2008年01月11日

戦史修正のお知らせ 重慶爆撃の提唱者は松本重治 

 所長は、かねてより探し求めていた朝日新聞社編集顧問の神尾茂著「香港日記」をようやく入手しました。やはり第一次資料は美味しい。
 さっそく「戦争の天才と謀略の天才の戦い」 国民のための大東亜戦争正統抄史1928―56を以下のように修正しました。

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14、萱野再び上海へ

 八月二十九日に帰京した小川平吉は、九月三日、宇垣外相を訪ね、

 「蒋は共産党と絶ち講和を為したる以上国民に対して責を引き下野するが大英雄を全うするの途なり、必ず喜んで下野すべし。漢口陥落抗敵継続せば支那内地の平和恢復は容易ならず、第一新政権は兵隊一人を有し居るものなし。軍閥はみな彼に走れり、彼等は兵隊より地方人民に連絡あり、これが抗日に従事するが上に一般人民の空気が抗日を通念とする以上彼等の操る糸に乗りて踊ることは当分絶えざるべし。蒋をして共産を絶ち戦局を収拾せしめて而る後下野せしむるは古来講和の条件として通例のことなり。一般国民は漢口陥落にて講和成ると確信し居る状況にて、この希望に合する為には陥落前に工作の必要あり。」

と述べ、まず蒋介石を相手として講和を図るよう宇垣外相を激励し、国民政府と和平交渉を進める為、萱野老を再び上海に出発させた(1)。次いで張鼓峰事件に遭遇し対ソ戦の準備を焦る多田駿参謀次長が宇垣外相を訪ね、

 「一日も早く時局を片付けて貰いたし、蒋相手にても差支えなし、北京と南京の両政権の始末は考えてもらいたい。」

と依頼してきた(宇垣日記昭和十三年九月三日)。ここに至り宇垣外相が呼んだ外務官僚は、かねてより新中央政権樹立論に反対し、外務省の焼打を覚悟して第一次近衛声明を突破し、漢口攻略までに国民政府を相手として和平交渉を開始すべきことを主張していた石射猪太郎東亜局長であった。宇垣外相は石射に向かい、
 
 「事変の収局に付ては君の提案の如く蒋介石相手の和平より外なかるべしと思う、自分も大臣就任のとき近衛首相に対し一月十六日の声明は場合により乗り切ることとの了解を得ているのだ、只急に蒋相手の和平を提案しては騒がれるばかりだから潮時を見て居たのだが最近の状勢から見て最早その工作に取掛って然るべき時と思う、出来るならば漢口攻略前に蒋と話を付けたしと考える。」

と万難を排して日支和平を実現する決意を語り、香港に帰任した中村総領事に宛てて、

 「日本国内の情勢は、和平後、蒋が支那国民に対し自発的に下野するならば蒋を相手に和平するも可なり、との空気が濃厚となりつつある旨を喬に告げ孔との話を繋ぎ、再び先方の意向を打診せよ。」

という内容の新しい訓令を起草するよう、石射局長に命じたのであった(2)。すると「国家の為に大事を為さん」と勇躍上海に赴いた萱野老が、八日、
 
 「孔祥煕、蒋介石、居正ら反共を内約する事に、停戦を申し出る事出来るとせば、日本政府はこれに応ずる事出来るか、念のため確かめ、返。」

と小川平吉に打電してきた(3)。

 小川と協議した宇垣外相は、反共と和平後の蒋下野を確約することが必要であり、停戦には出先軍が面倒な条件を提出するおそれがある為、孔と宇垣が直接談判に乗り出した方がよい、会談場所は長崎(雲仙)という趣旨の返電を送ったところ、萱野老は十三日、小川平吉に宛てて書簡を送った。その中で萱野老は、長崎への直行便がなく、国民政府代表が香港上海等で船を乗り換え長崎に赴くと、大変危険であるばかりか、交渉内容が新聞記者に漏洩して公になるおそれがあると指摘し、萱野老が先にまとめた和平交渉条件に盛り込まれた日本側軍艦を用いる洋上会談の開催を提案した。さらに萱野老は、

