2005年12月12日

明治天皇と昭和天皇の御子孫にあたる旧宮家

 「皇室典範に関する有識者会議」は、小泉首相に提出した報告書の中に、「旧皇族はすでに60年近く一般国民として過ごしている」とか、「現天皇陛下との共通の祖先は、約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々である」とか記述し、旧皇族について、さも現在の皇室との関係が薄いように書いているが、これは真赤な最悪の嘘である
 
 北白川宮、朝香宮、竹田宮、東久邇宮の4宮家には明治天皇の皇女が嫁がれ、東久邇宮家には昭和天皇の皇女が嫁がれている。そして旧宮家の方々は、今なお、一般国民が参加できない皇族の会合である菊栄親睦会を通じて、天皇陛下と皇族の方々と定期的に会合され、親しく交流されている。

 上の4つの旧宮家の方々は、明治天皇、昭和天皇の御子孫であり、準皇族なのである。


○北白川宮     

 嘉言(よしこと)親王

  伏見宮邦家親王第二皇子(母 家女房上野寿野)
  巍宮、後改め多喜宮 初め祖父貞敬親王第十二皇子と発表 一品 上野太守
  文政四年(一八二一)  一月二十六日   誕生
  天保二年(一八三一)  五月四日     聖護院宮盈仁親王附弟
    同   年     十一月二十七日  光格天皇養子
    同   年     二月二日     親王宣下 名嘉言
  天保三年(一八三二)  二月二十八日   聖護院入室 法名雄仁
  慶応四年(一八六八)  正月七日     復飾 復名嘉言
    同   年     八月五日     元服
    同   年     八月十一日    薨去

 智成(さとなり)親王
  伏見宮邦家親王第十三皇子(母 家女房伊丹吉子)
  泰宮
  安政三年(一八五六)  六月二十一日   誕生
  万延元年(一八六○)  八月二十八日   孝明天皇養子 聖護院門跡雄仁法親王附弟
  慶応二年(一八六六)  二月九日     親王宣下
    同   年     二月二十四日   聖護院落飾 法名信仁
  慶応四年(一八六八)  正月八日     照高院宮を称する
    同   年     閏四月十五日   復飾 名智成 聖護院宮継承
  明治二年(一八六九)  十一月二十八日  元服
  明治三年(一八七○)  十一月三十日   北白川宮創設
  明治五年(一八七二)  正月二日     薨去

 能久(よしひさ)親王
  伏見宮邦家親王第九皇子(母 家女房堀内信子)
  満宮 一品 陸軍大将
  弘化四年(一八四七)  二月十六日    誕生
  嘉永元年(一八四八)  八月三日     仁孝天皇養子 青蓮院門跡附弟
  嘉永五年(一八五二)  三月十二日    勅命により梶井門跡附弟
  安政五年(一八五八)  九月二十七日   輪王寺門跡慈性法親王附弟
    同   年     十月二十五日   親王宣下 名能久
    同   年     十一月二十三日  落飾 輪王寺門跡 法名公現
  慶応四年(一八六八)  六月十六日    奥羽越列藩同盟盟主(東武皇帝)
  明治元年(一八六八)  十一月十九日   仁孝天皇養子・宮号・親王身分剥奪
  明治二年(一八六九)  九月二十八日   伏見宮復帰
  明治三年(一八七○)  十一月二日    復名能久 伏見満宮と称す
  明治五年(一八七二)  三月二日     北白川宮継承
  明治十一年(一八七八) 八月二十六日   特旨により仁孝天皇養子・親王身分復帰
  明治二十八年(一八九五)十一月五日    薨去(戦病死)

 妃
 光子(みつこ)
  侯爵山内豊信長女
  安政六年(一八五九)  五月六日     誕生
  明治十八年(一八八五) 十一月五日    離籍
 富子(とみこ)
  侯爵伊達宗徳次女・公爵島津久光養女
  文久二年(一八六二)  閏八月八日    誕生
  昭和十一年(一九三六) 三月二十日    薨去

