入隊早々から険しい道のりだったが、つらくはなかった。12歳の時に両親と死に別れ、修行の場を転々として、帝国ホテルでも厳しい修行の毎日だった。根性は人一倍あったと思うし、負けん気も相当あった。そして愛国心が非常に強かった。両親や学校の教育で愛国心を植え付けられ「お国のために」との思いが強く、これも辛抱の源泉になった。父親は熱烈な愛国者で、靖国神社へよく参拝に連れて行かれた。コックは軍隊に行くとき、洋食の食事が主流の海軍で、賄い担当を志望することが多いのだが、私は「目の前の敵と一戦交えたい」と、わざわざ陸軍を志願したのだった…。
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帝国ホテル厨房物語-私の履歴書 村上信夫著/日経新聞社2002年
目次
序文 三國清三(オテル・ドゥ・ミクニ オーナーシェフ)
はじめに-人生はフルコース
Ⅰ十二歳の旅立ち
神田の食堂で生まれる/食い気は父親譲り?/関東大震災で九死に一生を得る/大家の悪ガキ/アルバイトで大奮闘/両親の相次ぐ死/半世紀後の卒業証書
Ⅱ元気な小僧、調理場に立つ
住み込みの小僧生活はじまる/念願の調理場に立つ/フランス料理のフルコースだ、すごいぞ/武者修行しながら採用通知を待つ/調理場の外でも人生勉強/ひょうたんから駒
Ⅲ日本一の調理場へ
鍋洗いの日々/二十円の月給が四円五十銭に/必死に銅鍋を磨く/個性派ぞろいの名料理人たち/帝国ホテルの料理の父、石渡文治郎/西洋料理の歴史に残る親方たち/至福の青春の日々/げんこつの味/フランス語に挑戦/鮭とカツレツ/大切な銅鍋を隠せ/餞別は秘伝のレシピ/いよいよ入隊
Ⅳ戦場のカレーライス
失敗続きの新兵時代/賄い担当を志望せず、最前線へ/負傷/出撃前夜、カレーを作る/血染めの辞書/営倉入り/料理で命拾い/敗戦/シベリアへ送られる/シベリアでの料理/五年半ぶりに祖国へ
Ⅴ料理人として再出発
感動の再会のはずが/料理人として再スタート/フランス料理が作れない/結婚/ウィロビー少将とソース事件/犬丸社長の打診に即答、欧州留学へ
Ⅵ至高の味をパリで学ぶ
家族を残して/ベルギー大使館の一番シェフ/名門中の名門、ホテル・リッツへ/「急ぐな、味が逃げていく」/現地の流儀に従うことが大切/北欧の料理を学んで帰国
Ⅶ料理長は大忙し
抜擢人事で新館の料理長に/バイキング料理が大盛況/代用品の思い出/げんこつ禁止令、共用レシピをつくる/コンパクトカメラで突破口/「きょうの料理」に出演/フランス料理を家庭の食卓へ/選手村食堂の料理長に就任/各国の食事情に苦労の連続/名選手の思い出/段取り八分
Ⅷ帝国ホテルの味を守って
思わぬ取締役就任/白いコック服で取締役会に/フードコントローラー/毎日が緊張の連続/エリザベス女王の思い出/昭和天皇への料理と秋山先生/メニュー作りの苦労と楽しみ/エスカルゴで縁起をかつぐ/日本人初のラ・シェーヌ・デ・ローティスール協会賞に感激/今も続く「フランス料理の夕べ」/料理講習会で持論を実践/接客のプロ、竹谷年子さんの教え/敬愛する好敵手、小野正吉さん/フランス料理界の恩人、辻静雄先生/帝国ホテルに住んだスター/お客様のエピソード/若い料理人へのアドバイス/若き料理長、田中健一郎/洗い場から飛び出した男、三國清三/私の若手指導法/料理書を超えろ/料理の極意は「愛情、工夫、真心」/痛恨のフォンテンブロー閉店/三枚目の辞表/講道館六段/趣味は元気の素
終わりに-夢持ち続けて
謝辞
解説 辻芳樹(辻調理師専門学校)
