2008年11月18日

戦後の戦史研究を覆うタブー 伊藤正徳と昭和研究会

 皇道派の陸軍大将真崎甚三郎には、激しい毀誉褒貶があり、真崎に対する評価は未だに定まらない。しかし反ソのために親米英方針をとり、支那本土に戦線を拡大しないという皇道派の徹底した反ソ主義は、統制派の反米英支主義よりも理に適った国家戦略であり、皇道派の荒木貞夫陸相と真崎甚三郎参謀次長の戦争指導の下で第一次上海事変と満州事変が終結したことは、決して偶然ではなく、むしろ皇道派の功績として賞賛されてもいいはずである。とくに第一次上海事件の停戦協定が成立するや否や、荒木陸相が上海から一兵残らず陸軍兵力を撤収することを宣言し、在上海の海軍第四艦隊司令部にいた国際法顧問の信夫淳平博士を驚愕させたこと(上海戦と国際法1932年)は、見事な戦争指導であった。

 だから元皇道派系統の人々は、伊藤正徳の軍閥興亡史2巻ページにある次の記述を非難しているのである。

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 藤室中佐の立論の大意は次のようなものであった。

 「真崎大将が叛乱の指導者であったという証拠はない。しかしながら多くの主犯青年将校たちは、各自何回となく真崎大将を訪問し、革新運動に関して精神的に鼓吹されていることは明白となっている。軍はそもそも精神団結の機構である。仮令暗示にもせよ、精神上の感化は軍人の行動を律する根源である。運動資金をあたえたかいなかを以って、証拠の有無を論ずるがごときは末である。

 軍事参議官が叛乱の関係において罰せられるならば、軍は国民の間に信を失いその権威を問われるであろう。しかしそれは一時の恥、一時の損であり、やがて回生の礎となるであろう。この軍自体の精神的罪科を不問に付して部外の小革命家を極刑に処するがごとき不公平は、決して国民の信を繋ぐ所以でないのみならず、今日の弊は明日の弊を倍し、軍紀の粛正は永久に不能となるであろう」

 まさに高所からの正論であり、裁判はこのゆえに延遷容易に決しなかったのである。かかる正義の士が当時の陸軍に在ったことは清涼剤以上のたのもしい回顧であったが、その正論ゆえに要職を与えられず、少将をもって世を去ったのは陸軍人事の大損害であった。見よ、藤室の警世の大立論を葬った寺内陸相以下の軍部は、二・二六事件の反省とは正反対の方向に、傷持つ脛を現して、大手をふって歩き出したではないか(軍閥興亡史2昭和軍閥の形成まで299ページ)。


 所長は軍閥興亡史の途中から違和感を覚え、何かが腑に落ちなかったが、上の伊藤正徳史観に対する元皇道派系統の人々の「なぜ、このような史観が成立するのか!」という激しい憤りを見て、ハッと覚醒し「そうだ、その通りだ」と納得した。

 真崎甚三郎の厳重処罰は、反米英支主義の統制派を喜ばせただけあろう。寺内陸相以下の軍部が大手をふって国民を道連れにして日本の破局への道を歩き始めたのは、藤室の立論が葬られたからではなくて、ロシア通の皇道派の将官が陸軍中央から追放されたからである。

 伊藤正徳の軍閥興亡史2の歴史観は、たとえば岡田益吉の日本陸軍英傑伝と比較すると、極めて異質である。そこで所長が伊藤正徳の他の著作を調べてみると、案の定というべきか、伊藤正徳は悪質なスルーを行いつつ近衛文麿を誉めているのである。

 それから四日おいて(二月十四日)、近衛文麿を御召しになった。近衛は、単に陛下との親近感のゆえだけでなく、和平に関して、強い信念を持っていた関係もあって、長い時間、多くの御下問に対して明確なる奉答を申し述べた。内容は、軍の一部に対する激しい非難と、和平工作の即刻開始という二本建てであった(便宜上後に詳述することにする)。