 皇子女
 恒久王(母 申橋幸子)
  竹田宮創設
 延久(のぶひさ)王(母 岩浪稲子)
  明治十八年(一八八五) 八月二十八日   誕生
  明治十九年(一八八六) 六月二十八日   薨去
 成久王(富子妃)
  北白川宮継承
 満子(みつこ)女王(母 同恒久)
  伯爵甘露寺受長夫人
  明治十八年(一八八五) 十月十九日    誕生
  明治三十七年(一九○四)十一月十四日   降嫁
 貞子(さだこ)女王(母 同延久)
  伯爵有馬頼寧夫人
  明治二十年(一八八七) 八月六日     誕生
  明治三十六年(一九○三)二月六日     降嫁
 輝久(てるひさ)王(母 同恒久)
  海軍中将
  明治二十一年(一八八八)八月十二日    誕生
  明治四十三年(一九一○)七月十日     小松の家名を賜り華族に列する 侯爵 小松宮の祭祀を継承
  昭和二十二年(一九四七)五月三日     華族制度廃止
  昭和四十五年(一九一二)十一月五日    逝去
  彰久・輝久長男(大正八年(一九一九)九月二十九日~平成二年(一九九○)六月二十九日)
  揮世久・彰久長男(昭和二十二年(一九四九)十二月二十七日~ )
  豊久・輝久次男(大正十年(一九二一)七月二十二日~ )
 芳之(よしゆき)(母 申橋カネ)
  明治二十二年(一八八九)三月二十二日   誕生
  明治三十年(一八九七) 七月一日     二荒の家名を賜り華族に列する 伯爵
  明治四十二年(一九○九)八月十八日    逝去
  芳之養子
  芳徳(公爵伊達宗徳九男)
 武子(たけこ)女王(母 同恒久)
  子爵保科正昭夫人
  明治二十三年(一八九○)三月二十八日   誕生
  明治四十四年(一九一一)四月十七日    降嫁
 正雄(まさお)(母 前波栄)
  海軍
  明治二十三年(一八九○)七月十六日    誕生
  明治三十年(一八九七) 七月一日     上野の家名を賜り華族に列する 伯爵
  昭和二十二年(一九四七)五月三日     華族制度廃止
  昭和四十年(一九六五) 二月十六日    逝去
  正泰・正雄長男(大正七年(一九一八)八月六日~ )
  秀治・正泰養子(子爵松平國秀次男)
  龍雄・正雄次男(大正十年(一九二一)七月十四日~昭和十六年(一九四一)六月八日)
  忠雄・正雄三男(大正十二年(一九二三)六月四日~昭和二十一年(一九四六)三月二十四日)
  久雄・正雄四男(昭和二年(一九二七)十月二十五日~)白川資長養子、後離籍
 信子(ことこ)女王(母 同恒久)
  明治二十四年(一八九一)十二月二十日   誕生
  明治二十五年(一八九二)一月二十二日   薨去
 拡子(ひろこ)女王(母 浮山幾牟)
  伯爵二荒芳徳夫人
  明治二十八年(一八九五)五月二十八日   誕生
  大正四年(一九一五)  七月十六日    降嫁
  平成二年(一九九○)  三月七日     逝去

 成久(なるひさ)王
  能久親王第三皇子
  陸軍砲兵大佐
  明治二十年(一八八七) 四月十八日    誕生
  大正十二年(一九二三) 四月一日     薨去

 妃
 房子(ふさこ)内親王
  明治天皇第七皇女
  
  明治二十三年(一八九○)一月二十八日   誕生
  明治四十二年(一九○九)四月二十九日   成婚
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱
  昭和四十九年(一九七四)八月十一日    逝去

 皇子女
 永久王
  北白川宮継承
 美年子(みねこ)女王
  子爵立花種勝夫人
 佐和子(さわこ)女王
  子爵東園基文夫人
 多恵子(たえこ)女王
  徳川圀禎夫人

 永久(ながひさ)王
  成久王第一皇子(母 房子妃)
  陸軍砲兵少佐
  明治四十三年(一九一○)二月十九日    誕生
  昭和十五年(一九四○) 九月四日     薨去(戦死)