 「事前に蒋介石の下野を反共、和平後に決行すると云うことを表示せしむることは面子を気にする彼等としては頗る困難に候。反共、和平成立後は下野は必然のことなれど内約又は表示の形式を現わす事は非常に苦痛の様子にて、事後に於て自発的に決行することは孔祥煕等一同が責任を帯びて保証する処に候。孔祥煕等が出張することは命懸けの重大決心を要する次第にて、孔祥煕等が出張と同時に漢口方面にては重大事件を惹起するやも知れず。即ち出張は分水嶺の危機と存候。想うに脱出後の彼等は若し不成立に了れば生還覚束なきものと推察され候。」

と日本側が国民政府要人の身になって考えれば大いに憂慮同情すべき彼等の苦しい立場を説明し、この際形式的面子をかなぐり棄て寛大なる講和条件を提示して日支和平を実現させることを宇垣外相に要望した。そして「日本側の至誠の表示に於て万事氷解する」と確信する萱野老は、支那側要人と相談して交渉を進めるべく、イタリア郵船に乗り、再び香港の東京ホテルへ向かったのであった(4)。

 そして香港では、九月八日、孔祥煕の秘書である喬輔三が、朝日新聞主筆緒方竹虎によって香港に派遣されていた神尾茂(朝日新聞社編集局顧問)と会談した。
 神尾茂は萱野老や中村総領事と連絡しながら、蒋介石の信用篤い漢口大公報のジャーナリスト張季鸞と和平交渉を進めており、神尾は東京を出発する前に(昭和十三年七月一日香港到着)知合いの多田駿参謀次長と面会していた。多田参謀次長は、

 「戦争は戦争で何処までもやるが、これと同時に挙国一致それぞれ手分けして各々の分に従って戦争目的の達成を図らねばならぬ、政戦両略の並行を期して居る際だから、新聞人として大いにやってもらいたい」

と激励し、多田声明が陸軍最高首脳部の精神であることを説明して次の伝言を神尾に託した(5)。

一、日本の出兵は支那を征服するためではない。支那と提携してやって行きたいのが本心だ。
二、日本としては支那と戦って見て、支那軍の強味も十分わかったし、支那民族の抵抗力が益々強化されつつあることもわかった。実際満洲の如き辺境を自由に料理したようには行かないことがよくわかって来た。従って相互にその長所を諒解して、互いに尊重し合うことも出来る。最早この辺で講和の時期とすべきではないか。
三、日本は蒋介石を相手にせずと言うけれども、それは抗日政策を継続する間のこと、従来の政策を一変すれば、日本としては蒋介石と雖も排斥すべき理由はないのである。併し当面の責任者であるから一度は下野するのが当然と考える。適当な時に復活は差支えないばかりでなく、或意味では望ましくもある。
四、新政権については、支那の実情に照らして、いくつか地方に分割統治するを適当と考える。所謂分治合作の方式により臨時、維新、抗日をやめた国民政府の後身等が、合作して行けばよいと思う。
五、支那の有力者に会った時に、右の日本の精神の在るところを、説明して貰いたい。

 神尾茂の和平工作は、何としても第一次近衛声明を乗り越えて日中間の講和に辿り着こうとする我が陸軍参謀本部の和平努力でもあった。喬輔三は神尾に、

 「孔祥煕の試みつつあった日支和解の運動は、日本が下野を固執しているので不成立、一切打切りになったことを明言したが、何れはまた談判再開となり、その中には何とかなるものと信ずる」

と語った。神尾がこの問題に関し抱懐している意見を述べようとすると、喬は今までになく極めて明快に次のごとく語り、萱野長知の主張と同じく日本側に対支認識の転換を求めたのであった(5)。

 「長期戦となれば日本も支那と共倒れになる。長期戦の結果、共産党の勢力は必ず増大する。現に年少気鋭の青年学生は争って第八路軍に投じ、共産軍の手先となりつつある。学生達は学校を潰されて奥地へ逐い込まれ、何の希望もなく学業を廃せざるを得なくなり、遂に自暴自棄抗日の一途を辿る有様だ。

