2012年08月15日

大本営の奥の院の所在と正体に触れなかった堀栄三の大本営参謀の情報戦記

 大本営陸軍部の情報参謀を務めた堀栄三(1913~1995)は、諸種の公開情報を収集分析してアメリカ軍の動向を事前に察知し、マッカーサー参謀という異名を取った。しかし堀栄三の情報先知能力(インフォーメーション&インテリジェンス)は戦史研究に活かされなかった。

 陸大試験の再審に向けて勉強していた堀栄三大尉は、父親から「一度土肥原に会って話を聞いてこないか」と勧められ、昭和十五年(1940)晩秋のある日、軍事参議官兼陸軍士官学校長の土肥原賢二中将宅を訪問し、戦術の勉強方法について土肥原中将に教えを乞うた。土肥原は堀は次のように教えた。

「いまこの場面で、相手に勝つには何をするのか一番大事かを考えるのが戦術だ。要するに駒と盤が違うだけで世の中の誰もがやっていることだ。

 そのためには枝葉末節にとらわれないで、本質を見ることだ。文字の形や奥の方には本当の哲理のようなものがある、表層の文字や形を覚えないで、その奥にある深層の本質を見ることだ。

 世の中には似たようなものがあるが、みんなどこかが違うのだ。形だけ見ていると、これがみんな同じに見えてしまう。それだけ覚えていたら大丈夫、ものを考える力ができる。」(大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇21ページ)

 これが堀栄三には一生忘れられない言葉になったという。

 土肥原賢二中将は昭和十四年六月号中央公論に「新時代を戦う日本」と題する論文を発表し、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実らと一緒に「東亜共同体論」を提唱していた

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 三田村武夫は、大東亜戦争とスターリンの謀略-戦争と共産主義(1950年初版発行、GHQにより発禁、1987年再刊)の中で、

「この論文は原点のまま要点を抜粋したが、その用語と構想は、蝋山、三木、平、尾崎等とそっくりそのままのところがあり、どこからか借りて来たような文章であるが、当時参謀本部にいた土肥原賢二中将が公然と署名して、中央公論誌上に載せたことは注目すべき価値がある。即ち軍閥とその幕僚の背後に何があったかを物語る有力な証拠ともいえるであろう。読者はこころみに資料編によって他の論文と対照してほしい。」

と読者に要望している。「軍閥とその幕僚の背後に何があったかを物語る有力な証拠」は他にもある。

 昭和十九年年八月八日、参謀本部戦争指導班と陸軍省軍務課は、「今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領案」を策定した。これは東アジアをソ連に提供して日ソ支(中国共産党)の提携を実現しようというもので、まさに尾崎秀実の東亜新秩序構想そのものであった。

今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領(案)昭和十九年八月八日、省部主務者案

「註」本案により省部の思想を調整し上司の外部指導に資するものとす

一、対ソ、支積極方策      

1、概ね本秋頃を其の結実の目途としソをして帝国と重慶(延安を含む)との終戦を、已むを得ざるも延安政権との停戦妥協を斡旋せしめ且独ソに対し独ソ間の国交恢復を勧奨す。

2、速かに有力なる帝国使節を先ずソに派遣す。其の出発の時期は遅くも八月下旬と予定す。之が為日ソ経済提携等を提議し其の折衝の間帝国の新企図達成の為の機を作為するものとす、但し帝国の弱体を暴露しソの対日態度を悪化するが如きこと無からしむ。

別紙第三、対ソ交渉の為帝国の譲歩すべき条件

 日蒋和平の仲介若くは独ソ和平斡旋の為左記条件を以て日ソ国交を調整す。(本密約は独ソ不調に終る場合に於ても日ソ国交保全の保証たらしむ)

左 記

一、防共協定廃棄の用意あることを確約す。
二、南樺太をソに譲渡す。
三、満洲をソに対して非武装地帯とするか満洲北半部(概ね賓綏、賓洲線以北)をソに譲渡す。
四、重慶地区は全面的にソの勢力圏とし爾他の支那に於ける我が占領地域(現国民政府治下の地域)は日ソ勢力の混淆地帯とす。此の際汪、蒋、共合作促進に努め蒋応ぜざる場合に於ては中共を支援して重慶に代位せしむることを認む。
五、戦争間及戦後を通し日ソ間特恵的経済交易提携を促進す。


 昭和十九年三月十五日、参謀本部戦争指導班は、従来の研究をまとめ、「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察(第三案)」という戦争指導方針を作成し、作戦部長の真田穣一郎、作戦課長の服部卓四郎、作戦課員の瀬島龍三、参謀次長の秦彦三郎の同意を得ていた(大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌昭和十九年六月二十三日の条)。

 「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察(第三案)」には「ソの対日中立維持への期待度は日独の戦勢好転せざる限り長くも概ね本年末を限度とすべし」とあり、1944年の春に彼等は1945年のソ連の対日参戦を予想していた

 皇道派系の小野寺信陸軍少将がスウェーデンから大本営陸軍部に打電したヤルタ密約の内容は、彼等にとって想定済みの情報であり、「今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領案」により彼等が陸軍省部の思想を調整し外部指導を行うには、有害であったから、彼等に握り潰されたのだろう。