 妃
 祥子(さちこ)
  侯爵徳川義恕次女
  大正五年(一九一六)  八月二十六日   誕生
  昭和十年(一九三五)  四月二十六日   成婚

 皇子女
 道久王
  北白川宮継承
 肇子女王
  旧公爵島津忠広夫人

 道久(みちひさ)王
  永久王第一皇子(母 祥子妃)
  伊勢神宮大宮司
  昭和十二年(一九三七) 五月二日     誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名 北白川道久

 夫人
 慶子(けいこ)
  旧公爵島津忠承三女
  昭和十八年(一九四三) 七月二十三日   誕生

 子女
 尚子(なおこ)
  昭和四十二年(一九六七)九月九日     誕生
  堤直純夫人
 宣子(のぶこ)
  昭和四十四年(一九六九)十一月三十日   誕生
 明子(あきこ)
  昭和四十七年(一九七二)一月七日     誕生


○朝香宮     

 鳩彦(やすひこ)王
  久邇宮朝彦親王第八皇子(母 角田須賀子)
  陸軍大将
  明治二十年(一八八七) 十月二日     誕生
  明治三十九年(一九○六)三月三十一日   朝香宮創設
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 名朝香鳩彦
  昭和五十六年(一九八一)四月十二日    逝去

 妃
 允子(のぶこ)内親王
  明治天皇第八皇女
  
  明治二十四年(一八九一)八月七日     誕生
  明治四十三年(一九一○)五月六日     成婚
  昭和八年(一九三三)  十一月三日    薨去

 皇子女
 紀久子(きくこ)女王
  侯爵鍋島直泰夫人
  明治四十四年(一九一一)九月十二日    誕生
  昭和六年(一九三一)  五月十二日    降嫁
 孚彦王
  朝香宮継承
 正彦(まさひこ)王
  海軍少佐
  大正三年(一九一四)  一月五日     誕生
  昭和十一年(一九三六) 四月一日     音羽の家名を賜り華族に列する 侯爵
  昭和十九年(一九四四) 二月六日     逝去(戦死)
 湛子(きよこ)女王
  子爵大給義龍夫人
  大正八年(一九一九)  八月二日     誕生
  昭和十六年(一九四一) 十一月七日    降嫁

 孚彦(たかひこ)王
  鳩彦王第一皇子
  陸軍中佐
  大正元年(一九一二)  十月八日     誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名朝香孚彦
  平成六年(一九九四)  五月六日     逝去

 妃
 千賀子(ちかこ)
  伯爵藤堂高紹五女
  大正十年(一九二一)  五月三日     誕生
  昭和十三年(一九三八) 十二月十六日   成婚
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱
  昭和二十七年(一九五二)十二月六日    逝去

 皇子女
 冨久子(ふくこ)女王
  旧伯爵南部利久夫人(離)後、鈴木勝久夫人
  昭和十六年(一九四一) 十二月十一日   誕生
 誠彦王
  朝香宮継承
 美仍子(みのこ)女王
  坂本喜春夫人
  昭和二十年(一九四五) 十一月二十四日  誕生

 誠彦(ともひこ)王
  孚彦王第一皇子
  東京都庭園美術館管長名誉顧問
  昭和十八(一九四三)年 八月十八日    誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名朝香誠彦

 夫人
 貴子(たかこ)
  内海勝正長女
  昭和二十三年(一九四八)十二月二十七日  誕生

 子女
 明彦(はるひこ)
  昭和四十七年(一九七二)十一月七日    誕生

 美貴子(みきこ)
  昭和四十九年(一九七四)六月十三日    誕生


○竹田宮     

 恒久(つねひさ)王
  北白川宮能久親王第一皇子(母 申橋幸子)
  陸軍少将
  明治十五年(一八八二) 九月二十二日   誕生
  明治三十九年(一九○六)三月三十日    竹田宮創設
  大正八年(一九一九)  四月二十三日   薨去