 更に長期戦となれば日本軍の向かうところ敵なく、支那の内地は悉く蹂躙されるだろう。農民は四散して流民となり、潰滅した軍隊はゲリラと化して、何れも皆共産党繁栄の温床となるだろう。独り支那ばかりではない。今度二三年に亘る長期戦に於いて、日本の出征軍隊の間に不穏の空気が発生しないと誰が保障出来ようか。結局長期戦の結果は支那も日本も左傾して、共産党の天下となるかも知れぬ。これだけでも長期戦は互いに避けねばならない第一の理由となすに足るだろう。

 第二の理由として、更にもっと寒心すべきことがある。それは長期戦のため支那は無茶苦茶に破壊され、日本も疲労困憊その極に達し、欧米諸国のために勝手にこねくり廻されることになろう。これ実に黄色人種の最大の危機ではないか。この二つの理由によって、戦争は速やかに結末にしなければならないと思う。

 それには先ず両当局者が、この動かすべからざる情勢について認識を深めることである。自分の考えるところでは、孔祥煕院長は勿論のこと、蒋介石も今はよく徹底した見透しを持っている。遺憾なことには日本の当局者は、支那の情勢について認識が足りないように思う。この点を日本に於いて更に考慮して貰いたい。」


(1)【小川平吉関係文書1】四〇〇~四〇一頁。
(2)戸部【ピースフィーラー】二四〇頁。
(3)【小川平吉関係文書2】五九五頁。
(4)【小川平吉関係文書2】五九七~五九八頁。
(5)神尾茂【香港日記】三十五、七十九、八十六~八十七頁。



17、松本重治と高宗武

 以上の様に戦場における我が軍の勝利とは裏腹に、我が国にとって戦況が著しく悪化してゆく中、渡日を終え上海に帰還した高宗武と松本重治等によって秘かに継続協議されていた和平裏面工作すなわち汪兆銘を中心とする新政権樹立工作が準備されようとしていた。
 八月二十七日、高宗武の要請を受け上海から香港に赴いた松本重治は、体調を崩した高から国民政府中央宣伝部長、周仏海の部下の梅思平(中央宣伝部香港特派員)と交渉するよう依頼された。翌日、松本は、神尾茂(朝日新聞社編集局顧問)と会談し、神尾は中村総領事と喬輔三の交渉内容や、張季鸞が「日本が相手とすべきは絶対に蒋介石である」と主張していること等を話した。松本は、

 「喬輔三はよい人物だが大任を果たせる力量は疑わしく、おそらく孔のメッセンジャーだけだろう。中村総領事はまじめな能吏ではあるが、外交官の通弊で中国との接触を独占的に考える傾向がある。喬輔三相手なら、機略ある外交交渉はおぼつかないのではないか。」

と疑問を呈した(1)。松本が進めている高宗武との交渉について、神尾茂は、日記(昭和十三年八月二十七日)に次のように記している(2)。

 「松本君の話すところによると、彼は高宗武を伴れて日本に渡り(高は六月廿九日上海を立つ)一週間日本に滞在し、多田、板垣、岩永同盟社長(近衛公に代り)に面談した。板垣陸相は高に対し、

 『日本は従来の因縁によって、どうしても蒋介石と両立せぬ、若し蒋に代って汪兆銘が出るならば、条件を寛大にし、十分面子を立てるようにして、決して漢奸に終らしめることをしない。』

ということを汪兆銘に伝えさせた。高らのグループは四十代の新官僚四十二名より成る秘密結社である。抗日の結果の寒心すべきものであることに目醒め、蒋介石を犠牲にするにしても国家の大事には代えられぬと決心し、蒋の下野を、内面的圧迫によって成し遂げようとしている一派である。高宗武は日本から帰って来て漢口へ行けなくなった。蒋介石一派の不興を買ったので危ういとて、周仏海等から漢口行を止めて来た。

 それで高は乾児をやって、私(わたくし)に汪兆銘に板垣の意向を伝えさせた。そこで秘密にこれを受けて研究中であって、蒋介石一派に内密になっている。最近、陳伯生が漢口から出て来たが、これも汪兆銘の傘下にあり、日本との接近を策している。」

 九月五日には、神尾茂が松本重治を訪ねて時局を語り、松本から多くの重要な情報を得た。神尾は「松本君のやっている筋が将来メーン・コースとなりて、実現するに非ずや」と思い、松本との談話の要領を次のように日記に書き留めた(3)。

