左翼歴史学者が顔面蒼白次項有幻の名著!戦争と共産主義−大東亜戦争とスターリンの謀略の目次韓流を楽しくする朝鮮民族を読み解く7つの鍵古代史学者は韓国人のなりすましか継体新王朝説を斬る「歪められた日本神話」とんびがタカを生むスーパー日本人を育てる適才教育・戦後民主主義の終着点は家族の解体と日本国の滅亡−なぜマルクスレーニン教は地獄の門を開くのかバカげた舛添要一の女性女系天皇容認論ナチスを愛した沢田研二の窮状・日本の国益を破壊する朝から晩まで反日新聞の錯覚商法天照大神は男系(父系)の女神小林よしのりの欺瞞皇室典範の改悪と日本版「文化大革命」を促す
本当は怖い日本国憲法の話次項有福島瑞穂の政治生命を奪う悪魔の憲法問答・日本国憲法の性格を映す災害基本法−菅直人が嘲笑される理由・韓国の邪悪な野望を打ち砕くアダム・スミスを超える日本の社会思想家・韓国人を震え上がらせるための日本憲法学の密教諸君が愛してくれた日本国憲法は施行前に死んだ!なぜだ!?逆賊の憲法改正案に御用心憲法の本質を示す憲法改正の手続き神州不滅思想が妨害する真正の法力(憲法の非常事態対処能力)再生方策・神か人か天皇とは何か・恐るべき小沢一郎の憲法論日本がアブナイ!日本国憲法の改正が日本国の自殺になる理由・日本国憲法の追認を戒める昭和天皇のおほみうた昭和天皇と憲法改正−エセ民族派が行っている最悪の天皇利用旧宮家の皇室復帰意義は30年前の予言書が指摘する日本の最悪危機の克服・小泉内閣の大罪女系天皇は憲法違反
教科書が教えられない日本の近現代史次項有韓国が日本の皇室を侮辱する歴史的理由・在日パチンコに魂を売った朝敵歴代天皇を論外の男系カルトに貶めたギャグ漫画家堀栄三元参謀の情報戦記が触れない大本営の奥の院の所在と正体・軍紀厳正を誇った日本軍の強姦、韓国軍のレイプ、支那軍の洗城・ああ惜しかったふらふら大日本帝国唯一の勝機・あなたの知らない石原莞爾の対アメリカ政戦略吉田茂が現役復帰させた史上最悪の反日的日本人日本共産党の反日史観によれば志位和夫の祖父は慰安婦強制連行の実行犯・パル判決が語る朝鮮人慰安婦強制連行説の虚構浄土真宗親鸞原理主義者が隠蔽する本当は恐ろしい国家神道の正体日本経済を破壊する辛坊治郎の狂態・人間の屑集団マスゴミが隠蔽する南京大虐殺が法的に成立しない理由捏造と自虐の昭和史を打ち破る日本人に知られては困る歴史
日本人が元気になります!知らないと損する情報次項有年金絶望世代も元気が出る!国の借金アッと驚く新常識・あなたの新聞定期購読は国民生活と国家経済の自殺経済失政はなぜ繰り返すのかインテル長友佑都が実践日本人の潜在能力を引き出すトレーニング方法読み書き運動が苦手なのには理由があった学ぶことが大好きになるビジョントレーニング人生の無駄遣いテレビの視聴を止めて実践すれば病み疲れた体を癒す力を呼び覚ます驚愕の気功法知れば食費と医療費を節約できる酵素はなぜ病気を防ぎ、寿命を延ばすのか

2013年09月05日

ひと目でわかる日中戦争が拡大長期化した原因と元凶−近衛文麿と尾崎秀実の国家犯罪

 自民党議員は靖国参拝をナチス礼賛と同一視する中国共産党と朝日新聞社と日本共産党と社民党ら無限のルーピーズへ次のように皮肉と嫌味を込めた弁明を行えばどうか。

「戦後の我が日本国では、ナチスの肯定とマスコミに受け取られかねない発言をした政治家は、朝日新聞社に言論暴力を振るわれて社会的地位を失いますが、満州、内モンゴル、ウイグル、チベットを征服しチベット人を大虐殺している東アジアの国家社会主義ドイツ労働者党(中国共産党)の勢力拡大に奉仕して日本国の独立生存名誉利益を蹂躙する政治家は、朝日新聞社に熱烈に支持応援されて衆議院議長に昇りつめます、土井たか子や河野洋平のように。