 妃
 昌子(まさこ)内親王
  明治天皇第六皇女
  
  明治二十一年(一八八八)九月三十日    誕生
  明治四十一年(一九○八)四月三十日    成婚
  昭和十五年(一九四○) 三月八日     薨去

 皇子女
 恒徳王
  竹田宮継承
 禮子(あやこ)女王
  伯爵佐野常光夫人
  大正二年(一九一三)  七月四日     誕生
  昭和九年(一九三四)  三月二十六日   降嫁

 恒徳(つねよし)王
  恒久王第一皇子
  陸軍中佐
  明治四十二年(一九○九)三月四日     誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名竹田恒徳
  平成四年(一九九二)  五月十一日    逝去

 妃
 光子(みつこ)
  公爵三条公輝次女
  大正四年(一九一五)  十一月六日    誕生
  昭和九年(一九三四)  五月十二日    成婚
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱

 皇子女・子女
 恆正王
  竹田宮継承
 素子(もとこ)女王
  昭和十七年(一九四二) 五月五日     誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱
  佐藤博夫人
 紀子(のりこ)女王
  昭和十八年(一九四三) 六月十五日    誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱
  渡邊宣彦夫人
 恆治(つねはる)王
  昭和十九年(一九四四) 八月三日     誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱
  恆治夫人
  幾美子(きみこ)岡田茂長女
   昭和二十三年(一九四八)九月十日    誕生
  恆治子女
  恒昭
   昭和五十四年(一九七九)        誕生
  恒智
   昭和五十五年(一九八○)        誕生
 恆和(つねかず)
  JOC(日本オリンピック委員会)会長
  昭和二十二年(一九四七)十一月一日    誕生
  恆和夫人
  昌子(まさこ)松見郁次女
   昭和二十二年(一九四七)三月十三日   誕生
  恆和子女
  恒泰(つねやす)
   昭和五十年(一九七五) 十月二十四日  誕生
  恒俊  
   昭和五十三年(一九七八)        誕生  
  他に女子一人あり

 恆正(つねただ)王
  恒徳王第一皇子
  昭和十五年(一九四○) 十月十一日    誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名竹田恆正

 夫人
 恭子(きょうこ)
  根津嘉一郎三女
  昭和二十三年(一九四八)二月十四日    誕生

 子女
 浩子(ひろこ)
  昭和四十五年(一九七○)十月十一日    誕生
 恒貴(つねたか)
  昭和四十九年(一九七四)二月二十日    誕生


○東久邇宮     

 稔彦(なるひこ)王
  久邇宮朝彦親王第九皇子(母 寺尾宇多子)
  陸軍大将 内閣総理大臣
  明治二十年(一八八七) 十二月三日    誕生
  明治三十九年(一九○六)十一月三日    東久邇宮創設
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名東久邇稔彦
  平成二年(一九九○)  一月二十日    逝去

 妃
 聰子(としこ)内親王
  明治天皇第九皇女
  
  明治二十九年(一八九六)五月十一日    誕生
  大正四年(一九一五)  五月十八日    成婚
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱
  昭和五十三年(一九七八)三月五日     逝去

 皇子女
 盛厚王
  東久邇宮継承
 師正(もろまさ)王
  大正六年(一九一七)  十一月三日    誕生
  大正十二年(一九二三) 九月一日     薨去
 彰常王
  陸軍大尉
  大正九年(一九二○)  五月十三日    誕生
  昭和十五年(一九四○) 十月二十五日   粟田の家名を賜り華族に列する 侯爵
  昭和二十二年(一九四七)五月三日     華族制度廃止
  常一・彰常長男(昭和二十八年(一九五三)六月二十五日~ )
  彰彦・彰常次男(昭和三十年(一九五五)十二月三日~ )
 俊彦(としひこ)王
  昭和四年(一九二九)  三月二十四日   誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名東久邇俊彦
  多羅間キヌ養子
  俊彦夫人
  勝子(かつこ)花城清安次女
   昭和九年(一九三四) 十二月十一日   誕生
  俊彦子女
  アルフレッド稔彦(ブラジル国籍)