 所長が以上に引用した戦史資料は、未公開の極秘資料ではない。昭和十九年三月十五日の「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察(第三案)」は終戦工作の記録上(1986年初版発行/講談社文庫)180~193ページに、昭和十九年八月八日の「今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領案」は終戦工作の記録上(1986年初版発行/講談社文庫)313~318ページと、敗戦の記録(参謀本部編/原書房、1967年初版発行)35~38ページに出ている。

 そして何より元陸軍将校が執筆した防衛庁戦史叢書の大本営陸軍部<8>271ページと、同じく大本営陸軍部<10>194ページには「この資料の細部は省略する」と書かれているのである。

 これこそ、日本の敗戦後においても、元陸軍将校たちが、東亜新秩序構想を実現するための陸軍中央の戦争指導の真相を隠蔽しようと、間抜けな努力を継続していた証拠であり、省略された資料すなわち昭和十九年三月十五日の「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察(第三案)」および昭和二十年四月二十九日の「今後の対ソ施策に対する意見」ともども、堀栄三が想像した「大本営陸軍の中の密室のような奥の院」の所在と正体とを雄弁に語っているのである

 堀栄三はフィリピン方面軍司令部内にいた米軍スパイを紹介して日本人の間抜けさに警鐘を鳴らしている。

 ちょうどその頃、バギオに来ていた防諜班から奇妙な情報が入った。法務部で通訳に使っていた榊田軍属が、バギオで消えたというのである。どこかでゲリラにやられたかとも考えたが、どうも消息が不明だという。

 松延少佐の話では、榊田は本間中将の軍が比島を攻略した頃からマニラにいたようで、米軍との関係が深いという疑いを持ちながら、米軍のウェーンライト中将の降服のときに本間軍司令官との通訳に使用し、一時は捕虜扱いとして収容所に入れられていた、ハワイ系の日本人二世で広島出身ということであった。

 ところが、その後も通訳が必要になったので、彼を軍属扱いとして、「日本軍に忠誠を誓う」という誓約書を書かせて、比島占領以来法務部が捕虜や比島人取調べの通訳に利用していたという。防諜班では若干の疑いを持っていた男だったらしい。

 戦後判明したところでは、山下方面軍が降服して全員捕虜収容所に入れられたとき、こともあろうに、その榊田が米軍陸軍大尉の制服を着て、みんなの前に現れたというのだ。

「あのときは、もうぶっ倒れるぐらいびっくりしましたよ」

 松延少佐は戦後述懐していた。日本人は実に、情報的にはおめでたい人種であった。二世で肌の色が同じで、日本語を話せばもう日本人だと思ってしまう。日本人は日本人を疑うことを犯罪と考えている(中略)。

 戦後、松延少佐は比島に渡って、マニラで戦争当時のセブ島のスパイ隊長だったクーシン大佐と会っている。クーシンは松延少佐に方面軍の一連番号のついた極秘の治安情報紙の本物を見せて、「これら相当資料を榊田から手渡しで入手していた。榊田とは週一回マッキンレーの近くで密会場所を決めて会っていた」と話したそうで、松延少佐は、クーシンから見せられた現物を見て仰天したと述べている。

 こんな米軍のスパイを方面軍司令部の中に住み込みで傭っていたとは、われわれ情報関係者も実に迂闊千万なツワモノだったというほかはない

 日本人よ、情報的にもっと成長せよ、そして冷厳であれ、と言わざるを得ない(大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇239~241ページ)。


 スパイの目的は機密情報の盗取と国策の操作なのだから、当然のことながら諸外国は、まず機密情報を作る我が国の政府、軍中央、軍司令部にスパイを潜入させ、あるいはそれらに属する日本人の政治家、官僚、軍人の中にスパイを獲得するに決まっているではないか。松延少佐が榊田軍属の正体を知って本当に仰天したなら、情報将校失格である。

 そして堀栄三が大本営陸軍部の奥の院の所在と正体に本当に気づかぬまま亡くなったのであれば、堀栄三は迂闊千万の強者どころか超人である。

 我が国の戦国大名は日常茶飯事として謀略、諜報、反間を行い、家臣の寝返りに対して厳重な警戒を怠らなかった。戦国時代に終止符を打った徳川家康を軍人あるいは政治家の模範とすれば、大東亜戦争中の我が国の情報参謀たちは平和ボケの極みで、現在の我が国の政治家の殆んどは脳死患者である。

 だから日本人が愛読する戦略論大系-孫子は日本人の眼から入るものの、脳には刻まれずに、耳から抜けてしまうのである。

 日本人が平和ボケと脳死状態から脱出するには、まずGHQ発禁図書「大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義」を熟読することである。

 しかる後、終戦工作の記録に出ている昭和十九年三月十五日の「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察(第三案)」、昭和十九年八月八日の「今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領案」、昭和二十年四月二十九日の「今後の対ソ施策に対する意見」に触れていない戦史書を購入しないことである

 歴史学は史料から過去を歴(あき)らかにする学問である。大東亜戦争の核心部分を物語る上の第一次史料を使っていない学者たちは歴史学者失格であり、ひたすら核心部分を回避して枝葉末節部分を詳述する彼等の大東亜戦争研究書をいくら読んでも、大東亜戦争の真相には接近できない

 だから所長は若輩浅学を顧みず自ら「戦争の天才と謀略の天才の戦い-国民のための大東亜戦争正統抄史1928―56」を書かざるを得なかったのである。

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posted by 森羅万象の歴史家 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去を旅する歴史コラム | 更新情報をチェックする
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