だが石原莞爾は、東亜諸民族の全能力を総合運用して対米最終戦争に必勝の態勢を整える「昭和維新」の断行を力説しながらも、一九四一年時点での日米開戦には猛反対した。なぜなら我が国は開戦劈頭に西太平洋の制海権を掌握すれば、アメリカ本土からの補給を喪失したアメリカ領フィリピンを容易に占領し得るが、広大なアメリカ本土の東海岸にあるアメリカの政治経済の心臓部を攻撃破壊することはできず、必然的に我が国は持久戦に陥り国力の消耗を余儀なくされる。そしてアメリカ本土の巨大な人的物的資源および経済力の支援を受けるアメリカ軍が、日本の国力の消耗に伴い弱体化する日本軍に反撃し日本本土周辺の島嶼群を占領すれば、日本の本土は狭い為に、日本の政治経済の心臓部はアメリカ軍の作戦半径から逃れられず、海上封鎖と空襲を受けて徹底的に破壊され、日本は継戦能力を喪失しアメリカに屈服せざるを得ない。
つまり空軍の大発達とくに決戦兵器が実現し、日本軍が容易にワシントンやニューヨークを空襲し得る兵器を保有するに至らざる限り、日米戦において、アメリカは自国の滅亡を危惧することなく日本に決戦戦争を強制し得るが、逆に日本は重要資源と戦略縦深を欠く経済小国でありながら国家の存亡を賭け国家の総力を挙げて持久戦争を行わねばならず、我が国は自国の地理条件によって極めて困難な戦争指導の遂行を宿命づけられていたからである。