 東條と対角線的反対に立って、和平を力説したのが近衛であったことは運命の必然でもあった。近衛は戦局の前途には光明の形影もなく、時を経るにしたがって、戦局は悪化の一途をすべり落ち、やがて亡国的崩壊を見ること必至なりという見解を固く持っていた。長い陳述の後に、陛下から、「どうも一度戦果をあげた後ではないと講和も難しいのではないか」という御質疑に対し、近衛は、「その戦果なるものが空頼みであって、そんな機会は到来するとは思われない」旨を力説し、一日も早く和平の方向に転換する必要を率直に申し述べたのであった。だから、近衛は本土決戦の準備なぞは無用有害、いたずらに人と国とを損傷する軍部独善の大過失であって、日本はすべからく戦争を諦め、おなじく降伏するにしても、戦力が残っているのを条件として、いくぶんでも「有利なる降伏」を達成すべきであると考えていたのだ。

 降伏は、近衛にとって恥辱ではなく、それを早くすることをもって国体を救う愛国心の表明と信じたのだ。軍人とは根本的に相容れない思想であったが、しかも憂国の至情に発していたことは間違いない。太平洋戦争を起こした張本人は軍部であったが、近衛もまた責の一端をになう当人として、亡国以前に戦争を止めて国家の保存を策したい願望は人一倍切実であったと察しられた。
いずれにせよ、彼の和平論は、だれより早く、そうしてだれよも強く、陛下の膝下に直訴されたのであった。彼は実行力に遺憾の点が多かったが、言論には勇敢であり、そうして着想はおおむね正しかった(帝国陸軍の最後5終末篇238~241ページ)。


 伊藤正徳は、「便宜上後に詳述する」と言いながら、近衛上奏文の核心部分への言及を故意に忌避しているのである。

 むかしテレビ朝日が日曜日18時30分から20世紀の偉人という番組を放送していた。これが昭和天皇を特集した際、テレビ朝日は近衛上奏文の最初の部分「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」と最後の部分「非常の御勇断をこそ望ましく存奉候」のみを紹介して肝心要の上奏文の中身を全て省略しわーい(嬉しい顔)反日左翼系歴史学者の山田朗に、「近衛の早期和平の進言を受け容れなかった」という趣旨の天皇批判を語らせていた。

 所長はテレビ朝日に同情して苦笑せざるを得なかった、「お前ら、何故そこまで共産主義者の謀略活動をタブーにするのか、いったい何が怖いのか」と。

 そして所長はテレビ朝日張りの伊藤正徳のスルーを知った時、昭和研究会の名簿を思い出したのである。
 
 尾崎秀実の訊問調書抜粋 ゾルゲ諜報団の本質及目的任務について

 吾々の諜報活動はゾルゲを中心とした一団の活動でありますが、私の上海以来の経験判断からすれば此の一団はコミンテルンの特殊部門たる諜報部門とも称すべきものの日本に於ける組織である事は明瞭でありました。

 其の理由は上海に於けるスメドレー女史の交渉から此のグループに参加するに至った事、鬼頭銀一事件の調書を入手して読んで見ると同人がコミンテンルンの命に依り活動した旨が明になっている事、吾々のグループの各人の国籍が雑多である事、米国共産党員なる宮城(与徳)が参加して居た事等から斯様に判断したのであります。

 其の後日本に於けるゾルゲとの永い交際の結果、屡々狭義のソ連防衛の意味の諜報が要求されて居るのを知りましたので私達の蒐集した情報はソ連政府にも直接利用せられて居るのではないかとも感じて居りました。

 但し此の事は、ソ連防衛は国際共産党としては最大の任務である点から言って、私の信念とは毫も矛盾する所は無かったのであります。要するに吾々のグループはコミンテルンに属するものと今日迄考えて来ているのでありますが、コミンテルンは現在の力関係から言えば殆どソ連共産党の指導下に立ち而もソ連政府の中核を為して居るのはソ連共産党であり結局三者は一体を為して居る関係に立つと理解して居りますので吾々の活動はコミンテルン、ソ連共産党及ソ連政府の三者に夫々役立てられるものと考えて居りました。