 盛厚(もりひろ)王
  稔彦王第一皇子
  陸軍少佐
  大正五年(一九一六)  五月六日     誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名東久邇盛厚
  昭和四十四年(一九六九)二月一日     逝去

 妃・夫人
 成子(しげこ)内親王
  昭和天皇第一皇女
  
  大正十四年(一九二五) 十二月六日    誕生
  昭和十八年(一九四三) 十月十三日    成婚
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱
  昭和三十六年(一九六一)七月二十三日   逝去
 佳子(よしこ)
  寺尾孝吉長女
  昭和二年(一九二七)  十一月十一日   誕生

 皇子女・子女
 信彦王(母 成子夫人)
  東久邇宮継承
 文子(ふみこ)女王(母 同信彦)
  昭和二十一年(一九四六)十二月二十二日  誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱
  木村和敏夫人(離)、高木代々吉夫人
 壬生基泰(母 同信彦)
  秀彦
  昭和二十四年(一九四九)七月二十九日   誕生
  昭和四十四年(一九六九)三月       壬生基泰養子
  基博子女
  基成
   昭和五十四年(一九七九)九月二十二日  誕生
  基敦
   昭和五十七年(一九八二)五月八日    誕生
 眞彦(なおひこ)(母 同信彦)
  昭和二十八年(一九五三)二月一日     誕生
  直彦夫人
  賀鶴子(かずこ)佐藤信正長女
   昭和二十七年(一九五二)十二月十三日  誕生
  眞彦子女
  照彦(てるひこ)
   昭和五十四年(一九七九)五月十一日   誕生
  照彦子女
  男子(平成十六年(二○○四)生)一人あり
  睦彦(むつひこ)
   昭和五十五年(一九八○)十一月十三日  誕生
 優子(ゆうこ)(母 同信彦)
  昭和二十九年(一九五四)八月三十日    誕生
  東作興夫人
 寺尾厚彦(あつひこ)(母 佳子夫人)
  母方の姓寺尾を名乗る
  昭和四十一年(一九六六)三月二日     誕生
 盛彦(もりひこ)(母 同厚彦)
  昭和四十二年(一九六七)六月十三日    誕生

 信彦(のぶひこ)王
  盛厚王第一皇子(母 成子夫人)
  日本タイ協会常務理事
  昭和二十年(一九四五) 三月十日     誕生
  昭和二十二年(一九四七)十月十四日    皇籍離脱 姓名東久邇信彦

 夫人
 吉子(よしこ)
  島田二郎四女
  昭和十八年(一九四三) 七月十日     誕生

 子女
 征彦(ゆきひこ)
  昭和四十八年(一九七三)四月三日     誕生


 日本国民は、虚偽の報告書に基づく小泉内閣の皇室典範の改悪を絶対に許してはならない!

 我が国をして、神武天皇に連なる世界唯一のエンペラーを戴く現存する世界最古の王朝たらしめている皇位の父系(男系)相続を護らずして、何が保守なのか?

 政府と議会がマスコミに煽られ転がされる気まぐれなる世論など媚び諂い、女系天皇(女系天皇は神武天皇に連ならない男性のタネであるから非皇胤)を認め、歴代天皇と皇室そして億兆の先人が、時代の変遷と幾多の動乱を越えて護り続けてきた自生的秩序にして時効の憲法たる皇室伝統(悠仁天皇と皇室典範)-皇位の父系(男系)相続を破壊したら、法の支配、立憲主義の精神、伝統の擁護、皇室の尊厳すべてが失われてしまう。

 山本一太ら自民党は正気に立ち返り、神武天皇に連なる皇胤(皇族のタネ)たる旧宮家の皇族復帰を実現し、皇室再興の恩人として後世に名誉を遺すべし!