 ナチスという略称は国家社会主義ドイツ労働者党の本質が中国共産党や北朝鮮労働党と同じナショナリズムをまとった社会主義独裁政党、左翼全体主義政党であることを隠蔽する困った言葉です

 もし私が本当に国家社会主義ドイツ労働者党の一党独裁を肯定し見習いたいという政治信条の持ち主であれば、自由民主党ではなく日本共産党か日本社会党に入り、近衛文麿首相の最高政治幕僚であった朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実と一緒になって、国家社会主義ドイツ労働者党とソ連共産党を模倣した大政翼賛会の一党独裁運動(近衛新体制運動)を推進した細川嘉六、西園寺公一、堀江邑一(戦後日本共産党員)、風見章、勝間田清一、穂積七郎(戦後日本社会党員)らに師事し、大政翼賛会の一党独裁を許さなかった大日本帝国憲法と昭和天皇を罵倒していたでしょう。」

 第二次世界大戦の終了後、中国共産党は戦勝者の余裕あるいは油断からなのか幾度か日中戦争(支那事変)の真相を日本人に漏らしたことがあった。

 一つは、1964年に中国共産党の毛沢東が日本社会党の佐々木更三に「何も謝ることはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。これのおかげで中国人民は権力を奪取できた。日本軍なしでは不可能だった」と語ったことである。

 そしてもう一つは、中国共産党が西園寺公一(近衛文麿の側近で、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実の親友。ゾルゲ事件に連座)を厚遇したことである。

【西園寺公一の戦後(ウィキペディア)】

 この間、1957年に世界平和評議会の大会をセイロンで開くことになって中華人民共和国に相談に立ち寄った際、同国から「人民交流」の日本側の窓口となる人物の推薦を頼まれたことがきっかけで同国の「民間大使」となる[4]。

 日本に帰国してから間もなく、家族を連れて中華人民共和国へ移住、日中文化交流協会常務理事等として北京にて国交正常化前の日中間の民間外交に先駆的役割を果たした。アジア太平洋地域平和連絡委員会副秘書長としての月給は500元(毛沢東の月給は600元)と大臣クラスの待遇だった[5]。

 昭和33年(1958年)には日本共産党に入党するも、のちに日中共産党が不和となった結果、文化大革命初期の昭和42年(1967年)2月に北京滞在中に「日本人の勤労人民としての生活経験をもたず、中華人民共和国においても、社会主義の政府によって与えられている特恵的な生活になれて」、「特定の外国勢力に盲従して、分裂と破壊活動に狂奔するようになった」(『赤旗』)旨を以て除名処分となる。

 1970年8月、12年7ヶ月ぶりに日本へ帰国。以後国内で言論活動を行い、中国共産党や毛沢東、江青等を賞賛。自らが文化大革命の中で中華人民共和国を事実上追放されたにもかかわらず、文化大革命を礼賛する言動を続けた。既に文化大革命中より多方面から批判を浴びていたが、文化大革命が終結しその実情が暴かれ、さらに中華人民共和国内で文化大革命に対する批判がされた後は言論人としての立場を失った(後述)。


 岡村寧次大将は、「汪精衛を中心とする和平中国政府の樹立を以て対重慶和平妥協を計るが如きは、至難にして寧ろ逆効果になる」と汪兆銘政権樹立工作に反対し、北支那方面軍司令官(昭和十六年七月〜十九年八月)として「滅共愛民」「三戒(焼くな、犯すな、殺すな)」を掲げ、治安維持のための掃共戦を指揮し、抗日ゲリラ活動を展開していた中共八路軍に壊滅的な損害を与えたため、我が国の敗戦後、中国共産党は岡村寧次を戦犯第一号に指定し、北支那方面軍の掃共戦を「三光(焼くつくす、犯しつくす、殺しつくす)作戦」と非難した。