 「今度香港滞在中に、高宗武ら一派と前後七回会見した。今朝の如きは、六時半から八時半まで高と話し、八時半から十時過ぎまで周作民が来て加わったので、三人鼎座で語った。結局支那の第一案は見込みなく、第二案に依る外あるまいというので、今度の会見でその手順を研究打合わせをしたようなものだ。即ち漢口が陥落し長沙が取れて、日本の軍事行動が一段落した時を移さず、日本は新たに声明書を発表し、対支戦争の目的を述べて、蒋介石の下野を迫る。蒋にして素直に下野するなれば、日本は必ずしも条件を強要して、支那を圧迫せず、頗る寛大に善後策を樹ててやろうと思う。

 自衛的停戦の宣言を発表する。これを機会に汪兆銘の一派が内部から策応して、蒋介石の下野を余儀なくせしめ、国民政府の改造を断行して、日本の声明に順応する。

 今度の会見に於いて、日本の声明に織り込むべき支那の希望、日本側に予め諒解して貰いたき箇条について意見を交換したのである。支那では五色旗でなく、是非とも晴天白日旗を維持さしてほしいと言っているが、肝腎の下野とその後の国民政府の改組は、何でもなく出来るように信じているようだ。この計画は極めて秘密に進められており、蒋介石の幕僚(張群一派は除外さる)と汪兆銘の一派とが、一致してやっていることが特色と言える。張群の手のものを除外したのは、蒋介石に知れたら如何なる弾圧の手が及ぶかも知れないからである。

 高宗武らの一派は、張群の筋から日本に対して、第一案の達成を運動しているとの説を耳にしているが、それは物になるまいと見ている。即ち蒋のために命乞いは駄目だと見ている。今度初めて最後の会見の時になって打ち明けたところによると、西南各省の軍人に働きかけて、大規模の組織になりつつある。何鍵、龍雲、陳齊棠、張発奎が主なるもので、師長級には相当手広く渡りをつけている。

 日本軍が漢口、長沙を取り西安もやるそうだから、一二回重慶の空襲を試み、恐怖のドン底に陥れた後なら相当成功の見込みがあるだろう。自分(松本君)は近く日本に帰り、このラインに添うた運動を試みるつもりである。」


 松本重治と梅思平は和平条件を協議し、我が軍がバイアス湾奇襲上陸作戦を敢行し広東を陥落させた十月二十一日、高宗武に代わり梅思平が、重慶に赴き上司である周仏海と協議した上で、汪兆銘にこれまでの経緯を報告し、決起を促した。汪は初めて聞く話であり即答を避けたが、漢口が陥落するに及んで、彼の和平心は強化され、梅思平に改めて対日交渉を命じたのであった。

(1)松本重治【上海時代下】三〇六頁。
(2)神尾【香港日記】七十二~七十三頁。
昭和十三年十一月十八日陸軍省部決定「十三年秋以降戦争指導方針」には「高宗武一派を利用する新官僚及民衆獲得工作を取る」とある。  
 リヒャルト・ゾルゲを逮捕した吉河光貞検事によれば、ゾルゲは検事訊問に対し支那におけるソ連の諜報組織の詳細を隠し通したという。
 松本重治の傘下には中国共産党や尾崎秀実と緊密な関係を有し、尾崎の情報源となっていた共産主義者の中西功(満鉄調査部上海事務所、戦後共産党員)が居た。西義顕【悲劇の証人】二〇九~二一〇頁。ゴードンプランゲ【ゾルゲ東京を狙え下】二九九頁。【現代史資料ゾルゲ事件2】一〇〇頁。【戦争と共産主義】二四七頁。
 もし松本のいう「新官僚」が近衛上奏文(後述)に登場する「新官僚」と同じ意味を持っていたのならば、高らの秘密結社とは上海に複数存在したコミンテルン諜報機関の細胞だったのかもしれない。
 松本蔵次によれば、日支双方に正反対の情報を打電した高宗武の奇怪な行動を知った漢口政府は直ちに彼の逮捕命令を発したという。三田村【戦争と共産主義】一五六~一五七頁。
 今井武夫【支那事変の回想】六十九頁には、「高宗武がそのまま漢口に帰れば蒋介石の意向に反して無断で渡日した以上、逮捕あるいは監禁されることは必然であった」と記され、【蒋介石秘録12】一八八頁には、高宗武が蒋介石に彼の渡日期間の日記、会談記録、個人の感想を送付し、「ご参考にすれば、あるいは小官の越権の罪の万分の一でもあがなうことができると存じます」と謝罪したと記されている。
(3)神尾【香港日記】八十~八十二頁。