戦国ランス 山本 五十六
戦国ランス 山本 五十六 (1/8スケールPVC塗装済み完成品)
旧宮家復籍運動はリトマス試験紙を活用すべし

占領憲法無効論とは帝国憲法及占領憲法有効論

皇室典範改正問題まとめサイト

 旧宮家の復籍こそGHQの呪縛を断ち日本が独立主権国家として再興する近道であると信じる方は、一日一押人気ブログランキングをクリック揺れるハート
posted by 森羅万象の歴史家 at 21:15| Comment(4) | TrackBack(5) | もろもろ時事評論 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
北白川宮拡子女王の画像があれば取り上げてほしいです。
Posted by LOVE at 2005年12月26日 15:28
あいにく持ち合わせておりません。
Posted by 便利屋 at 2005年12月27日 18:34
さらに付け加えるならば、久邇宮家は、香淳皇后様のご実家ですので、この時点で、天皇家にとって、久邇宮家の祖先は「母方の祖先」となります。
そして、賀陽宮家、朝香宮家、東久邇宮家の、3宮家は、いずれも、香淳皇后の祖父君であられる久邇宮朝彦親王殿下のお子様による分家であり、その意味で、賀陽宮家も、久邇宮家と共通の祖先を持っておられ、延いては、天皇家にとって今上陛下から見れば、母方の祖先となります。また、梨本宮家を明治に継承された梨本宮守正王殿下も久邇宮朝彦親王殿下のお子様ですので、この時点で、梨本宮家も血筋で言えば、同様の位置づけになります。
つまり、賀陽宮家、梨本宮家の2宮家についても、明治時代まで遡れば、天皇家と共通の祖先をお持ちということになります。
さらに、久邇宮朝彦親王殿下(久邇宮家の初代ご当主様)の父君は、伏見宮邦家親王殿下であり、伏見宮家のご先祖様も、幕末以前に関しては、天皇家にとっての「共通の祖先」となります。そして、山階宮家、北白川宮家、東伏見宮家の3宮家は、この伏見宮邦家親王殿下のお子様による分家です。つまり、この3宮家も、幕末以前に遡れば、天皇家にとっての「共通の祖先」をお持ちです。
残るは、閑院宮家ですが、閑院宮家に関しては、江戸時代中期に即位された光格天皇様が、閑院宮家二代目ご当主様であられる、閑院宮典仁親王殿下のお子様です。そして、初代ご当主様であられる閑院宮直仁親王殿下は、東山天皇様のお子
様ですので、享保(徳川吉宗が将軍であった時代)まで遡れば、天皇家と共通の祖先をお持ちということになります。尤も、明治時代に五代目ご当主様の閑院宮愛仁親王殿下が25歳の若さで薨去されたため、伏見宮家から載仁親王殿下をおむかえして宮家を存続せしめておられるので、血筋という観点では、伏見宮家とご同様と言えます。
結論として、11宮家は、いずれも、享保(徳川吉宗の時代)、血筋と言う観点では幕末まで遡れば、天皇家と共通の祖先をお持ちということになります。
Posted by 山本 武弘 at 2006年02月07日 02:55
 山本さん、補足ありがとうございます。

 ということは、旧宮家の皇籍復帰には何の問題も無く、有識者会議の報告書は嘘八百ということですね。

 ライブドアの粉飾容疑を執拗に糾弾しながら、有識者会議の報告書の虚偽記述を糾弾しないテレビマスゴミは本当にひどい。
Posted by 便利屋 at 2006年02月07日 07:25
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック

皇族たちの真実
Excerpt: 旧皇族の方の言葉にこそ重みがある。 当事者であるからだ。へっぽこ有識者なんぞ、た
Weblog: 奥田健次の教育改革ぶろぐろ部
Tracked: 2005-12-12 22:51

男系でなければ成らない理由?
Excerpt: 「天皇は男が継承するものである」に「天皇霊」についての記述がある。  引用開始  我が国は別名「大八洲豊葦原の瑞穂の国」という。米を作る事を信仰の対象にしていた人々が支配していたと思われる。米は地..
Weblog: あくてぃぶ・そなあ
Tracked: 2005-12-13 12:46

皇室典範に関する有識者会議報告書四
Excerpt:  現行皇室典範は以下の三点に於て明らかな男女差別である。一、皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。二、皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる事が出来るが、皇族..
Weblog: 悪の教典楽天市場店
Tracked: 2005-12-14 01:02