 しかし西園寺公一は、反共和平を標榜した汪兆銘政権樹立工作に従事し、国家総動員法発動と近衛新体制運動に象徴される我が国の1940年戦時体制を作り上げた近衛内閣の最高政治幕僚の一人であったにもかかわらず、我が国の敗戦後、中国共産党は西園寺公一を中華人民共和国の民間大使として厚遇した。

 中国共産党は日本の1940年戦時体制を「軍国主義」「ファシズム」と罵倒して止まないのに、なぜ西園寺を戦犯ではなく中華人民共和国の賓客として手厚くもてなしたのか?それは西園寺公一が尾崎秀実と一緒に、日中戦争を拡大長期化させ中国共産党の勢力拡大に奉仕したからに他ならない。

 はだしのゲンとは比較にならない歴史価値を持つGHQ発禁図書「大東亜戦争とスターリンの謀略−戦争と共産主義」の存在を児童生徒学生に知らせるために、はじめにブロガーへ執筆意欲を与える一日一押人気ブログランキングをクリック願います。

【ひと目でわかる日中戦争が拡大長期化した原因と元凶】

「帝国政府は南京攻略後なお支那国民政府の反省に最後の機会を与うるため今日におよべり。しかるに国民政府は帝国の真意を解せず、みだりに抗戦を策し、内人民塗炭の苦を察せず、外東亜全局の和平を顧みるところなし。よって帝国政府は、爾後国民政府を対手とせず、帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立発展を期待し、是と国交を調整して更生新支那の建設に協力せんとす。」(1938年1月16日、第一次近衛声明)

「爾後国民政府を対手とせずと云うのは、同政府の否認よりも強い意味をもつものである。国際法でいえば、国民政府を否認するためには新政権を承認すればその目的を達成するのであるが、正式承認できる新政権ができていないので、とくに国際法上新例を開いて国民政府を否認し、これを抹殺するのである。」(1938年1月18日、第一次近衛声明の補足声明)

「我々は事変の初期に於ては、この事件の持つ重大性を予知して、両国のために速なる解決と和平の手段を発見すべきことをひそかに希うたのであるが、その後事件が現在の如き決定的な、完全なる規模に展開を見た以上、もはや中途半端な解決法というものが断じて許されないのであって、唯一の道は支那に勝つという以外は無いのである。面をふることなき全精力的な支那との闘争、これ以外に血路は断じてないのである。」(中央公論1938年6月号の尾崎秀実著「長期戦下の諸問題」)

漢口の実状は共産党の勢力七分という形勢なり、蒋の下野は本人も希望なれども下野すれば混乱して収拾し難き故あと引受人なし、たとえ協議してやるも講和条約を実行することも不能なり。共産党の細胞組織は広く行き渡れり。日本の捕虜も赤化して放送などせり。日本の対支占領は点、線、遍の中、点線丈けなり。漢口陥落せば、赤の蔓延、手の下しようなくなるべし。」(1938年7月22日、小川平吉に対する萱野長知の報告)

「日本の武漢攻略の目的は、国民政府の政治軍事上の重要拠点を撃破することの重要性は無論のことであるが、寧ろ、その結果、蒋政権が地方政権に転落して奥地に移転することからして生じる二つの大きな事実に期待しているということが出来るであろう
 第一は、所謂赤色ルートを中断し、共産党と国民党との地盤を分離せしめることによって国共両党の分裂に導かんとすること、第二には、全く転落し偏在する国民政府に対する列国の期待を棄てしめ列強をして国民政府援助から手を引かしめんとすることにあるのである。
 武漢喪失は共産党にとって何よりも打撃であり、また支那を共産党の側から援助しつつあるソ連にとっても少なからざる打撃を受けることとなるであろう。」(大陸1938年9月号の尾崎秀実著「漢口攻略の意義」)