 吾々の機関と日本共産党との関係は直接的なものは何等ありません。私の理解では吾々の所属する如き諜報機関と各国の共産党との関係は一応分離せられ其の間には指導上下の関係はなく、只横の連繋が保たれて居る程度に過ぎず組織的には各国に散在するこの種諜報機関はモスコーの中央に直属して居るものと考えられました。但し日本の場合に於ては党組織が破壊せられて居り、横の連繋さえ行われず全くモスコー本部との関係のみが存在していたのであろうと思います。

 抑々諜報機関なるものは各国の共産党自体に直属するものもある筈ですが、吾々の如き場合に於ては之と趣を異にし直接にモスコー本部に繋がる機関と考えられ、而も諜報活動を容易にすると共に諜報組織を破壊から防衛する為には其の国の共産党とは組織的に厳格に分離せられて居るものと解せられます。此の点はゾルゲかスメドレーの何れからかに支那の共産党活動に従事するなと忠告された事に依っても明であります。(中略)

 ゾルゲの身分に付てはコミンテルンに属する外ソ連共産党ソ連政府の何れか又重複して夫等の特別部門に属するものと理解して居りましたが同人の国籍に付ては独逸籍かソ連籍か或は二重籍ならばソ連共産党に属し且つソ連政府の内務人民委員部の保安部に属して居るのではないかとも想像して居りました。
 
 宮城は米国共産党員でありますが同人より聞くところに依ると此度の活動をするに付き党員たる身分を抜いて日本に来た由ですから如何なる身分になっているか判り兼ねますがモスコーの中央には登録されて居るに違いないと考えられます。 
 
 私も永い間ゾルゲと関係し而も相当有効な活動を為し寄与する所が多くゾルゲより厚い信頼を受けて来た事情にあった上に昭和十年冬西銀座の西洋料理店「エー・ワン」でゾルゲと会った際ゾルゲより「君の事は本国でも知って居るよ」と言われた事があり其の後も私の名がモスコーの本部に通って居ると理解される様な言廻しで話された事があるので私も本部の特殊部門の正式メンバーとして登録されて居るに違いないと信じて居ります。党籍の問題については考えた事がないので、如何様になって居るか判りませぬが事実は党員又は夫れに準ずるもの或は夫れ以上かも知れませぬ。

 吾々のグループの目的任務は特にゾルゲから聞いた訳ではありませぬが私の理解する所では広義にコミンテルンの目指す世界共産主義革命遂行の為日本に於ける革命情勢の進展と之に対する反革命の勢力関係の現実を正確に把握し得る種類の情報竝びに之に関する正確なる意見をモスコーに諜報する事にあり、狭義には世界共産主義革命遂行上最も重要にして其の支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛する為日本の国内情勢殊に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し且つ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるに在るのであります。

 従って此の目的の為には凡ゆる国家の秘密をも探知しなければならないのでありまして、政治外交等に関する国家の重大な秘密を探り出す事は最も重要な任務として課せられて居るのであります。

政府及政治指導部との関係について

(1)昭和研究会関係について

 昭和研究会は昭和十一年頃後藤隆之助が個人的に創設したものでありますが同会には創立当時より蝋山政道が関係し同氏と友人関係にある朝日新聞論説委員、佐々弘雄も関係を持って居りました。当時支那問題の重要性は愈々加わり昭和研究会内にも支那問題の研究部会を創設し之に支那問題の権威者を参加せしむることとなり、佐々と友人関係にあった私は同氏の紹介に依り昭和十二年四月頃同会に参加しました。

