼人は日本という国家を嫌悪しながら、周辺の独裁国家をこよなく愛するのか。
なぜ左翼人は自由を叫び国家権力の抑圧に抵抗しながら、権力を掌握した途端に人民を抑圧し自由と人権を蹂躙するのか。
なぜマルクス・レーニン主義者に国家権力を奪われた国は、必ずこの世の地獄となり自壊していくのか。
レーニンの国家と革命は以上の疑問に対する答えを読者に教えてくれる。そればかりかレーニンはマルクス教を崩壊させる重要な事実を指摘しているのである。
しかし社会主義と共産主義との科学上の差異は明白である。普通社会主義と呼ばれているものを、マルクスは、共産主義社会の「第一」段階もしくは低度の段階と呼んだ。生産手段が共有財産になっているかぎりで、もしこれが完全な共産主義でないことを忘れなければ、「共産主義」ということばは、この場合にも使うことができる。
マルクスの解明の偉大な意義は、彼がここでも唯物弁証法を、発展の学説を首尾一貫して適用し、共産主義を資本主義から発展するあるものと見ている点にある。
スコラ哲学的に考えだされた、「創作された」定義や無益なことばの争い(社会主義とは何か、共産主義とは何か)のかわりに、マルクスは、共産主義の経済的成熟の諸段階とでも呼びうるものを分析している。
共産主義は、その第一段階、その第一階梯ではまだ、経済的に完全に成熟したもの、資本主義の伝統または痕跡から完全に自由なものではありえない。第一段階の共産主義のもとでは、「ブルジョア的権利の狭い視野」が残存しているというような興味ある現象は、ここからおこってくるのである。
消費手段の分配についてのブルジョア的権利は、もちろん、不可避的に、ブルジョア国家の存在をも予想する。なぜなら、権利なるものは、権利の基準の遵守を強制しうる装置がなければ、ないのも同然だからである。そこで、共産主義のもとでは、一定期間、ブルジョア的権利が残存するばかりでなく、ブルジョア国家-ブルジョアジーのいない!-さえ残存するということになる(国家と革命137~138ページ)。
マルクスは資本主義の次に社会主義、共産主義の到来を予言しながら、肝心の社会主義とは何か、共産主義とは何か、具体的な定義を説明しなかった。
だからマルクスとエンゲルスは共産党宣言の冒頭に「ヨーロッパに幽霊が出る-共産主義という幽霊である」と書いた通り、共産主義には実態がないのである。
マルクスはペテン師、レーニンはそれを指摘した暴力独裁者なのに、我が国には多くのマルクス・レーニン教信者がいる。ソビエト帝国の崩壊を予言した小室直樹氏は次のように述べている。
まあ、学問的なことはともかくとして、一番重要なのは社会主義に失業があるのかどうかという問題です。資本主義には必ず失業があると言ったのは、マルクスの大業績で、これは大変なものだけど、それなら社会主義に失業がないのかと言えば、そんなことはマルクスもレーニンも一言も言っていない。だから日本のマルキストは必要条件と十分条件の区別が分からなかったんです。だから社会主義には失業がないと思い込んでしまったわけで、実はそれがソ連の滅びた理由の一つでもあります。
だから転びマルクス、隠れマルクスには、マルクス主義がなぜ破産したのか、まるで分からない。マルクス主義は止めました、なんて言いながら、いまだに昔の連中とつきあっていて、そういう連中が、日本の言論界の枢要なところを占領している(封印の昭和史―戦後50年自虐の終焉179ページ)。
プロのサッカー選手になりたいサッカー少年は無数にいる。従ってプロになるためにはサッカーの猛練習をしなければならないが、猛練習を積んだ者が必ずプロサッカー選手になれるとは限らない。サッカーの猛練習はプロになるための必要条件であって十分条件ではないからである。
猛練習を積めば必ずサッカー選手になれると信じて努力している少年は純粋であるが、残念ながら知性を欠いている。この種の純粋な愚人がマルクス・レーニン主義というペテンに引っ掛かるのである。
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以前から何故「帝国主義論」は書店に並んでいるのに「国家と革命」が絶版になっているのかと思っていましたが、もしかすると所長様の記事で指摘されていることを隠蔽するためなのかなと少し思いました。ただの深読みかもしれませんが(笑)
もう十年以上前のことですが、左翼の秘教じみた奇妙な思考法に興味があって、スターリンの史的唯物論なんとかという書物がほしくなり、大月書店に問い合わせたのですが、そのとき既に絶版でした。
内容がすばらしいならスターリン全集をネットで一般公開すればいいと思うのですが、もはや誰も公開するほどの価値があると思っていないという可能性もあります。(もし公開されていましたら情弱な私にご教示願います。)
そのころ入手した同出版社の「共産党宣言」には正誤表が入っていて、「暴力」→「強力」、「独裁」→「執権」と読み替えるようにと指示されています。(笑)
いぜん私が利用していた古本屋では、レーニン全集が1冊50円で売られていましたが、買い手がつかず、1冊10円に値下がりしたら、私が買おうと思っていたら、古本屋が潰れてしまいました。
ソ連崩壊後のロシアでは、マルクス・レーニン・スターリンの全集の類が暖炉にくべられたそうですが、日本でも同じ運命を辿っているのかもしれません(笑)。