語られなかった皇族たちの真実
Excerpt:  語られなかった皇族たちの真実、いよいよ発売されたようですね。僕も予約したのにまだ発想してくれないみたいですが。
Weblog: The Blog of ウラ達ネット ガンバ大阪優勝記念
Tracked: 2005-12-14 01:17

雪斎(櫻田淳)氏の支離滅裂に驚く
Excerpt: 産経「正論」欄原稿/皇位継承論 http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_10fa.html を批判する。 はっきり言うが、支離滅裂で..
Weblog: Speak Easy 社会
Tracked: 2005-12-20 13:47
左翼歴史学者が顔面蒼白次項有幻の名著!戦争と共産主義-大東亜戦争とスターリンの謀略の目次韓流を楽しくする朝鮮民族を読み解く7つの鍵古代史学者は韓国人のなりすましか継体新王朝説を斬る「歪められた日本神話」とんびがタカを生むスーパー日本人を育てる適才教育・戦後民主主義の終着点は家族の解体と日本国の滅亡-なぜマルクスレーニン教は地獄の門を開くのかバカげた舛添要一の女性女系天皇容認論ナチスを愛した沢田研二の窮状・日本の国益を破壊する朝から晩まで反日新聞の錯覚商法天照大神は男系(父系)の女神小林よしのりの欺瞞皇室典範の改悪と日本版「文化大革命」を促す
本当は怖い日本国憲法の話次項有福島瑞穂の政治生命を奪う悪魔の憲法問答・日本国憲法の性格を映す災害基本法-菅直人が嘲笑される理由・韓国の邪悪な野望を打ち砕くアダム・スミスを超える日本の社会思想家・韓国人を震え上がらせるための日本憲法学の密教諸君が愛してくれた日本国憲法は施行前に死んだ!なぜだ!?逆賊の憲法改正案に御用心憲法の本質を示す憲法改正の手続き神州不滅思想が妨害する真正の法力(憲法の非常事態対処能力)再生方策・神か人か天皇とは何か・恐るべき小沢一郎の憲法論日本がアブナイ!日本国憲法の改正が日本国の自殺になる理由・日本国憲法の追認を戒める昭和天皇のおほみうた昭和天皇と憲法改正-エセ民族派が行っている最悪の天皇利用旧宮家の皇室復帰意義は30年前の予言書が指摘する日本の最悪危機の克服・小泉内閣の大罪女系天皇は憲法違反
教科書が教えられない日本の近現代史次項有韓国が日本の皇室を侮辱する歴史的理由・在日パチンコに魂を売った朝敵歴代天皇を論外の男系カルトに貶めたギャグ漫画家堀栄三元参謀の情報戦記が触れない大本営の奥の院の所在と正体・軍紀厳正を誇った日本軍の強姦、韓国軍のレイプ、支那軍の洗城・ああ惜しかったふらふら大日本帝国唯一の勝機・あなたの知らない石原莞爾の対アメリカ政戦略吉田茂が現役復帰させた史上最悪の反日的日本人日本共産党の反日史観によれば志位和夫の祖父は慰安婦強制連行の実行犯・パル判決が語る朝鮮人慰安婦強制連行説の虚構浄土真宗親鸞原理主義者が隠蔽する本当は恐ろしい国家神道の正体日本経済を破壊する辛坊治郎の狂態・人間の屑集団マスゴミが隠蔽する南京大虐殺が法的に成立しない理由捏造と自虐の昭和史を打ち破る日本人に知られては困る歴史
日本人が元気になります!知らないと損する情報次項有年金絶望世代も元気が出る!国の借金アッと驚く新常識・あなたの新聞定期購読は国民生活と国家経済の自殺経済失政はなぜ繰り返すのかインテル長友佑都が実践日本人の潜在能力を引き出すトレーニング方法読み書き運動が苦手なのには理由があった学ぶことが大好きになるビジョントレーニング人生の無駄遣いテレビの視聴を止めて実践すれば病み疲れた体を癒す力を呼び覚ます驚愕の気功法知れば食費と医療費を節約できる酵素はなぜ病気を防ぎ、寿命を延ばすのか