 松本重治は上海時代下313ページに次のように記している。

 
 高君の家から、リパルスパイ・ホテルへ行って、午後、神尾氏の来訪を待った。茶をとり、海岸を二人で歩きながら、いろいろと話した。私は、会話の内容を忘れていたが、『香港日記』を見ると、私が話したことが詳細に書いてある(神尾茂『香港日記』八〇―八三ページ参照)。ここに繰り返す必要もないが、「日中交渉については、松本君のやってる筋が、将来メーン・コースとなって、実現するにあらずやと思われる」という、彼の日記中の文句だけをここに書きとめておこう。


 何の事はない、松本重治は自分が重慶爆撃の提唱者の一人であったことを隠して、巻末に、

 「私がこの上海時代を二年半がかりで書きつづけてきたのは、ある意味では、遺言を書くような気持であったということである。そしてその遺言の趣旨は、日本人はもっと中国人の気持をもっとよく理解して欲しいという一言に尽きる。

 約四十年前のことどもについての私の回想録は、東亜の一大悲劇たる日中戦争が惹き起こされた最大の原因が、当時の日本人の多くが、中国人の気持を理解し得なかったことにあることを、私なりに書きたかったのである。今日の私は、自らをオールド・リベラルと信じているが、個人の人格を尊厳視し、言論の自由を尊重し、平和を愛し、他の人々の思想行動に対して寛容であるという立場は、四十年以前の当時と、今日とで変わっていないつもりである。」

と書いて、ちゃっかり日本エッセイスト・クラブ賞を取ったいうことである。

 そして神尾茂は多田駿参謀次長の密使であり、神尾工作は参謀本部の和平工作でもあったのに、現在の朝日新聞社は、これを隠して支那事変の拡大長期化を日本軍部の暴走と書き、軍部を非難し続ける。

 いったい何なんだろうね、我が国のマスゴミは…。

 そして名参謀堀場一雄の伝記(1974年)はあるのに多田駿の伝記は未刊だったはず…。何をしているのか、我が国のプロ歴史学者とプロ作家は…。

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再録 大本営発表―真実を雄弁に語る虚偽

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posted by 森羅万象の歴史家 at 23:15| Comment(3) | TrackBack(1) | 過去を旅する歴史コラム | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by スミサーズ at 2008年01月12日 13:03
松本重治氏もソ連スパイであるとの容疑が濃い高宗武に踊らされた一人だろうと思います。それにしても、オリジナル資料を直接参照しての歴史検証に敬意を表します。日支事変当時の上海は、まさに魔窟ですね。ミケ
Posted by 屋根の上のミケ at 2008年01月12日 19:17
 ミケさん、有難うございます。松本重治は尾崎秀実の同志、彼自身もスパイだったのでしょうね。
Posted by 便利屋こと所長 at 2008年01月15日 20:07
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外国人参政権付与に反対です!!
Excerpt: <html> <font size="5">外国人参政権付与に反対です!!</b></font> <font size=&..
Weblog: 屋根の上のミケ
Tracked: 2008-01-12 19:17
左翼歴史学者が顔面蒼白次項有幻の名著!戦争と共産主義-大東亜戦争とスターリンの謀略の目次韓流を楽しくする朝鮮民族を読み解く7つの鍵古代史学者は韓国人のなりすましか継体新王朝説を斬る「歪められた日本神話」とんびがタカを生むスーパー日本人を育てる適才教育・戦後民主主義の終着点は家族の解体と日本国の滅亡-なぜマルクスレーニン教は地獄の門を開くのかバカげた舛添要一の女性女系天皇容認論ナチスを愛した沢田研二の窮状・日本の国益を破壊する朝から晩まで反日新聞の錯覚商法天照大神は男系(父系)の女神小林よしのりの欺瞞皇室典範の改悪と日本版「文化大革命」を促す
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