漢口攻略戦は順調に進展しているが漢口の陥落で事態の結末がつくかどうかは疑問だ、我方としては飽迄容共抗日を標榜する蒋政権の徹底的壊滅に邁進するのみだ。漢口攻略前後には色々と重大な動きや問題も生ずると思われるので帝国政府の態度を闡明する声明を発するつもりで目下声明の案及び其の時期に付て研究を進めているが、結局蒋政権が一地方政権に堕したという烙印を押すということになるであろう。」(1938年9月16日、朝日新聞社が報道した近衛文麿首相の談話)

帝国が支那に望む所はこの東亜新秩序の任務を分担せんことに在り、帝国は支那国民が能く我が真意を理解し以て帝国の協力に応えんことを期待す。固より国民政府と雖も、従来の指導政策を一擲し、その人的構成を改替して更生の実を挙げ新秩序の建設に来り参ずるに於ては敢えて之を拒否するものにあらず。」(1938年11月3日、第二次近衛声明) 

政府は本年両度の声明に於いて明らかにしたる如く、終始一貫、抗日国民政府の徹底的武力掃蕩を期するとともに、支那における同憂具眼の士と携えて、東亜新秩序の建設に向かって邁進せんとするものである。」(1938年12月22日、第三次近衛声明)

「東亜協同体と云っても、その中にいろいろなものが入っているからね。僕の考えでは、支那の現地に於て奥地の抗日政権に対抗し得る政権を造り上げること、それが一朝一夕に仲々むづかしいとするならば日本がそれを助ける方策、有効な方策を採って行く

 そういう風な一種の対峙状態というものを現地に造り上げて、日本自身がそれに依って消耗する面を少なくして行く…曽って或る時代の日本が考えたような形で征服なり、解決したりするというのではなくて、そういう風な条件の中から新しい…それこそ僕らの考えてる東亜協同体―本当の意味での新秩序をその中から纏めて行くということ以外にないのじゃないか。」(中央公論1939年5月号に掲載された座談会「第二次世界大戦と極東」における尾崎秀実の締め括り発言−出席者は細川嘉六、堀江邑一、城戸又一、丸山政男、尾崎秀実、平貞蔵)

第三案政府樹立案(註、汪兆銘政権樹立案)は、対立政権に堕し長期大持久戦に陥るの公算大にして、斯くの如き事態に政府及国民を決意せしむることは容易の業に非ず。汪政権を以て解決政府たらしめんとするの希望は、ハノイにおける期待外れ以来汪兆銘の真意乃至真価に数段の変化あり。之を直視せずして当初の夢を持続するは情勢認識の錯誤なり。」(1939年6月10日、来日した汪兆銘の打診に対する参謀本部作戦課戦争指導班長の堀場一雄中佐の判断)

「新中央政府の樹立決定は事前合流か事後合流か或いは両政府対立永久抗争かの予見と之に応ずるの対内外決意とを確立し一大決心を以て之を行う。是今事変の運命を決すべき最大の決心なり。今や国民政府相手にせずの自らの声明に束縛せられ軽率なる新中央政府樹立乃至態度決定は百年の悔を遺すものなり。」(1939年7月5日、参謀本部戦争指導班の事変解決秘策案)

日本の当局者の責任は与うかぎり速かに汪運動の全貌を国民の前に明らかにし、国民をしてこれを理解せしむるべきである。汪精衛運動が支那再建の唯一の方策であり日本としては全力を挙げてこれを守る以外に良策なきこと、しかもこれは日本が後日大陸に雄飛し得べき具体的な足がかりを提供するものであることを明らかにすべきである

 日本人はまず心を虚しうして汪運動の前進をはかるべきである。戦勝者の威容をつくることも悪くはあるまい、特殊の要求を持ちこむことも技術的に不可能ではあるまい。後日の保障を求めて置くことも無意味ではないかもしれない。しかしながらあらゆる問題の中で何が一番大切かといえばともかくも多くの困難なる条件によって発展の可能性を縮小されている汪精衛政権の誕生と発展とをはからなければならないということである

 汪精衛運動が民族運動のヘゲモニーを重慶政権との間に争うべき最後の段階はやがてその後に到達するであろう。」(公論1939年11月号に掲載された尾崎秀実著「汪精衛政権の基礎」)