 私が参加した当時の支那問題研究部会の責任者は風見章氏でありました。同氏とは既に一度会ったこともあり此の部会に参加することになって極めて親しくなりました。間もなく同年六月近衛内閣の成立と同時に風見氏は内閣書記官長に就任し同研究部会の責任者の地位を去ったので其の後は私が代わって責任者となり約一年間は其の儘継続して月一回会合を開いて居りましたが、其の後同部会は東亜政治部会と改称され次で民族部会となり昭和十五年九月の解散迄及んで来ました。

 最初の支那部会の顔触れは、風見章、田中香苗、中村常三、尾崎秀実、其の他四、五名。東亜政治部会になってからは、責任者尾崎秀実、岡崎三郎、平貞蔵、小林策次郎、和田耕作、大西齊、土井章、樋口弘、事務局員堀江邑一、大山岩雄、溝口岩夫。民族部会になってからは、責任者尾崎秀実、岡崎三郎、橘樸、和田耕作、平貞蔵、原口某、平館利夫、山本二三丸。事務局員川合徹等でありました。

 又昭和研究会には外交部会があり其の責任者は初めは矢部貞治、最後は外務省の湯川盛夫となりましたが会の顔触れは、矢部貞治、湯川盛夫、永井元駐独大使、伊藤述史、内田壽雄、佐々弘雄、益田豊彦、牛場信彦、牛場友彦等で私も昭和十五年から委員となって居りました。

 尚昭和研究会には全部で十二の部会があり私は二部会に関係して居たのですが各部の連絡を円滑にする為昭和十五年八月頃各部会の連絡部会が設けられ私も民族部会の責任者として毎月一回開かれる此の会合に出席して居りました。

 
【昭和研究会名簿(昭和14年3月現在)】

昭和研究会常任委員

大蔵公望 唐沢俊樹 賀屋興宣 後藤文夫 後藤隆之助 佐々弘雄 田島道治 高橋亀吉 東畑精一 那須皓 野崎龍七 松井晴生 三木清 山崎靖純 蝋山政道

昭和研究会委員

青木一男 有田八郎 石黒忠篤 今井田清徳 大河内正敏 風見章 河上弘一 小日山直登 膳桂之助 瀧正雄 谷口吉彦 津島寿一 津田信吾 暉峻義策 古野伊之助 三浦鉄太郎 村田省蔵 湯沢三千男 吉田茂(これは敗戦後宰相を務めた吉田茂とは同氏同名の別人)吉野信治

世界政策研究会委員

有田八郎 青木一男 大蔵公望 唐沢俊樹 賀屋興宣 後藤文夫 後藤隆之助 佐々弘雄 膳桂之助 田島道治 高橋亀吉 東畑精一 那須晧 野崎龍七 松井春生 三木清 三浦鉄太郎 山崎靖純 吉田 茂(これは敗戦後宰相を務めた吉田茂とは同氏同名の別人)蝋山政道

(事務局関係)
堀江邑一 岩崎英恭 大山岩雄 大浦威 酒井三郎 菅沼秀助 溝口勇夫 水野成 山崎和勝

東亜政治研究会委員

岡崎三郎 大西斉 次項有尾崎秀実 後藤隆之助 小林幾次郎 佐々弘雄 田中香苗 平貞蔵 土井章 中村常三 波多野幹一 樋口弘 谷川興平 蝋山政道 笠信太郎 和田耕作*

