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長尾龍一氏が著書の「日本憲法思想史」(260~264ページ)に日本国憲法の正統性問題という題を置いて日本国憲法無効論を検証している。長尾氏の検証を要約すると次のようなものである。
「憲法無効論の基本的主張は、次のような三段論法であろう。
大前提「国民が自主的に制定したものでない憲法は無効である」
小前提「日本国憲法は、日本国民が自主的に制定したものではない」
結論「故に、日本国憲法は無効である」
この三段論法の小前提が、否定しえない事実であるとすれば、問題はむしろ大前提(「国民が自主的に制定したものでない憲法は無効である」)のほうにある。法律家的論議は、ここからいくつかの方向に発展しうる。
その一つは、「占領下における憲法制定は、手続上瑕疵をもつが、直ちに無効ではなく、強迫による意思表示(民法九十四条)に類するもので、瑕疵の治癒が可能だ」というもので、そうであるとすれば、強迫状態の終了後、すなわち占領終了後には、国民は取消と追認との選択を迫られることになり(民法百二十二条)、そのための国民投票を行うのが正当な手続きであろう。
これはボン基本法がとった態度である(民法は、古代ローマ法以来の法の一般原則を定めたものという信仰がある)。
ところが日本は、占領終了時にそのような手続をとらなかった。しかし民法には「履行による法定追認」(強迫による契約を、被圧迫者が文句をいわずに履行すると、追認の明示的意思表示がなくても、追認したことと看なす(百二十五条)という規定があり、国民が、国民投票などをしないままに、占領下に制定された憲法を遵守し続ければ、憲法を追認したと看なしうる、というものである。
サンフランシスコ講和条約発効後、日本国民は日本国憲法に対し「履行による追認」をしたのかどうか。
無効論者たちは「改憲勢力は、日本国憲法九十六条の定める国会議員の三分の二には達しないものの、国民は常に過半数の保守勢力に議席を与え続けたのであるから、日本国憲法は過半数の国民の追認を受けていない」と主張するかもしれない。
しかし、保守党の大多数の改憲論は、あくまで日本国憲法の部分改正を主張するものであり、ラディカルな無効論者のような、日本国憲法の無効宣言とともに旧憲法の効力が復活し、その改正をすべきだという主張は極めて少数であったと考えられる。
日本国憲法の部分的改正を主張すること自体、その効力を承認するものにほかならないであろう」
<民法124条>
一、追認は取消の原因たる情況の止みたる後、之を為すに非ざれば其の効なし。
(二、三は省略)
<民法125条>
前条の規定に依り追認を為すことを得る時より後、取消し得べき行為に付き左の事実ありたるときは追認を為したるものと看なす。但し異議を留めたるときは此の限りに在らず。
一、全部又は一部の履行
二、履行の請求
三、更改
(四、五、六は省略)
日本国憲法の正統性問題を解決するにあたり、民法の規定を援用することが適当だとしても、民法125条を用いる「履行による日本国憲法の法定追認有効説」は成立しない。
民法第124条がいう「取消の原因たる情況」のうち、GHQの強迫状態すなわち日本国民の不自由状態は消えたが、日本国憲法が最高法規として帝国憲法違反であるという事実は消えていないからである。
帝国憲法第75条は、国家変局時における憲法改正を禁止すると共に、帝国憲法勅語を担保して、天皇以外の者が行う憲法改正の発議を禁止する規定である。
「恭て按ずるに、摂政を置くは国の変局にして其の常に非ざるなり。故に摂政は統治権を行うこと天皇に異ならずと雖、憲法及皇室典範の何等の変更も之を摂政の断定に任ぜざるは、国家及皇室に於ける根本条則の至重なること固より仮摂の位置の上に在り、而して天皇の外何人も改正の大事を行うこと能わざるなり。」(伊藤博文著憲法義解第七十五条解説)
摂政が行う憲法改正の発議ですら違憲であり許されないのだから、帝国憲法はもとよりポツダム条約によっても憲法改正の発議権を与えられていなかったマッカーサーの発議による帝国憲法の改正=日本国憲法の制定が帝国憲法違反であることは疑いを容れない。違憲状態という取消の原因たる情況は止んでいないのである。
そこで戦後民主主義の擁護者を自称する長尾龍一氏は、続けて何と書いているか。驚くべきことに長尾氏は、バカ正直にも思考の停止を表明しているのである。
「憲法無効論との関連で議論されるもう一つの法律家的論点は、憲法改正権限界論に関するが、私はそれを重要な議論であるとは考えない。
万物は流転する。憲法の父たちがその子孫より大きな権威をもつと信ずるのは迷信である。子孫は適当な方法で自らの憲法を作る。
旧憲法の改正規定が利用可能ならば、それを利用し、そうでなければ、それによらないだけのことである。
憲法制定時の立法者が後世に課したタブーを金科玉条視して、平和的変更を妨げるこの議論に、理論的にも実践的にも、何らかのメリットがあるとは考えられない」
「子孫は適当な方法で自らの憲法を作る。旧憲法の改正規定が利用可能ならば、それを利用し、そうでなければ、それによらないだけのことである…この議論に、理論的にも実践的にも、何らかのメリットがあるとは考えられない」と言い切ってしまう長尾氏の憲法論は、立憲主義の敵である「革命」肯定論である。
革命が武力を伴うことは歴史の常であるから、むしろ革命を肯定する占領憲法有効論こそ憲法の平和的変更を妨げる主張であろう。
だから憲法の平和的変更を望む者は、それこそ憲法制定時の立法者が憲法に盛り込んだ憲法改正の手続き規定、とくに「国家変局時における憲法改正の禁止規定」を金科玉条視すべきであり、又その禁止規定を犯す憲法の改廃を正当化してしまうような悪しき前例を後世に残してはいけないはずである。
日本国憲法とは、まさに違法な軍国主義(軍人による政治支配)の産物である。大東亜戦争中にGHQの違法な軍事占領作戦が日本国に強制したものである。それを肯定し礼賛しながら軍国主義を非難し戦争は何も生み出さないと喚き散らしている者が、憲法第9条を崇拝する自称護憲反戦平和主義者である。
八月革命を肯定しながら、勝手に象徴天皇制を除外した憲法基本三原則の改正は憲法の改正限界を超える革命であり、革命は許されないと説教する者が、戦後日本の護憲学者である。
長尾龍一氏は彼らと同じ矛盾を犯しているのである。長尾氏は東大法学部卒業し法哲学を専攻する東京大学教養学部教授を務めたのに、宮沢俊義の八月革命論を批判しており、日本憲法思想史はとても優れた研究書である。
それなのに長尾氏は憲法効力論争に入ると思考を停止し、憲法学的に発狂していまうのだから、憲法効力論争とは本当に恐ろしい。
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