汪兆銘のかいらい政権の承認は、日本が国民政府と蒋介石の破壊を決意したことを意味する。そうなれば、米国と日本の直接対決は不可避となるだろう。」(1940年11月30日、アメリカ駐支大使ネルソン・ジョンソンの発言)

敵軍閥が一昨日、汪逆賊のニセ組織を承認し、同時に、敵とニセ組織がニセ条約を発表した。和平のデマ攻勢に失敗した敵が採った、道理に反する荒唐無稽な行動である。この種のホゴ同然のニセ条約は、ニセ組織が、自由意志を完全に封じられて、甘んじて日本の奴隷となることを承認したものであり、根本的には一顧だの価値もない。

 しかし、中日両国の仇恨史上、将来ひとつの重要な資料となるであろう。しかも、この一枚のニセ条約は、中日両国の戦禍を無窮に延長し、中日両民族間に、百世にわたっても解けない仇恨をもたらすものである。これは、近衛内閣(第二次)最大の罪悪である。」(1940年12月2日、国民党中央党部の拡大総理紀念週に出席した蒋介石の対日非難声明)

尾崎秀実、西園寺公一が雑誌等に論文を執筆して汪兆銘工作が日本の執るべき唯一の道であることを強調していた。」(1942年4月21日、ゾルゲ事件の第三回検事訊問に対する犬養健の証言)

南京政府の存在は却って重慶政府に対する和平工作の妨害になっている。」(1944年10月16日、小磯国昭首相に対する宇垣一成大将の進言)


 日本政府が大日本帝国の交戦相手である中華民国の国民政府(蒋介石政権)を相手にせず、これを完全否認すれば、日中間の和平は成立しないどころか、和平交渉それ自体が困難になる。

 それにもかかわらず、なぜ近衛文麿首相は、長期戦の危険性と早期和平の必要性を内閣に訴えた陸軍参謀本部の猛反対(1938年1月15日大本営政府連絡会議)を押し切り、成功寸前まで漕ぎ着けていたトラウトマン和平工作を打ち切り、国民政府の抹殺を宣言したのか?

 第一次近衛声明の発表後、幾度か日中の有志が困難を乗り越えて日中和平を実現するための機会を作り出し、我が国の政府軍部議会内にも、汪兆銘政権の樹立を危険視し、蒋介石政権を直接相手にして日中和平を早期に実現する必要を訴える勢力が存在した。

 それにもかかわらず、なぜ近衛内閣は日中和平の機会をことごとく潰して汪兆銘政権の正式承認を強行し、蒋介石の国民政府を完全否認したのか?

 所長のような戦史法学徒が以上の疑問を解くために丹念に第一次史料を調べていくと、汪兆銘工作が三次にわたる近衛声明と連動していたこと、汪兆銘政権の樹立を推進した勢力の中心に近衛文麿の最高政治幕僚であった朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実がいたこと、そして尾崎が支那問題の権威として支那事変の拡大長期化をひたすら煽動正当化していたことに気付く。

 そうすると尾崎秀実が西園寺公一らと共に推進した汪兆銘工作の正体が一目瞭然となる。すなわちそれは、尾崎秀実の狭義の任務であったソ連の防衛と中国共産党の勢力拡大(いわゆる漁夫の利)を図るための支那事変長期化工作であり、尾崎の広義の任務であった東亜新秩序の実現―世界資本主義体制に代わる共産主義的世界新秩序を構成する東亜共産主義社会を実現するための作為戦争謀略であったと言わざるを得ない。

 1937年から1939年にかけて日中間に和平友好親善提携が成立すると、我が日本国は近衛内閣発足の約1ヶ月前に陸軍省に採択された石原莞爾の重要産業五カ年計画を実行に移して対ソ戦備を拡充し、満洲帝国と共に臨機に北進して、我が国のシーパワー(海軍力)が及ぶ北樺太と沿海州をソ連から奪還し得ただろう。

