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立花隆(山陽新聞平成18年9月4日『小泉政治の残照』第5部「識者論評」)
■歴史認識転換の恐れ
はじめのころ安倍晋三氏の有力対抗馬とみなされていた福田康夫元官房長官が不出馬宣言をしたあたりから、自民党内は大勢が勝ち馬に乗る方向に流れはじめた。安倍の勝利がゆるぎないものとなったこの半月は、みっともないほどの「バスに乗り遅れるな」現象が次々に起きている。
同じような現象が、六十九年前、近衛文麿が青年宰相として登場してきた時にも起きた。国民的人気を勝ち得た近衛をかつぐ人々が続々現れ、それはやがて近衛新党運動になり、ついには第二次近衛内閣が成立して、わずか三ヵ月後には、政党が次々に解散して、みんな大政翼賛会になってしまうという、全体主義体制になってしまうのである。
奔流のごとき安倍へ安倍へと向かう流れを見ていると、この国がこういう雪崩現象の様相を呈すときは、歴史的にいって、何か危ういことが起こりそうだ、と心配せずにはいられない。
●数の力利用か
前回衆院選の結果、〇五年体制(与党が一方的に何でも決められる大勢)が生まれた。小泉純一郎首相はその前から少しずつ危ういことを始めていたが(イラク派兵、一連の有事法制など)、その体制を利用して一挙に危うい体制を作ろうとはしなかった。
小泉はもともとそれほどイデオロギッシュな人物ではなかったから、むきになって靖国参拝を繰り返す程度のことはしたが、イデオロギー的に国論を二分させるようなところまではあえて踏みこまなかった。
しかし、次期総理に事実上確定している安倍は小泉とちがう。大変にイデオロギッシュな人物だから、〇五年体制の数の力を利用して、これからアッという間に、小泉がさしひかえていた領域にどんどん踏みこんでいく可能性が強いと思う。
その最初のとっかかりは、おそらく、小泉が前国会で流してしまった、教育基本法改正案と(憲法改正のための)国民投票法案になるだろう。
●東京裁判を否定
教育基本法改正案が通れば、おそらく。愛国心を強調する立場からの教科書の書きかえがどんどん行われ、安倍がかねがね持論としている「東京裁判否定史観」が歴史教育の基本になってしまう恐れがあると思う。
小泉は、「A級戦犯は戦争犯罪人でしょ」と国会で明言するような人だったが、安倍はちがう。
悪いのは、戦勝国が事後法にもとづいて敗戦国日本を裁いた東京裁判であって、そのような裁判によって生まれたA級戦犯にどんな罪があるというのか、という立場だから、これまでの日本の戦争についての標準的認識とされてきた「A級戦犯に罪あり史観」が、まるでひっくり返ってしまう恐れがある。
安倍はすでに、雑誌論文や著書では、そういう過激に右翼的な見解を平気で述べているが、総理大臣になってから、公式発言として同じことを述べたら、相当のリアクションを関係各国から招くだろう。
あるいは安倍は、首相になったらそのような見解をまんまと隠してしまうかもしれない。
靖国参拝を四月のうちにひそかにすませて、それを誰にも言わないでおくといった姑息な工夫に前例がある。しかし、そのような工夫は、すればするほど、政治家としてみっともないことになる。
安倍自身はまだそこまで踏みこんでいないが、安倍が好んで対談をする相手の仲間たちは、先の戦争は謀略にのせられて日本が「やらされた戦争」で、あの戦争は本質的に「悪い戦争」ではなく、アジア諸国を帝国主義から解放した「正義の戦争」だったというような「大東亜戦争肯定論」を堂々とするような人物である。
もし安倍がそこまで言うようになったら、歴史認識の問題で、アメリカとの間に深刻な争いが生じる可能性がある。
●日本の未来左右
また安倍は、祖父の岸信介が六〇年安保を毅然と処理したことを高く評価する立場である。集団的自衛権の行使を否定する現行の憲法解釈を不可とする立場である。早く日米安保をグローバルに双務的な軍事同盟にするべし(日本をアメリカに守ってもらう代わり、日本もアメリカを守るために世界のどこにも出かけていく)とする論者である。
首相になってもそこまで過激な主張をつづけるようだったら、国内でも相当の反発を招くだろう。そうなると、安倍はいずれ、反対運動の広がりで辞職のやむなきにいたった、岸信介の二の舞になってしまうかもしれない。
安倍首相時代、日本の未来を左右するようなできごとが次々に起きそうである。
近衛文麿をかついで新体制運動を推進した勢力は、尾崎秀実ら昭和研究会に参集していた共産主義者と朝日新聞社であり、大政翼賛会のモデルはソ連共産党だったのに、朝日新聞社に嫌悪されている安倍晋三の人気を昭和15年の近衛新体制運動にならぞえて安倍内閣の誕生を危惧する立花隆は、哀れむべき戦後民主主義狂育の被害者というべきであろう。これ以上被害者を増やさないためにも、次の内閣は、教育基本法を改正し公立学校で使用される歴史公民教科書の内容を書き換えないといけない。
東京裁判の最大の欠陥は、被告弁護側の用意した証拠資料の大半が裁判所に拒絶され、判決に真実が反映されていないことである。したがって実証史学に立脚する歴史学徒は、東京裁判および東京裁判史観を否定すべきであり、東京裁判否定史観が歴史教育の基本になることは、公立学校の歴史教育が虚偽だらけの反日狂育から実証史学に立ち返るということだ。これを恐れる立花隆は実証史学徒ではない。
東京裁判否定史観が一般国民の間に広がると、立花隆にしろ朝日新聞社にしろ、これまで東京裁判史観に立脚して文章を書き金を稼ぎ地位を築いてきたプロは、商売相手である社会人や学生によって「ウソつき」という烙印を押され、地位と信用を失い落魄してしまう。だから彼らは必死になって東京裁判および東京裁判史観を否定する勢力を罵倒するのである。彼らにとって真実の探求より既得権益の防衛の方が大事なのだ。これは左翼だけでなく保守にも見られる現象である。
東京裁判史観に立脚する左翼は、1995年に公刊された東京裁判却下未提出弁護側資料を活用できないので没落する。
聖戦史観や防共史観といった大東亜戦争肯定論に立脚する保守は、2004年に再復刊された大東亜戦争とスターリンの謀略−戦争と共産主義−を活用できないので没落する。
東京裁判却下未提出弁護側資料と大東亜戦争とスターリンの謀略−戦争と共産主義−を活用できず歴史の真実を報道できない朝日新聞社は間違いなく没落する。
拙者が思うに、こんご公開される可能性を持つ大東亜戦争に関する第一次資料の中で、最も有望なものは、台湾の国民党が秘蔵している文書である。とくに日本の敗戦後に国民党が萱野長知から譲渡された萱野工作の記録文書が公開されれば、日中和平工作の全貌が明らかになるであるであろう。
出来れば、プロの学者先生には、第一次資料の発掘と公刊に専念して、それらの調理は、我々のような在野の歴史学徒に委ねてもらいたいものである。我々は面子にこだわることなく記述を書き換えることができるから。真実の探求を阻む者は自己保身と組織防衛なのである。
因みに戦後に松本重治が訪台を拒絶し続けたのは、中国共産党に操を立てただけでなく、彼の過去を知る国民党を恐れ、自己保身を図ったのであろう。
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