(事務局関係)
堀江邑一 大山岩雄 酒井三郎 溝口勇夫 水野成

東亜経済ブロック研究会委員

猪谷善一 妹川武嗣 加田哲二 景山誠一 金原賢之助 高橋亀吉 千葉秦一 友岡久雄 松井春生 三浦鉄太郎 山崎靖純 湯川盛夫 吉田寛 笠信太郎 和田耕作

(事務局関係)
堀江邑一 岩崎英恭 山崎和勝

文化問題研究会委員

後藤隆之助 三枝博音 佐々弘雄 清水幾太郎 菅井準一 杉本栄一 中島賢蔵 中山伊知郎 次項有林達夫 船山信一 三木清 矢部貞治 笠信太郎

(事務局)
堀江邑一 大山岩雄 酒井三郎 菅沼秀助

政治動向研究会委員

伊藤述史 市川清敏 稲葉秀三* 勝間田清一* 桐原葆見 後藤文夫 後藤隆之助 佐々弘雄 平貞蔵 暉峻義策 橋本清之助 林広吉 平井羊三 古野伊之助 山崎靖純 三輪寿壮 三木清 吉田茂(これは敗戦後宰相を務めた吉田茂とは同氏同名の別人)蝋山政道 笠信太郎

(事務局関係)
堀江邑一 大山岩雄 酒井三郎 菅沼秀助 溝口勇夫

経済情勢研究会委員

青山二郎 稲葉秀三 内山徳治 奥山貞二郎* 勝間田清一 木村禧八郎 鹿喰清一 田村勘次 田部井俊夫 平井羊三 帆足計 正木千冬* 笠信太郎 和田耕作

(事務局関係)
堀江邑一 岩崎英恭 大浦威 山崎和勝

労働問題研究会委員

稲葉秀三 大河内一男 大沢三郎 風早八十二 桐原葆見 田村勘次 鶴島瑞夫 中島仁之助 平井羊三 穂積七郎 美濃口時次郎

(事務局関係)
堀江邑一 岩崎英恭 大浦威

農業問題研究会委員

石橋幸雄 碓氷茂 遠藤三郎 勝間田清一 川島一之助 近藤康男 島田日出夫 鈴木徳一 田村勘次 千葉蓉山 辻誠 角田藤三郎 東畑精一 野尻重雄 三輪寿壮 橋本清之助

(事務局関係)
堀江邑一 山崎和勝

教育問題研究会委員

岩松五良 石井通則 井上秀子 大塚惟精 大島正徳 香坂昌康 木村正義 城戸幡太郎 後藤隆之助 児玉九十 後藤文夫 鈴木徳一 佐藤寛次 鈴木達治 西村房太郎 周郷博 田沢義鋪 三井透 細谷俊夫 宮崎清 次項有宗像誠也(戦後日教組の進歩的綱領を作成した人物)

(事務局関係)
堀江邑一 酒井三郎 菅沼秀助

外交問題研究会委員

有田八郎 青木一男 芦田均 伊藤述史 次項有伊藤正徳 石田礼助 大蔵公望 後藤文夫 後藤隆之助 佐々弘雄 佐多忠隆* 佐藤安之助 西園寺公一 高橋亀吉 高木八尺 平貞蔵 永井松三 那須皓 林久治郎 波多尚 古垣鉄郎 松井春生 益田豊彦 山川端夫

*の人物は企画院事件で検挙された革新(共産主義)官僚である。


 東亜政治研究会委員には尾崎秀実がおり、文化問題研究会委員には林達夫がおり、そして外交問題研究会委員には伊藤正徳が名を連ねていたのである。

 昭和研究会に名を連ねている伊藤正徳が戦後に軍閥興亡史を書いた人なのかどうか、所長には確認が取れない。
 ただ所長が言いたいことは、我が国を敗北させた戦争指導に関与した日本人が戦後に発表した回顧録や戦記物には真偽が入り混じっており、歴史学徒はそれらを鵜呑みにしてはいけないということである。それらを第一次資料集と突き合わせながら、偽を振るい落とし、真を拾い集め、スルーを見つけてそこから著者の素性と心理を見抜いていかなければならない。

 しかし歴史学者は余りそれをやっていないから、所長のごときアマチュアの歴史学徒は大変なのである。

<スルーの詐術>

・戦史修正のお知らせ 重慶爆撃の提唱者は松本重治 

・再録 大本営発表―真実を雄弁に語る種村佐孝の虚偽


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posted by 森羅万象の歴史家 at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去を旅する歴史コラム | 更新情報をチェックする
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