 当時ソ連の人民とくに軍人の間には、粛清という大虐殺を繰り返すスターリンに対する怨恨と憎悪と復讐心が渦巻いており、日満両国は彼等を懐柔し、ソ連の極東地域をソ連から分離独立させるべきであった。

 日中和平の成立後、蒋介石の国民政府は直ちに第二次国共合作を破棄し、蒋介石が密かに準備していた第六次反共戦を実行に移し、中国共産党を殲滅していただろう。実際に蒋介石は、政友会の長老として日中和平交渉に従事した小川平吉にそのことを伝えていた。

 1939年6月、香港から帰国した小川平吉は、

「蒋介石は多数要人と同じく心中和平を希望して其の時期を窺うと共に、講和の場合を慮り共産軍に対する中央軍の配置を完うし、又中央軍に対する共産党の侵入を杜絶し、其の宣伝を禁じ、学生青年等の赤化防止に力を尽くせるは顕著なる事実なり。彼は長期戦争の結果、両国倶に傷つきて共産党の乗ずる所となるを深憂し、其の体面を損ぜざる範囲と時期とに於いて講和を締結せんことを今尚熱望し居ること毫も疑なし」

と日本政府の要人に報告しており、もし不幸にも汪蒋両政権の勢力が拮抗して互いに相下らなければ、日支親善の実は挙がらず、共産党はこの間に乗じて益々地方に勢力を扶植し、東亜の平和は永く攪乱せらるる虞がある、と危惧していた

 尾崎秀実の戦時論文が21世紀の我々日本国民に教示している汪兆銘政権樹立工作の真の狙いは、まさに小川平吉の危惧あるいは陸軍参謀本部戦争指導班が抱いた危惧の現実化であった

 つまり1937年から1939年の日中間の和平友好親善提携は、極東の国際共産主義勢力(ソ連と中国共産党)が壊滅する可能性を飛躍的に高める国際関係であった。だからそれを阻止するために、マルクスレーニン主義に傾倒していた革新貴族の近衛文麿は、尾崎秀実や西園寺公一ら昭和研究会に結集した右翼−国体の衣(天皇尊重の偽装)をまとった共産主義者−とともに、言葉巧みに汪兆銘と昭和天皇と日本国民を騙しながら日中和平の成立を妨害し、日中戦争を拡大長期化させ、これを対米英戦に発展させたのである

 はだしのゲンとは比較にならない歴史価値を持つGHQ発禁図書「大東亜戦争とスターリンの謀略−戦争と共産主義」の存在を児童生徒学生に知らせるために、おわりにブロガーへ執筆意欲を与える一日一押人気ブログランキングをクリック願います。

<関連リンク>

はだしのゲンにすがる反日左翼勢力こそ大東亜戦争完遂派(笑)ひと目でわかる憲法上の「神聖不可侵」の意味

ひと目でわかる近衛文麿の正体−大東亜戦争史書の選び方

大東亜戦争と「開戦責任」−近衛文麿と山本五十六

告発 コミンテルンの戦争責任 近衛上奏文と皇道派

東大憲法学が虚偽の体系である動かぬ証拠「日本国憲法の正当性−小林直樹、芦部信喜の両東大教授に問う」

世界の金言 日本人の妄言−中・高生にもわかる東大教授のバカ言論

全政党の解散を成就した近衛文麿の魔力を現代の日本国民に伝える日本の歴史的演説
日本の歴史的演説
戦後日本を苦しめる諸悪の根源コミンテルンの残党にして尾崎秀実の後継者たちを撃破する大東亜戦争史を広めるために、おわりにブロガーへ執筆意欲を与える一日一押人気ブログランキングをクリック願います。」
↓↓↓


<日本国を防衛する食いしん坊バンザイ>

 我が国のソバ好きが対馬ふれあい産直便を利用してソバ通を唸らせるソバの原種に近い貴重な対州ソバを食べれば、対馬の地元経済は潤い、迷惑な韓国人観光客を排除できる。対州ソバの愛好者が韓国から国境の島の対馬を防衛します
 
【関連する記事】
posted by 森羅万象の歴史家 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去を旅する歴史コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/373999112

この記事へのトラックバック