村上さんは、両親と死に別れた1933年から帝国ホテルに採用された1939年までの日本のことを次のように回想している。
「まさに古き良き時代だった。日本は貧しかったが、社会にゆとりがあって、のんびりしていた。人間もいたってのんきで、優しく、温かかった。学歴がないまま社会に出た少年少女は毎日懸命に働くことを強いられたが、ささやかな希望を持って生き抜けたのは、社会に遊びというか、のりしろのような部分があったからだろう」
村上さんは、新兵として上官の鉄拳制裁のしごきを受け、歩兵砲中隊の照準手として激戦に次ぐ激戦に参加して4回負傷し、捕虜としてシベリアに2年間抑留された。修羅場をくぐってきた本物の戦争体験者が戦前の日本を「古き良き時代だった」と懐かしんでいるのである。
日教組に代表される反日的日本人どもが吹聴する戦前暗黒史観ほどバカバカしいものはない。
住民が逃げ去った無人の集落でも決して兵士の略奪を許さなかった日本軍の軍紀の厳しさ、早朝の敵陣に奇襲を仕掛ける直前、敵陣まで美味しい匂いを漂わせるカレーを作り約60人の戦友に食べさせようとした村上一等兵を建前として怒鳴りつけながら耳元で「おれにも食わせろ」とささやき、少し離れて「この次にこんなことをしたら死刑だ!」と叫んで、兵隊たちの最後の晩餐になるかもしれないカレー鍋を黙認した陸軍少佐の人情、日本人再教育として帝国ホテルの超一流のコックたちにオムレツつくりの模範演技を披露する米軍コックの厚顔無恥など、村上信夫さんの自伝「帝国ホテル厨房物語―私の履歴書」は村上さんが駆け抜けた戦前から戦後の波乱万丈の日本史フルコースであり、何度も読んでも飽きない。
帝国ホテルにやってきた米軍コックの手つきは危なっかしくて、見ていられるようなものではなく、帝国ホテルのコックたちの間に、くすくすという笑いが広がったとか。
GHQ民政局による日本国憲法の制定と似たようなことが帝国ホテルでの米軍コックによるオムレツつくりの模範演技でも起きていたのである。
もっともアメリカ軍の名誉のために付け加えれば、占領軍の中には米国の対日理解の不十分さを憂慮する軍人もいた。
日本占領の軍事面の主務者である米第八軍司令官R・アイケルバーガー中将である。
中将の耳にも、日本人が狂信的未開人であり、日本は自由のかけらもない専制奴隷国家だ、という後方者の声が届いていた。だが第一線者として日本軍と戦っているうちに、こういった日本解釈に首をかしげてきた。
日本軍は、どんな場所でも統制がとれた組織的戦闘をつづけ、蛮族風の不統一な戦闘作法を示したことがない。敗戦となれば、これまた一斉に銃を置く。そこには狂信性とヒストリー性も見当たらず、未開、無知という印象も受けなかった。
いざ、日本に進駐してみると、むしろ先進性ばかりが目に付く。どうせ、ろくな料理もあるまいと思い、連合国最高司令官付のコックを連れて箱根ホテルに出掛けると、そのコック、J・グラハムが肩をすくめて調理場から退散してきた。
「冗談じゃない。俺が弟子入りしなければならぬコックが、6人もいましたよ」
金沢に旅行すれば、前田利建公爵邸で三人の画家が即興で絵筆をふるい、金製品のプレゼントを贈られた。真珠王・御木本幸吉を訪ねたときは、二カラットのダイヤを留め金にしたネックレスを見せられ、昼食のカキフライを噛むと、大粒真珠二個が飛び出して「お土産だ」といわれる。
焼け野原も目に付くが、各地のホテルは国際的に一流であり、占領軍用に徴用された列車も豪勢である。
「日本人は、私たちよりもお金持ちだわ」
最高司令官D・マッカーサー夫人ジーンが嘆声を上げ、ここはまさしく文明国ですな、と中将もうなずいた。
「私としては、民主国米国が民主国日本と戦ってきたように感じられるし、まして民主国日本を民主化する仕事があるのか、と疑いたくもなる」
現実にも、第八軍の使命は日本にポツダム宣言という降伏条件を武力で強制することだが、狼と思われた日本人は羊なみにおとなしく、何もすることがない状態が続いている…(誤算の論理)。
また仇討ち、切腹、忠義を賛美する歌舞伎を追放したGHQに反逆し、歌舞伎を救った男―マッカーサーの副官フォービアン・バワーズは告白した、「明治憲法は完全に有効で、まことに極めて美しい」と…(現憲法無効論)。
東京オリンピック終了後、村上さんが選手村を走り回った愛車のマツダ・キャロル360を東京月島の整備工場でオーバーホールしてもらったところ、工場の人たちは、オリンピックの裏方で大活躍した車だと聞くと、「お国のために頑張ったのだから」と費用をタダにしてくれたという。
GHQからマッカーサー占領憲法を押し付けられた我が国が戦後経済的に大発展を遂げることができた要因は、何といっても「お国のために尽くす」ことを美徳と考える村上さんのような強烈な愛国主義の戦前世代が、それこそ無数にいたからであろう。
しかし彼らの大半がこの世を去り、GHQと日教組による洗脳世代と高度成長時代にゲバ棒を振るって暴れまわった赤い全共闘世代が社会の中核、各界の上層を占めるようになってから、我が国は急速に亡国の道を走り始めた。
朝日新聞社やNHKなどは本当の日本軍のことを知る戦前世代の消滅を狙い済ましたかのように、ベルリンの壁の崩壊後、従軍慰安婦強制連行説など次から次へと反日史観を捏造報道しては、一般国民から愛国心を摩滅させていく…。
日本という国家のうち、領土と領海の地理条件と村上信夫さんら戦前世代が周辺諸国民の記憶に刻み付けた日本軍の武威は、依然として日本国を守ろうとしているが、占領憲法は日本国を亡国へ導くトラップであって日本国を守る法的な能力を有さず、一般国民の多くは、国民を含む日本という国家を守る意志を喪失している。辛うじて書籍やネットを通じて目覚めた日本人が国防意志を回復し、占領憲法の改正もしくは占領憲法の無効廃棄と帝国憲法の復元改正の主張しているが、何もかも手遅れになりそうである。
民主党が衆院選で勝利したら、人権擁護法案が成立し、表現の自由が衰微するのだから。その前に村上信夫さんが東京オリンピックの際に体験した実に韓国らしい食のエピソードを紹介しておこう。
食は文化だ。世界中から人が集う場所での食事作りは気苦労が多かった。各国の日本大使館の奥様たちにコツを習い、あらゆる伝手を動員して情報収集につとめた。
日本の野菜は堆肥を使うので非衛生的だ、という偏見もあった。仕方がないので、ヨーロッパの大会役員をバスに乗せて、長野県にある野菜の産地を視察に連れて行った。「素晴らしく清潔だ」と一同感嘆して、誤解はすぐに解けた。
韓国からキムチを作ってくれと要請があり、作ってみたものの、においが強い。交渉の結果、韓国側が折れて韓国からキムチの缶詰を持ち込むことで決着した。オリンピックの開幕直前に韓国から送られてきた缶詰を見て、スタッフ一同、口をあんぐりとあけた。何と、この缶詰は日本から韓国に輸出したものだった(帝国ホテル厨房物語―私の履歴書)。
韓国人は食について口を開けば、キムチのことばかり、キムチ、キムチ、キムチ、キムチ、まさにカプサイシン中毒のキムチ馬鹿、キムチ悪い~という悪口さえ言えなくなる日―民主党政権の誕生が来るのか…。たまらんね

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